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第84話
しおりを挟む空が、勝手に割れた。
王都の上に出ていた巨大モニターが、さらに一段、横に広がる。
【自動ズーム:対象D/国境・西門】
そんなテロップが、私の意思と無関係に整列する。
地下第三層の配管の海にいる私の視界にも、広場の空にも、同じ映像が流れた。
黒い旗。銀の鎧。隊列の歩幅が、侵略のそれじゃない。
「……保護だ」って字幕が、前に一度出た。
でも今度は、違う。
隊列の先頭にいる男が、馬でも輿でもなく、歩いてきた。
歩き方が、命令そのもの。
国境を越えるのに、門を叩かない。
門が、先に開く。
【所属:隣国帝国/皇帝】
字幕が出た瞬間、広場の空気が一度、止まった。
コメント欄の言語が、増える。
【皇帝!?】
【本人来たの草】
【外交カード切ってきた】
私は息を吸う。
首輪が、ちり、と鳴った。
怖い、じゃない。
でも“状況が変わる”という予感は、心拍を跳ねさせる。
跳ねたら死ぬ。
だから私は、息だけで笑うふりをする。
笑ったら死ぬから、笑わない。
ただ、目の奥だけで。
広場の映像。
黄金の檻の中で膝を折ったままのカイルが、皇帝を見上げている。
心音字幕が、勝手に走った。
【……最悪だ。国際世論まで敵に回る】
ざまあ、って思った瞬間、首輪がもう一度ちり、と鳴る。
だめ。勝利感も危険。
私は、息を整える。
皇帝は、処刑台の正面まで来て――いや、処刑台の「前」じゃない。
誰も彼を止められないはずなのに、彼は自然に、檻の縁に立つ。
多数派の壁が、彼だけは拒まない。
それが、怖い。
皇帝は、私を見る。
その視線は、私の顔じゃなくて。
空に浮かぶテロップを読んでいる。
私が声を出せないことも。
首輪が私を縛っていることも。
投票が止まらないことも。
全部、最初から知ってる目だ。
「――スカーレット・ルージュ」
彼が名前を呼んだ瞬間、私の喉が反射で震えた。
首輪が、ちりっ、と強く鳴る。
刃が、舌裏を撫でに来る幻。
やめて。呼ばないで。
名前は、感情を起動する。
皇帝は、そこで一度だけ、息を吐く。
「発声できないのか。なら、こちらが話す」
彼は両手を広げた。
王の宣言じゃない。
市場の真ん中で、商品を示すみたいに。
「私は帝国皇帝。君に、求婚しに来た」
広場が割れる。
いや、割れたのはコメント欄だ。
【求婚!?】
【展開早すぎ】
【カイルの前で言うの最高】
黄金の檻の中のカイルが、初めて息を詰めた。
【……俺の“器”が、奪われる】
その字幕に、怒りの精霊力がざわっと増える。
私は、息でテロップを落とす。
落とす、というより、落ちてくる。
“見ている人たち”が、私の代わりに打ってくれる。
【求婚はありがたいけど、今はそれどころじゃない】
皇帝は、私のテロップを見て、少しだけ口角を上げた。
「それどころだ」
「君は、契約者だ。王権契約の所有者が君だと、空が言っている」
「君を保護することは、帝国にとって合理的だ」
合理的。
恋じゃなくて、国家。
でもその言い方が、逆に誠実に聞こえるのは、今の私が歪んでるせい。
皇帝は続ける。
「君がこちらへ来れば、回線の“入口”を守る理屈も立つ」
「教皇が落ちた今、次に狙われるのは、入口を奪った君だ」
コメント欄が静かになる。
みんな、理解してる。
見ているだけで魂を抜かれる回線が、まだ生きてることも。
投票確定が、弟を消すことも。
私は、息を吸う。
首輪が鳴る。
怖い。じゃない。
でも、弟のことを考えた瞬間、胸が痛くなる。
痛みは感情で、感情は刃で。
私は、冗談で逃げるしかない。
本気の言葉は、心拍を上げる。
だから、冗談。
私はテロップを落とす。
【求婚は嬉しいけど、今の私は“フォロワー全員のもの”だから】
一拍遅れて、世界が爆発した。
【言ったwww】
【国民の嫁宣言】
【皇帝、振られてて草】
【いや好感度上がるやつ】
笑いの波が来る。
私は笑えない。
でも、笑いの精霊力が、軽い風みたいに私の背中を押した。
皇帝は、声を出して笑った。
「なるほど。多数派か」
そして、カイルの方を一瞥する。
「では、こうしよう」
「私は君に求婚する」
「そして――君が“全員のもの”である間は、帝国は君を守る」
「誰か一人の所有物にしない。奪わない。だが守る」
その瞬間、黄金の檻の中のカイルの心音が、汚く跳ねた。
【……ふざけるな。俺の儀式が――】
皇帝は、カイルを見ない。
私を見る。
「君の返事は、今はいらない」
「君が返事をしたら、心拍が上がる。君は死ぬ」
……気づいてる。
首輪の仕様まで。
私は、息で短く返す。
【条件がある。弟を、先に出して】
皇帝の目が、初めて冷える。
「弟。リオン」
その名前が空に出た瞬間、投票テロップが、嫌な光り方をした。
【投票確定まで:残り 00:01:12】
嘘。
さっきより、減ってる。
止められない投票が、勝手に終点へ寄っていく。
皇帝が静かに言う。
「君の国のシステムは、投票で子どもを殺すのか」
私は答えない。答えられない。
答えたら感情が乗る。
首輪が裂く。
空のモニターが、勝手に分割される。
【自動割込:地下扉/刻印】
扉の刻印が、脈打った。
触れたら処理が走る、あの自動化装置。
そして、最後の一行が出る。
【連動待機:投票確定→地下扉開放→対象:リオン 処理】
皇帝が一歩、前に出た。
「――スカーレット」
私の首輪が、ちりっ、と鳴る。
「君が“フォロワー全員のもの”なら」
「今この瞬間、帝国もフォローする」
空に、新しい封蝋が光った。
【帝国皇帝:フォロー】
次の瞬間、投票の残り時間が、なぜか加速してゼロへ向かい始めた。
まるで誰かが、確定を急かしているみたいに。
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