最後の晩餐部

深渡 ケイ

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第4話:入部許可

第4話:入部許可

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「で、結論から言うとさ」

 放課後の部室。窓の外がオレンジに傾き始めて、机の上の紙コップがやたらと光って見えた。

 紬が背もたれに軽く寄りかかり、指で机をとんとん叩く。いつもの調子で笑っているのに、笑うたびに喉の奥を小さく撫でるみたいな間が挟まる。

「湊くん、入部、許可しまーす」

「軽っ」

 湊が思わず突っ込むと、紬は胸の前で両手を合わせた。

「だって、うちの部の入部条件、知ってるでしょ?」

「え、えーと……」

 湊は視線を泳がせた。黒板代わりのホワイトボードには、油性ペンででかでかと書かれている。

『最後の晩餐部 部則:うまい話ができること』

「うまい話って、味のほう?」

「両方」

 紬が即答する。

「言葉の味。記憶の味。あと、空気の味」

「空気に味あるの?」

「あるよ。今みたいなやつ」

 紬が湊の方を見た。目が笑ってる。湊はなんとなく、背中の力が抜けた。

「じゃあ、俺、昨日のやつで合格ってこと?」

「うん。昨日の『コンビニの肉まんを、雨の中で友だちと分けた話』、めっちゃ沁みた」

「沁みたって、肉まん汁か?」

「そうそう、あの熱い汁が、心に……」

 言いながら紬がふっと息を吸って、口元を押さえる。咳が一つ、乾いた音で落ちる。

「……大丈夫?」

 湊が言うと、紬はすぐに手を離して、にこっとした。

「大丈夫。今のは、肉まんの湯気が喉に来た」

「いや湯気ないだろ、ここ」

「イメージ。イメージで湯気出せるから」

「超能力者かよ」

「部長だからね」

 その向こうで、椅子の脚がきぃ、と鳴った。蓮が腕を組んだまま、壁に寄りかかっている。目だけがこっちを見ていて、笑ってない。

「……入部、許可って言ったの、部長の独断?」

「もちろん独断」

 紬が胸を張る。

「部長が法律だから」

「最低の法治国家だな」

 湊が言うと、紬が笑って、また咳を飲み込むみたいに一瞬だけ唇を結んだ。

 蓮がため息を吐く。

「……部則、もう一個ある」

「え、あったの?」

 湊がホワイトボードを見ると、下の方に小さく書き足されていた。

『嘘をつかないこと(できる範囲で)』

「できる範囲って、ゆるいな」

「ゆるくないよ」

 紬が言った。声は軽いのに、言い切りが妙にまっすぐで、湊は一瞬だけ返事を飲み込んだ。

「湊くん、写真、上手いじゃん」

「まあ、うん。映えは作れる」

「それ、嘘にしないでね」

「え?」

 湊が首をかしげると、紬は指を立てた。

「映えは嘘じゃない。作るのも才能。でも、作ったって言えるのが、もっと才能」

 蓮が鼻で笑った。

「口が回るな」

「口が回らないと、この部は死ぬ」

 紬はさらっと言ってから、すぐに笑いに変えるみたいに手を叩いた。

「はい、じゃあ儀式やろう。入部儀式!」

「儀式? そんなのあんの?」

「今作った」

「最低の法治国家パート2」

 湊が言うと、紬は机の引き出しを開けて、何かをごそごそ探した。奥の方でカチン、と小さな音。紬の指が一瞬だけ止まってから、白い封筒を取り出す。

 封筒は新品みたいに白いのに、角だけ少し擦れていた。

「これね、部の『メニュー』」

「メニュー?」

「やりたい話、聞きたい話、食べたい記憶。書いて入れる箱」

「食べたい記憶って言い方、すげえな」

「すげえでしょ」

 紬が封筒を湊に差し出す。紙の端が、指先にひんやり触れた。

「湊くん、最初の注文、書いて」

「え、俺が?」

「うん。新入部員は、まず自分の食べたいものから」

「自分の、食べたいもの……」

 湊はペンを渡されて、封筒の上に置かれた小さなメモ用紙を見た。罫線もない、まっさらな紙。

「なんでもいいの?」

「なんでもいい。豪華じゃなくていい。映えなくていい」

 紬が言った。最後の一言が、湊の胸の奥に引っかかった。

 蓮がぼそっと言う。

「……映えなくていい、って言ってるのに、顔が映えに寄ってる」

「うるさいな」

 湊は苦笑して、ペン先を紙に落とした。

 書こうとして、止まる。

 自分が「食べたい」って、なんだ。

 家の食卓は、思い出そうとするとテレビの音だけが先に出てくる。箸の音より、リモコンのカチカチのほうが強い。誰も誰の皿も見てない。

 湊はペンをくるりと回した。

「……じゃあさ」

「うん」

 紬が身を乗り出す。目がきらきらしている。蓮も、興味ないふりをしながら視線が逸れてない。

「俺が食べたいのは……」

 湊は、ふっと笑ってしまった。

「めちゃくちゃどうでもいいやつ」

「最高」

 紬が即答する。

「どうでもいいやつ、最高にうまいから」

 湊は紙に書いた。

『部室で、誰かと、なんか食ってる感じの話』

 書き終えて見せると、紬が一瞬だけ瞬きを忘れたみたいに固まる。それから、いつもの速さで笑った。

「なにそれ、最高じゃん」

「だろ? 俺、欲が小さいんだよ」

「違う。欲が、ちゃんとしてる」

 紬の声が少しだけ落ち着いた。落ち着きすぎて、湊は逆に照れて、視線を逸らした。

「……じゃあ、これ、箱に入れるの?」

「箱はまだない」

「ないのかよ!」

 湊が突っ込むと、蓮が机の横の段ボールを足で軽く蹴った。

「それ、使え」

 段ボールにはマジックで『資料』と書かれている。角が少し潰れてる。

「資料って書いてあるけど」

「資料だ。お前の注文も資料」

「雑すぎるだろ」

 湊が紙を折って段ボールに入れると、紬が拍手した。

「はい、これで湊くん、正式に最後の晩餐部の部員です!」

「今、入った感あるわ」

「でしょ。ね、蓮」

 蓮は少しだけ眉を動かした。

「……好きにしろ」

「それ、認めたってこと?」

 湊が聞くと、蓮は視線をそらしたまま言う。

「認めてない。様子見」

「様子見って、偉そうだな」

「偉いからな」

「自分で言うな」

 紬が二人の間に手を入れて、パン、と空気を切った。

「よし。じゃあ今日のメイン。湊くん、入部祝いに一品、作って」

「作ってって、料理?」

「言葉の料理」

「それならまあ……」

 湊は椅子に深く座り直して、スマホを机に置いた。反射で自分の顔が少し映る。いつもならカメラを起動して、何か撮って、上げて、って流れになる。

 でも今は、画面を伏せた。

「何の話がいい?」

「入部祝いだから、湊くんの得意なやつ」

 紬が言う。

「見栄張っていいやつ」

「それ、許されるの?」

「今日は特別。明日からは、できる範囲で嘘なし」

「範囲広いな、この部」

「広くないと、生きていけないからね」

 紬がさらっと言って、笑う。笑いながら、指先で自分の手首の内側を軽く押さえた。そこに、絆創膏みたいな肌色のテープがちらっと見えた。

 湊は「リスカ?」とか、そういう方向に行くほど繊細じゃない。単純に、スポーツでもしたのかな、と思った。

「それ、怪我?」

「ん? ああ、これ。部長の秘密」

「秘密多いな」

「部活ってそういうものでしょ」

「そうか?」

 蓮が短く言う。

「……そういうものにするな」

「わかったわかった。じゃあ秘密じゃない。お守り」

 紬が軽く言い換えて、話題を丸めた。

 湊はそのまま、頭の中の棚を探る。映える話。盛れる話。自分の得意分野。

 でも、紬の「映えなくていい」が、まだ胸のどこかに残っていて、いつもみたいに派手に盛る気になれなかった。

「じゃあさ」

 湊が言う。

「俺が人生で一番『うまかった』やつ、話していい?」

 紬の目が丸くなる。

「うん。聞きたい」

 蓮も少しだけ体を起こした。

 湊は、部室の匂いを吸った。古い木の机と、消しゴムのカスと、誰かの柔軟剤。たいして良い匂いじゃないのに、なぜか落ち着く。

 ここ、案外、居心地いいな。

 湊は笑って、言った。

「小学生のとき、給食のカレーが余った日があってさ――」

 紬が身を乗り出す。

「余ったカレーは、戦争だよね」

「そう、それ! 戦争。で、俺、普段は目立たないタイプだったんだけど――」

 湊が話し始めると、紬の笑い声がすぐに乗ってくる。蓮のツッコミも、遅れて刺さってくる。

「それ、盛ってるだろ」

「盛ってねえって!」

「盛ってる顔してる」

「顔で判断すんな!」

 部室の空気が、熱くなる。笑い声が、窓ガラスに反射して戻ってくる。

 その合間に、紬がふっと息を吸い直す音が混じった。短く、浅く、急いで整えるみたいな。

 湊は気づいて、でも深く考えずに言う。

「大丈夫? 笑いすぎ?」

「うん、笑いすぎた。お腹いっぱい」

 紬が言って、胸の前で両手を広げる。まるで本当に満腹みたいに。

「ほら、湊くん。もう入部祝い、効いてる」

 湊はペンを指で回したまま、照れ隠しに笑った。

「じゃあさ、もっと食わせてやるよ。給食カレーの続き、まだ本番じゃないから」

「やった」

 紬が小さく拳を握る。

 蓮がぼそっと言う。

「……調子に乗るな」

「乗るわ。部員だし」

 湊が言い返すと、紬がまた拍手した。

「いいね、部員っぽい!」

 湊はスマホをちらっと見た。通知は増えてない。増えてなくて、なぜか、焦らない。

 その代わり、目の前の二人がいる。

 段ボールの箱と、白い封筒と、夕方の光。

 湊は、もう一度深く息を吸った。

「よし。じゃあ、今日のメニュー、もう一品追加」

 紬が首をかしげる。

「なに?」

「部室で、誰かと、なんか食ってる感じの話。今、作ってる途中」

 紬が笑う。笑いながら、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 それが、湊にはただの照れに見えて。

 読者には、ほんの少しだけ、別のものにも見えた。


 廊下の窓から、夕方の光が斜めに差していた。

 部室を出て数歩。湊がスマホでさっき撮った黒板の落書きを確認していると、背中に低い声が刺さる。

「おい」

 振り向く前に、肩を掴まれた。力は強いのに、乱暴じゃない。湊はそのまま引きずられるみたいに、人気のない階段踊り場へ連れていかれた。

「ちょ、ちょ、どこ連行? 俺、悪いことした?」

 蓮は壁にもたれ、湊を上から下まで値踏みする。視線が冷たい。夕日が当たっても温度が上がらないタイプの目だ。

「悪いこと、って自覚はあるんだな」

「え、ないけど。なんでそういう言い方するの」

「お前、今日入ってきたやつだろ。湊」

「そうそう。名札見た? 覚えるの早いじゃん」

 蓮の眉がぴくりと動いた。湊の軽口に反応したのか、別の何かか。蓮は一度、廊下の先を見た。部室の扉が見える距離。誰かが出てこないか確かめるように。

「……あいつに、何言った」

「え? 紬先輩? 何って、ほら、焼きそばパンの話とか。あ、あと、コンビニおでんの大根が染みるやつ」

「ふざけてんのか」

「ふざけてないって。真面目に染みるじゃん」

 蓮は舌打ちを飲み込み、息を吐いた。喉の奥に引っかかったみたいな短い咳が一つ出て、すぐ掌で口元を隠す。

「……お前、あいつが笑ったの見たか」

「見た見た。めっちゃ笑ってた。笑いのツボ浅いよな、紬先輩。助かる」

「助かる?」

「だってさ、部活って空気大事じゃん。笑ってくれる人いると、回るっていうか。俺、そういうの得意だし」

 蓮の目が細くなる。

「得意? お前、何しに来た」

「え、最後の晩餐部に入部しに」

「その“映え”のために?」

「映えは……まあ、うん、否定はしないけど」

 湊はスマホをひらひらさせた。蓮の視線がそこに落ちる。湊は軽く肩をすくめる。

「でも、今日のは映えじゃなくて、普通に面白かったし。なんか、あの部室……いいじゃん」

「いい?」

「うん。変だけど」

「変って言うな」

「いや、変だよ。食べない部活ってなんだよって思うし。でも、なんか、紬先輩が楽しそうだし」

 蓮は黙った。夕日が少しずつ沈んで、踊り場の影が伸びる。その沈黙の間に、湊は蓮の腕をちらっと見る。袖の下、手首のあたりに薄く残る絆創膏。さっきは気づかなかった。

「蓮、手、どうした? ケンカ?」

「関係ない」

「え、ケンカなら俺止めるよ。SNSで拡散されると面倒だし」

「……お前、ほんと軽いな」

「軽いのが取り柄なんで」

 湊が胸を張ると、蓮の口角がほんの少しだけ動いた。笑った、というより、笑いそうになったのを引っ込めた顔。

「……入部、許可したのは部長だ。俺じゃない」

「うん。紬先輩、即OKだった。最高」

「最高って言うな」

「え、ダメ? じゃあ、最強」

「……」

 蓮は眉間を指で押さえて、深く息を吐いた。そして、湊の目をまっすぐ見た。さっきまでの氷みたいな目じゃない。もっと、重い。

「条件がある」

「お、出た。条件。漫画みたい」

「ふざけるな」

「ふざけてないって。聞く聞く。条件なに?」

 蓮の喉がまた小さく鳴った。咳が出そうで出ない、そんな間。蓮は一度だけ唇を噛んで、言った。

「お前が、部長を笑わせてくれるなら。それでいい」

 湊は瞬きした。

「え、なにそれ。俺、芸人枠?」

「違う」

「じゃあ、なん枠?」

「……あいつが、笑ってるなら。今は、それでいい」

 言い切った後、蓮は視線を外した。窓の外の空を見ている。夕焼けの赤が、蓮の頬の色を誤魔化している。

 湊は首を傾げる。

「今は、って何。あとで審査厳しくなるやつ?」

「そう思うなら、そう思っとけ」

「えー。まあいいや。笑わせるのは得意だし。任せて」

 湊が軽く親指を立てると、蓮はその指を見て、また微妙な顔をする。

「……任せるとか言うな。軽い」

「軽いけど、ちゃんとやるよ。紬先輩、笑うとさ、目がきらってなるじゃん。あれ、いいよな」

 蓮の肩が一瞬、固くなる。湊は気づかず続ける。

「なんか、腹減ってないのに腹減ったみたいな顔になる。あれ、すげー不思議」

 蓮の視線が戻る。湊の顔を見て、何か言いかけて、やめたみたいに口を閉じる。

「……お前、あいつのこと、変に傷つけたら」

「え、傷つけないよ。俺、優しいし」

「自分で言うな」

「言うよ。自己PR大事だし。ほら、SNSも——」

「そのSNS、部長の前で振り回すな」

「え、ダメ? 俺の武器なんだけど」

「武器とか言うな」

「じゃあ、スプーン。言葉のスプーンで食べさせる部活だし」

 湊が言った瞬間、蓮の目がわずかに揺れた。怒りでも呆れでもない、別の揺れ。湊はそこを読み取れず、勝手に解釈する。

「今の、ちょっと上手くない? 俺、センスあるかも」

 蓮は鼻で笑った。ほんの一秒だけ。

「……センスじゃない。部長が、そういうの好きなだけだ」

「じゃあ、やっぱ笑わせるの正解じゃん」

 湊は踊り場の手すりに肘をつき、身を乗り出す。

「ところでさ、蓮って紬先輩の何? 幼馴染って言ってたけど、保護者みたいだよな」

「……余計なお世話」

「え、図星?」

「違う」

「じゃあ何」

 蓮は答えない。代わりに、湊のスマホに目をやって言う。

「撮るなよ」

「撮ってないって。今は」

「“今は”って言うな」

「じゃあ、“基本撮らない”。でも、紬先輩が笑った瞬間は撮りたいかも。あ、でも撮ったら怒る?」

 蓮の視線が鋭くなる。

「……怒る」

「こわ」

 蓮は一歩近づき、低い声で念を押す。

「笑わせるのはいい。部長が自分から笑えるなら、それでいい。……でも、見せ物にするな」

 湊は両手を上げた。

「はいはい。見せ物にしません。てか、そんな悪いことする気ないって。俺、空気読むし」

「読めてないから言ってる」

「え、マジ?」

 湊が笑うと、蓮はもう一度、短く咳をした。今度は少しだけ苦しそうで、肩が上下する。湊は反射的に言う。

「大丈夫? 階段のホコリ?」

「……大丈夫だ」

 蓮は咳を飲み込み、背筋を伸ばす。目の奥の疲れみたいなものを、強引に押し隠すように。

「とにかく。条件はそれだけだ。部長が笑ってるなら、お前が偽物でも構わない」

「偽物って何だよ。ひど」

「本物になれとは言わない」

「え、優しいのか厳しいのか分かんねえ」

 蓮は踊り場の壁から背を離し、湊の横をすれ違う。肩がかすめる距離。通り過ぎる瞬間、蓮が小さく言った。

「……あいつの“腹”を満たせるのは、お前みたいなやつかもしれない」

 湊は聞き返そうとして、蓮の背中がもう廊下の光に溶けていくのを見た。

「え、なに今の。腹って、焼きそばパンの話?」

 湊がそう言うと、蓮は振り向かずに手だけ軽く上げた。もう話は終わりだ、と言うみたいに。

 湊は肩を回し、スマホをポケットにしまう。

「よし。条件クリア簡単。明日も笑わせよ」

 廊下の奥、部室の扉の前に戻ると、扉の隙間から紬の笑い声が漏れていた。湊はその声に釣られて、無意識に口元が緩む。

 蓮の「今は」という言葉だけが、夕方の影みたいに薄く足元に残っていた。湊はそれを、ただのカッコつけだと思って、扉に手をかけた。


 湊が紙コップの水を一口飲むと、喉の奥が冷えた。

「よし。じゃ、今日のメニューいこっか」

 部室の机には、ノートとスマホと、蓮が持ち込んだ小さなスピーカー。紬は椅子の背にもたれて、指で机を軽く叩いている。拍子がいい。

「本日のテーマは……『給食の神回』!」

「神回って給食にあるのかよ」

 湊が笑うと、紬は胸の前で手を合わせた。

「あるよ。揚げパンの日。カレーの日。あと、謎のフルーツポンチの日」

「謎のって何だよ」

 蓮がスマホをいじりながら、無表情で言う。

「白玉が入ってるやつ。あれは当たりだ」

「蓮、意外と語るじゃん」

「語らないと今日は終わらない」

「終わらせないでよ。最後の晩餐部なんだから」

 紬がさらっと言って、湊は「縁起でもねー」と軽く返した。紬はそのまま笑って、湊の方に身を乗り出す。

「じゃあ湊くん。給食の神回、何?」

「え、俺? ……うーん。ミートソーススパゲティ?」

「王道!」

「でもさ、給食のスパゲティって伸びてない?」

「伸びてるのがいいんだよ」

 紬が即答して、湊は「マジか」と声を上げる。

「伸びてるのに、なんか美味いって錯覚するんだよな」

「錯覚じゃないよ。あれは『みんなで食べる味』」

 紬が指を一本立てて断言した、その直後。

「……っ」

 紬の喉が小さく鳴った。笑いの途中で、息が引っかかったみたいに。

「え」

 湊が言いかけた瞬間、紬が口元を押さえて前屈みになる。

「ごほっ……ごほ、ごほっ……!」

 咳が、乾いた音で連続した。机の上のペンが小さく跳ねる。湊が椅子から立ちかける。

「ちょ、だいじょ——」

「大丈夫、大丈夫」

 紬は手のひらをひらひらさせる。でも咳は止まらない。肩が揺れて、息が細くなる。

「ごほっ……っ、けほ……!」

 蓮がすっと立ち上がった。足音が一つも無駄にしない速さで紬の横に行き、背中に手を当てる。

「息、ゆっくり」

「ん……っ、ごめ……」

 紬の声が掠れる。湊は慌てて紙コップの水を差し出しかけて、手を止めた。紬は飲めないんだった、と頭の中でワンテンポ遅れて思い出す。

「水、……あ、違うか」

「持ってくるな」

 蓮が低く言った。怒ってるというより、止めるべきことを止めただけの声。

 紬は咳の合間に息を吸って、指で自分の喉元を軽く示した。

「……ちょっと、トイレ」

 そう言うなり、椅子を引く音が乱れた。紬は片手で机の端を掴んで身体を支え、もう片手で口元を覆ったまま立つ。

「え、待てって、ついて——」

「いい」

 蓮が湊の肩を軽く押して座らせた。力は強くないのに、逆らえない感じがある。

「……俺、何もできないやつみたいじゃん」

「今はそう」

「言い方!」

 湊が抗議すると、蓮は紬の背中を見送ったまま短く息を吐いた。

「……いつものことだ」

 その「いつも」が、妙に固い。

 紬が廊下に出ると、部室の空気が一段落ちた。スピーカーの電源ランプだけがやけに元気に点いている。

 湊は手の中の紙コップをくるくる回した。

「喉に入ったんかな。さっき笑いすぎたとか」

「笑うのが悪いんじゃない」

 蓮の返事が早い。早すぎて、湊は逆に「え、そこそんなに即答?」と思ってしまう。

「じゃあ、何が悪いんだよ」

「……」

 蓮は言葉を飲み込んだように黙って、机の端に置かれた紬のノートを見た。開きっぱなしのページに、丸っこい字で「給食:ミートソース=伸びてるのが正義」と書かれている。

 湊はそれを見て、思わず吹き出しそうになった。

「正義って書いてあるし。ほら、元気じゃん」

「元気は、書ける」

 蓮の声が低く落ちた。湊は笑い損ねて、咳払いみたいに「ん」と喉を鳴らす。

「……蓮さ、過保護だよな」

「過保護でいい」

「開き直った」

 その時、廊下から足音が戻ってきた。軽い、いつものテンポ。でも、少しだけ間が空いている。

 紬が部室のドアを開けた。

「ただいまー」

 声は明るい。明るいまま、顔色だけが少し薄い。頬の赤みが引いて、唇が乾いて見えた。

 湊はその違いを「トイレ寒かったのかな」と勝手に結論づける。

「おかえり。……トイレ、冷房効きすぎてた?」

「効きすぎてたかも」

 紬は笑ってごまかすみたいに、前髪を指で整えた。指先がほんの少し震えているのに、湊は「寒いんだな」と納得する。

 蓮が椅子を引いてやると、紬は「ありがと」と言って座った。座り方がいつもより慎重で、背もたれに触れるまでに一拍ある。

「で、続き続き!」

 紬が手を叩いた。音は元気なのに、手のひらが少し白い。

「湊くんのミートソースの話、まだ途中だったでしょ?」

「途中ってほどでも……。伸びてるのが正義らしいし」

「そこだけ拾うな!」

 紬が笑って突っ込み、湊も笑い返した。

 けれど笑い声の最後、紬が小さく息を吸い直す音が混じった。薄い紙を一枚、そっと折るみたいな音だった。

 蓮がそれに気づいたのか、紬の横顔を一瞬だけ見て、すぐに視線を外す。

 湊は気づかないふりの空気に気づかず、いつものテンポで話を続けた。

「じゃあさ、俺の神回はミートソース。紬は揚げパン。蓮はフルーツポンチ。……給食だけで最後の晩餐いけるな」

 紬が「いけるいける」と頷く。頷きが少し小さい。

「じゃ、食べよっか。言葉で」

「食べるって言うな、今」

 蓮がむっとして言うと、紬が「だめ?」と首を傾げた。

「だめじゃない」

 蓮は短く返し、机の上のノートを紬の前にそっと寄せた。

 紬はそれを見て、笑った。笑顔はいつも通り。だけどその笑顔の奥で、喉のあたりに指を置きたくなるような、細い違和感が残ったままだった。湊だけが、それを「さっきの咳の余韻だろ」と軽く片づけていた。


「……っ、けほっ」

 紬が口元を押さえた。笑い声の途中で、糸が切れたみたいに。

 湊はスマホを構えたまま固まって、「え、今の咳、めっちゃ良いタイミングで入ったんだけど」と言いかけて、紬の顔色に気づいて言葉を飲み込んだ。

 白い。というより、光が当たってるみたいに薄い。

「紬先輩、大丈夫っすか」

「大丈夫大丈夫。ほら、部室って乾燥するじゃん?」

 紬はいつもの調子で笑って、机の端に置いてあったペットボトルに手を伸ばしかけた。指先が触れる直前で止まる。

 代わりに、袖口で口元をぬぐって、にこっとした。

「……湊くん、さっきの続き。『焼きたての匂い』のとこ、もう一回」

「え、そこ? 俺、そこ盛りすぎた気がするんすけど」

「盛って。盛り盛りで。こっちは胃袋じゃなくて想像力で消化してるから」

「意味わかんないけど、了解っす」

 湊が笑って言い直そうとした瞬間、蓮が椅子を引く音がした。ギギ、とやけに大きい。

「紬、無理すんな」

「無理してないよ」

 紬は即答した。早すぎて、湊は目を瞬いた。

 蓮は紬の横に回り込み、机の上の何かを手で隠すみたいに、そっと掌を置いた。角ばった小さなケース。薬の箱みたいにも見える。

 湊は「え、今の何?」と口に出しかけて、蓮の視線に止められた。

 鋭い。いつもの「お前、軽い」の目じゃなくて、もっと深いところを刺す目。

「……なに。俺、今なんか地雷踏みました?」

「踏んでねぇよ」

 蓮は短く言って、紬の顔を見た。怒ってるわけじゃない。怒る場所が違う、みたいな。

 紬は笑っていた。笑っているのに、まぶたの裏側が重そうだった。

 湊は首をかしげる。

「風邪っすか? 季節の変わり目、やばいっすよね。俺も昨日、布団蹴っ飛ばして——」

「風邪じゃないよ」

 紬が言った。今度は、声が少しだけ低い。

 湊は「お、即否定」と軽く返そうとして、蓮のほうを見る。

 蓮は口を開きかけて、閉じた。

 その間が、部室の空気を一枚厚くした。

 窓の外で運動部の掛け声が響いているのに、ここだけ音が遠い。

 湊は笑いを置き場に困って、スマホをポケットにしまった。

「そっか。じゃ、のど? 乾燥? 加湿器、買います? 部費で」

「部費、そんなにない」

 蓮が即座に突っ込んだ。いつものツッコミ。なのに、眉間の皺が消えない。

 紬は「ふふ」と笑って、やっとペットボトルを掴んだ……と思ったら、また手を引っ込めた。

 湊は見なかったことにして、勢いで続ける。

「じゃあ、俺が持ってくるっすよ。家にある、なんか……アロマとか出るやつ」

「湊くんの家にそんな女子力あるの?」

「ないっす。じゃあ、買うっす」

「買うの早い」

 紬が笑って、今度はちゃんと湊のほうを見た。目の奥が、少しだけ揺れている。

 蓮がその揺れを見逃さないみたいに、視線を落として、机の端のケースを指で押し戻した。

 湊はその動きに気づいて、でも深追いはしなかった。

「……まぁ、とにかく。先輩、あったかくして寝てくださいよ。風邪じゃないにしても」

「うん。湊くん、優等生みたい」

「俺、そういうキャラじゃないっすけど」

「そういうキャラになりたいんでしょ」

 紬がさらっと言う。

 湊は「え、バレてる?」と笑って、肩をすくめた。軽く流すのが得意だ。

 その軽さの隙間に、蓮の声が落ちた。

「……今日は、ここまでにしろ」

「え、まだ全然話してないっすよ。俺、今から『焼きたての匂い』の続き——」

「また明日でいい」

 蓮が言い切る。紬はそれに逆らわない。

 湊は「部活ってそういう感じ?」と苦笑いしながら、紬を見る。

「先輩、明日、元気っすか?」

「元気元気。明日はもっと食べる」

 紬は笑って言った。

 食べる、という言い方が、この部室では当たり前のはずなのに。

 湊の胸のどこかに、小さな棘みたいな違和感が刺さって、すぐに抜けた。

「じゃ、明日っすね。俺、めっちゃうまい話、仕込んでくるんで」

「期待してる」

 紬が手を振る。

 その手が、ほんの少し震えているのを、湊は「寒いのかな」と思って見過ごした。

 蓮は最後まで湊を見なかった。紬だけを見て、何か言いかけて、飲み込んだまま、部室の扉の前に立つ。

 湊は靴紐を結びながら、いつものノリで言った。

「蓮先輩、明日もツッコミよろしくっす。俺、ボケるんで」

 蓮は一拍遅れて、「……勝手にしろ」と返した。

 その声が、やけにかすれて聞こえた。


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女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

旧校舎の地下室

守 秀斗
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高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

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