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第四章 絢爛のスクールフェスタ
第258話 新年の夜
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★ホム視点
新年を迎えた街を知らないわけではないけれど、この景色を自分の目で見るのは初めてだった。
街は夜だというのに幾つもの明かりで彩られ、昼のような賑わいを見せている。マスターの言葉を借りるなら幻想的と言ったところだろうか。アルフェ様が喜びそうな景色だ。
「とても賑やかね」
エステア様の言葉に頷きながら、わたくしは人の流れる方へと共に進む。竜堂へ至るまでの道は参拝客に向かう人が手にしている明かりで照らされて、とても綺麗だと思った。
「綺麗ね」
「わたくしもそう思っておりました」
わたくしの傍らにいるのはマスターではなく、エステア様だ。
「竜堂はもっと明るいのでしょうね。夜であることを忘れてしまいそう」
微笑んだエステア様の吐息が白く濁る。それが不意に吹いた風に融けて消えるのを見送りながら、わたくしはエステア様の少し赤くなった鼻先を一瞥した。
「そうですね。少し寒いですが、平気ですか?」
「もちろん。あなたこそ大丈夫?」
「わたくしは、そういうことに耐性がつくよう設計されておりますので」
問いかけにそう応えると、エステア様は改まったようにわたくしの顔を見つめた。
「……そういえばそうね」
「なにかおかしかったでしょうか?」
わたくしにとってごく普通のことを述べただけなのだが、返答として誤っていただろうか。
「いいえ。そうじゃないの……。ただ、リーフの家で過ごすあなたを見ていたら、ホムンクルスであることを忘れてしまいそうね」
「さすがにそれはないかと思いますが……」
そう言われたことは意外だったけれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。エステア様がルドラ様とナタル様同様に、わたくしに親しみを込めてそう感じてくださっているのが感じられたから。
「……でも、ありがとうございます」
「お礼を言われることなんてなにもしていないわ」
エステア様はそう言って淡く笑った。その笑顔の奥にあるものを見たような気がして、わたくしは拳を握りしめた。
武侠宴舞・カナルフォード杯でのわたくしの目標が、それを達成したことが今の混乱を招いている。それを謝罪しなければならない。
「そうかもしれません。今、わたくしに必要なのは謝罪でしょうから」
「……ホム?」
怪訝な声が降ったがわたくしは気にせずに深く頭を下げた。
「申し訳ありません。武侠宴舞・カナルフォード杯のことをわたくしは――」
「それは聞きたくないわ」
言い終わる前にエステア様が拒絶の意を示し、わたくしの肩に手を添えた。
「ですが……」
わたくしはなにか間違えただろうか。マスターがくれたせっかくの機会を、エステア様を怒らせることに使ってしまったのではないだろうか。
恐る恐る顔を上げたが、エステア様は怒っているわけではないようだった。
「いいの」
短い言葉だったが、そう発したエステア様の柔らかな表情は、わたくしの不安を和らげるには充分だった。
「謝ってもらうことなんて、ひとつもないわ。あなたも私も全力を尽くして戦った。私が負けたのは私のせい――。私はお陰で自分の弱さを知ることが出来た」
「エステア様……」
「だから、私と戦って、そして勝った相手があなたで本当に良かった」
「本当に……そうなのですか?」
淀みない言葉だったが、にわかには信じられなかった。エステア様はわたくしなんかを気遣ってくれているだけなのかもしれない。そう思えてならなかった。
「これが嘘を言っている顔に見える?」
「いえ――」
「でしょう? でも、これで終わりじゃないわ」
エステア様はわたくしの言葉を遮って笑顔を見せると、わたくしの目を真っ直ぐに見つめた。
「次は、私が勝ちます」
エステア様はそう言って、吹っ切れたような笑顔を見せた。これまでの笑顔とは違って、わたくしに対して親しみを感じているとわかる、優しい笑顔だった。
「わたくしも負けません」
優しい笑顔につられて、わたくしも頬に感じていた緊張が解けるのを感じた。これはマスターがいつか感じた嬉しいときに自然に湧き上がってくる笑みだ。わたくしはやっとその感覚を自分ではっきりと意識することが出来た。
「私たち、はじめてわかり合えた気がするわね。戦いの中ではなく、こうして言葉と心を交わして」
微かな笑みだったけれど、エステア様はわたくしの表情の変化を感じ取ってくれたらしい。優しく目を細めてわたくしの手をとってくれた。
「わたくしも、エステア様というお人がわかってきたように思います」
冷たいエステア様の手を握り返し、敬意と親しみを込めてエステア様の名を呼ぶ。エステア様はわたくしの呼びかけに困ったように笑い、それから諭すようにわたくしの手を握りながら続けた。
「ホム。そのエステア様、というのはもう止めにしない?」
「え……?」
意外な申し出になんと応えてよいかわからなかった。
「敬意を払わないでくれ、とは言わないわ。あなたのアイデンティティみたいなものだものね。だけど、武侠宴舞・カナルフォード杯での勝者はあなたなの。だから、私たちは対等でいたいわ」
ああ、エステア様はわたくしの思い上がりなどではなく、本当に親しみを込めてくださっているのだ。それならば、その申し出に応じることこそ、エステア様への礼儀だろう。
「かしこまりました。……エステア」
言ってはみたものの、むず痒いようななんとも表現し難い違和感に眉を寄せてしまった。本当にこれでいいのだろうか。
「……あの……。このようなことでよろしいのでしょうか?」
わたくしの問いかけにエステア様は無邪気な笑みを見せ、何度も頷いて見せた。
「本当は敬語もなくていいぐらいなんだけど、あなたに何もかも変えてほしいなんて私の奢りよね」
「お気遣いありがとうございます、エステア」
「ふふっ。その調子でお願いするわ、ホム」
もう一度名前を呼んでみると、可憐な花が咲いたようにエステアの頬に紅がさして、その微笑みは一層優しいものになった。
――エステア、エステア。
心の中で彼女を呼ぶ練習を繰り返してみる。やはり少しくすぐったいけれど、屈託のない笑顔を見せてくれるのは嬉しかったし、この空気感はこれまでのどんな彼女といるよりも居心地が良いと感じた。
エステアの言葉を借りるなら、わたくしたちははじめてわかり合えたのだ。
新年を迎えた街を知らないわけではないけれど、この景色を自分の目で見るのは初めてだった。
街は夜だというのに幾つもの明かりで彩られ、昼のような賑わいを見せている。マスターの言葉を借りるなら幻想的と言ったところだろうか。アルフェ様が喜びそうな景色だ。
「とても賑やかね」
エステア様の言葉に頷きながら、わたくしは人の流れる方へと共に進む。竜堂へ至るまでの道は参拝客に向かう人が手にしている明かりで照らされて、とても綺麗だと思った。
「綺麗ね」
「わたくしもそう思っておりました」
わたくしの傍らにいるのはマスターではなく、エステア様だ。
「竜堂はもっと明るいのでしょうね。夜であることを忘れてしまいそう」
微笑んだエステア様の吐息が白く濁る。それが不意に吹いた風に融けて消えるのを見送りながら、わたくしはエステア様の少し赤くなった鼻先を一瞥した。
「そうですね。少し寒いですが、平気ですか?」
「もちろん。あなたこそ大丈夫?」
「わたくしは、そういうことに耐性がつくよう設計されておりますので」
問いかけにそう応えると、エステア様は改まったようにわたくしの顔を見つめた。
「……そういえばそうね」
「なにかおかしかったでしょうか?」
わたくしにとってごく普通のことを述べただけなのだが、返答として誤っていただろうか。
「いいえ。そうじゃないの……。ただ、リーフの家で過ごすあなたを見ていたら、ホムンクルスであることを忘れてしまいそうね」
「さすがにそれはないかと思いますが……」
そう言われたことは意外だったけれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。エステア様がルドラ様とナタル様同様に、わたくしに親しみを込めてそう感じてくださっているのが感じられたから。
「……でも、ありがとうございます」
「お礼を言われることなんてなにもしていないわ」
エステア様はそう言って淡く笑った。その笑顔の奥にあるものを見たような気がして、わたくしは拳を握りしめた。
武侠宴舞・カナルフォード杯でのわたくしの目標が、それを達成したことが今の混乱を招いている。それを謝罪しなければならない。
「そうかもしれません。今、わたくしに必要なのは謝罪でしょうから」
「……ホム?」
怪訝な声が降ったがわたくしは気にせずに深く頭を下げた。
「申し訳ありません。武侠宴舞・カナルフォード杯のことをわたくしは――」
「それは聞きたくないわ」
言い終わる前にエステア様が拒絶の意を示し、わたくしの肩に手を添えた。
「ですが……」
わたくしはなにか間違えただろうか。マスターがくれたせっかくの機会を、エステア様を怒らせることに使ってしまったのではないだろうか。
恐る恐る顔を上げたが、エステア様は怒っているわけではないようだった。
「いいの」
短い言葉だったが、そう発したエステア様の柔らかな表情は、わたくしの不安を和らげるには充分だった。
「謝ってもらうことなんて、ひとつもないわ。あなたも私も全力を尽くして戦った。私が負けたのは私のせい――。私はお陰で自分の弱さを知ることが出来た」
「エステア様……」
「だから、私と戦って、そして勝った相手があなたで本当に良かった」
「本当に……そうなのですか?」
淀みない言葉だったが、にわかには信じられなかった。エステア様はわたくしなんかを気遣ってくれているだけなのかもしれない。そう思えてならなかった。
「これが嘘を言っている顔に見える?」
「いえ――」
「でしょう? でも、これで終わりじゃないわ」
エステア様はわたくしの言葉を遮って笑顔を見せると、わたくしの目を真っ直ぐに見つめた。
「次は、私が勝ちます」
エステア様はそう言って、吹っ切れたような笑顔を見せた。これまでの笑顔とは違って、わたくしに対して親しみを感じているとわかる、優しい笑顔だった。
「わたくしも負けません」
優しい笑顔につられて、わたくしも頬に感じていた緊張が解けるのを感じた。これはマスターがいつか感じた嬉しいときに自然に湧き上がってくる笑みだ。わたくしはやっとその感覚を自分ではっきりと意識することが出来た。
「私たち、はじめてわかり合えた気がするわね。戦いの中ではなく、こうして言葉と心を交わして」
微かな笑みだったけれど、エステア様はわたくしの表情の変化を感じ取ってくれたらしい。優しく目を細めてわたくしの手をとってくれた。
「わたくしも、エステア様というお人がわかってきたように思います」
冷たいエステア様の手を握り返し、敬意と親しみを込めてエステア様の名を呼ぶ。エステア様はわたくしの呼びかけに困ったように笑い、それから諭すようにわたくしの手を握りながら続けた。
「ホム。そのエステア様、というのはもう止めにしない?」
「え……?」
意外な申し出になんと応えてよいかわからなかった。
「敬意を払わないでくれ、とは言わないわ。あなたのアイデンティティみたいなものだものね。だけど、武侠宴舞・カナルフォード杯での勝者はあなたなの。だから、私たちは対等でいたいわ」
ああ、エステア様はわたくしの思い上がりなどではなく、本当に親しみを込めてくださっているのだ。それならば、その申し出に応じることこそ、エステア様への礼儀だろう。
「かしこまりました。……エステア」
言ってはみたものの、むず痒いようななんとも表現し難い違和感に眉を寄せてしまった。本当にこれでいいのだろうか。
「……あの……。このようなことでよろしいのでしょうか?」
わたくしの問いかけにエステア様は無邪気な笑みを見せ、何度も頷いて見せた。
「本当は敬語もなくていいぐらいなんだけど、あなたに何もかも変えてほしいなんて私の奢りよね」
「お気遣いありがとうございます、エステア」
「ふふっ。その調子でお願いするわ、ホム」
もう一度名前を呼んでみると、可憐な花が咲いたようにエステアの頬に紅がさして、その微笑みは一層優しいものになった。
――エステア、エステア。
心の中で彼女を呼ぶ練習を繰り返してみる。やはり少しくすぐったいけれど、屈託のない笑顔を見せてくれるのは嬉しかったし、この空気感はこれまでのどんな彼女といるよりも居心地が良いと感じた。
エステアの言葉を借りるなら、わたくしたちははじめてわかり合えたのだ。
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