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第91話
しおりを挟む静かだ。
配信を切った夜の王城は、拍子抜けするほど普通で、だからこそ怖い。
コメントも、支持率も、誰かの正義も降ってこない。
ベッドの上で、リオンが小さく寝返りを打つ。
髪から、地下の石の匂いがまだ抜けない。
私は椅子に座って、手のひらの禁忌の精霊石を見つめた。
光らないはずなのに、今夜はときどき、心臓みたいに明滅する。
「……まだ、生きてる」
声に出す必要はない。
でも、今は声が出る。泣いても死なない。笑っても死なない。
その“自由”が、逆に罠に見える。
窓の外。王都の水晶灯が、ひとつ、またひとつと瞬いた。
街が息をするみたいに、規則正しく。
そして、空気が——薄く、割れた。
壁の向こうから聞こえるはずのない音がした。
「かさっ」
紙でも布でもない。言葉の残りカスが擦れる音。
影が、床を這ってきた。
黒い糸みたいに細く、でも確実に“意味”を持っている。
《……ラスト……イベント……》
私の背筋が冷える。
あの教皇が呼んだ“魔神”。消えてない。回線の残滓として、増殖してる。
精霊石が、勝手に光った。
私の意思じゃない。
空に、淡い文字が浮かんだ。
【回線残滓:魔神系ノイズ 検知】
【提案:ラストイベント 設定】
「勝手に……走るな」
私は立ち上がり、リオンに毛布をかけ直す。
起こしたくない。今夜だけは、眠っていてほしい。
精霊石を握りしめ、窓を開けた。
冷たい夜気が、頬を撫でる。
王都の空に、何もないはずだった。
なのに——うっすらと、ゲージが見えた。
【支持率:98%】
私は息を呑む。
切ったはずだ。枠はない。観客はいない。
それでも、世界が“私”を見ている。
見ているというより、回線が勝手に接続してくる。
水晶灯が、街だけじゃない。
遠くの山の麓、海沿いの港、砂漠の交易都市。
点々と光が連なって、地図みたいに広がった。
そして、同時に。
王都のあちこちで、人が外に出てきた。
手に持っているのは、精霊石。
小さな灯り。祈りの端末。
私は喉を押さえた。
もう首輪はないのに、昔の癖で呼吸が浅くなる。
空のゲージが、跳ねた。
【支持率:99%】
その瞬間、世界の“音”が変わった。
静けさが消えて、代わりに、無数の息が重なった。
耳じゃない。
骨の内側に、直接。
《スカーレット》
誰かが呼んだ。
ひとりじゃない。千でも万でもない。
国境を越えた、言語の違う呼び方まで混ざっている。
私の胸が、熱くなる。
でも今は、それを止めなくていい。死なないから。
窓の下で、老女が精霊石を掲げた。
その隣で、兵士が。
市場の商人が。
孤児が。
隣国の兵が。帝国の貴族が。
みんな、同じ仕草で、手のひらに光を乗せている。
「……何を、する気?」
精霊石が、また勝手に表示した。
【最終提案:回線残滓(魔神系) 全域焼却】
【条件:契約者の詠唱+多数の同期】
同期。
私は笑いそうになって、唇を噛んだ。
前世の言葉が、ここで刺さる。
“みんなで同時にやると、強い”。
ライブ配信の基本。炎上も、救済も。
魔神は回線の残りカス。
なら——回線そのものを、祈りで“上書き”するしかない。
私は窓枠に手を置き、王都の空を見上げた。
遠い場所の水晶灯が、いっせいに明滅する。
まるで、全世界が私に合図している。
「……詠唱、か」
喉が震える。
でも今夜は、震えてもいい。
私は、はっきり声に出した。
「聞こえる?」
返事は、空気の圧で返ってきた。
ざわめきじゃない。肯定の波。
私は一度だけ、深呼吸をする。
これから言う言葉は、魔法じゃない。
真実と嘘の境界を、みんなで踏み越えるための言葉だ。
多数派が現実を作るなら。
多数派に、正しい“嘘”を渡す。
魔神が回線に残した嘘を、上から塗りつぶすために。
「——詠唱は短くする。真似して」
王都の外、遠い国の広場でも、同じように誰かが口を開いているのが見えた。
映像じゃない。
世界が、同じ方向を向いている。
私は宣言する。
「“見ているだけで奪う回線”を、終わらせる」
精霊石が、私の手の中で熱くなった。
空の文字が、確定みたいに並ぶ。
【同期開始】
【カウント:3】
【2】
【1】
私は、叫んだ。
「——返せ!」
同時に、世界中の人が、同じ言葉を口にした。
老女も、兵士も、孤児も、帝国の皇帝の側近も。
誰かの言葉が、誰かの喉を借りて、光になる。
精霊石の光が、星座みたいに繋がっていく。
回線の裏側へ、逆流の川ができる。
床を這っていた黒い影が、ひゅっと縮んだ。
言葉の残りカスが、燃える紙みたいに丸まっていく。
《……ちがう……それは……》
魔神のノイズが抵抗する。
でも、抵抗の声が薄い。
だって今夜は、観客がいないんじゃない。
全員が参加者だ。
私は、二つ目の言葉を続けた。
短く、誰でも言える形にする。
「——嘘を、払え」
世界が復唱する。
嘘を、払え。
嘘を、払え。
そのたびに、空気が透明になっていく。
水晶灯の光が、ただの照明じゃなくなる。
魂を吸う導管じゃなく、魂を守る灯りへ変わっていく。
精霊石の画面が、一瞬だけ白く飛んだ。
眩しさの向こうで、何かが割れる音がした。
ガラスじゃない。
回線そのものの“入口”が、砕ける音。
影が、最後に私へ向かって伸びた。
指みたいに。爪みたいに。
《……おまえだけは……》
私は、息を吸って、最後の一言を落とす。
「——私だけじゃない」
世界が、同時に言った。
「私だけじゃない」
光が爆ぜた。
窓の外の夜が、昼みたいに白くなる。
そして、空のゲージが、静かに点灯した。
【支持率:99% 同期完了】
その下に、赤黒い文字が一行だけ、遅れて滲んだ。
【警告:投票連動 地下扉開放→対象:リオン 処理 待機中】
私は凍りつく。
魔神を焼いたのに。
回線を塗り替えたのに。
まだ、弟の“処理”が待機している。
しかも——今の光で、何かが起動した気配がした。
王城のどこか、地下の奥で。
鍵が外れる音が、した。
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