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5.カイの卒業後の進路
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イレーネとカイがまもなく学校を卒業しようとする頃、カイは教師に卒業後の進路について尋ねられた。
平民の通う義務教育の学校は基本的に放任主義なのだが、カイは才色兼備で評判の生徒だったので、教師に特に目をかけられていた。
もっとも全員が全員、善意でカイを心配しているわけではない。そういう趣味の金持ちに見目のよい少年少女を斡旋すれば、教師にも斡旋料が入る。でも幸運なことに、その日、カイに話しかけてきた教師はその種の人間ではなかった。
「カイ、卒業後、お前は何をするつもりだ?」
「父の代書屋を手伝おうかと思っています」
「そうか……君の成績だったら、上の学校にも行けるのにもったいないな」
「うちにはそんなお金がありません」
「進学しないのなら、商会に入るのはどうかね。君なら大きな商会に入って出世できると思うぞ」
「いえ、父の手伝いで問題ありません」
カイは頭がいいから進学を勧められたが、貧しい平民の子が上の学校へ行けることはほとんどない。高等教育の学費が高いことも理由だが、それより何よりも生活費を稼ぐことのほうが彼らにとって重要であるからだ。それにそもそも義務教育の学校さえ行かずに働いている子供も少なくないし、そうでない子供の多くも学校に遅刻や早退をしてお金を稼いでいる。
進学しなくても優秀なカイなら、ハンデル商会のような大きな商会で出世できるだろう。それなのに彼はその勧めも固辞した。
その場にはイレーネもいたのだが、教師は成績が芳しくない彼女の進路については何も言わなかった。
イレーネは、父の代書屋を手伝えるほど、字が綺麗でも教養があるわけでもなかったので、紡績工場へ働きに行くつもりだったが、カイに大反対され、一緒に父の代書屋を手伝おうと懇願された。
でもカイは潰れそうな代書屋でくすぶっているような人間ではない。そう言ってイレーネは、カイを説得しようとした。もちろん、それは彼女の本音ではあったが、濡れ落ち葉のように学校でも家でも四六時中、カイにひっつかれてうっとうしくなっていたのもあった。
それに家計が徐々に逼迫し、悠長に父の代書屋を手伝うなどと言っていられなくなった。アルフォンスは年齢を重ねるにつれて、代書屋の仕事をする時間がどんどん短くなり、昼間から飲んだくれていることが多くなっていた。
今まで貧乏とはいえ、そんな状態でイレーネ達が生活できていたのは奇跡だった。裕福らしい父方の祖父母に援助してもらっているのなら、こんな中途半端な援助はしないだろう。それに祖父母によるウルリケとイレーネ達の『誘拐』事件の時、アルフォンスは彼らから辻馬車代を受け取ることすら拒否したから、彼らからの援助を受け取らないに決まっている。
カイが進路について教師と話してからしばらく経ったある日、イレーネはいつものようにカイと一緒に下校した。その道中でアルフォンスがかなり年上らしき初老の女性と一緒に歩いているのを見かけた。アルフォンスはいつものような薄汚れてくたびれた服ではなく、パリッとした仕立ての良い服を着ており、一緒にいる女性も高級そうなドレスを着用している。
「あれ、お父さんだ! あんな服、持っていたっけ?」
しかもただの知り合いにしては、2人の距離感がおかしい。その女性はアルフォンスにべったりと腕を絡めて密着していた。アルフォンスが溺愛しているウルリケ以外の女性と親しくしていることにイレーネは驚いた。
「一緒にいる人は誰だろう? なんであんなにお父さんにベタベタくっついているのかな」
「代書屋のお客さんなんじゃない? もういいから行こうよ」
「ええー、やだよ。もうちょっとこっそり見てようよ。お父さんの代書屋のお客さんがあんなにいいドレスを着てるわけないもん」
「チッ」
「何?!」
「何でもないよ」
アルフォンスの代書屋の客のほとんどは、恋文を書いてもらうメイドであった。彼女達がそんなに高級なドレスを着ているはずがないというイレーネの推察は正しい。都合が悪いときに限ってイレーネが鋭いので、カイは思わず舌打ちをした。
カイはイレーネを反対方向へ引っ張っていこうとしたが、イレーネはその場に頑として踏みとどまった。
「カイ、行くよ!」
「え、イレーネ、待ってよ!」
イレーネは、カイの腕をグイグイ引っ張ってアルフォンス達の尾行を始めた。
女性は相変わらずアルフォンスとべったり腕を組んでいた。彼らは道中、楽しそうに話しながらブラブラと歩き、時々店のショーウィンドウを眺め、気が向くと店の中に入った。
「家族で出かけたこともほとんどないのに、なんでお父さんはこんな知らないおばあさんと楽しそうに買い物するの?!」
「だからもうやめようって言っただろう? 見なきゃ腹は立たないよ」
「でももう見ちゃったんだよ。このまま知らないままにはしておけないよ」
イレーネが憤慨すると、カイはため息をついて窘めたが、イレーネは頑固に尾行を続けると主張した。
ちょうどその時、アルフォンス達が目の前の店から出て来たので、イレーネ達は慌てて死角に入った。
その後もアルフォンス達が寄り道やよそ見をするたびに2人は隠れた。隠れる場所は、ガス灯の柱の陰だったり、前を行く女性の膨らんだスカートの後ろだったり、大通りに交差する路地だったりしたのだが、そういう場所をとっさに探すのは、スリル満点でイレーネは探偵になったような気分になり、不快な気持ちを一瞬でも忘れられた。
アルフォンス達は連れ込み宿や娼館のある地区へどんどん近づいて行っていた。路上では酔っ払いの男が女性に絡んだり、立ちんぼ(街娼)が客引きをしたりしているのが見え、辺りの様子が不穏な雰囲気へ変わってきた。
「ねえ、イレーネ、もうやめようよ。僕達が行かないほうがいい地区に近づいているよ」
「もうちょっとだけ、お願い!」
「う……し、仕方ないなぁ……僕から離れちゃ駄目だからね」
カイは、イレーネに上目遣いでお願いされて駄目と言えなくなってしまい、引き続きアルフォンス達の後をコソコソとつけていくしかなくなった。
イレーネとカイの少し前を行くアルフォンスと連れの女性は、とある連れ込み宿の前で立ち止まった。双子姉弟は、その手前の路地に入って彼らの様子をうかがった。
平民の通う義務教育の学校は基本的に放任主義なのだが、カイは才色兼備で評判の生徒だったので、教師に特に目をかけられていた。
もっとも全員が全員、善意でカイを心配しているわけではない。そういう趣味の金持ちに見目のよい少年少女を斡旋すれば、教師にも斡旋料が入る。でも幸運なことに、その日、カイに話しかけてきた教師はその種の人間ではなかった。
「カイ、卒業後、お前は何をするつもりだ?」
「父の代書屋を手伝おうかと思っています」
「そうか……君の成績だったら、上の学校にも行けるのにもったいないな」
「うちにはそんなお金がありません」
「進学しないのなら、商会に入るのはどうかね。君なら大きな商会に入って出世できると思うぞ」
「いえ、父の手伝いで問題ありません」
カイは頭がいいから進学を勧められたが、貧しい平民の子が上の学校へ行けることはほとんどない。高等教育の学費が高いことも理由だが、それより何よりも生活費を稼ぐことのほうが彼らにとって重要であるからだ。それにそもそも義務教育の学校さえ行かずに働いている子供も少なくないし、そうでない子供の多くも学校に遅刻や早退をしてお金を稼いでいる。
進学しなくても優秀なカイなら、ハンデル商会のような大きな商会で出世できるだろう。それなのに彼はその勧めも固辞した。
その場にはイレーネもいたのだが、教師は成績が芳しくない彼女の進路については何も言わなかった。
イレーネは、父の代書屋を手伝えるほど、字が綺麗でも教養があるわけでもなかったので、紡績工場へ働きに行くつもりだったが、カイに大反対され、一緒に父の代書屋を手伝おうと懇願された。
でもカイは潰れそうな代書屋でくすぶっているような人間ではない。そう言ってイレーネは、カイを説得しようとした。もちろん、それは彼女の本音ではあったが、濡れ落ち葉のように学校でも家でも四六時中、カイにひっつかれてうっとうしくなっていたのもあった。
それに家計が徐々に逼迫し、悠長に父の代書屋を手伝うなどと言っていられなくなった。アルフォンスは年齢を重ねるにつれて、代書屋の仕事をする時間がどんどん短くなり、昼間から飲んだくれていることが多くなっていた。
今まで貧乏とはいえ、そんな状態でイレーネ達が生活できていたのは奇跡だった。裕福らしい父方の祖父母に援助してもらっているのなら、こんな中途半端な援助はしないだろう。それに祖父母によるウルリケとイレーネ達の『誘拐』事件の時、アルフォンスは彼らから辻馬車代を受け取ることすら拒否したから、彼らからの援助を受け取らないに決まっている。
カイが進路について教師と話してからしばらく経ったある日、イレーネはいつものようにカイと一緒に下校した。その道中でアルフォンスがかなり年上らしき初老の女性と一緒に歩いているのを見かけた。アルフォンスはいつものような薄汚れてくたびれた服ではなく、パリッとした仕立ての良い服を着ており、一緒にいる女性も高級そうなドレスを着用している。
「あれ、お父さんだ! あんな服、持っていたっけ?」
しかもただの知り合いにしては、2人の距離感がおかしい。その女性はアルフォンスにべったりと腕を絡めて密着していた。アルフォンスが溺愛しているウルリケ以外の女性と親しくしていることにイレーネは驚いた。
「一緒にいる人は誰だろう? なんであんなにお父さんにベタベタくっついているのかな」
「代書屋のお客さんなんじゃない? もういいから行こうよ」
「ええー、やだよ。もうちょっとこっそり見てようよ。お父さんの代書屋のお客さんがあんなにいいドレスを着てるわけないもん」
「チッ」
「何?!」
「何でもないよ」
アルフォンスの代書屋の客のほとんどは、恋文を書いてもらうメイドであった。彼女達がそんなに高級なドレスを着ているはずがないというイレーネの推察は正しい。都合が悪いときに限ってイレーネが鋭いので、カイは思わず舌打ちをした。
カイはイレーネを反対方向へ引っ張っていこうとしたが、イレーネはその場に頑として踏みとどまった。
「カイ、行くよ!」
「え、イレーネ、待ってよ!」
イレーネは、カイの腕をグイグイ引っ張ってアルフォンス達の尾行を始めた。
女性は相変わらずアルフォンスとべったり腕を組んでいた。彼らは道中、楽しそうに話しながらブラブラと歩き、時々店のショーウィンドウを眺め、気が向くと店の中に入った。
「家族で出かけたこともほとんどないのに、なんでお父さんはこんな知らないおばあさんと楽しそうに買い物するの?!」
「だからもうやめようって言っただろう? 見なきゃ腹は立たないよ」
「でももう見ちゃったんだよ。このまま知らないままにはしておけないよ」
イレーネが憤慨すると、カイはため息をついて窘めたが、イレーネは頑固に尾行を続けると主張した。
ちょうどその時、アルフォンス達が目の前の店から出て来たので、イレーネ達は慌てて死角に入った。
その後もアルフォンス達が寄り道やよそ見をするたびに2人は隠れた。隠れる場所は、ガス灯の柱の陰だったり、前を行く女性の膨らんだスカートの後ろだったり、大通りに交差する路地だったりしたのだが、そういう場所をとっさに探すのは、スリル満点でイレーネは探偵になったような気分になり、不快な気持ちを一瞬でも忘れられた。
アルフォンス達は連れ込み宿や娼館のある地区へどんどん近づいて行っていた。路上では酔っ払いの男が女性に絡んだり、立ちんぼ(街娼)が客引きをしたりしているのが見え、辺りの様子が不穏な雰囲気へ変わってきた。
「ねえ、イレーネ、もうやめようよ。僕達が行かないほうがいい地区に近づいているよ」
「もうちょっとだけ、お願い!」
「う……し、仕方ないなぁ……僕から離れちゃ駄目だからね」
カイは、イレーネに上目遣いでお願いされて駄目と言えなくなってしまい、引き続きアルフォンス達の後をコソコソとつけていくしかなくなった。
イレーネとカイの少し前を行くアルフォンスと連れの女性は、とある連れ込み宿の前で立ち止まった。双子姉弟は、その手前の路地に入って彼らの様子をうかがった。
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都合の悪い時に限って鋭い…わかります!女のカンってやつですかね。アルフォンスは見た目の良さを売りにして家族に言えないようなことをやってるみたいですが、どう頑張っても年は取るし、そんなに飲んだくれてばかりいたらそのうち容貌も崩れちゃうでしょうね。カイの美貌は父親譲りだけど、中身は父親とは違うのかな。でもなんとなくイレーネを束縛しようとしてるみたいだし、やっぱりこの親にしてこの子ありの流れになっていくんでしょうか。イレーネがもう少し深く物事を考えられる女性に成長するのを待つしかなさそうですね。
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そうです、アルフォンスの身元については、おっしゃる通りでいずれ分かってきます。両親との関係が悪い原因は、この物語の核心なので、いずれ分かるのをお楽しみに!
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お父さん、ヤバい男です。果してみんな、逃げられるでしょうか。