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第四章 絢爛のスクールフェスタ

第375話 見破られた正体

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 ハーディアとの謁見のため、学園の中の貴賓室へと誘われた。

 ミネルヴァの案内で貴賓室に入ると、安楽椅子に凭れて寛いでいたハーディアは僕の目を見つめながらゆっくりと身体を起こした。

「……これより我が黒竜騎士団の立ち合いのもと、神事を執り行わせていただく!」

 扉を閉めたミネルヴァが、一呼吸置いてから凛とした声で宣言する。大声を発したわけでもないのに、びりびりと空気が震え、ただならぬ緊張感が貴賓室を包み込んだ。

「ミネルヴァはああ言っているが、そう緊張せずとも良い。楽にしてくれ」

 再び安楽椅子に凭れて頬杖をついたハーディアが、真紅の目を煌めかせて僕に魅入る。正確に表現するならば、僕というよりは僕を取り巻くもの――僕のエーテルを視るときのアルフェの目に少しだけ似ているような気がした。

「さて、この度の活躍、見事であった。聖痕も持たぬ者が光結界魔法アムレートを発動させるとは、驚いたぞ」
「……ありがとうございます」

 手放しに褒められたが、喜んでいるような余裕はなかった。ミネルヴァの射るような視線が背中に注がれているのを感じながら頭を垂れると、ハーディアは目を細めて唇の端を持ち上げた。

「だが、それで益々お前に興味が湧いた」

 ハーディアが僕の顔周りをくるくると円を描くように指差しながら、僕の表情の変化を探るように見つめている。

「エーテル過剰生成症候群などという病名をつけられてはいるが、そのような病でこれほどのエーテルを持つに至った人間など聞いたこともない。それほどお前のエーテルは異質だ」
「……どういう意味でしょうか?」

 異質、とはっきりと明言された途端、肌の表面が粟立った。ハーディアは僕のエーテルの変化がなにに起因するものかを、探っているのだ。

「お前が持っているエーテルの量は尋常ではない。たった一人で大規模な光結界魔法アムレートを二度も展開するなど、勇者アレフ・ローランに類するほどの魔力を内包していると推測できる」

 ミネルヴァがハーディアの疑問を噛み砕いて補足する。

「勇者、アレフ……」

 引き合いに出された勇者の名を静かに繰り返す。勇者アレフは、魔界の神である魔神デウスーラを倒し、人魔大戦を終わらせた英雄の名だ。勇者アレフ・ローランは聖華の三女神の祝福の加護を受け、常人を遥かに凌ぐ凄まじいエーテルを持っていたとされている。つまり、ハーディアもミネルヴァも、女神の関与を疑っているのだ。

「とはいえ、所詮は人間の器――この程度の魔力ではわらわの脅威とは成らぬであろう」
「……お言葉ですが、ハーディア様。だからと言って、常人を超越するエーテルには違いありません。後の危険分子となる可能性を考えれば、ここで始末しておくのが後々のためかもしれません」

 大股で僕を追い抜き、ハーディアの前に進み出たミネルヴァが敵意の眼差しを向けている。この場で、神事と銘打った今の会話の流れでの、その言葉はかなり重い。絶対に冗談などではないし、その気になればハーディアもミネルヴァも僕を屠ることなど容易いだろう。己の信念のためには人間の命をなんとも思わないのは、もしかするとあの女神アウローラと同じなのかもしれない。

「…………」

 そうとわかったところで、今の僕には為す術もない。ハーディアとミネルヴァが真意を語るのを黙して待っていると、ハーディアが頬杖を解いて身体を起こした。

「まあ、そう結論を急ぐでない、ミネルヴァ」

 ハーディアが薄く笑みを浮かべたので、その場の空気が僅かに緩む。

「大方の見当はついておるのじゃが、わらわの嫌いな匂いを漂わせるそのエーテル……果たしてその出所はどこであろうか……或いは誰かと言うべきか……」

 ハーディアが独り言のようにくつくつと笑いながら呟き、試すように僕を見つめている。

 嫌いな匂い、と言われて思い当たることがあった。黒竜教と三女神教は、敵対関係にある。どうやら僕は女神の関係者であることを疑われているのだ。

 随分とまずいことになった。僕の返答次第では、ミネルヴァに首を落とされかねない。現に、ハーディアの発言によって、ミネルヴァの敵意が殺意に近いところまで沸々と高まったのが痛いほど肌に伝わってきている。

「応えられぬか? それとも質問の意味がわからぬか?」
「……こ、後者……です……」

 明確な殺意をミネルヴァから間近で向けられ、息苦しさに声が掠れた。ハーディアは、僕の答えにほう、と溜息のような声を漏らすと、目をすがめて片眉を上げた。

「では、わかるように言ってやろう。お前のエーテルは、あの女神どものものだな?」

 言い当てられると同時に、背筋を冷たい汗が流れた。明確な殺意を持って、ミネルヴァがこちらの動向を探っている。彼女の右手が腰の刀に添えられていることに気づいた瞬間、グラスがカシウスに青銅の蛇ネフシュタンを向けられたあの時の絶望を思い出した。

「……っ」

 肯定すれば女神の関係者であることの疑いが強まるだろう。否定すれば、神事で嘘をついたことになる。何れにしても、僕を包むのは圧倒的な死の予感だ。ミネルヴァの殺意が発する圧に、息が詰まる。何と応えるのが正解なのかわからない。どうずればこの場で僕という人間が、害を成すものではないと証明出来るのかわからない。

 どうすれば、どうすれば、どうすれば――

 鼓動が速まり、冷たい汗が全身から噴き出す。足が震え、手足が冷たく感覚が消えていく。生きた心地がしないまま、長い時間が過ぎたように思われた。

「……ミネルヴァ、止めよ。そのような殺意を向けられては、落ち着いて話せぬではないか」
「御意」

 ハーディアの指摘に、ミネルヴァが刀に添えていた手を解く。途端に先ほどまでの鋭い殺意が消え、やっと息が出来た。

「……落ち着いたか?」

 荒く呼吸を繰り返す僕の顔を覗き込むように、ハーディアが視線を投げかけてくる。僕は姿勢を正すと、真っ直ぐにハーディアを見つめ返した。身の潔白と言うべきなのか、ハーディアたちが僕に対して抱いている誤解を解く必要がある。そのためには、真っ直ぐに向き合う以外にないだろう。

「……怖がらせて悪かったな。詫びという訳ではないが、質問の意図を教えてやろう」

 僕に敵意がないことだけは伝わったのだろう、ハーディアが苦笑を浮かべながら続ける。

「知っての通り、黒竜教と三女神教は相容れぬ。お前の働きこそ褒めてやるが、もしもお前が女神にくみする者であったならば、話は変わってくるというわけだ。どうじゃ?」

 ハーディアの質問は、これまでのどの質問よりも簡単なものだった。僕は女神にくみしたことは一度もない。どちらかといえば、あの傲慢な女神アウローラに関しては、敵対すらしている身だ。

「誓ってそれは有り得ません」
「女神のエーテルの属性を引き継いでいるのは、どう言い訳する? 勇者のように祝福を受けたのではないか?」
「その逆です。僕のこのエーテルの変化は、アウローラと戦った際にエーテルを浴びたせいで生じたものなのですから」
「なにっ!? アウローラと戦っただと!? そんな荒唐無稽な話をわらわが信じるとでも思ったか?」

 僕の告白に、ハーディアが身を乗り出して目を見開く。

「荒唐無稽であることは否定しません。ですが、事実です。僕は本当のことしか話していません。この会話が神事であることを充分に理解しています」

 声が震えたが、なんとか言い切ることが出来た。ハーディアは僕の言葉に首を捻りながら安楽椅子に座り直し、傍らに置いていた焼き菓子を頬張った。

「ふーむ……。にわかには信じられぬな……」
「神をたばかるのは重罪だぞ?」

 考え込むようなハーディアの呟きに続いて、ミネルヴァが低い声で警告する。

「承知しています」

 ミネルヴァの圧に屈することなく応え、僕はハーディアの言葉を待った。

 もしも、女神にくみする者として疑われた場合に、僕の処遇について考えられることは二つある。ひとつはこの場で処刑されること、そしてもうひとつは、神事の一環として僕の正体が公にされることだ。
 女神の関係者と決めつけられた場合、僕の正体は、現世のリーフ・ナーガ・リュージュナーだけに留まらず、前世のグラス・ディメリアへ及ぶだろう。そうなったときに、最悪なのはアルフェに僕が前世の記憶を持って生まれたことを知られてしまうことだ。リーフとしての僕しか知らないアルフェからしてみれば、ほとんど正反対の生き方をしてきたグラスのことを、アルフェにだけは知られたくない。

「……詳しく聞こう。その戦いとやらを語るがいい」

 ハーディアに促され、僕は女神アウローラの化身、アウロー・ラビットとの戦いのことを話し始めた。遡って、僕が九歳の頃に、森で女神アウローラの化身である兎の神獣に襲われたこと。女神にとって僕は不都合な存在であると宣告され、一方的に処刑されそうになったので抵抗して神獣を倒したことを掻い摘まんで話した。グラスの魂が転生し、今の僕リーフとして生きていることについては聞かれていないので、こちらも敢えて触れず、アウロー・ラビットとの戦闘の結果、女神アウローラのエーテルを大量に浴び、エーテル過剰生成症候群という今の状態になったことを説明するに留めた。

「ミネルヴァ、こやつの言うことをどう思う?」

 ハーディアは相槌も打たずに話を聞いていたが、ひとしきり僕が話し終えると、ミネルヴァに意見を求めた。

「……説明は実に明瞭で時系列もはっきりしている。仕草や視線の動き、呼吸の様子を窺う限りでは、嘘を吐いているとは思えません。それに、ひとつ思い出したことがあります」
「申せ」

 顎をしゃくってハーディアが先を促す。ミネルヴァは僕を一瞥すると、唇の中でなにかしらの言葉を低く呟いた。

「今から七年前に女神が地上に降臨した形跡が報告されています。当時、黒竜騎士団が現場であるトーチ・タウンに調査に向かいましたが、既に女神は消滅していたと」
「……辻褄は合うな。つまり、その女神の消滅は、リーフ、お前の仕業というわけだ」
「はい」

 ミネルヴァが証言してくれたことで、ハーディアの視線から疑いの色が消えたのがわかった。

「……っ、ぷ、くはははははっ!」

 暫く真顔だったハーディアが、堪えきれないと言った様子で不意に吹き出す。

「あの女神を打ち負かすとは痛快だな! よくやった! その負け犬ならぬ負け兎な女神の姿もこの眼で見たかったものだ。ははははっ、さぞ見物であっただろうな!」

 ハーディアがばたばたと手足を動かしながら大笑いするのを、ミネルヴァが苦笑を浮かべて見つめている。そのミネルヴァからは、もう殺意も敵意も感じられない。

「まあ、そうなったからには、なにか事情があるようだが……。無理に聞き出すつもりはない。お前が女神のことを嫌っているのはわかったし、くみするつもりが微塵もないことはこれでよくわかった」

 誤解が解けたことで、ハーディアの態度が柔和なものに戻る。

「さて、今回のことでお前には礼をせねばな」
「お礼? それなら僕たちの方こそ――」
「楽しかったぞ、人間の祭りとやらは」

 僕が遠慮するとわかっていたのだろう。ハーディアが僕の言葉を遮って、にんまりと笑う。

「建国祭を案内してくれたのは、お前とアルフェだ。それに、危機的な状況に陥った時も、皆を守ろうと真っ先に動いた。それを見て、わらわが魔族に直接手を下すまでもないと判断したわけじゃな」
「……街の損害だけを見ると頭が痛くなりますけれどね」

 ミネルヴァが溜息混じりに付け加えると、ハーディアはわかりやすく視線を逸らしてその発言を聞き流した。

「まあ、そういうわけであるから、わらわから感謝の品を贈ろう。近く寄れ」

 ハーディアはそう言うと、安楽椅子の傍らの小さなテーブルに手を伸ばす。

「これをやろう」

 そう言ってハーディアが差し出したのは、手のひらほどの大きさの大きな菱形の鱗だった。先端に細い鎖が取り付けられており、ペンダントとして使えるようになっている。大きな鱗は見る角度によって様々な色に変化し、七色に煌めいて美しい。

「これは……?」
「わらわの鱗を使ったペンダントだ」

 ああ、随分大きい鱗だと思ったら、本来の姿のハーディアが持つ鱗なのだ。錬金術で竜の鱗を扱うことはあっても、黒竜神の鱗なんて一生に一度も見る機会すらないだろうな。

「大変貴重なものを、本当にありがとうございます」
「なに、大したことはない。それより、お前のそのエーテルは魔族の目には目立ちすぎるからな。その鱗があれば、わらわの持つ闇の力が光のエーテルを隠してくれるであろう。肌身離さず持っているがいい」
「ありがとうございます」

 ハーディアは僕の身を案じて鱗を授けてくれたのだ。そう思うと、黒竜神ならではの慈愛の深さが身に染みたように感じられた。黒竜教が広く信仰され続けている所以も、こんなところにあるのかもしれない。

「……なにか他に聞きたいことはあるか?」

 問いかけられて、ひとつだけ聞いておきたいことがあったので、迷わずに口を開いた。

「恐れながら、ひとつだけ」
「許す。申せ」

 尊大な仕草で促され、僕は質問を口にする。

「あなたは誰よりも早く異変を感知していたように思います。今思えば、あなたの呟きは魔族の侵略の予兆を的確に示していた。だとすれば、もっと簡単に、言ってしまえば転移門が出現する前に、全てを解決出来たのではないでしょうか?」

 問いかけに、ハーディアは唇の端を持ち上げて笑うと、身体を起こして僕の目を真っ直ぐに見つめた。

「それでは魔族の脅威自体が『なかった』ことになる。水面下で抑え込めば、人間は脅威がすぐそこにあることに気づかず、平和に甘んじるだけで、衰退の一途を辿るじゃろう。魔族の侵略は過去のものでも歴史の一部でもない。世界のどこかで常に生じているものなのだという危機感をなくしては、戦う力そのものを削ぐことに繋がるからな」

 その答えを聞いてほっとした。ハーディアはあの女神たちのような自分勝手な神ではない。人間を守護するという役割を担いながらも、人間がその力を発揮して自らを守れるように常に見守っているのだ。

「ついでに言えば、わらわは、元より困難に立ち向かう意思のない者を助ける気はない。立ち向かう勇気を見せたから、神としてお前たちに力を貸したまでだ。もし、あの場で逃げることを選択したならば、そのまま放置じゃ。それこそ、帝国軍が戻ってくる時間までな」

 そうなった場合の被害を想像し、その計り知れない甚大さに鳥肌が立った。

 今にしてみれば、皆が魔力切れの状態でもあの場で踏ん張ったことが、ハーディアの心を動かし、明暗を分けたのだ。

 気づいていなかったとはいえ、随分と危ない橋を渡っていたのだなと今更ながらに思う。魔族の脅威は人魔大戦の頃から身体に染みついて、理解しているつもりだった。それでも、実際に戦いの中に身を投じるまで、どこか他人事だと思っていた。それを自分事だと捉えられた今、ハーディアの言う危機感から自分たちの成長の可能性を見い出せる気がした。

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