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第1章
008.疑似散歩
しおりを挟む人が集まる繁華街。
そこは生前の俺にとって駆け回りながら一日の日銭を稼ぐ仕事場であった。
街には表もあれば裏もある。人にも建前があれば欲望がある。そんな表裏一体な街で俺は両面を駆け回り勤労の義務を果たしていた。
教育の義務なんて知らない。だから決して頭がいいなんて言えない。けれど絶対に法律に反することはしなかったことは死んだ今でも誇りである(労基を除く)。故に稼ぎなんて雀の涙。時に繁華街の地べたを這いずり回ることもあったのだが、それはそれで死んだ今となってはいい思い出ということで振り返ろう。
そんな記憶ばかりが先行し、街といえば働く場となった今日このごろ。最後に遊んだ記憶といえば幼稚園やそこらだ。
そんな俺がまさか死んでからようやく遊びに街へ出かけることになるなんて――――
「ゴメンね!待ったぁ!?」
今日はきっと休日だろう。普段働いていた平日よりも遥かに人の往来が活発だ。
平日に多いビジネスマンは鳴りを潜め、街を行き来するのは学生や子供連れなど比較的若い年代が多い印象。
ここは俺のよく知る繁華街ではないがどこも雰囲気は似たようなものだ。家族サービス、デート、仕事などそれぞれがそれぞれの目的に沿って作られた商業区。
この街へ行き来するため普段よりごった返す人混みの中、聞こえる声に顔を上げれば一人の少女が遠くから人をすり抜けこちらに駆け寄ってきていた。
彼女こそ俺をここに連れてきた蒼月 祈愛。
淡いピンクと青のメッシュの髪が特徴的な女の子。シンプルなシャツと短パンに着崩した上着を羽織っている彼女は、目の前にたどり着くやいなや突然肩で息をしだす。
「はぁ……はぁ……。待ったぁ?」
「……いや、いきなりなんだよ?どっか消えたと思ったら走って戻ってきて」
「も~!そんな風情の無い事言わないでよ~!こういうのが定番なの!定番!!」
疲れるわけもないのに疲れた"フリ"をする彼女に真っ当な意見を述べたところ見事に怒られた。
こういうのってそんな定番俺の辞書には存在しない。たかだか散歩に定番もなにもないだろう。
ひとしきり怒っていた彼女だったが落ち着いたのかふぅと息を吐くと今度は俺の隣に肩を並べてその大きな瞳をこちらに向けてくる。
「えへへ、こうやってしてると周りの人からは恋人同士に見える……かな?」
「…………」
何を言っているんだこの娘は。
上目遣いで頬を紅く染め、はにかむ彼女に疑わしい目を向ける。
さっき離れている数分でどこか頭でも打ったのだろうか。……あ、俺たち死んでるから頭打つも何もなかったわ。
「だれが死んでる俺たちのことを見えるって?」
「これも定番なのっ!」
やはり俺とナウなヤングな彼女とでは認識に大きな差があるらしい。これがジェネレーションギャップか。
俺は怒れる少女を無視してさっさと人混みに紛れるように歩き出す。最初は置いていかれた彼女も「も~!」と再び文句の声を上げながらともに歩き出した。
あの世界で目覚めてからおよそ一週間。ようやくこの身体にも慣れてきた。
痛覚もなく味覚もない、五感のないこの身体。けれど慣れれば案外便利なものだ。
まず第一に常日頃悲鳴を上げていた痛みがなくなったのはいい。生きていた頃は体中無数にあった傷や痣の数々。痛みがなくなった上に傷も消えてしまったというのは中々に僥倖だ。
どうもあの世界にやって来る人は全て傷と認識されるものは全て魂が無意識の内に補完して治してくれるらしい。そうでないと首を切ったり折ったりした人なんか悲惨なことになるとあの日マヤが言っていた。
第二に不快感がなくなったのもいい。肉体が無いのだから汗をかくこともなく汚れることもない。
そして第三、これが最も大きいかも知れない。食事や睡眠を必要としなくなったことだ。
生きている頃は常々思っていた。食費がどうしても邪魔だと。そして寝る必要なかったらもっとバイトに時間を費やせて稼ぐことができたのにと。
死んでからその思いが達成されるとは思わなかったが存外魂だけの状態も中々便利なものである。なにより創造の作業に集中できるのがいい。
そんなこんなで俺は彼女と肩を並べて街中を歩いていく。
誰も俺たちの存在に気づかない。人の流れに沿って歩いているのだが認識されないということは避けてもくれないということ。俺たちがいるにも関わらず突っ込んでくる人たちはみなぶつかることなく通り過ぎていくが、前から後から通り抜ける人々という初めての感覚に少し戸惑いを覚えてしまう。
「どうしたの?なんだか気持ち悪そうな顔してるよ?」
「いや、ちょっとな……。人が多いとなんというか……」
そんな俺の表情に彼女はいち早く気がついた。
肩を並べて歩きつつも前かがみになって覗き込んでくる様は心配しているかのよう。
この身体に体調の良し悪しなど存在しない。だから言ったところで理解されるわけもないと思っていたのだが、俺の言葉足らずな説明で察しがついたのか「あぁ」と思いついたように声を上げる。
「初めて人混みを歩くと変な感覚になりがちだよね。こっちならどう?人少ないよ」
「悪いな……」
「ううんっ!幽霊先輩にまっかせて!」
「っ………!」
自信満々に胸を張った彼女の触れる手の感触に、俺は思わずドキッとした。
柔らかな手のひら。感じるはずもないのに感じる暖かさ。そして元気いっぱいの笑顔。
そんな暖かい手に引かれ俺は彼女とともに地面を蹴り駆け出していく。
俺たちの存在は人に触れることができない。これは欠点でもあり一部ではメリットもある。
蒼月こと幽霊先輩に手を引かれた俺は近くにある路地に向かって走り出す。どれだけ人が多かろうが当たらなければ意味はない。人の流れに反した動きも続々と文字通りすり抜けていって路地に入った俺たちは、なおも足を止めることなくまっすぐその先を目指していた。
どれだけ走っても体のない俺達は体力は無尽蔵。引かれるまま駆ける彼女に付いていった先に、最後の路地を抜けると一層開けた景色に俺たちの足は自然と止まった。
「海……か……」
蒼月に引かれるまま着いて行った先。その最終地点は眼前いっぱいに広がる青の景色、海だった。
ザザァ……と流れる波の音。鳥の声もすれば船が鳴らす汽笛の音だって聞こえてくる。
まさかこんな近くに海があったとは。何年ぶりに目にしただろう。海がある県住まいではあったがバイトに忙殺されていた手前、最後に目にしたのは保育園という人生。
陽の光が反射した眩しさに少し目を細めると、いつの間にか彼女は海沿いの堤防に腰掛けていることに気がつく。
「ここならゆっくりできそうだね!のんびり潮風に当たろっ!」
「………あぁ。そうだな」
きっと肉体があったのならばこの風も髪に張り付くほどベタベタし、潮の臭いがツンと鼻孔をくすぐったのだろう。
しかし肉体のない今はそんな風など感じることはできない。しかし彼女の笑顔は本当に潮風を感じ、楽しんでいるように思えた。
普段なら『そんなもの感じるわけ無いだろ』と冷静に訂正をする俺だが、なんとなくこの雄大な景色に飲み込まれてその思いも波にさらわれてしまう。
同意しながら肩をすくめた俺は、満面の笑顔で手招きする彼女に苦笑して堤防へと向かっていく。
10年弱ぶりに目にした大パノラマはまるであの世界の草原のよう。強く、そして優しく広大に光り輝いて見えるのであった。
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