不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第4章

079.見覚え。違和感。

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「おはようございます」
「おはようございます!」
「おはようございま~す!」

 学校の中でも最も大人が集まる場、職員室――――。

 もうそろそろシニアに片足入りかけた中堅教師が入室しながら挨拶をすると、同僚たちの声がこだまのように返ってくる。

 彼女はもう何度も繰り返して見慣れた光景を眺めながら自らの机に向かう。
 文字が大量に書かれた紙と向き合う者、パソコンにひたすら何かを打ち込む者、プリンターの前でひたすら紙が排出されるのを見届けている者。みんながみんな、それぞれ忙しそうに働いていた。

 そんな者たちを尻目に彼女は自席の隣に座る若い教師…………まるで眠っているかのように伏せっている女性の隣に腰を下ろす。

「せんせぇ~。おはようござま~す」
「……お、おはよう。起きてたのですね」

 気配でも読み取ったのだろうか。寝ていると思っていた女性は見ることもなく挨拶してきて一瞬だけ目を丸くする。
 突然の挨拶に驚きつつも何度か居住まいを正して2~3回ほど隣の女性の背中を軽くはたく。すると「う~」と唸り声を上げながらモソモソと起き上がってきた。

「もぉ~……。始業前のゆったりした時間が~」
「そんな姿生徒に見られたらどうするんですか。示しが付きませんよ」

 まるで今目覚めたかのように大きなあくびをする女性教師は黒いスーツでピシッと決めているものの、その顔は寝ぼけているように少し涙が浮かんでいて尊敬の何も感じられないほどだ。
 チノパンとボーダーのシャツで軽い着こなしをするシニアの女性は、決して生徒に見せられない若い同僚の姿を見て一つため息を付く。

「それになんですかさっきの挨拶。お手本となる存在なんですからしっかりなさい」
「はぁ~い…………きっびしいなぁ……」

 スーツの女性は適当に返事をしながら小さく愚痴をこぼす。
 しかしその言葉を聞き逃さなかった女性はムッと表情を歪ませて椅子を回し、「しまった」と瞳を小さくする女性と向き合った。

「厳しいとはどういうことですか新田先生。それに言葉遣い。ここは家じゃないんですから敬語を使いなさい」
「はぁ~い…………新田先生」

 互いが互いに『新田先生』と呼ぶ――――。
 この二人は親子の関係だ。それでもややこしい名字で呼ぶのは怒られたことに対する小さな反抗心。
 しかし根は真面目で素直な娘は少し拗ねながらもしっかりと従っていく。

「珍しい……ですね。 こんな時間に職員室に立ち寄るなんて」
「2学期最初ですし私もこっちの朝礼に顔を出そうかと思いまして…………あ、そうそう。前坂くんって知ってます?1年科学コースの」

 普段体育教員室に詰めている母が朝から職員室に来ていることには娘にとって驚くべきことと同時に残念な知らせだった。
 「せっかくの僅かな職場での睡眠時間を……」そう心の中で悪態をついて、聞かれたことに答えようと脳内の生徒名簿を開いていく。

「前坂くん前坂くん…………あぁ、茶髪の。それがどうかしたんです?」
「いえ、さっき前坂くんと会って、その子の妹さんが夏休み中に私のところに訪ねてきたことを思い出したんですよ。たしか在学中に教科担当してましたよね?」
「妹さん…………思い出しました。たしか黒髪の可愛らしい子ですよね。茶髪のお兄さんに似てないですけど」
「あれは塩素ですので仕方ありません」

 髪染め事態は禁止だが、それを押しても染めてくる生徒はチラホラいる。しかし彼は不可抗力で髪色が変わった稀有な例だ。
 水泳部は塩素の影響もあって総じて髪の色が薄い。特に練習の鬼でもあったあの生徒は特に色が抜けて茶色くなってしまっていた。そんなこともあってかこの学校の教員に茶髪の―――といえば確実にあの生徒のことが第一候補に上がる。

 母は夏休み中に訪ねてきた妹さんのことを思い出す。
 腰まで届くほどの長い黒髪・・・・琥珀・・のような瞳。髪色のお陰で少し遊んでいるように見える兄とは全く似ず、清楚を体現したような少女のことを。
 前坂さんとは在学中に会う機会が無かったけれどあれほど可愛い子だったとは。まるでアイドルや女優のようだった。海外でもあの容姿と礼儀正しい言葉遣いなら全く労すること無く日常を過ごすことができるだろう。

 前坂さんのことを思い出しながらふと娘に目をやると、どうやら何かを探しているようで引き出しの中をガサゴソと漁っていて、母は怪訝な表情を見せながら少し身を屈ませる。

「……何を?」
「いえね。その妹さん……前坂さんの当時の写真が見つからなくって―――――――あっ!!」
「ありましたか?」
「いえっ!でもストロベリーリキッドの写真が奥に隠れてました~~!」

 引き出しの奥から取り出したのは雑誌の切り抜きのような紙切れが数枚。
 その先頭には話題に出た少年より段違いにきれいな茶色の髪を持つ少女が微笑んで写っていた。

「ほらっ!これがリオちゃん!可愛いでしょ~?私の推しなの~!」
「はぁ…………」

 そんな返事のようなため息のような気の抜けた言葉など気にせず写真に見とれている娘。
 以前学校でライブをしてから娘は件のアイドルにドハマリした。自宅にはその子達のグッズで溢れているかもしれない。
 確かに群を抜いて可愛い。母にとって年頃の少女は職務上数多く見てきたが、これほどまでに可愛い子は見たことがなかった。アイドルだから当然かも知れないが。

 けれど探しているものはどこいったと。当初の目的とは違うものを見つける娘を見て母は思わずため息をつく。

「他の二人も可愛いんですよ!ほら――――」
「――――あ、新田先生…………体育の新田先生!」
「はい?」

 娘が他の子を見せるように紙を変えようとしているが、突然後ろから他の教員に呼びかけられて母は振り返る。
 呼ぶのは体育教員室に駐在する先生の一人だ。

「次の授業で配布する資料が足りなくって。ちょっと体育教員室に来てもらえませんか?」
「わかりました。すぐ行きます…………それじゃ、私が居ないからってサボるんじゃないですよ?」
「は~い……」

 母は職員室から出る直前、振り返って娘の様子を伺う。
 そこにはさっきと変わらず写真に目を奪われている娘の姿が。

 後ろ向きだから離れた位置からでも写真の輪郭くらいは捉えることができる。
 茶髪と、金髪と、腰まで届くほどの黒髪・・。その写真にはメンバーらしき三人が収められていた。

「ん…………?」

 そこでふと母は違和感を覚える。
 なんだか…………見たことの無いはずなのに見た覚えがある気がする。
 けれどストロベリーリキッドなんて見たことがない。毎日仕事に追われている身にとってトレンドを追う暇もない。

 いや、きっと娘が見ているところを目にしたか、生徒たちの触れ合いの時にでも見たのだろう。
 そう結論づけて職員室を後にするのであった――――。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――


「へ~! 結構きれいなところだねぇ~!」

 放課後。
 俺と小北さんはエレナに指定された場所へと足を運んでいた。
 指定は17時だが現在は16時半。30分も早く着いてしまったから彼女が来るのはもう少し後だろう。
 ならばと準備もあるし先に入って待っておくことにする。

「えっと…………あんまり見られると……困るかな?」
「え~?なんで~? だって男の子の家だよ!私初めてだもん!男の子の家にお邪魔するの!!」

 そう。エレナが小北さんと会うために指定した場所は俺の家だった。
 準備もあるからと先にエレベーターを上がって部屋に入り、リビングにたどり着くと小北さんは物色するかのように辺りを見渡している。
 放課後から……いや、朝からずっとハイテンションの彼女だ。それが放課後になって更にパワーアップしている。
 それも付き合っても居ない男の家に入り込むのを躊躇しないほどに。
 思い返せばエレナも当時躊躇しなかったと記憶するが、台風などで一時的にハイになっていたのだろう。

「前坂君の部屋ってどこ!?見てみたい!!」
「それならリビングを出てひだ……ってちがう!俺の部屋はいいから!ソファーに座ってて!!」
「え~!イジワル~!」

 イジワルじゃありません!
 早いとこお湯をわかせてコーヒー淹れなきゃならないのに小北さんから目を離したら何されるかわからない。

「さささ、私の事はお気になさらず。ぐふふ……」
「絶対目を離したら家中漁りまくるでしょ?」
「ヤダナー。そんなこと、シナイヨ?」
「うっわぁ…………」

 目をそらして片言という、明らかに漁りまくる宣言をしているようなものだった。
 どうしよう。エレナも忙しいだろうしこういった駆け引きが17時すぎる可能性だって十分に――――

 ピンポーン――――

「きたっ!!」
「……早いな」

 俺がコーヒーを諦めて小北さんの監視に入ろうと思ったその時だった。
 部屋に鳴り響くのは来客を告げるインターホン。もしかしなくてもエレナだろう。予定時間より20分早いが彼女らしいともいえる。

「エレナ様!この音ってエレナ様だよね!ようやくエレナ様にお会いできる!!……どうしよう!私制服姿だよっ!こういう時スーツとか着るべきじゃない!?それに菓子折りも!どうしよう!」
「大丈夫だから!大人しく座ってて!」
「はいっ!!」

 インターホンが鳴ったことでようやく危機感を覚えたのか、今更焦りだす彼女にピシャリと示すと勢いよく背筋を伸ばして座ってみせる。

 こういうときだけは都合よく大人しいんだから、まったく。
 けどまぁ来てしまったものは仕方ない。彼女を迎えてからコーヒーを淹れることにしよう。

 俺は襟を正してまるで人生のかかった面接のように座る小北さんを視界に収めながら、下のエントランスと繋がる受話器を手にとった――――。
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