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第85話
しおりを挟む皇帝が、檻の縁に立ったまま私を見る。
その視線は優しくない。けれど、嘘がない。
空のテロップが勝手に整列する。
【所属:隣国帝国/皇帝】
【発言:保護提案/条件提示】
「君は喋れない。だから、こちらが確認する」
皇帝は淡々と言った。
「王権契約の所有者が君だという表示は、こちらでも同じだ」
「つまり、この国の“王”は今、檻の上で息をしている君だ」
首輪が、ちり、と鳴った。
“王”という単語が、恐怖の概念を連れてくる。
私は笑えない。喜べない。勝った実感すら、死に直結する。
だから、息で答える。
精霊石が意図を拾い、空に文字を落とす。
【私は王になりたいわけじゃない】
【弟を返して。回線を止めて。国を壊さずに終わらせたい】
皇帝は頷きもしない。評価も褒めもない。
ただ事務処理みたいに言う。
「なら“権力”を持つな。持つ者は狙われる」
「君が持っていいのは、契約の鍵だけだ」
その瞬間、王都の空がまた勝手に騒がしくなる。
【提案:暫定政府の樹立】
【権限:多数派(拡張)/適用範囲:王都+王領】
【条件:契約者の署名(意図)+精霊同意】
……誰が提案した。
私じゃない。けど、視聴者が“それが見たい”と思った。
そしてこの世界は、多数派が現実を作る。
喉がひやりとする。
首輪が、ちり……と小さく鳴って、刃の気配が近づく。
怖い。
怖いと思っただけで、死ぬ。
私は息を細く、長く、平らにした。
喜びも怒りも、全部、呼吸で潰す。
皇帝が私の呼吸を見ている。
「契約者。君は指名だけしろ」
「統治は、別の人間にやらせろ」
それは命令じゃない。
生存戦略だ。
私は視線だけで、王城の“透明な箱”を探る。
結界は落ちている。
地下第三層、回線の裏。
投票確定と地下扉、リオン処理。
まだ止まっていない。
暫定政府なんて、あとでいい。
でも――今この瞬間、国が空白になれば、回線はまた教皇の代替に乗っ取られる。
王家が倒れても、入口は残る。
だから、先に“席”を埋める必要がある。
私は息で、名前を探した。
かつて私が助けた部下。
重税の入金先を守るために、夜の帳簿を抱えて走った文官。
孤児院を「存在しないこと」にされたまま、それでも数字だけで子どもを生かした男。
あの人なら、感情で暴走しない。
人気取りもしない。
そして、私の代わりに“普通に喋れる”。
空に落とす。
【暫定政府 首班:ルシアン・ヴェルヌ】
【役職:王領総務官(臨時)】
【理由:王都会計改革/配給計画作成/第七区救済実績】
皇帝が、初めて口角だけを動かした。
笑いではない。合格のサイン。
「いい」
「その男なら、帝国は交渉相手として認める」
空のモニターが勝手に分割される。
王都の一角、薄暗い役所の廊下。
紙束に埋もれている男が映った。
痩せた指が止まり、顔を上げる。
画面の文字を読んだ瞬間。
彼の喉が動き、唾を飲み込む。
逃げたいのに逃げない目。
責任を押し付けられると分かっていて、逃げない顔。
「……スカーレット様?」
彼は声を出した。
私の代わりに。
全国に、言葉が届く。
「私はただの文官です。王ではありません」
コメントが降る。
【王じゃなくていい!】
【数字で救った人だ!】
【演説より配給!】
【孤児院の人!】
ルシアンは画面の向こうで、机から立ち上がらなかった。
跪きもしない。
拳を振り上げもしない。
ただ、書類を持ったまま言う。
「暫定政府を受けます」
「条件があります。第一に、回線の停止。第二に、地下の扉の連動解除」
「第三に――弟君を、今すぐ地上へ」
私の首輪が、ちり、と鳴った。
感情が跳ねた。
“今すぐ”という言葉が、希望を連れてきた。
希望は危険だ。
私は息で殺す。
皇帝が淡々と続ける。
「帝国は“保護宣言”を維持する」
「ただし、契約者が直接統治に入るなら、保護は政治介入になる」
「だから君は、鍵でいろ」
私は頷けない。
頷く動きすら、心拍が跳ねる。
代わりにテロップを落とす。
【私は鍵になる】
【ルシアンを首班に】
【暫定政府 樹立:承認】
空が、ひときわ明るくなった。
【確認:精霊契約 二要素認証】
【所有者:スカーレット YES】
【精霊同意:YES】
【暫定政府:樹立】
王都の石畳の下で、精霊力の脈が変わる。
王家の脈ではない。
教皇の入口でもない。
“多数派が求めた、生活の脈”。
そして、最後に。
空のテロップが、冷たく確定を告げた。
【次の議題:地下扉 連動解除】
【警告:投票確定まで 残り 00:01:12】
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