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プロローグ
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「こんなまずい茶が飲めるか、この愚図が!」
「きゃあっ!」
がちゃん! という音を立ててティーカップが割れた。
私――レイナ・ミドルダムは咄嗟に体を手で庇ったものの、じゅうっ、と音を立てて腕の一部に熱いお茶がかかってしまう。
熱い……! 痛い……!
けれど顔を歪める私のことなんて、目の前の人物は気にもしていない。
「せっかくお前のような行き遅れと婚約をかわしてやったのに、満足に家事一つこなせないのか!」
「も、申し訳ありません……」
「ふん!」
私を見下すように告げるのは、ランジス・ロージア。
サザーランド王国の南に大領地を持つロージア子爵家の長男だ。
年齢は十六歳で、若者の間ではやっているという、頭の左右の髪を剃り込んだ髪型をしている。
仮にも大貴族がこういった流行りに乗った髪型をするのは、あまり褒められたことではない。
けれど彼はむしろそのマナー違反によって、『俺は度胸があるんだぞ』と周囲にアピールしているのだ。
ランジスは社交界でも有名な放蕩息子で、今日も仕事を放って大好きなギャンブルしていた。それに負けると、今のように私に八つ当たりをすることもある。
そしてこのランジスが私の婚約者なのだ。
彼だけでも私の手には余るのに、今の私の悩みは彼だけではない。
「何の騒ぎだ!」
「どうかしたの!? 向こうにまで音が響いてきたわよ!」
……ああ、来てしまった。
現れたのはロージア家の現当主夫妻、つまりランジスの両親だ。
義母は床に散らばるティーカップの破片や、腕を庇う私を見て大慌てでランジスのもとに駆け寄っていく。
「まあっ……! 大丈夫、ランジス? 怪我はない?」
「ああ、ないよ。心配をかけて悪いね、母さん」
「いいのよ。大事な一人息子ですもの。心配するのは当然だわ」
私を無視してランジスに駆け寄り、心配そうな言葉をかける義母。
かけられた紅茶で服に染みをつくり、やけどしている私には見向きもしない。
どうしてこの状況でランジスに怪我があると思うのか不思議だ。
「レイナ! 貴様、我が屋敷を汚すなどどういうつもりだ!」
「も、申し訳ありません!」
一方、義父は私を怒鳴りつけてきた。
私がすべて悪いと言わんばかりの態度だ。
「我が屋敷のしきたりを教え込んでやろうと、わざわざ結婚前に奉公させてやっているのに……! もらってやる恩を忘れたのか!?」
「い、いえ、そんなことは」
「所詮は貧乏な男爵家出身の令嬢ということか。伝統と歴史ある我がロージア家に嫁ぐということがどれほど重大なことかわかっているのか?」
「す、すみません……」
義父の言う通り、私の出身であるミドルダム家はあまり裕福な家ではない。
男爵なので一応領地は預かっているものの、立地も悪く、また田舎なので領民も少ない。
この婚約はいわゆる政略結婚。
ランジスは放蕩息子ぶりが響いて結婚相手がいなくなったので、私のように家格が低い令嬢にやむなく声をかけることになった、という経緯がある。
婚約後、私は『名門貴族ロージア家のしきたりを学ぶ』という名目でロージア家のタウンハウスに滞在することとなった。
まだ法律上は他人であるはずのランジスの両親を、義父母と呼んでいるのもその一環。
名目そのものはわからなくもないけれど、実体はどうかというと、義両親やランジスは私を使用人のようにこき使っているだけだ。
メイドたちに指示を出したり、屋敷の人員を管理したり。
他にもいろいろな仕事を押し付けられている。
「おい、だんまりか! なんとか言ったらどうなんだ!」
「……すみません」
「あなた、しっかり言っておいてくださいね。ロージア家に嫁いでくるなら最低限の作法を身に着けさせないと、ランジスが恥をかくんですから」
「ああ、わかっている」
好き勝手に言う義両親。
その奥ではニヤニヤとランジスが笑っている。私がいびられているのを見ているのが楽しいようだ。
早く終わってほしい。
……私だって、この状態が間違っていることはわかっている。
けれど仕方ない。
領地や家族が少しでもいい暮らしをできるようになるためには、この生活を続けないと。
義父は蔑むような声色で言った。
「とにかく、身の程をわきまえろ。ああ、ティーカップはお前が片付けておけよ。それから絨毯も綺麗に染み抜きしておけ。言っておくが、メイドにやらせようなんて考えるなよ。うちのメイドは俺が給金を払っているんだ。まだ家族でもないお前の後始末をさせるなんて、道理が通らないからな!」
「……はい」
道理もなにも、絨毯を汚したのはあなたの息子だ!
……なんて、とても言えない。
私は婚約者や義両親が出ていったあと、大人しく絨毯の染み抜きをする羽目になった。
ぽたぽたと涙が落ちる。
「うっ……ぐすっ……」
本当はこんなはずじゃなかった。
ランジスも義父母も最初は優しかったのだ。
この屋敷に来るときも、「うちの雰囲気に慣れてほしいだけ」とか、「滞在は一か月だけで無理強いはしない」とか、耳障りのいいことだけ言っていた。
けれど実際は私はもう半年以上も拘束されているし、毎日のように怒鳴られたり、嫌味を言われたりしている。
裏切られた悲しみや、騙された悔しさで、私はもうどうしていいかわからなかった。
「きゃあっ!」
がちゃん! という音を立ててティーカップが割れた。
私――レイナ・ミドルダムは咄嗟に体を手で庇ったものの、じゅうっ、と音を立てて腕の一部に熱いお茶がかかってしまう。
熱い……! 痛い……!
けれど顔を歪める私のことなんて、目の前の人物は気にもしていない。
「せっかくお前のような行き遅れと婚約をかわしてやったのに、満足に家事一つこなせないのか!」
「も、申し訳ありません……」
「ふん!」
私を見下すように告げるのは、ランジス・ロージア。
サザーランド王国の南に大領地を持つロージア子爵家の長男だ。
年齢は十六歳で、若者の間ではやっているという、頭の左右の髪を剃り込んだ髪型をしている。
仮にも大貴族がこういった流行りに乗った髪型をするのは、あまり褒められたことではない。
けれど彼はむしろそのマナー違反によって、『俺は度胸があるんだぞ』と周囲にアピールしているのだ。
ランジスは社交界でも有名な放蕩息子で、今日も仕事を放って大好きなギャンブルしていた。それに負けると、今のように私に八つ当たりをすることもある。
そしてこのランジスが私の婚約者なのだ。
彼だけでも私の手には余るのに、今の私の悩みは彼だけではない。
「何の騒ぎだ!」
「どうかしたの!? 向こうにまで音が響いてきたわよ!」
……ああ、来てしまった。
現れたのはロージア家の現当主夫妻、つまりランジスの両親だ。
義母は床に散らばるティーカップの破片や、腕を庇う私を見て大慌てでランジスのもとに駆け寄っていく。
「まあっ……! 大丈夫、ランジス? 怪我はない?」
「ああ、ないよ。心配をかけて悪いね、母さん」
「いいのよ。大事な一人息子ですもの。心配するのは当然だわ」
私を無視してランジスに駆け寄り、心配そうな言葉をかける義母。
かけられた紅茶で服に染みをつくり、やけどしている私には見向きもしない。
どうしてこの状況でランジスに怪我があると思うのか不思議だ。
「レイナ! 貴様、我が屋敷を汚すなどどういうつもりだ!」
「も、申し訳ありません!」
一方、義父は私を怒鳴りつけてきた。
私がすべて悪いと言わんばかりの態度だ。
「我が屋敷のしきたりを教え込んでやろうと、わざわざ結婚前に奉公させてやっているのに……! もらってやる恩を忘れたのか!?」
「い、いえ、そんなことは」
「所詮は貧乏な男爵家出身の令嬢ということか。伝統と歴史ある我がロージア家に嫁ぐということがどれほど重大なことかわかっているのか?」
「す、すみません……」
義父の言う通り、私の出身であるミドルダム家はあまり裕福な家ではない。
男爵なので一応領地は預かっているものの、立地も悪く、また田舎なので領民も少ない。
この婚約はいわゆる政略結婚。
ランジスは放蕩息子ぶりが響いて結婚相手がいなくなったので、私のように家格が低い令嬢にやむなく声をかけることになった、という経緯がある。
婚約後、私は『名門貴族ロージア家のしきたりを学ぶ』という名目でロージア家のタウンハウスに滞在することとなった。
まだ法律上は他人であるはずのランジスの両親を、義父母と呼んでいるのもその一環。
名目そのものはわからなくもないけれど、実体はどうかというと、義両親やランジスは私を使用人のようにこき使っているだけだ。
メイドたちに指示を出したり、屋敷の人員を管理したり。
他にもいろいろな仕事を押し付けられている。
「おい、だんまりか! なんとか言ったらどうなんだ!」
「……すみません」
「あなた、しっかり言っておいてくださいね。ロージア家に嫁いでくるなら最低限の作法を身に着けさせないと、ランジスが恥をかくんですから」
「ああ、わかっている」
好き勝手に言う義両親。
その奥ではニヤニヤとランジスが笑っている。私がいびられているのを見ているのが楽しいようだ。
早く終わってほしい。
……私だって、この状態が間違っていることはわかっている。
けれど仕方ない。
領地や家族が少しでもいい暮らしをできるようになるためには、この生活を続けないと。
義父は蔑むような声色で言った。
「とにかく、身の程をわきまえろ。ああ、ティーカップはお前が片付けておけよ。それから絨毯も綺麗に染み抜きしておけ。言っておくが、メイドにやらせようなんて考えるなよ。うちのメイドは俺が給金を払っているんだ。まだ家族でもないお前の後始末をさせるなんて、道理が通らないからな!」
「……はい」
道理もなにも、絨毯を汚したのはあなたの息子だ!
……なんて、とても言えない。
私は婚約者や義両親が出ていったあと、大人しく絨毯の染み抜きをする羽目になった。
ぽたぽたと涙が落ちる。
「うっ……ぐすっ……」
本当はこんなはずじゃなかった。
ランジスも義父母も最初は優しかったのだ。
この屋敷に来るときも、「うちの雰囲気に慣れてほしいだけ」とか、「滞在は一か月だけで無理強いはしない」とか、耳障りのいいことだけ言っていた。
けれど実際は私はもう半年以上も拘束されているし、毎日のように怒鳴られたり、嫌味を言われたりしている。
裏切られた悲しみや、騙された悔しさで、私はもうどうしていいかわからなかった。
応援ありがとうございます!
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