メタモ

さくら

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 台所に立って即席麺を煮ていると、襖の開く音が聞こえた。横目で自室である洋室を一瞥すると、奥の和室から同居人の一人と一匹が出てくるなり大欠伸をしている。
「おはよう、冬彦ふゆひこ。朝飯造ってんの?」
 洋室を素通りして狭いダイニングキッチンへと現れた古橋ふるはし綾人あやとの言葉に、広瀬ひろせ冬彦は呆れながら答える。
「おはようって、もう昼だよ。即席麺で構わないなら、お前らの分も造るけど」
「いいな。あ、でも卵が残り一つしかねえけど」
 冷蔵庫の中身を確認した綾人が、卵を手に持って顔の高さに掲げた。一応、「どうする?」と訊いてくるが、卵無しでも構わないなどと言う気はなさそうだ。
 鍋の中で良い具合まで煮えた麺は、既に卵とからまっている。そろそろ火を止めて、丼に移す頃合いだろう。湯気と一緒に立ち昇る香りが、食欲をそそってくる。
「朝から起きて、掃除も洗濯も済ませて。お前らの分まで飯造るのは俺なのに。俺だけ卵無しとか……」
 ぶつぶつと小言を呟いたところで、綾人相手に遠慮も気遣いも期待はできないだろう。
 案の定、彼は食器棚から自分の分の丼を取り出すと、「最初に食っていい? もう腹減っちまって」と訊いてきた。そのまま冬彦の答えを待たず、麺を小鍋から丼に移し換えようとしている。
「危ないって!」
 冬彦は慌てて小鍋を取り上げ、器をダイニングに備え付けのテーブルに置くよう視線で促した。彼が従うのを待って、器に麺と汁を流し込む。
 過保護な行動だとは自覚していた。けれど放っておけないのだ。いまだって、冬彦が止めなければ綾人は火傷していたに違いない。
 彼は以前、利き腕を怪我したことがある。それ以来、右手の握力だけが弱いのだ。
「お前な。鍋の中身を移すときは、丼をテーブルに置けって何度言えば覚えるんだよ」
 片手だけで持った丼に小鍋の中身を流し込むなんて。その重さを綾人の右手が支えきれないことくらい、彼自身が一番よくわかっているはずなのに。
 何度注意したって気を付けるということを覚えないのだから、冬彦が過保護になるのも必然だろう。
「んー、大丈夫だと思ったんだけど」
「大丈夫じゃないから言ってんだ」
「そうだな。さんきゅ」
 軽い調子で礼を口にして、さっさと食事を始めてしまうのだから、本当に自分勝手な奴だと思う。
 これで卵入りの一つは、既に彼のものに決定だ。
 溜息を吐いて、冬彦は空になった小鍋を奪い返すと、二杯目の即席麺を造り始めた。頃合いを見て最後の卵を割り入れる。
 その間ずっと、綾人が麺を啜る音が聞こえ、足元からは強い視線を感じていた。
「なんだよ。そんなじっと見張ってなくても、最後の卵はお前に譲ってやるって」
 どうせお前も譲る気なんてないんだろ、と冬彦は足元のメタモへと視線を下ろした。
 全長三〇センチ程の丸々とした恐竜が、爬虫類のような目玉でぎょろりと冬彦を見上げてくる。否、恐竜と呼ぶのは正しくない。メタモは大昔に絶滅した恐竜と呼ばれる存在とは無関係なのだから。それでも、メタモの姿を簡潔に説明するには、薄桃色をしたティラノサウルスのぬいぐるみのよう、と例えるのが一番適切だろう。
 しかし、ぬいぐるみのような愛らしさはない。ぎょろりとした目玉は不気味だし、鱗や毛、皮膚に覆われていない剥き出しの肌は不快感を煽ってくる。共に暮らし始めて一ヶ月が経ち、漸く見慣れてはきたが。メタモが家に来たばかりの頃は、なるべく近付かないようにしていたほどだ。
「ほら、食べるなら席に着け」
 完成した即席麺を丼に移してテーブルに置いてやると、メタモは自ら椅子の側まで歩み寄ってくる。わざわざ仕入れたベビーチェアの脚の隣で立ち止まり、再びぎょろりと見上げてきた。届かないから座らせろ、とせがんでいるのだろう。
「ほら、万歳」
 指示通りに万歳をしたメタモの脇の下に両手を差し入れ、抱え上げて椅子の上に座らせてやる。鳥股肉のような感触だと綾人が評した肌に触れるのは正直、未だに慣れない。
 レンゲとフォークを渡してやると、メタモは器用に食事を始めた。



 メタモのいる生活が始まったのは、一ヵ月前。空に鯉のぼりを泳がせている家を近所でも二・三軒見かける、そんな時期だった。
 
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