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第87話
しおりを挟む灰色の紋が、最後の破片まで光になって散った。
王妃エレーナ――個体E-7だった“器”は、音もなく薄れていく。
誰かが泣いていた。
でも私は泣けない。泣いたら死ぬから。
喉の首輪が、ちり…と鳴る。
「勝った」と思っただけで鳴る。
「弟」と思っただけで鳴る。
「安心」とか「終わった」とか、そういう概念すら拾って、刃が舌裏を撫でに来る。
空は、勝手に数字を出す。
【支持率:97% → 98%】
その瞬間、空気が変わった。
熱じゃない。光でもない。
“許可”の匂い。
コメントが降る。
【ありがとう】
【ありがとう】
【ありがとう】
同じ言葉なのに、国が違う。言語が違う。文字が違う。
翻訳字幕が勝手に整列して、全部が同じ意味に揃う。
私は笑えない。
でも、口角が勝手に上がりそうになって、首輪がちりっ!と強く鳴った。
だめ。息。
息だけで、生きる。
――なのに。
次のテロップが、私の意図じゃない速度で落ちた。
【フェーズ更新:支持率98%】
【権限:多数派(拡張)】
【提案:呪いの解除(全域)】
え。
私、そんな提案、してない。
でもわかる。
“見ている人たち”が、私の代わりに押した。
私がずっと欲しかったボタンを。
首輪が、ちり…と鳴った。
いつもなら、ここで刃が来る。
喉の内側が冷えて、舌裏を撫でて、「次は裂く」と告げる。
――来ない。
一拍。
二拍。
首輪は鳴ったまま、刃が動かない。
まるで、空振りしたみたいに。
空の巨大モニターが勝手にズームする。
焦点補正が喉元に合い、私の首輪が映る。
【確認:精霊契約 二要素認証】
【所有者:スカーレット YES】
【精霊同意:YES】
【契約成立】
成立――した。
次の瞬間、喉の首輪の術式が、ほどけた。
糸が切れるみたいにじゃない。
「最初から無かった」みたいに、自然に消える。
息が、深く入った。
胸の奥まで、酸素が落ちた。
声が――
出た。
「……っ」
音にならないはずの息が、音になった。
私は驚きで心拍が跳ねそうになって、反射で呼吸を止めかける。
でももう、止めなくていい。
「……私、声……」
喉が裂けない。
笑っても、泣いても、怒っても、死なない。
それが怖くて、逆に泣きそうになった。
今まで“怖い”は死だったのに、今はただの感情だった。
コメントが、さらに降る。
【ありがとう、スカーレット】
【生きてくれてありがとう】
【弟くん助けて】
【暫定政府、支持】
【回線止めよう】
“ありがとう”の圧が、精霊力になって私の背中を押す。
怒りじゃない。拒否でもない。
あったかい、肯定。
その精霊力が、ひとつずつ、私を縛っていたものを外していくのが分かった。
首輪だけじゃない。
足が床に触れられない浮遊の制約も、いつの間にか薄くなる。
試しに、つま先を下ろす。
石畳の冷たさが、ちゃんと伝わった。
ぬめりも、血の匂いも、全部現実だった。
私は現実に立った。
逃げ道のない処刑台じゃない。
逃げ道を作れる場所に。
空に、また勝手に表示が出る。
【呪い解除:首輪/浮遊制約/感情トリガー 解除完了】
【回線呪詛:魂回収 入口閉鎖(局所)維持】
【投票連動:地下扉開放→対象:リオン 処理 待機中】
最後の一行だけ、赤いままだった。
待機中。
止まってない。
私は、息を吸った。
今度は声で言える。
「リオンを、今すぐ地上へ」
私の声に合わせて、空が震えた。
世界中から、返事みたいにコメントが重なる。
【ありがとう】
【助けよう】
【開けるな、じゃない。救え】
支持率が跳ねる。
【支持率:98% → 99%】
その数字が、地下の暗闇に向けて、光の道を作った。
そして私は見た。
地下の扉の刻印が、待機のまま、私の声を“次のトリガー”として読み替え始めるのを。
――投票じゃない。
“救出”で開く扉に、変わろうとしている。
背筋が冷えた。
これ、間に合う。
でも、間違えたら。
空のテロップが、無慈悲に点滅する。
【次の確定まで:00:00:10】
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