95 / 100
第95話
しおりを挟む辺境の朝は、音が少ない。
王都みたいに、空が騒がない。
カイルはそれが怖かった。
誰も「殿下」と呼ばない。誰も跪かない。誰も、彼の顔色を読まない。
代わりにあるのは、風と砂と、乾いた咳。
そして――止められない「配信枠」。
空の端に、小さな表示が貼りついている。
【24時間観察チャンネル:対象/王太子カイル(元)】
【ルール:停止不可/改ざん不可/逃走不可】
【虚偽検知:心音字幕(強制)】
彼は、ここでも“見られて”いた。
ただし今度は、守ってくれる檻じゃない。逃げ道を塞ぐだけの監視だ。
「……水」
喉がひりつく。
言葉にした瞬間、心音字幕が走る。
【……誰か、持ってこい。命令しろ。】
【……違う。俺はもう命令できない。】
彼は自分の本音に、顔を歪めた。
命令禁止。抜け道禁止。迂回も禁止。
スカーレットと“契約”したあの条項が、まだ彼の指を縛っている。
水桶を抱えて走ってきたのは、痩せた少年だった。
裸足。膝に古い傷。
けれど目だけは、強い。
「飲む?」
少年は、桶を差し出した。
敬語じゃない。媚びもない。
カイルは反射で怒鳴りそうになって、喉が詰まった。
王都では、そんな口を利いた瞬間、鞭が飛んだ。
だがここでは、誰も飛ばさない。
「……助かる」
そう言うのが、彼は初めてだった。
少年は、顔をしかめて笑った。
「へえ。言えるんだ」
その言葉が、胸に刺さる。
言えなかった。
言う必要がない世界に、彼はいた。
仕事は、土を運ぶことから始まった。
干上がった畑に水路を通す。
石をどかす。砂を掘る。
そして、崩れたらまた積む。
腕が震える。指が裂ける。
肩が抜けそうになる。
彼は何度も膝をついて、砂を吐いた。
【……こんなの、下民の仕事だ。】
【……でも、やらないと終わらない。】
終わる?
何が?
彼の中で、答えは分かっていた。
“終わらない配信”だ。
働かない姿も、逃げる姿も、嘘も、全部が記録になる。
そして、その記録は消えない。精霊契約のログだから。
昼過ぎ、倒れた彼の影を、誰かが覆った。
古い外套。
汗臭いけど、あったかい。
「寝るな。死ぬぞ」
低い声。
振り向くと、白髪の男が立っていた。
片腕がない。
もう片方の手で、器用に縄を結んでいる。
「お前、王都から来たやつだな」
「……そうだ」
「顔がいい。腹は黒そうだ」
言い方が雑で、でも正確だった。
カイルは笑いそうになり、喉が詰まった。
笑っていいのか分からない。
男は、土のうを渡してきた。
「持て。お前の分だ」
「俺に、こんな……」
「お前にもだ。ここはそういう場所だ」
“ここはそういう場所”。
その一言が、カイルの胸を殴った。
王都では、場所が人を決めた。
貴族は座り、民は跪く。
それが秩序だと、彼は教えられてきた。
でも、ここは違う。
立っている者が、働く。
倒れた者を、誰かが起こす。
夕方。
水路に、細い水が通った。
最初は泥色で、すぐに澄んでいく。
畑の端で、子どもたちが歓声を上げた。
「水だ!」
「明日、植えられる!」
カイルは、その声で息が止まりそうになった。
自分が、かつて捨てた声だ。
王都の帳簿で「調整」して、飢饉対策を遅らせた。
配給を削り、誰かの生存を数字にした。
【……俺が削った分だ。】
【……俺が笑っていた分だ。】
膝が震える。
砂に落ちた汗が、塩の味になる。
「……すまない」
口から、勝手に出た。
誰も返事をしない。
許しも、罵りもない。
ただ、作業が続く。
それが、いちばんきつかった。
怒鳴られたほうが、殴られたほうが、まだ“罰”として終われる。
でもここは、終わらせてくれない。
夜。
焚き火のそばで、彼は握り飯を受け取った。
昼に水をくれた少年が、隣に座る。
「なあ」
少年は言った。
「王都の王子って、ほんとに“全部”持ってた?」
カイルは答えられなかった。
持っていたのは、権限と嘘と、命令できる空気だけ。
水も土も、誰かの手も、何ひとつ自分のものじゃなかった。
握り飯が、喉につかえる。
噛むたびに、胸の奥が熱くなる。
それが何か、彼はもう知っていた。
「……俺は」
声が震えた。
「俺は、何も……」
言葉が続かない。
目が勝手に滲む。
情けないほど、止まらない。
【……泣くな。】
【……泣いたら、終わる。いや、もう終わってる。】
【……俺は、終わった。】
少年は、黙って火を見ていた。
そして小さく言った。
「泣けるなら、まだ働けるな」
その一言で、カイルの肩が崩れた。
泣きながら、彼は握り飯を食べた。
泣きながら、明日の土のうを数えた。
泣きながら、働く場所を探した。
空の端で、観察チャンネルが淡々と記録する。
王都で“優しい王子”だった男が、辺境で泥だらけになっていく姿を。
そして、彼は初めて理解した。
多数派は、嘘も作る。
でも同じくらい残酷に、真実も作る。
いま彼を生かしている真実は、たった一つ。
彼が捨てた人々が、彼を殺さず、使っている。
そのほうが、この土地が少しだけ良くなるから。
カイルは泣いたまま、土のうを抱え直した。
逃げる場所はない。
終わらせ方もない。
――この地獄だけが、彼に与えられた“生”だった。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】断罪された悪役令嬢は、本気で生きることにした
きゅちゃん
ファンタジー
帝国随一の名門、ロゼンクロイツ家の令嬢ベルティア・フォン・ロゼンクロイツは、突如として公の場で婚約者であるクレイン王太子から一方的に婚約破棄を宣告される。その理由は、彼女が平民出身の少女エリーゼをいじめていたという濡れ衣。真実はエリーゼこそが王太子の心を奪うために画策した罠だったにも関わらず、ベルティアは悪役令嬢として断罪され、社交界からの追放と学院退学の処分を受ける。
全てを失ったベルティアだが、彼女は諦めない。これまで家の期待に応えるため「完璧な令嬢」として生きてきた彼女だが、今度は自分自身のために生きると決意する。軍事貴族の嫡男ヴァルター・フォン・クリムゾンをはじめとする協力者たちと共に、彼女は自らの名誉回復と真実の解明に挑む。
その過程で、ベルティアは王太子の裏の顔や、エリーゼの正体、そして帝国に忍び寄る陰謀に気づいていく。かつては社交界のスキルだけを磨いてきた彼女だが、今度は魔法や剣術など実戦的な力も身につけながら、自らの道を切り開いていく。
失われた名誉、隠された真実、そして予期せぬ恋。断罪された「悪役令嬢」が、自分の物語を自らの手で紡いでいく、爽快復讐ファンタジー。
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢、前世の記憶を駆使してダイエットする~自立しようと思っているのに気がついたら溺愛されてました~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢エヴァンジェリンは、その直後に前世の記憶を思い出す。
かつてダイエットオタクだった記憶を頼りに伯爵領でダイエット。
ついでに魔法を極めて自立しちゃいます!
師匠の変人魔導師とケンカしたりイチャイチャしたりしながらのスローライフの筈がいろんなゴタゴタに巻き込まれたり。
痩せたからってよりを戻そうとする元婚約者から逃げるために偽装婚約してみたり。
波乱万丈な転生ライフです。
エブリスタにも掲載しています。
学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。
さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。
聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。
だが、辺境の村で暮らす中で気づく。
私の力は奇跡を起こすものではなく、
壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。
一方、聖女として祭り上げられた彼女は、
人々の期待に応え続けるうち、
世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。
「魔法を使わない魔術師を切り捨てた国は、取り返しのつかない後悔をする
藤原遊
ファンタジー
魔法を使わない魔術師は、役に立たない。
そう判断した王国は、彼女を「不要」と切り捨てた。
派手な魔法も、奇跡も起こさない。
彼女がしていたのは、魔力の流れを整え、結界を維持し、
魔法事故が起きないよう“何も起こらない状態”を保つことだけだった。
代わりはいくらでもいる。
そう思われていた仕事は、彼女がいなくなった途端に破綻する。
魔法は暴走し、結界は歪み、
国は自分たちが何に守られていたのかを知る。
これは、
魔法を使わなかった魔術師が、
最後まで何もせずに証明した話。
※主人公は一切振り返りません。
獣舎の全魔獣を管理していた私を、無能呼ばわりで解雇ですか?じゃあ好き勝手に旅をします。困っても知りません。
藤 ゆみ子
ファンタジー
光属性の魔力を持つフィーナは聖女の一人として王宮に就職するが、一向に治癒魔法を使うことができなかった。聖女として働けないと解雇されるが、帰る家なんてない。
そんな時、日々の癒しのためにこっそり行っていた獣舎の魔獣たちが騎士団長グランディに頼み、獣舎の掃除婦として働くことに。
実はフィーナの持つ魔力は人ではなく、魔獣や魔物に使えるものだった。
無自覚に使い魔たちを癒していたフィーナだったが、グランディに気に入られていることに不満を持つ王女に解雇されてしまう。
フィーナは王女の命令なら仕方ないと王宮を出る。
今だ見たこともない魔獣と出会うため、かつての親友だった魔獣のキュウと再会するために旅に出ることにするが、思わぬ事件や問題に巻き込まれていく。
一方でグランディや魔獣たちはフィーナを取り戻すため奮闘する。
聖女の座を奪われてしまったけど、私が真の聖女だと思うので、第二の人生を始めたい! P.S.逆ハーがついてきました。
三月べに
恋愛
聖女の座を奪われてしまったけど、私が真の聖女だと思う。だって、高校時代まで若返っているのだもの。
帰れないだって? じゃあ、このまま第二の人生スタートしよう!
衣食住を確保してもらっている城で、魔法の勉強をしていたら、あらら?
何故、逆ハーが出来上がったの?
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
【完結】リクエストにお答えして、今から『悪役令嬢』です。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「断罪……? いいえ、ただの事実確認ですよ。」
***
ただ求められるままに生きてきた私は、ある日王子との婚約解消と極刑を突きつけられる。
しかし王子から「お前は『悪』だ」と言われ、周りから冷たい視線に晒されて、私は気づいてしまったのだ。
――あぁ、今私に求められているのは『悪役』なのだ、と。
今まで溜まっていた鬱憤も、ずっとしてきた我慢も。
それら全てを吐き出して私は今、「彼らが望む『悪役』」へと変貌する。
これは従順だった公爵令嬢が一転、異色の『悪役』として王族達を相手取り、様々な真実を紐解き果たす。
そんな復讐と解放と恋の物語。
◇ ◆ ◇
※カクヨムではさっぱり断罪版を、アルファポリスでは恋愛色強めで書いています。
さっぱり断罪が好み、または読み比べたいという方は、カクヨムへお越しください。
カクヨムへのリンクは画面下部に貼ってあります。
※カクヨム版が『カクヨムWeb小説短編賞2020』中間選考作品に選ばれました。
選考結果如何では、こちらの作品を削除する可能性もありますので悪しからず。
※表紙絵はフリー素材を拝借しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる