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第二章 誠忠のホムンクルス
第100話 豹変の管理者
しおりを挟む「……なんだよ。見た目は変わっても、中身は全然かわいくないままじゃないか!」
背後から管理者の呪うような声が響いてくる。
「見逃してあげようと思ったけれど、気が変わった。そのホムンクルスは違反を犯した。置いていってもらうよ」
「マスター!」
管理者の声と気配がすぐ後ろにまで迫ってくる。視線を向けると、真っ白な無数の腕が回廊の至る所から伸びていた。
「全速力で走れ、ホム!」
「しかし、わたくしの身ひとつでマスターが助かるのならば――」
「お前の命は僕のものだ。命令に従え!」
ホムの声を遮り、喉が破れるほど強く叫んだ。
「あははははは、逃がさないよ、グラス! そのホムンクルスもだ!」
回廊を崩落させながら、無数の腕が迫ってくる。
「この世界に通したのは、管理者じゃないか!」
「当然だろう? 扉の内側に入れないと、ホムンクルスが手に入らないからね」
管理者の操る無数の手が、回廊の壁を削りながら襲いかかってくる。ホムは僕を抱えているので下手に動けない。
「避けきれません。お許しください、マスター」
飛び散る破片から身を挺して僕を守りながら、ホムが呻くような声を出した。感情抑制の効果が及んでいるとはいえ、物理的な損傷が声に現れるのは避けられない。
「いいんだ。このまま逃げ切るぞ、ホム」
「……かしこまりました」
痛みを耐えるようにホムが歯を食いしばっているのが、その息遣いでわかる。僕が今、ホムの足手まといになっているのをはっきりと自覚した。
ホム一人ならば戦うことができる。それなのに、僕はホムに抱えられて逃げる指示を出すことで精一杯だ。
「往生際が悪いな、グラス! ホムンクルスなんて、また作ればいいじゃないか」
グラスだった頃の僕なら、きっとそうするだろうな。ホムンクルスを差し出して等価交換を申し出たかもしれない。全ては自分のため、その探究心を満たすことで、自己を肯定し、満足させるために動く男だったからだ。
「何度言わせる! 僕はリーフだ! もうグラスじゃない!」
「グラスの魂でこの世界に入ったのに、君自身を否定するのかい!? あははははっ!」
金属を引っ掻くような耳障りな嘲笑が、真理の世界を揺さぶっている。空間が不規則に揺れ、さすがのホムも体勢を崩して大きく傾いた。
「……っ!」
ホムの腕が僕から離れたが、それはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはホムは僕を庇いながら回廊を転がっていく。ホムがクッションの役割を果たしてくれたおかげで、僕は、ほとんど衝撃を感じずに回廊の床に投げ出された。
「大丈夫か、ホム!」
「先に行ってください、マスター」
すぐに身体を起こし、状況を確認する。ホムは僕よりも早く、現状を把握していたようだ。即座に自分を切り捨てるような判断を下した。
「ダメだ。僕から離れるな」
「しかし、この身体では……」
立ち上がったホムの身体の至るところから血が流れている。特にその背後は、あの鉱石の鋭い破片を受け続けていたことから、かなりの出血があるように見えた。丈夫に作った身体ですら、この状態とは……
「僕の命令は絶対だ。来い、ホム!」
「マスターの命を守ることが絶対です!」
ホムが僕の命令に従わない。それだけ命の危険が迫っているということだ。
それを示すように、僕たちを折ってきていた無数の白い手は、すぐ近くで寄り集まってぐにゃぐにゃと融合を始めていた。白い大蛇を幾重にも丸めたように不気味に蠢く無数の腕は、回廊の鉱石を巻き込んでさらに禍々しい姿にへと変化していく。
あんなものに襲われたら、ひとたまりもない。
「あはあは! さすがにこれからは逃げられないと悟ったようだねぇ。じゃあ、十数える間に、そのホムンクルスを渡してもらおうか。そうすれば、君だけは逃がしてあげるよ」
「……わかりました」
僕が命じるよりも早くホムが反応した。
「待て、ホム」
「いいえ、マスター。こうなったのは、わたくしが、一人で奥義を使えなかったせいです……」
「違う、僕の責任だ」
ホムの発言に僕は強く首を振った。いつかやろうと後回しにするべきではなかったのだ。
「ごーお、ろーく……、ほらほら、もう半分を過ぎちゃったよ」
魔法が苦手でも克服しなければならなかったのだ。ホムのためにも。それなのに、僕は……
「それを言うなら僕も同じだ。僕は――」
――いや、違う。
今、僕が手にしているものはなんだ?
真なる叡智の書。これを回収するために、ここに来たんじゃないか。これを使えば、僕の魔法の能力はアルフェを上回る。
この白く不気味な無数の手は、管理者が使役するものであり、その一部でもある。人形の管理者は、火を苦手としていたはずだ。
「……真なる叡智の書」
魔導書を手のひらにのせて呼びかける。呼びかけながら火をイメージすると、頁がひとりでに動き出し、地獄の火球の項を開いて止まった。
炎系の上位魔法に分類されるこの魔法は、アルフェですら使えるか怪しく、僕には絶対に使えないものだ。
だが、真なる叡智の書は、僕が最も苦手とする魔法を発動するのに必要なイメージ構築という作業を省いてくれる。この魔導書には、僕の知るあらゆる魔法の術式をルーン文字の集合体として記してあるからだ。
そして、それを制御すべきエーテルは、僕のなかから無限に湧き続けている。
「ホム、盾で身を守れるか?」
「もちろんです、マスター」
地獄の火球は、戦闘用の上位炎魔法だ。火球生成時の放射熱により空気すら焼けるため、人間が生身で使うことは本来であれば推奨されない。だが、それ以外にこいつらを倒す道はない。
「きゅーう……。おや、その顔はもう決まったようだね」
どこからか視ているのだろう、管理者の視線が僕に向けられたのがわかった。
「ああ、そうだな」
なるべくゆっくりと答えると、ホムが僕のしようとしていることを察して前に進み出た。目で合図し、僕は魔導書に手をかざした。
「――我は炎、破壊の権化なり。地獄の業火を解き放ち、汝を滅ぼさん」
「そ、それは、その詠唱は……!」
ホムは前に進み出て、前方に向けて大きくて手を広げた。その周囲に鉄鉱石が集結していく。
「やめろぉおおおおおおおっ!」
「灼熱の御手、蒼き炎よ……焼き尽くせ、地獄の火球!」
管理者の驚愕の悲鳴を遮り、最後の詠唱を叫ぶ。真なる叡智の書は僕の声に反応し、簡易術式から巨大な火球が飛び出した。
ホムが展開した巨大な鉄の盾の隙間から、名状し難い熱風が吹き抜けていく。予想以上の反動に、僕の小さな身体は後ろに飛んだ。
「ぎゃああああああっ!」
管理者の絶叫が響き渡るなかで、無数の白い手が消し炭になっていく。爆煙と熱風に顔や手がひりひりと痛んだが、すぐに立ち上がってホムを呼んだ。
「ホム、大丈夫か?」
「はい、マスター」
鉄の盾を打ち立ていたホムは、手に火傷をしているものの、どうにか無事そうだ。
今必要なのは、その二本の足で動けるかどうかだ。爆風で吹き飛ばされたおかげで、扉はもう目の前に見えている。
「このまま外に出るぞ。ついてこい、ホム」
「はい!」
命令に大きく頷いたホムは、再び僕を抱えて回廊を疾走した。
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