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第一章 輪廻のアルケミスト
第26話 落胆の意味
しおりを挟む入学早々に見つけた図書館の裏手にある旧図書館が、僕とアルフェのお気に入りの場所になった。
本館の新しい書物も気にはなっているが、僕の場合はグラスの頃の記憶や知識が根底にあるので、まずは現在の世界の歴史や文化について自分の認識を新たにしていく必要があるだろう。
「ねえ、アルフェ。こんな古い本じゃなくて、本館の新しい本の方が授業の予習にもなるんじゃないかな?」
手に取る本からグラス=ディメリアを推察されないように本を選びながら、それとなくアルフェを本館に促す。
「ワタシは、リーフといっしょがいいの」
予想はついていたが、アルフェの答えはいつも同じだ。どうやらアルフェにとって、一番の優先順位は僕の傍にいることらしい。
『お願い』で、ずっと傍にいるように頼まれるくらいなので、相当なものなのだろう。本当の僕を知ったら、アルフェは一体どんな反応を示すのか気になるところだ。僕がグラスだった頃を考えるとあり得ない心境の変化だが、アルフェとは赤ちゃんの頃から行動をしているだけあって、僕にもその好意を受け入れるだけの器は備わってきているのかもしれない。
それでも、アルフェの言うような『だいすき』が僕の心にあるとは思えないのだけれど。
「……リーフ?」
無意識のうちにアルフェを見つめていたらしい。僕と目を合わせてアルフェが目をぱちぱちと瞬かせた。
「ああ、ごめん。ちょっと考えごとをしてた」
「アルフェのこと?」
「……さあ、どうかな?」
アルフェの浄眼で見つめられると、心の中を見透かされたような気分になる。実際にはそんなことはないのだと自分に言い聞かせながら、僕は苦笑を浮かべて肩を竦めて見せた。
「そろそろ、読書に戻ってもいいかな?」
「うん。アルフェ、おじゃましない」
アルフェは頷くと、僕の隣の椅子を引き、鞄から教科書とノートを取り出した。
旧図書館の蔵書には、アルフェが読めそうなものはほとんどないので、復習と予習の時間に充てているらしい。僕はといえば、初日のうちに全ての教科書と副教材に目を通しているので、予習の必要がないことがわかっている。
とはいえ、幾つかの授業ではこの時代の『常識』や『定説』を学ぶ機会があるので、その知識を上書きする必要はある。それを新奇のものとして捉えて反応することが、恐らく僕を子供らしく見せるために重要だろう。
グラスの死から三百年が経過しているので、世界の様相は大きく変化している。僕が今のところ強く惹かれているのは、魔導工学と呼ばれる分野の発展だ。
書物によると、現代の文明や技術は、グラスの死後から約三十年後に起きた一連の産業の変革とエーテルなどの魔導エネルギーと蒸気機関の再発見によるエネルギー革命によって大きく変革を始めたらしい。
三百年前の移動手段は、街中では馬車や徒歩が主流だったが、今は蒸気車両が主流だ。トーチ・タウンにおいては、街を巡回するバスも頻繁に見かける。
馬車が主流だった時代、都市間の移動は常に命の危険を伴っていたが、現代では陸上を浮遊移動する都市間連絡船が凶暴な野生生物などから身を守ってくれるのが当たり前になっている。
人々の生活における変化にも、目を瞠るものがあった。
特に、ルーン文字を用いた魔法発動の簡略化技術――即ち簡易術式を始めとした魔導工学は驚異的な発展を遂げ、製造技術の飛躍的な効率化を世界にもたらした。
その結果、様々な魔導器が生み出され、兵器のみならず、人々の生活の中に深く浸透していった。
だが、兵器としての魔導器が失われたわけではなく、技術の発展と共に戦争や紛争が繰り返され、魔導工学の研究は、最先端の技術としての研究が今日も続けられている。
今や軍事機密として厳重に扱われるようになった機兵が、どれほど進化しているのかは、僕には想像さえできない。父上に聞けば少しは教えてもらえるのかも知れないが、普通の子供はそこに興味を抱くこともないだろうし、悩むところだ。
錬金術は、現代では魔導工学の一部として組み込まれており、『産業』という分野に特化して研究が進められている。僕がグラスとして生涯をかけて研究してきた『真理の探究』という理念は、もう失われてしまっているようだ。あるいは、女神の一存でその探求者も『処刑』されてしまったのかもしれない。
錬金術の発展に強い興味があったが、調べれば調べるほど、現状に落胆する結果となった。
――落胆するということは、僕はまだ錬金術に未練があったし、期待していたのだろうな。
現代の錬金術は、単純に僕自身のためで言えば、探求する価値はなさそうだ。だが、暮らしの便利な道具としてのベネフィットを考えると、両親や身近な人への恩返しの手段としては悪くなさそうだ。
いずれにしても、単純な技術水準では僕――グラス=ディメリアが生きた人魔大戦のころの錬金術には遠く及ばない。
そういえば、ホムンクルスの研究はどうなったのだろうと、司書の女性に頼んで、ホムンクルス関係の文献を選んでもらう。
ホムンクルス関係は幾つかの本が禁書となったらしく、本館から数冊の本が取り寄せられた。
結論からいえば、ホムンクルスの製造は今でも行われており、量産できるヒューマンリソースとして使われていることが判明した。だが、人権問題になり、製造には様々な制約が課せられているらしい。もちろん僕が研究していたような魂を入れ替えるための器となりうる、完全素体としての用途は皆無で、星から授けられた魂が宿るものだけが今日のホムンクルスと呼ばれるものだった。
恐らくこのあたりの研究には、女神や神人の干渉があったのだろう。念のため確認したが、禁書となった本は、世界中で同時期に処分されたのだと司書の女性が教えてくれた。そんな背景からも、やはり神人が動いたのだと容易に想像された。
一通り目的の本を全て読み終わり、現代に到るまでの歴史もおよそ把握した。アルフェはというと、僕の隣で熱心にノートを書き綴っている。机の上に広げられた教科書を見る限り、どうやら明日の魔導工学の予習をしているようだ。
魔導工学なら、ついでに予習しておいても問題なさそうだ。そもそも僕が生きていた時代にはなかった技術だし、生活と密接に関係がある。この仕組みや使い方の理解は、家の手伝いをするときに大いに役立つはずだ。
魔法で火を熾すような時代はもう古く、今の時代は魔導器が生活における魔法の役割を全て担っている。魔法の才能がなくても、ボタンひとつで火を熾し、空調魔導器で室内の温度を快適に保つことができる。しかも燃料は自身のエーテルに頼らず、家の外に設置されたエーテルタンクから供給される液体エーテルが主流なのだ。
――なんでも『魔法』で、という時代は終わったんだな。
そうはいっても、魔法学の授業はあるし、魔力の強い人間は特別な教育を受けるように取り計らわれているのは、現代でもさして変わりはない。
アルフェと僕がセント・サライアス付属幼稚園に入るきっかけになったのにも、このことが強く影響しているわけだし。
「リーフ、おわった?」
僕の視線が本から離れていることに気づいたアルフェが、すかさず声をかけてくる。
「あ、いや。ついでに明日の予習をしようかなって。アルフェは、その魔導工学の予習、もう終わってる?」
「ううん! あと少しだから予習の復習する! リーフにも教えてあげるね」
「それは頼もしいな」
同じ授業に興味があると感じたのか、アルフェは活き活きと目を輝かせた。
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