アルケミスト・スタートオーバー ~誰にも愛されず孤独に死んだ天才錬金術師は幼女に転生して人生をやりなおす~

エルトリア

文字の大きさ
11 / 396
第一章 輪廻のアルケミスト

第11話 初めての外出

 赤ん坊の身体というものは不思議だ。昨日まで出来なかったことが突然出来るようになる。

「まあ、リーフ!」

 ナタルの悲鳴のような声で目覚めると、目の前に文字盤があることに気がついた。

「……?」

 重い瞼を瞬かせ、手指を伸ばす。文字盤を引き寄せながら視界の変化に気づいた僕は、やっと母の発した悲鳴の意味に気がついた。

 ――これが、寝返りか……。

 仰向けでしか眠ることができなかったのだが、今朝はうつ伏せになっている。眠っている間か、あるいは夜中に寝ぼけて寝返りを打ったのだろう。元々の僕はうつ伏せで寝るスタイルだったこともあり、無意識のうちに寝返りをマスターしたのだろうと結論づけた。
 寝返りが出来るということは、身体の制御が上手くなっている可能性も高そうだ。

「あーう」

 抱き上げようとするナタルを制して、首を持ち上げてみる。ぐぐっと力が入る感覚があり、重いながらも首が持ち上がった。

「あー、あーっ」

 うつ伏せで首を動かすと、視野の範囲がかなり広がった。仰向けの世界とは比べものにならない情報量に、思わず歓喜の声を上げる。

「すごいわ、リーフ。この調子だと、ハイハイももうすぐかしら」

 いつもならすぐに飛んでくる父がいないところを見ると、もう仕事に出かけたらしい。母は興奮したような口調で僕の背や足を撫でたりしながら、しきりに感嘆の声を漏らしている。

 ――自分の身体を動かしただけで褒められることなど、この先なさそうだな。

 ことあるごとに僕の成長や変化を喜ぶ両親だが、いずれはそれも当たり前のことになるだろう。そう思うと少し寂しいような気がして、ベッドに身体を預けた。

 持ち上げていた頭が重いが、こうした疲労めいた感覚さえ久しぶりだ。ベッドに転がったついでに意識して足を持ち上げ、身体をひねると、世界が反転して見慣れた天井に見下ろされた。

「寝返り返りも出来るのね。じゃあ、そろそろお医者様にも見ていただかなくちゃ」

 母が手を伸ばして僕を抱き上げる。石鹸の柔らかな香りが鼻孔を刺激し、いつも感じていたミルクのような甘い匂いが少し薄くなったように感じられた。

 僕を抱いた母はそのままリビングを移動し、壁の傍へと移動する。壁には見たこともない機械が取り付けられており、母は喇叭ラッパ型のものを手に取ると、肩と首で挟むようにして耳に押し当てた。

「ちょっとお話するからね」

 機械に取り付けられたボタンを幾つか押すと、緑の光が点灯する。聞き慣れない長音が二度鳴った後、母の耳に押し当てられた喇叭ラッパのようなものから人の声が聞こえた。

「ナタルです。出産の際にはお世話になりました。……はい。順調です。首も腰もすわったようですので、診察を――。はい、ではお伺い致しますね」

 あらかじめ取り決められていたかのような、短い会話だった。
 その後、母は僕にいつものようにミルクを飲ませると、籐の籠にタイヤと日除けの布が取り付けられた乳母車に乗せ、家の扉を開いた。

 家の外には、煉瓦造りの家々が立ち並ぶ街が広がっていた。
 初めての外は、風も穏やかで気温もあたたかい。恐らく季節は冬に差しかかったところだと思っていたが、それを感じさせない長閑のどかな陽気だった。

 初めての急な外出には、そうした気候の事情もあるのかもしれないと考えながら、乳母車に揺られる。

「ここがあなたが生まれた街、トーチ・タウンよ」

 ナタルが街の話をしながら歩いて行く声が、いつにも増して心地良かった。街といっても、乳母車から見える景色は、青い空と家々の屋根が見えるぐらいだが、流れてくる風が心地良い。

 穏やかに吹く風は涼しく、湿気をはらんでいる。

 恐らく水辺が近いのだろう。頬を撫でていく涼やかな風を感じながら、視線を巡らせると、白い翼の水鳥が鳴きながら空を渡るのが見えた。
その景色を仰ぎ見ながら、僕は母の押す乳母車から伝わる振動に身を任せた。

 住宅街と思しき通りを抜けると、少し開けた場所に出る。鐘の音や、祈りの声が聞こえるところを見ると、聖堂かなにかがあるのだろうと思われた。

 広場の周りには青々とした葉を茂らせた樹が植えられており、母の行く先にも同じ樹の並木道が続いている。
 葉陰が涼しいところを見るに、大きな葉が幾つも重なっているのだろう。
 手のひらを翳してみると、先端の尖った円い葉の影が映るのがわかる。さらさらと流れるような音を立てて風に揺れているので、あまり厚みはなさそうだ。

「龍樹の並木道よ。ここは、黒竜教の聖堂――竜堂があるの。とても神聖な場所なのよ」

 龍樹を観察している僕に気づいたのか、母が説明してくれる。
 黒竜教という宗教にも、龍樹という樹の名にも覚えがあった。僕の『リーフ』という名の由来だ。

「この龍樹は、薬やポーションの材料にもなるのよ。私たちにはあなたがいるから、いつもたくさんの癒やしをもらっているけどね」

 冗談なのか本気なのかわからなかったが、母が嬉しそうに笑っているので彼女に合わせて笑うことにした。龍樹の青々とした葉は、確かにルドラの瞳の色を彷彿とさせる。まだ見たことはないが、僕の瞳に似ているらしいので、僕もこんな瞳をしているのだろう。

「春になると、紅色の花が咲くの。とても綺麗だからあなたも気に入ると思うわ。それとも、その頃に売りに出される若葉を使った龍樹餅の方が好きかしらね?」

 乳母車を押しながら、謡うようにナタルが教えてくれる。その間に乳母車は人通りの多い場所にさしかかり、辺りがにわかに賑やかになった。

 周囲に何があるかは日除けのせいであまり見えないが、人々の声から察するに市場が開かれているようだ。露店に商人が集まっているのだろうと想像しながら、母の話に合わせて赤ん坊らしい声を上げて相槌を打った。

 乳母車は人混みを避け、龍樹の並木道を通っていく。
 木陰を涼しい風が抜けると、水の流れる音が聞こえたような気がした。
 乳母車から伝わる振動が変わり、道が変化したことが伝わってくる。母が進行方向を左に変えると、波の音が微かに響いてくるのがわかった。


 到着したのは、軍港区画と住宅街の境界にあるという病院だった。
 待合室の窓からは、青々と広がる湖が見える。かなり広い湖のようだ。向こう側に、少し霞んでいるが陸のようなものが見えた。

「あっちの商業区にも、そのうち連れていってあげるわね」

 僕を支えて立たせるようにしながら、母が優しい声で話しかけてくる。湖の向こうに見えるのは、どうやら商業区と呼ばれる区画らしい。

 その商業区に向かう大きな船が湖を横切っていくのが見える。その甲板の上に、見たこともない四角い箱のようなものが積まれているのが気にかかった。

 今の視力ではよく見えないのだが、大人が二人ほど入りそうなサイズ感だ。船舶用の輸送コンテナにしては小さく、形もやや歪なようだ。

「お船が車を運んでるわね」
「うーあ?」

 危うく『くるま』とオウム返しに聞き返すところだったが、乳幼児特有の滑舌の悪さに救われた。

「そう、車よ。蒸気車両っていって、この街で物や人を運ぶのに使われているの」

 僕のあの発音でよくわかるな、と感心しながら母の説明に耳を傾ける。
 人や物を運び、かつ船舶で運搬されているところを見ると、陸上を動く乗り物なのだろうな。帰りに実物が見られると良いのだが。

「危ないから、車が走る道路に出る時は、ママと手を繋いでね」
「あーぅ」

 歩けるようになってからの話だと思うが、一応相槌を打っておく。

「これから少しずつ、街も見て回りましょうね」

 僕の返事に母は微笑み、膝の上に僕を座らせて湖の向こうを眺めた。

 母によるとこのトーチ・タウンは湖を挟んで大きく東西に分かれており、僕の暮らしている家は東南側の東貴族街の軍港区画側らしい。父が軍人であることを考えると、わかりやすい立地だった。

 自宅から北上すると、黒竜教の聖堂があり、別の住宅街が広がっているということになるようだ。この病院は、街の東側の住人――特に妊婦や乳幼児を専門とした病院らしい。待合室には腹の膨らんだ妊婦や、僕のような乳幼児を連れた母親の姿ばかりだった。

「リーフ・ナーガ・リュジュナさん、どうぞ」
「あなたの番よ、リーフ」

 湖を見ながら自分がこれから過ごすであろう街に思いを馳せていたが、診察室からの呼び声で我に返った。

 診察ということは、身体の状態などを診るということなのだろう。ここは、赤ん坊らしく振る舞わなければ……。

感想 167

あなたにおすすめの小説

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

この優しさには絶対に裏がある!~激甘待遇に転生幼女は混乱中~

たちばな立花
ファンタジー
処刑された魔女が目を覚ますと、敵国の王女レティシアに逆行転生していた。 しかも自分は――愛され王女!? 前世とは違う扱いに戸惑うレティシア。 「この人たちが私に優しくするのは絶対に何か裏があるはず!」 いつも優しい両親や兄。 戸惑いながらも、心は少しずつ溶けていく。 これは罠? それとも本物の“家族の愛”? 愛を知らないレティシアは、家族の無償の愛に翻弄されながらも成長していく。 疑り深い転生幼女が、初めて“幸せ”と出会う―― じんわり心あたたまる、愛されファンタジー。 他サイトでも掲載しています。

転生幼女は追放先で総愛され生活を満喫中。前世で私を虐げていた姉が異世界から召喚されたので、聖女見習いは不要のようです。

桜城恋詠
ファンタジー
 聖女見習いのロルティ(6)は、五月雨瑠衣としての前世の記憶を思い出す。  異世界から召喚された聖女が、自身を虐げてきた前世の姉だと気づいたからだ。  彼女は神官に聖女は2人もいらないと教会から追放。  迷いの森に捨てられるが――そこで重傷のアンゴラウサギと生き別れた実父に出会う。 「絶対、誰にも渡さない」 「君を深く愛している」 「あなたは私の、最愛の娘よ」  公爵家の娘になった幼子は腹違いの兄と血の繋がった父と母、2匹のもふもふにたくさんの愛を注がれて暮らす。  そんな中、養父や前世の姉から命を奪われそうになって……?  命乞いをしたって、もう遅い。  あなたたちは絶対に、許さないんだから! ☆ ☆ ☆ ★ベリーズカフェ(別タイトル)・小説家になろう(同タイトル)掲載した作品を加筆修正したものになります。 こちらはトゥルーエンドとなり、内容が異なります。 ※9/28 誤字修正

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

転生幼女は幸せを得る。

泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!? 今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−

家族に忘れられていた第五王子は愛され生活を送る

りーさん
ファンタジー
 アズール王国の王宮には、多くの王子や王女が住んでいる蒼星宮という宮がある。  その宮にはとある噂が広まっていた。併設されている図書館に子どもの幽霊が現れると。  そんなある日、図書館に出入りしていた第一王子は子どものような人影を見かける。  その時、父である国王にすら忘れられ、存在を知られていなかった第五王子の才覚が露になっていく。

御家騒動なんて真っ平ごめんです〜捨てられた双子の片割れは平凡な人生を歩みたい〜

伽羅
ファンタジー
【幼少期】 双子の弟に殺された…と思ったら、何故か赤ん坊に生まれ変わっていた。 ここはもしかして異世界か?  だが、そこでも双子だったため、後継者争いを懸念する親に孤児院の前に捨てられてしまう。 ようやく里親が見つかり、平和に暮らせると思っていたが…。 【学院期】 学院に通い出すとそこには双子の片割れのエドワード王子も通っていた。 周りに双子だとバレないように学院生活を送っていたが、何故かエドワード王子の影武者をする事になり…。  

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?