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第3章
038.呪い
しおりを挟むサァァ…………。
そんな風に揺れる金色の草原が、俺たちの心をも揺らしていく。
いつまで経っても変わることのない景色。朝も夜もなく常に光り輝く世界。そんな美しい空間に、俺と瑠海さんは二人で座る。
互いに肩を寄せ合って、その時間を1秒たりとも逃さないように。
コテンと彼女の頭が肩に倒れ込むのを感じて、俺はふと言葉を探す。
「今日もいい天気だな」
「……そうですね」
「バカ、ここは景色なんて変わらないとか突っ込む所だろ?」
「ふふっ、そうでしたね。すみません」
他愛のない会話。まるで昨夜あったことが嘘かのよう。
何事も無いかのように交わされる自然体の雰囲気。まるで彼女は何も知らないかのような。
もしかして本当に俺が帰ることを知らないのか?そう思ったのもつかの間、彼女は煌々と輝く開けた空を見上げながらポツリ呟くように告げてみせる。
「現世に、帰っちゃうんですね」
ドクンと心臓の高鳴る音がした。
都合よく何も知らずに霧のように消える。そんなことさえも頭を過ぎったが、当然の如く瑠海さんは知っていた。
第一そんな事をするなんてこれまで助けてくれた彼女に不義理だ。俺は一瞬でもよぎってしまった思考をバカかと殴りつけるように吐き捨て同じように空を見上げる。
「……あぁ」
あぁ、今日も空は輝いている。
俺と祈愛の復帰を祝うかのように。しかし彼女にはこの空がどう見えているのだろう。俺たちの門出を祝うように光り輝いているのだろうか。それとも曇天のように鈍く鉛のような空だろうか。
「おめでとうございます。祈愛さんも一緒に戻れるとお聞きしました。私もとっても嬉しいです」
そう言って向けられた表情は―――――笑顔だった。
まさに俺たちの復帰を祝う微笑み。自分のことよりも人のことを大切に想う優しい彼女ならではの台詞。
彼女につられて俺も笑いかけるも、ズキンと心が強く痛む。
「そう言えば煌司さんは現世で物を動かす力を使っても成仏しないとお聞きしました。何でもチートだとか。すごいですね!私なんてちょっと動かしただけで成仏してしまいましたのに……。だからって戻ったあと生身で動かそうとしないでくださいね?動かなくて祈愛さんに笑われちゃいますよ?」
やめろ……やめてくれ……。
「……あっ、そういえば戻った後煌司さんはまたあのアパートに戻られるのでしょうか?ちゃんと綺麗に掃除しないとダメですよ!玄関の血もキチンと拭かないと痕になって後々クリーニング費用請求されちゃいますから!」
なんで……なんで彼女は笑顔でそんなことが言えるんだ。
これから俺たちがいなくなって一人になるのに。どうしてそんな……心から俺たちのことを喜んで…………。
「瑠海さんは……これから……!?」
これからどうする――――。
そう聞こうとしたものの、その言葉は最後まで口に出すことなく阻まれた。彼女の人差し指が俺の唇に触れる。言葉は不要だというようにウインクして視線を再び空へ戻す。
「……私のことはいいんです。お二人は気にせず、元の世界に戻ってください」
「でも…………!!」
「私は大丈夫です。この世界にはマヤさんだって居ますし、飽きたら転生だってできます。なんならかつての祈愛さんのように守護霊みたくお二人にずっと着いていくなんてのもアリですね」
「まぁ、残念ながら気付かれませんけど」と、あっけらかんと笑う彼女に俺は顔を伏せた。
瑠海さんは既に死んだ身。だからこそあの日堤防で会ってこの世界にやってきたんだ。つまり俺たちみたいに肉体がない。それはもう、どうしようもないことなのだ。
頭では分かっている。わかっているのだ。しかしいざ取り残される身にもなってみろ。そんなの……辛すぎる。
だがこれで戻らないと俺が決めたらどうなる。
いつまで?一生?この世界に寿命はない。それはマヤを見たら分かることだ。それにようやく戻れると喜んだ祈愛が悲しむ。つまりこれは覆しようのない選択だ。その事実に拳を力強く握ると、彼女の手が包み込んでくる。
「瑠海さん……?」
「私は元々あの台風の日に死んでしまった身。幽霊になってからもマヤさんに拾ってもらって、むしろ今の状態が異常なのです。これ以上望んだら強欲ものですよ」
「でもっ……!」
「私は私でこの自由な世界を謳歌しようと思います。…………でも、それでも煌司さんが私のことを案じてくれると言うなら、空を見上げてもらえませんか?」
空を…………?
そう思って見上げるといつもと変わらぬ綺麗な空。これに何の意味があるのだろう。
疑問に思いながら見上げていると少し前のめりになった彼女が俺の視界に覗かせる。
「えぇ、そうです。……いえ、手を後ろに回して貰えませんか?支える感じで」
「後ろって、こうか?」
「はい。ありがとうございます。…………では、失礼して―――――」
「えっ…………」
チュッ――――。
そんな音が頭の中に響き渡った。
手を後ろで支えにしながら見上げた空。そんな空に影が落ちる。
正確には人の影。俺に覆いかぶさったのは瑠海さん自身だった。突然の、有無を言わさぬ接近。それは接近だけに留まらず、俺の唇へと狙いを定めて真っ直ぐ自らの唇を差し向けた。
当然俺の手は後ろに回されて彼女の行動に遅れてしまった。結果、俺の唇に彼女の唇が落とされた。
夕焼けの日の頬へのものとはまた別の、今度は唇へ直接のもの。まさに俺にとってもファーストキス。
5秒。10秒。
もしかしたら1分かもしれない。時間の感覚のないこの世界において永遠かと思われる"初めて"を奪われた俺は目を見開き彼女が離れるのをジッと待つ。
「………ぷはっ!ふふっ、突然失礼しました。もしかして、既に誰かとなさってましたか?」
「いや……そんなことは……」
「では初めてだったのですね。私もファーストキスだったんですよ?奇遇ですね」
そう言ってイタズラが成功したかのように笑う瑠海さん。
最後の最後でなんて爆弾を落としてくれたのか。未だフリーズしている頭を無理やり動かして事態の認識に努めようとすると、今度は頬へと彼女の手が触れられる。
「これは私から煌司さんへの"呪い"です。たった一つの、そして私の"全て"が詰まった大切な"呪い"」
「のろい……?まじない……?」
「えぇ。私にとって何よりも大切な、私がここに居た証です。つまり何が言いたいかと言うと…………あちらの世界に戻っても、忘れないでくださいね?」
「――――。あぁ」
あぁ、あぁ。当然だ。忘れるものか。
俺は彼女の手を力強く握りしめる。ようやく見れた彼女の心からの表情は、目に涙を浮かべ一際眩しく笑っていた。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「――――それでは、準備は良いですね?」
光り輝く草原に鎮座する大きな一軒家。その玄関ポーチ。
俺たち魂だけの存在はそこへ集まっていた。俺と祈愛、瑠海さんにマヤと勢揃だ。
眼前にはこれまでと同じ、しかしサイズは一回り大きな扉が一つ。俺と祈愛はその大きな扉に対峙する。
「この扉を通ればあなた方は元の、それぞれの場所で目を覚まします。目覚めたばかりは身体に負荷が掛かるので決して無理はしないでください」
「あぁ」
「うんっ!」
ようやく元の世界に戻れるのか。
あの時死んだかと思ったが九死に一生を得たこの命。決して無駄にすることはないだろう。
……しかし、この家も結局使わず終いだったな。まぁ、瑠海さんがいるしきっと有効活用してくれることだろう。
そう考えている間にも扉は輝きを増していく。下から段々とせり上がっていく光は見上げた先にある扉の先まで。到達すると同時にマヤの真剣な声が辺りに響く。
「では、開きます!」
「待った!」
「……どうされましたか?煌司さん?」
開門の直前。最後の最後で俺は彼女に待ったをかけた。
眼前の光り輝く扉。そして若干真剣味を帯びるマヤの声へ振り向く。
「おにいちゃん……?」
「……すまん。最後にマヤへ言っておきたい事があってな」
「私にですか?……聞きましょう」
その表情は真剣そのもの。これまで穏やかな表情ばかり浮かべていたマヤも、そんな顔をするんだな。
まるで神様みたいだ。いや、本当に神様か。俺は現世へ送り届けてくれる神様へ向かって思い切り――――頭を下げた。
「おにいちゃん!?」
「煌司さん!?」
「これまでずっと、助けてくれてありがとうございました!これからは妹を、祈愛を一生大切にしていきます!!」
まさか俺がこんな殊勝な態度をするとは思っていなかったのだろうか。祈愛と瑠海さん、2人同時に驚きの声が上がる。
これまでずっと俺たちを守ってくれて、そして助けてくれたのはひとえに"マヤ様"のお陰だ。そんな彼女にこれまでのお礼を言うのは当然だ。まさか俺がそんな事を言うとは思っていなかったのだろうか。身体を90度曲げながら顔だけチラリと様子を伺うと、面食らったようなマヤがそこに立っていた。
「……驚きました。まさか煌司さんがそんな殊勝な事を仰るだなんて」
「あぁ……いえ、それは当然です。今日までのこと全部、マヤ様が居なかったら成り立ちませんでしたから」
「いいえ、私はあくまでサポートする身。実際に運命を切り開いたのは皆様ですよ。ですので煌司さんも、是非普段通りの口調で。そうでないと私が困ってしまいます」
「いえ、そんなことは――――わかった。今日までありがとな。マヤ」
「……どういたしまして」
最後まで彼女への敬意を貫き通そうとしたが、奴と対峙した以上の悪寒が走ったから慌てて口調を戻す。
再び振り向けば祈愛がこちらに手を向けていた。俺はその手を取り、互いに繋いで再び扉前に立つ。今度こそ彼女を守り切ってみせる。そう心に強く願いながら。
「では、今度こそ開きます。…………二人とも、お元気で」
その言葉とともに開かれた扉へ俺たちは足を進めていく。
次に目を覚ました時は、きっと幸せな人生が待っていると信じて―――――
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「……行きましたね」
「…………はい」
そこは再び静かになった草原。
私とマヤさん以外誰も居らず、2人は無事に扉へ消えていった直後の草原。
私達は消えてしまった扉をずっと見つめていました。きっとお二人は現世で目を覚ましていることでしょう。そして2人仲良くいつまでも。そんな輝かしい未来を願いながら私は消え去った扉に背を向けます。
「瑠海さんはこれからどうなさるのですか?」
「そうですね…………」
マヤさんに背を向け、一人家を向いて顔を見上げます。
いくら神様といえど、この顔だけは決して見られるわけにはいきません。ボロボロと涙を流すこの顔だけは。
決して問題なんてないように、泣いていると悟られないように口調を強くしてその問いに答えます。
「とりあえず、少しだけ時間を置いてから現世に行ってお二人を探そうかと!」
「……つまり、お二人の人生を見守って行きたいと、そう思うのですか?」
「はい!」
それは当然です。
だって私を見つけてくれた、そして私が好きになった2人なんですから。
たとえ触れられなくても、気付かれなくても側に居たいと思うのは当たり前です。……それがたとえ何の意味のない行為だとしても。
「それは素晴らしい考えですね。お二人……特に祈愛さんは私が勉学など教えたとはいえ不安がたくさんありますから。――――ですが、ただ見ているだけでは勿体ない。あなたも輪の中に入りたいと思いませんか?」
「――――えっ!?」
突然のマヤさんからの提案。
それは私を驚愕の渦に巻き込むには十分すぎるほどでした。思わず見せたくなかった泣きじゃくりの顔にも関わらず振り向いてその言葉が真実か問いかけます。そして彼女はゆっくりと笑って頷いてくれました。
「そんな……そんなことが可能なのですか……?だって私は……」
そんなこと……ありえない。だってそれはつまり、私があの輪に入るということは現世に………。
彼女の言うことは物理法則や倫理どころか常識全てを破壊するようなこと。絶対に有り得ないことだと思わず後退りしてしまいます。
けれどマヤさんはそんな私の不信を払拭するかのように首を横に振り、手を差し伸べました。
「えぇもちろんです。私を何者だと思っているのですか?」
「かみ……さま……」
「そうです。何でもできる神様です。瑠海さん、またお二人と一緒に過ごしたいのであれば、手を取って」
「っ――――!!」
到底信じられない提案。しかしこれまで助けてくれた彼女への信頼から、私は迷うことなんてありませんでした。たとえ騙されたって構わない。たった一瞬でも夢を見させてくれるなら。
涙を置いて急いで駆けた先にあるのは差し出されたマヤさんの手。私は一瞬でも早くその手を掴むため、必死で自らの手を伸ばしました――――
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