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四
しおりを挟む「私は夕食の材料と一緒に大量のお酒を買って帰り、適当な理由をつけて久々に二人で乾杯したはずです。お酒が進むように美味しいおつまみも造ったのでしょう。そして酔った彼が寝落ちしてしまう直前にベッドまで誘導した。リビングで眠られたら、私一人の力じゃ彼をベッドまで運べませんからね。それから私は台所に向かったはずです。凶器となった包丁を取りに」
「あなた、なにを言ってるの」
時間がないので、恵の困惑を無視して愛瑠は推理を続ける。
「私は彼のいるベッドに戻り、一緒に布団に入ります。そうしたら彼はきっと、私を抱きしめてくれるでしょう。してくれなければ、私が自分で彼の腕を私の腰に回します。そして、包丁を自分の腹に何度も刺します。それから眠った彼の、或いは深い眠りにつく直前の、ほとんど意識のない彼の、私を抱いているのとは反対の手に包丁を握らせます。最後に私の胸に突き刺して、私は彼の腕の中で眠ります。いつものように彼の腕の中で、彼の温もりを感じながら眠りにつきます。最高に幸福な自殺です」
いま思いついたばかりの計画では、あまりにずさんかもしれない。自分で自分を刺した後に優に包丁を握らせたところで、刺し傷の角度などから自殺であることはすぐに気付かれてしまうだろう。他殺に偽造するには、もう少し策を練らなければならない。
けれど、優が帰宅するまでにはきっと良い作戦が思いつくだろうし、きっとその作戦は上手くいく。だって未来からやって来た恵が言うのだから間違いない。
優は冤罪で逮捕され、愛瑠の死に囚われることになる。
ほう、と悦に入った表情を浮かべる愛瑠の目の前で、恵は度肝を抜かれて青ざめている。
愛瑠は気にせず話し続けた。
「犯行動機は嫉妬です。最近、彼の指に赤い糸が垂れました」
僅かな嫌悪と苛立ちと、それ以上の諦念を込めて呟き、愛留は顔の高さまで左手を掲げた。
「私の指には糸がないのに、彼の指には糸がある。許せないですよね。信じていたのに、やっぱり彼は私の……いいえ。私は彼の運命の相手ではなかった」
彼の指に赤い糸が現れた瞬間の絶望は、いまも重く心の底に沈んでいる。
「でも、私にとっては優だけ。優が私の全て。だから私は決めました。結ばれることがないのなら、彼が私以外を愛するのなら、せめて私は愛情以外の、彼の一番強い感情を貰おう。お姉さんの話を聞いて、そう決心しました」
顔面蒼白になっている恵は、愛瑠の語っていることの半分も理解できていないのだろう。二の句が継げないでいる彼女に、愛瑠は遠慮なく捲し立てる。
「私はこれから死にます。彼は私のせいで私を喪い、私に私を奪われ、私のせいで無実の罪を被るでしょう。例え自殺だと発覚して有罪にならかったとしても、私のせいで苦しんだ事実は変わりません。彼は私を憎むでしょうか? 或いは私は彼の、心の深い傷になるでしょうか?」
どちらでも嬉しいと思う。
「憎悪でもトラウマでも、なんでもいい。彼の一番を私は貰います。彼が別の誰かと結婚して幸せになっても、ベッドでその女を抱く度に、腕の中で死んだ私を思い出すでしょう。いっそ、ベッドなんて使えなくなっちゃえばいいんです。誰も抱けなくなればいい。そのくらい深い心の傷になればいい」
これ以上とない名案だと愛瑠は表情を綻ばせた。心が躍る。こんなに素敵なことは他になにもないように思えてくる。
「未来に戻ったお姉さんが、優に真実を話してくれてもいいです。彼が私を強く憎んでくれたら、嬉しい」
優が真っ直ぐ向けてくれる感情なら、喜んで受け止めよう。それが赤い糸が見えるが故に、彼との未来がないことを知ってしまった愛瑠が望める、一番の幸福だから。
「どんな結末になろうと、彼は私を一生忘れない。私は彼の一生の傷になれる。それって、とても素晴らしいと思いませんか?」
同意を求めてみるものの、どうやら理解は得られなさそうだ。
恵は愛瑠を全否定するかの如く、嫌悪と憎悪の入り混じった視線で睨んでくる。
「あなた、狂ってる」
「そうかもしれません。でも私がおかしくなったのは、優のせいですよ。彼を愛する気持ちがそうさせるんです。私の行動は全て、彼への愛が原動力なんですから」
愛瑠は優の運命の相手ではなかった。それでも、優を想う気持ちだけは本物だと証明したい。そのために、これから訪れる死が必要なのだ。
腕時計を確認した愛瑠は、今度こそ帰りを急ごうと一歩を踏み出した。
「それじゃあ私、お酒を買って帰らないといけないので」
立ち去ろうとする愛留に、再び恵が腕を伸ばしてくる。が、謎の答えを知った彼女は、愛留の腕を掴む直前で消えてしまった。
酒のつまみになにを造ろうか考えながら歩く愛瑠の足取りは、とても軽かだ。
【完】
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