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第四章 絢爛のスクールフェスタ

第259話 新年の朝

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 新年最初の朝食は、約束どおりエステア特製のお雑煮を振る舞ってもらうことになった。

 エステアの出身地のしきたりに従い、新年最初に灯した火に大鍋をかけた。中に水を張り、乾燥昆布と丸い餅を朝早くから煮込んでいく。

 ただそれだけの材料なのに、食欲をそそる良い香りが漂ってきたのには驚いたし、なによりあんなに固かった餅が時間をかけて煮込むことで、柔らかく滑らかに変化したことにも驚いた。

 恐らく乾燥している状態から水を吸ったせいなのだろうけれど、だとすれば昆布から出た旨味も餅が吸収していそうだな。

「どうかした? 嬉しそうに見えるけど」
「どんな味かとても楽しみだと思ってた」

 僕が答えるとエステアが柔らかに微笑んだ。故郷の味を振る舞えるとあって、彼女なりの喜びがあるのかもしれない。

「素朴だけれど、身体にしみわたる美味しさよ。お母様にも気に入ってもらえると良いのだけれど」

 そう言いながらエステアが器に盛り付けた餅にかけているのは、昨晩から時間をかけて煮込んでいた鶏出汁にカナド地方では定番の醤油などで味付けしたつゆだ。

 仕上げに柚子と呼ばれる柑橘の皮を薄く切り出したものをのせ、エステアはそれらをテーブルに並べてくれた。

「どうぞ召し上がってください」
「話には聞いていたが初めて食べるな。うん、良い香りだ」

 父が最初に箸を取り、つゆを一口すする。父が満足げに深く頷くと、エステアは安堵の笑みを零して上品に食べはじめた。

 餅を切り分けるのは難しかったので、箸で持ち上げてかぶりつく。柔らかに立ちのぼった湯気から柚子と鶏出汁、そして餅を噛むと昆布の旨味が広がって僕は思わずエステアを見た。

「どう?」
「すごく美味しい。カナド地方の料理は見た目からは想像のつかない深みがあるね」
「本当に……。これなら幾らでも食べられそう」

 美味しさに顔を綻ばせながら母が相槌を打つ。エステアは華やかな笑みで頬を染めたかと思うと、勢い良く立ち上がり、僕たちにおかわりを勧めた。

「是非召し上がってください。たくさん用意しましたから!」

 大鍋に二十個以上はあったかと思われる餅は、エステアとホムと父上が見事に平らげた。僕と母上は元々が小食ということもあり、僕は二つ、母上は三つで限界だった。

 見た目には大した量に見えなかったが、水分を含んだ餅というのは食べ進めるにつれてしっかりとお腹に溜まっていく。普段からたくさん食べているらしいエステアとホムはともかく、少なくとも一人五つ以上は食べたと思われる父上も平然としているのが意外だった。
 いつも僕の料理を満足げに食べてくれている父上だが、もしかすると物足りなかったかもしれないな。ホムもたくさん食事を摂るわけだし、今度からは多めに用意しておこう。

 朝食と片付けを終えたあと、研究所へと戻るお父さんを見送ったというアルフェがその足で初詣に誘いにきたので、出かけることにした。

「……お参り、私も一緒でいいのかしら?」
「もちろん! 黒竜神様は甘い物がだーいすきだから、お供えすれば誰でも大歓迎なんだよ。それにね――」

 そこまで言って、アルフェは明るい笑顔で竜堂の参道を示した。

「もしも悩み事があるなら、神様の力を借りるといいよ」
「……どうして……?」

 アルフェの言葉にエステアが驚いたような反応を示す。エステアの表情を見ないようにと努めてか、参道を楽しげに歩んでいく親子連れを眺めていたアルフェは、少し間を置いてからゆっくりと振り返った。

「やっぱりあるんだ、悩み事」
「あ……」

 その問いかけでエステアもうっかり内心を吐露したことに気づいたらしい。
 アルフェは「もしも悩み事があるなら」そう聞いただけなのだ。隠すつもりならば、「ない」と答えれば良かったところを素の反応を見せたということは、エステアはエステアで僕たちに対してかなり心を許しているのかもしれない。

「……あのね。黒竜神様は、信仰も大事じゃないわけじゃないけど、お菓子が大好きだから、お菓子をお供えすれば力になってくれると思うんだ」
「アルフェの言う通りだよ。話したくないなら話さなくてもいい。ただ、神頼みというのも、悪くないんじゃないかな?」

 女神にどうこうするのは御免だけれど、黒竜神に関しては、幼い頃から親しみがあるせいか僕としては好意的に捉えている。こうして初詣に行くことで、エステアの気分が晴れるなら是非行くべきだ。

「……そうね。せっかくトーチ・タウンに来たんだし、お参りしてみるわ。作法を教えてちょうだい」

 エステアは僕たちの勧めに従うと、物珍しそうに竜堂広場へと足を踏み入れた。

   * * *

 新年の竜堂広場は、例年になくたくさんの屋台が連なり、参拝に訪れた多くの人々で賑わっていた。

 竜堂には備えきれなかった菓子は、臨時のお供え処との看板が立てられた幾つかの場所に分散されているが、それも人々が行列を成す屋台などから絶え間なく供えられているのでうずたかく積まれるばかりになっている。

「黒竜神様、きっと喜んでるね!」

 たくさんのお菓子が供えられ、賑やかな屋台が建ち並ぶ竜堂を楽しげに眺めながら、アルフェが僕たちを先導する。アルフェが明るく振る舞ってくれていることで、悩みがあるということを明かしてくれたエステアの表情も幾分か明るくなっていた。

「あっ、あれ食べたいな!」

 そう言ってアルフェが無邪気に指差した先にあるのは、綿飴の屋台だ。

 橙色の布で出来た簡易屋根の下に灯る魔石灯が目印で、そこに描かれた雲のようなふわふわとした絵には見覚えがあるような気がする。ただ、記憶と違うのは、それを囲むように色とりどりの果物の絵が描かれた魔石灯が簡易屋根をぐるりと囲んでいることだ。

「綿飴ね。行列が出来ているということは、随分人気のお店みたいだけど」

 カナド地方でも知られた菓子らしく、エステアが興味深げに屋台を見つめている。確かに行列は出来ているが、綿飴を求めて並んでいる客の列はさほど停滞もなく動いているので、並ぶとしても大して時間はかからないだろう。

「取りあえず並んでみようか」
「うん!」

 アルフェがステップを踏むように小さく跳ねて、綿飴の屋台へと近づく。

「おじさん! 苺の綿飴ひとつください!」

 アルフェが声を掛けると、店主と思しき男性が驚いたように顔を上げて僕たちを見た。

「……お、俺は夢でも見てるのか!? あの時の嬢ちゃんじゃねぇか!?」
「あー! おじさん!」
「おじさんじゃなくてお兄さんな!」

 アルフェと店主のやりとりで、僕もあの時の記憶が蘇ってきた。

 あの時僕は、砂糖にあらかじめ味や色をつけておいたら、黒竜神が喜びそうな色鮮やかな菓子になりそうだと考えて、その場で思いついた作り方を店主が熱心に書き留めていたのだ。

「帽子の嬢ちゃん、あのときはありがとな!」

 あれから姿を見ないので、どうなったものかと思ってはいたが、アルフェの手前口に出せなかった。それがまさか、こんな繁盛店になっているとは。

「……本当に作ってくれたんですね」
「当ったり前だろ! そんな凄いアイディア、使わねぇ手はねぇって言っただろ!」

 僕の返答に店主は冬だというのに日に焼けたままの太い腕を叩き、自分の腕っ節を自慢するように見せつけた。

 太い指先は綿飴を作り続けた結果なのか、指先に独特のタコが出来ている。それを見ただけでも、店主がどれだけの綿飴を作り続けていたのかは窺い知れた。

「苺も他の果物もさ、嬢ちゃんが教えてくれたように凍らせてからすぐに乾燥させて、その粉末を使ってんだよ。ほら!」

 そう言って店主が見せてくれたのは色とりどりの果物の粉末だ。

「それに他の菓子で使ってるみたいに着色してさ。けど、匂いは果物のそのまんまの匂いなんだぜ」
「ほんとだ!いい匂い!」

 誘われるように顔を近づけたアルフェが喜びに小さく飛び跳ねる。

「素敵なアイディアですね。これはいつ頃の――」

 エステアが言いかけて口を噤んだことで、僕たちの間にほんの一瞬の沈黙が降りた。

「……ん? そういや嬢ちゃんは背が伸びたが、帽子の嬢ちゃんは変わってねぇな」

 ああ、この店主は僕がもう成長しない身体だということを知らないのだ。とはいえ、この特殊な事情と状況をどこまで説明したものか――

「ほら、たくさん喰わねぇとおっきくならねぇぞ!」

 思考を巡らせたが、それはすぐに徒労に終わった。店主は細かいことは気にしない性格なのか、そう言いながら気前よく出来上がったばかりの綿飴を差し出した。

「一番人気は苺だが、葡萄なんてかなり苦労して作ったから、喰ってやってくれよ。レモンも人気なんだぜ。もちろんお代はいらねぇよ。嬢ちゃんたちはもう顔パスだからな!」
「さすがに、そういう訳には……」

 僕が成長しないことについて触れられないのは有り難いのだが、さすがに他の客が並んでいるところで特別扱いを受けるのは気が引ける。僕の懸念は決して気のせいではなく、綿飴を作るところを見学していた親子連れや、購入のために並んでいた客たちが僕たちに好奇の目を向け始めていた。

「いいんだよ! 開発にちっと時間はかかっちまったが、嬢ちゃんのおかげで今じゃこの街だけじゃなくてあちこち引っ張りだこの人気店だ! 俺のいる場所が本店ってことになってるが、支店が三つも出来たんだぜ! よ~するに! 帽子の嬢ちゃんのアイディアのおかげで、今じゃ俺も繁盛店の店主ってわけだ!」
「すごーい!」

 場を盛り上げるように、わざと大声で説明する店主に、アルフェが拍手を交えて反応する。僕たちが何者かを推しはかっていた周囲の人たちも店主の言葉に合点がいったようで、僕たちに拍手を贈りはじめた。

「ってわけだから、俺の女神様は嬢ちゃんたちだ! そんな女神様からお代なんて取れるわけねぇだろ? なっ!?」

 そう言いながら店主は店を手伝っていた青年に目配せすると、店で取り扱っている全種類の綿飴を僕たちに振る舞ってくれた。

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