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第90話
しおりを挟む静かすぎて、耳が痛い。
配信枠を切った世界は、音が“戻ってこない”。
いつもなら空から降ってくる文字も、支持率のゲージも、誰かの心音字幕もない。
私は王城の客間で、弟の寝息だけを数えていた。
リオンの髪から、まだ地下の石の匂いがする。
「大丈夫。ここは地上」って言ったのに、私の喉の奥だけが、まだ“刃の記憶”を離してくれない。
首輪は消えた。
泣いても、笑っても、死なない。
それなのに――怖い。
怖いって思える自分が、怖い。
私は窓に近づいて、王都の灯りを見る。
水晶灯は相変わらず点いている。生活のために、消せない。
でも、点いているだけで“回線”だ。魂の導管だ。
教皇は落ちた。魔力は0。入口管理者の座も奪った。
なのに、回線の奥に残っている。
赤字テロップみたいに、脳裏に残っている。
【投票連動:地下扉開放→対象:リオン 処理 待機中】
あれが消えない限り、弟は“いつでも消せる”ままだ。
私は息を吸う。
声が出る。ちゃんと、声が出る。
「……リオン」
呼んだだけで、胸が詰まる。
リオンは眠ったまま、眉を少しだけ寄せた。夢の中で、まだ縛られているみたいに。
その瞬間だった。
窓の外の水晶灯が、同時に、ひとつだけ遅れて明滅した。
祭礼の合図じゃない。緊急放送でもない。
“誰かが、回線の向こうで息をした”。
私は背筋が冷える。
配信を切っているのに。
見られていないのに。
回線だけは、生きている。
机の上に置いた禁忌の精霊石が、勝手に淡く光った。
私が触れていないのに。
同意もしていないのに。
まるで、向こうから「ねえ」と叩かれたみたいに。
「……やめて」
声が出るから、言えた。言えたのに、空気は止まらない。
部屋の隅の影が、濃くなる。
灯りがあるのに、闇だけが増える。
影の中で、何かが“形”を探している。
肉じゃない。骨でもない。
もっと軽くて、もっと汚い。
――言葉の残りカス。
私は理解した。
教皇は落ちた。でも、教皇が呼んだものは落ちていない。
地獄から呼び出した“魔神”の残滓。
入口管理者がいなくなっても、回線の奥に残った汚れは、勝手に増殖する。
影が、床を這った。
客間の絨毯の上を、蛇みたいに。
その先にいるのは、リオン。
私は反射で前に出る。
守る。
今度こそ、守る。
影が笑った気がした。音はないのに、笑いだけが伝わる。
“配信がないなら、誰も見ていないなら、やりたい放題だろ?”
そう言われた気がして、胃がひっくり返る。
私は精霊石を握りしめた。
指が震える。
でも、もう首輪はない。震えても死なない。
その自由が、今は刃になる。
私は選べる。
選べるから、間違えられる。
影が、リオンの影と重なりかけた。
その瞬間、精霊石の光が強くなる。
そして――空に、何もないはずの場所に。
小さな、ありえない文字が浮かんだ。
【回線残滓:魔神系ノイズ 検知】
【提案:ラストイベント 設定】
私は息を止めた。
誰が提案した?
私じゃない。今、配信は切っている。
なのに、“システム”が勝手に言う。ラストイベント?
背中に汗が流れた。
これ、回線が自律的に次の見世物を探してる。
多数派がいなくても。コメントがなくても。
“物語”だけが走り続ける。
そして、そこにリオンの命が吊るされている。
影が、私の足元まで来た。冷たい。
精霊石が、私の掌の中で脈打つ。
私は声で言った。今度は、逃げない。
「――配信を、戻す」
リオンの寝息が、一瞬だけ乱れた。
私の言葉に反応したみたいに、影が嬉しそうに濃くなる。
そうか。こいつは“見られる”ことで強くなる。
だったら逆だ。
見せて、殺す。
真実と嘘の境界を、最後に叩き割る。
私は窓の外の水晶灯を見た。
王都の灯りが、ひとつずつ、呼吸みたいに揺れていく。
回線の奥で、地獄の残滓が笑っている。
その笑いを、全国に晒す。
私が、ラストイベントを“設定”するんじゃない。
ラストイベントに、私が“判決”を下す。
精霊石が、次の枠の準備を始めた。
空が、静かに明るくなっていく。
そして、最後の赤字が、私の視界に刺さった。
【待機中:地下扉開放トリガー 再起動】
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