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第5章
108.拘束
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「アイ……さん…………」
廊下から漏れ入る光のみが辺りを照らす薄暗い部屋。
驚きでパニックになりながらも、なんとか言葉に出来た単語を頭上の人物に発する。
小さく声をかけるも何の返事も返ってこない。
うつ伏せになっているため正面切ってその表情を確認することはできないが、目の端に捉えるその顔は確かにアイさんだった。
薄暗くて輪郭しか見えないが間違いようがない。長い黒髪、整った顔に一度だけ聞こえた声は間違いなく彼女だった。
「勝手に部屋に入っちゃったことはごめん。ただ、扉が空いて携帯が鳴ってたから……」
グッと様々な感情を堪え、ただただ反省の言葉を口にする。
見られたくないものを見られたというのは誰だって怒るだろう。
俺だってスマホの中身を見られたらいい気がしない。それがあろうことが『入るな』と言われていた部屋はなおさらだ。
彼女に謝りつつ倒された衝撃でどこかにいってしまった携帯を探しに視線を動かしていくと、手元に転がっている携帯を見つける。
数センチ先。しかし取ろうにもその両手は彼女に拘束されていて動かすことができない。
そんな視線の動きを読んだのだろうか。彼女は片手で腕を拘束したまま携帯にスッと手を伸ばすと拾い上げて慣れたように通知を確認する。
「……たしかに着信が来てますね」
「う……うん!それを届けようと思って―――――」
「まぁ、慎也さんに取らせるために私が掛けたものですけど」
「――――えっ…………」
あまりにも淡々と。
当たり前のように告げられた事実に思考がフリーズした。
彼女はなんて言った?
俺に取らせるため?
失くしものを探すためでもなく?
いや、その言葉が真実だとするならば、俺がこの部屋に入ること自体仕組まれたことだったと?
思考がまとまらない。何故。どうして。そんな思いが堂々巡りを繰り返している。
なんて言えばいいかわからずに声にならない声を発し続けると、彼女はおもむろにカチャリと軽い音を発するものを取り出して俺の手首へと巻き付けていることに気がついた。
「はい、できました」
「……これは?」
「痛くないですか?極力痛くないものを選んだのですが……」
「痛くないって……?」
最初は何を巻き付けたのかわからなかった。
腕を頭上に持ち上げられて何かを巻き付けた。そんな認識しかなかった。
馬乗りになっていた彼女が離れた後に頭上から聞こえるのはジャラジャラとした鎖の音。
動かない腕と鎖のような音。そこでようやく自分の身に何が起こっているか冷静に捉える事ができ、何を巻かれたのかを理解する。
「これは……手錠!?何するの!?」
「…………」
手首に巻き付けられたのは手錠だった。
手錠。人を拘束するための道具。
なんとか抜け出せないか試みるも、リングの間に繋がった鎖に阻まれてしまい自由に動かすことが出来ない。
「くっ……。なんで……」
何故こんな事をする――――。
そう思って首を大きく捻り近くに立つ彼女の表情を目にすると……………………何もなかった。
彼女の、アイさんの表情は何の感情も持っていなかった。
ただの無、表情が無い。
無表情の彼女はただただ鎖の正常性を確認するや、スッと目を伏せポケットからもう一組の手錠を取り出し俺に見せつける。
「落ち着いてください。 ほら、ただのオモチャですよ」
目の前に掲げられたのは金属でできた手錠ではなくただのプラスチック製の手錠。
まさかと思って手首に巻かれた手錠を確認するとズシッとした重量感もなく鎖の音も軽い。確かにオモチャで間違いなさそうだ。
「ここ、少し出っ張ってるのわかりますか? ココを押せば外れますよ」
示されるのは鍵穴のすぐ横。
オモチャらしく救済措置が取られているようだ。
自ら開放手順を教えてもらえるとは思ってもおらず、言われるがままに慌てて解錠しようと試みるも…………届かない。
鎖が短すぎて手首を捻っても指がそこまで到達しないのだ。
さらに言えば力づくで壊そうにも体勢が悪くて力が入らない。
壊せず、解錠も出来ない手錠など本物とそう変わらない。プラスチック製でも壊せなければ金属とそう変わりはしないのだ。
どうする。と途方に暮れていると今度はカシャリと足元から小さく音が聞こえてくる。
「今度は何を……?」
「足首にも掛けました。これも痛くないですか?」
気付けばベッドの側面からはみ出して宙に浮いている足にも同様の手錠がかけられていた。
彼女はその足を叩きながら「ベッドに乗れ」と促してきて黙って指示に従う。
「なにを、するの?」
もう一度彼女に問いかける。
俺の言葉に眉一つ動かさない彼女は問いに応えることはせず、今度は仰向けになるよう促してくる。
「……こう?」
「えぇ。よく出来ました」
指示に従うと、初めてその表情が変わった。
眉一つ動かさず口元を半月状に歪め、もう一度腹へと馬乗りになり見下ろしてくる。
「慎也さん、部屋の壁、見ましたか?」
「えっ……うん……俺と、エレナが」
チラリと移る視線につられて壁を再度確認すると、間違いなく俺とエレナの写真で埋め尽くされていた。
半々の比率で埋め尽くされた写真。そのどれもが知らぬ間に撮られた盗撮写真である。
未だに信じられない写真。どうして彼女がこんなものを……そう考えていたら、アイさんはおもむろに前かがみなって、そっと頬へ手を触れてきた。
「正解です。それで先程の質問は『何をするか』ですよね?……そうですね。目的は"慎也さんを奪うこと"でしょうか?」
「奪う……?」
アイさんは一体何を言っている……?
質問に応えてはくれる彼女だが、肝心のところはボカされて未だに真意が読み解けない。
一体どういうことかと再び問いの言葉を紡ぐ。
「奪うって、一体誰か――――!!!」
再三に渡る問いかけ。
しかし俺の言葉は最後まで紡ぐことはなかった。
彼女の行動は突然だった。
心当たりは何かと探り出すために逸らした一瞬の目線。そんな一瞬の思考の隙を突いた彼女は、自らの顔を近づけてその唇を俺の唇と接触させてしまう。
――――キスだ。
理解を得るまでにはだいぶ掛かった。
ただ目をつむった綺麗な顔が近づいて唇に柔らかな感触がした、とだけ認識していた。
30秒、1分……どれだけ長いことそうしていたかすら理解できない。
俺がキスという理解に追いつく頃には、その顔がそっと離れていく頃となる。
「ふぅ、ぬいぐるみで練習しておいてよかったです。 やっぱり事故に見せかけるより、堂々とやったほうがいいですよね。慎也さんもそう思いません?」
「な…………! な…………!」
ようやく何をされたかを把握したが、驚きで何も声を出すことが出来なかった。
そんな驚愕に満ちた表情を見た彼女はクスリと小さく微笑んでもう一度、今度は一瞬触れるだけのキスをする。
「慎也さん、駆け落ちしません?」
「かけ……おち?」
かけおちとはどういう意味か。
意味はわかっている。恋仲の二人が一緒に逃げること。
意味はわかるがやはり理解が追いつかない。なんでアイさんが俺と?どうして?
「はい。駆け落ちです。アイドルも辞めて……節約すれば十数年は暮らせるだけのお金はあります。どこかアパートでも借りて二人の愛の巣を作りましょう?」
「俺と……どうして……」
「どうしてって、慎也さんの事が好きだからに決まってるじゃないですか」
好き。
あまりにも唐突な告白。
その言葉を伝える為にここまでのことを。
しかしそれはおかしいと事態を把握してきた脳は疑問符が浮かぶ。
アイさんは男性恐怖症のはずだ。それなのに男の人を好きになるなんて……
「男性恐怖症だから、って思ってます?」
「…………」
心の中を覗いたかのような言葉に黙って首を縦に振る。
「もちろん男の人は怖いです。それは変わってません。でも、慎也さんは別です。優しくて、私をちゃんと見てくれて……。 ほら、どうです?毎日慎也さんに囲まれるためにこんなに写真を撮ったんですよ。どれもうまく撮れてますよね?」
「でも、エレナは……」
「……あぁ、エレナの写真もありますものね。もちろんエレナも大好きです。おばあちゃんになっても一緒にいたいと思ってます。それでもなお、慎也さんのことも大好きなんです」
彼女はジャージのファスナーに手をかけながら話を進める。
「私は考えました。どうすればいいかって。そうして一つの答えにたどり着いたんです。慎也さんがエレナとくっつくかもしれないと。そんなのイヤ……二人が私の元から離れていくなんて……!それで決めたんです。エレナに奪われるくらいなら私が奪ってしまおうって…………!!」
もはや彼女の中に論理的な思考プロセスは無くなってきているのだろう。
そんなことはもしもの中のもしも……そう指摘しようにも聞く気配など一欠片たりとも見当たらない。
言い終わる頃には手を駆けていたファスナーが下まで到達し、前の部分があらわになる。
真っ白な肌に真っ白な下着。
ジャージの下には何も、シャツすら着ていなかったのか彼女の豊かな胸とそれを覆うブラが目に入る。
そして服が間に挟まらないようゆっくりと倒れ込み、俺の服を下から捲って肌と肌を合わせていく。
「あぁ……これが慎也さんの……。温かい」
ゆっくりと倒れた彼女は俺の胸元に耳を当て、心音を聞くかのように目をつむる。
拘束されて何も出来ない俺はただただそれを見ていることしか出来なかった。
「駆け落ちしたら慎也さんは何もしなくていいですよ? お金だってありますし、お料理だってお掃除だって。望むのならずっとベッドの上にいてもらって構いません。ただそばに、一緒に居てくれたらそれでいいんです」
胸の上で甘美な響きが聞こえてくる。
それは…………ラクそうだなぁ。
労働も家事もしなくていい。ただ与えられたものを受け取るだけ。最高じゃないか。
彼女はアイドルをするほど美人だし性格だっていい。料理も上手だし唯一の欠点である恐怖症も俺には問題ない。
常々天使と評しているように文句のつけようがない人だ。
勉強なんてしたくない。仕事なんてしたくない。ただ寝て彼女の愛を享受するだけ。それに何の不満があろうか。
彼女の甘い言葉を甘い笑みに俺の首は自然と縦に動こうとする。
楽だ。一人暮らしで散々感じた寂しさもない。彼女がいてくれるのなら俺も……………。
――――でも、そんなのは…………
「たのしくない」
「えっ…………」
首を縦に振ろうとした俺の口は、自然と動いていた。
ポツリと漏らした言葉に彼女の顔が覗き込んでくる。
「ごめん。アイさんのことは好きだけど……恋愛の意味かはわからない。それに、駆け落ちは楽しくないよ。閉じられた世界で二人なんて……俺は今アイさんも、エレナとリオが居てくれるから毎日楽しいんだから」
その言葉に今まで全く動かなかった瞳が揺らぐ。
瞳孔が開き、頻繁に視線を動かしている。
「本当に……本当にイヤですか?私っ……あなたの言うことは何でも従いますよ!」
「それでもだよ。アイさん」
「お金もありますしえっ…えっちなことだって……!」
「アイさん、わかって……」
「…………」
数度に渡る応酬。
魅力的だ。彼女の提案は。けれど楽しくない。そんな退廃的な生活、楽しくないんだよ。
俺の厳とした態度に諦めたのだろうか。次第に彼女の視線は下を向いていき、黙り込んだ。
「…………わかりました」
一分、ニ分と静寂が場を支配する。
先程のキスとは違った意味で永遠に思われた空間は、彼女の言葉によって打破された。
目を伏せていた彼女がゆっくりと深呼吸して再び俺と顔を合わせる。
再び上げた彼女の目は、瞳孔の開いたまま俺ではない別の何処かを見ているよう。
「それでは、次のプランに移ります」
「プラン……?」
「えぇ。既成事実です 今なら誰も来ませんし、慎也さんは動けません。既成事実を作って心身ともに一緒になります」
「っ…………!!」
彼女の淡々と告げる言葉に俺の身体は一気に強張る。
既成事実……そんなことはあってはならない。
ただ一瞬の心の爆発に一生を賭けるのは避けるべきだ。
その時ならきっといいだろう。しかしいつか絶対後悔する時がくる。
まさか本当にするつもりなのか、今度は俺の下着にまで手をかけはじめた。
しかし手足を使えないなりに必死に腰へ体重をかけて抵抗を示す。
「アイさん!待って!! よく話そう!?」
「今が最後のチャンスですから待てません。大人しくしていてください……!」
必死に脱げないよう抵抗するも体勢が悪く、人ひとりの手を使った力に相対するには限界がある。
段々とズレていく下着と下がっていく彼女の腕。掃除の件もあってか俺の体力もカラに近い位置にある。
ここまでか…………。
そう諦めの言葉が頭をよぎった時、チラリと光に照らされた茶色が目の端に映ったような気がした。
「――――いや、アイこそ大人しくしてて」
「なっ…………! リ…………くぅ!!」
一瞬のことだった。
下着に手をかけていた彼女の身体が大きく浮き上がったと思いきや、一瞬のうちに俺の横へと倒れ込んだ。
「なにが……?」
何が起こった。
さっきまで馬乗りになっていた彼女は視界から消え去っている。
彼女が見えなくなる直前、誰かの声が聞こえてきた気がした。その声の主を探そうと、動けない中視線だけを動かして辺りを見渡す。
――――視線が左へ向いた瞬間、全てを理解した。
ベッドの縁。
俺の隣ではアイさんの首根っこと右手首を掴み、ベッドに押さえつけるリオの姿がそこにあった。
彼女はチラリと俺の顔を見て少しだけ頬を緩ませる。
「いやぁ、常々恨んだり嘆いたりしてたけど、今日ほど自分の影が薄くて良かったと思う日は無いね。大丈夫?慎也クン。まだ襲われてないよね?」
「リオ…………」
リオはまるで何の問題もないかのようにおちゃらけた様子で俺の安否を確認してくる。
その問いにゆっくりと頷くと微笑みを返され、今度は真剣な様相で捕らえているアイさんを見下ろした。
「さて、現行犯……っていうのかな? どうしよっか、エレナ」
「っ……! エレナ……!」
捕らえられたアイさんはリオの視線の先、扉へと向ける。
開かれた扉。誰も居ない廊下。しかしリオの呼びかけに応えるように黙って姿を現したのは、腕組みをしながら冷静に俺達を見下ろす金髪の少女……エレナだった――――。
廊下から漏れ入る光のみが辺りを照らす薄暗い部屋。
驚きでパニックになりながらも、なんとか言葉に出来た単語を頭上の人物に発する。
小さく声をかけるも何の返事も返ってこない。
うつ伏せになっているため正面切ってその表情を確認することはできないが、目の端に捉えるその顔は確かにアイさんだった。
薄暗くて輪郭しか見えないが間違いようがない。長い黒髪、整った顔に一度だけ聞こえた声は間違いなく彼女だった。
「勝手に部屋に入っちゃったことはごめん。ただ、扉が空いて携帯が鳴ってたから……」
グッと様々な感情を堪え、ただただ反省の言葉を口にする。
見られたくないものを見られたというのは誰だって怒るだろう。
俺だってスマホの中身を見られたらいい気がしない。それがあろうことが『入るな』と言われていた部屋はなおさらだ。
彼女に謝りつつ倒された衝撃でどこかにいってしまった携帯を探しに視線を動かしていくと、手元に転がっている携帯を見つける。
数センチ先。しかし取ろうにもその両手は彼女に拘束されていて動かすことができない。
そんな視線の動きを読んだのだろうか。彼女は片手で腕を拘束したまま携帯にスッと手を伸ばすと拾い上げて慣れたように通知を確認する。
「……たしかに着信が来てますね」
「う……うん!それを届けようと思って―――――」
「まぁ、慎也さんに取らせるために私が掛けたものですけど」
「――――えっ…………」
あまりにも淡々と。
当たり前のように告げられた事実に思考がフリーズした。
彼女はなんて言った?
俺に取らせるため?
失くしものを探すためでもなく?
いや、その言葉が真実だとするならば、俺がこの部屋に入ること自体仕組まれたことだったと?
思考がまとまらない。何故。どうして。そんな思いが堂々巡りを繰り返している。
なんて言えばいいかわからずに声にならない声を発し続けると、彼女はおもむろにカチャリと軽い音を発するものを取り出して俺の手首へと巻き付けていることに気がついた。
「はい、できました」
「……これは?」
「痛くないですか?極力痛くないものを選んだのですが……」
「痛くないって……?」
最初は何を巻き付けたのかわからなかった。
腕を頭上に持ち上げられて何かを巻き付けた。そんな認識しかなかった。
馬乗りになっていた彼女が離れた後に頭上から聞こえるのはジャラジャラとした鎖の音。
動かない腕と鎖のような音。そこでようやく自分の身に何が起こっているか冷静に捉える事ができ、何を巻かれたのかを理解する。
「これは……手錠!?何するの!?」
「…………」
手首に巻き付けられたのは手錠だった。
手錠。人を拘束するための道具。
なんとか抜け出せないか試みるも、リングの間に繋がった鎖に阻まれてしまい自由に動かすことが出来ない。
「くっ……。なんで……」
何故こんな事をする――――。
そう思って首を大きく捻り近くに立つ彼女の表情を目にすると……………………何もなかった。
彼女の、アイさんの表情は何の感情も持っていなかった。
ただの無、表情が無い。
無表情の彼女はただただ鎖の正常性を確認するや、スッと目を伏せポケットからもう一組の手錠を取り出し俺に見せつける。
「落ち着いてください。 ほら、ただのオモチャですよ」
目の前に掲げられたのは金属でできた手錠ではなくただのプラスチック製の手錠。
まさかと思って手首に巻かれた手錠を確認するとズシッとした重量感もなく鎖の音も軽い。確かにオモチャで間違いなさそうだ。
「ここ、少し出っ張ってるのわかりますか? ココを押せば外れますよ」
示されるのは鍵穴のすぐ横。
オモチャらしく救済措置が取られているようだ。
自ら開放手順を教えてもらえるとは思ってもおらず、言われるがままに慌てて解錠しようと試みるも…………届かない。
鎖が短すぎて手首を捻っても指がそこまで到達しないのだ。
さらに言えば力づくで壊そうにも体勢が悪くて力が入らない。
壊せず、解錠も出来ない手錠など本物とそう変わらない。プラスチック製でも壊せなければ金属とそう変わりはしないのだ。
どうする。と途方に暮れていると今度はカシャリと足元から小さく音が聞こえてくる。
「今度は何を……?」
「足首にも掛けました。これも痛くないですか?」
気付けばベッドの側面からはみ出して宙に浮いている足にも同様の手錠がかけられていた。
彼女はその足を叩きながら「ベッドに乗れ」と促してきて黙って指示に従う。
「なにを、するの?」
もう一度彼女に問いかける。
俺の言葉に眉一つ動かさない彼女は問いに応えることはせず、今度は仰向けになるよう促してくる。
「……こう?」
「えぇ。よく出来ました」
指示に従うと、初めてその表情が変わった。
眉一つ動かさず口元を半月状に歪め、もう一度腹へと馬乗りになり見下ろしてくる。
「慎也さん、部屋の壁、見ましたか?」
「えっ……うん……俺と、エレナが」
チラリと移る視線につられて壁を再度確認すると、間違いなく俺とエレナの写真で埋め尽くされていた。
半々の比率で埋め尽くされた写真。そのどれもが知らぬ間に撮られた盗撮写真である。
未だに信じられない写真。どうして彼女がこんなものを……そう考えていたら、アイさんはおもむろに前かがみなって、そっと頬へ手を触れてきた。
「正解です。それで先程の質問は『何をするか』ですよね?……そうですね。目的は"慎也さんを奪うこと"でしょうか?」
「奪う……?」
アイさんは一体何を言っている……?
質問に応えてはくれる彼女だが、肝心のところはボカされて未だに真意が読み解けない。
一体どういうことかと再び問いの言葉を紡ぐ。
「奪うって、一体誰か――――!!!」
再三に渡る問いかけ。
しかし俺の言葉は最後まで紡ぐことはなかった。
彼女の行動は突然だった。
心当たりは何かと探り出すために逸らした一瞬の目線。そんな一瞬の思考の隙を突いた彼女は、自らの顔を近づけてその唇を俺の唇と接触させてしまう。
――――キスだ。
理解を得るまでにはだいぶ掛かった。
ただ目をつむった綺麗な顔が近づいて唇に柔らかな感触がした、とだけ認識していた。
30秒、1分……どれだけ長いことそうしていたかすら理解できない。
俺がキスという理解に追いつく頃には、その顔がそっと離れていく頃となる。
「ふぅ、ぬいぐるみで練習しておいてよかったです。 やっぱり事故に見せかけるより、堂々とやったほうがいいですよね。慎也さんもそう思いません?」
「な…………! な…………!」
ようやく何をされたかを把握したが、驚きで何も声を出すことが出来なかった。
そんな驚愕に満ちた表情を見た彼女はクスリと小さく微笑んでもう一度、今度は一瞬触れるだけのキスをする。
「慎也さん、駆け落ちしません?」
「かけ……おち?」
かけおちとはどういう意味か。
意味はわかっている。恋仲の二人が一緒に逃げること。
意味はわかるがやはり理解が追いつかない。なんでアイさんが俺と?どうして?
「はい。駆け落ちです。アイドルも辞めて……節約すれば十数年は暮らせるだけのお金はあります。どこかアパートでも借りて二人の愛の巣を作りましょう?」
「俺と……どうして……」
「どうしてって、慎也さんの事が好きだからに決まってるじゃないですか」
好き。
あまりにも唐突な告白。
その言葉を伝える為にここまでのことを。
しかしそれはおかしいと事態を把握してきた脳は疑問符が浮かぶ。
アイさんは男性恐怖症のはずだ。それなのに男の人を好きになるなんて……
「男性恐怖症だから、って思ってます?」
「…………」
心の中を覗いたかのような言葉に黙って首を縦に振る。
「もちろん男の人は怖いです。それは変わってません。でも、慎也さんは別です。優しくて、私をちゃんと見てくれて……。 ほら、どうです?毎日慎也さんに囲まれるためにこんなに写真を撮ったんですよ。どれもうまく撮れてますよね?」
「でも、エレナは……」
「……あぁ、エレナの写真もありますものね。もちろんエレナも大好きです。おばあちゃんになっても一緒にいたいと思ってます。それでもなお、慎也さんのことも大好きなんです」
彼女はジャージのファスナーに手をかけながら話を進める。
「私は考えました。どうすればいいかって。そうして一つの答えにたどり着いたんです。慎也さんがエレナとくっつくかもしれないと。そんなのイヤ……二人が私の元から離れていくなんて……!それで決めたんです。エレナに奪われるくらいなら私が奪ってしまおうって…………!!」
もはや彼女の中に論理的な思考プロセスは無くなってきているのだろう。
そんなことはもしもの中のもしも……そう指摘しようにも聞く気配など一欠片たりとも見当たらない。
言い終わる頃には手を駆けていたファスナーが下まで到達し、前の部分があらわになる。
真っ白な肌に真っ白な下着。
ジャージの下には何も、シャツすら着ていなかったのか彼女の豊かな胸とそれを覆うブラが目に入る。
そして服が間に挟まらないようゆっくりと倒れ込み、俺の服を下から捲って肌と肌を合わせていく。
「あぁ……これが慎也さんの……。温かい」
ゆっくりと倒れた彼女は俺の胸元に耳を当て、心音を聞くかのように目をつむる。
拘束されて何も出来ない俺はただただそれを見ていることしか出来なかった。
「駆け落ちしたら慎也さんは何もしなくていいですよ? お金だってありますし、お料理だってお掃除だって。望むのならずっとベッドの上にいてもらって構いません。ただそばに、一緒に居てくれたらそれでいいんです」
胸の上で甘美な響きが聞こえてくる。
それは…………ラクそうだなぁ。
労働も家事もしなくていい。ただ与えられたものを受け取るだけ。最高じゃないか。
彼女はアイドルをするほど美人だし性格だっていい。料理も上手だし唯一の欠点である恐怖症も俺には問題ない。
常々天使と評しているように文句のつけようがない人だ。
勉強なんてしたくない。仕事なんてしたくない。ただ寝て彼女の愛を享受するだけ。それに何の不満があろうか。
彼女の甘い言葉を甘い笑みに俺の首は自然と縦に動こうとする。
楽だ。一人暮らしで散々感じた寂しさもない。彼女がいてくれるのなら俺も……………。
――――でも、そんなのは…………
「たのしくない」
「えっ…………」
首を縦に振ろうとした俺の口は、自然と動いていた。
ポツリと漏らした言葉に彼女の顔が覗き込んでくる。
「ごめん。アイさんのことは好きだけど……恋愛の意味かはわからない。それに、駆け落ちは楽しくないよ。閉じられた世界で二人なんて……俺は今アイさんも、エレナとリオが居てくれるから毎日楽しいんだから」
その言葉に今まで全く動かなかった瞳が揺らぐ。
瞳孔が開き、頻繁に視線を動かしている。
「本当に……本当にイヤですか?私っ……あなたの言うことは何でも従いますよ!」
「それでもだよ。アイさん」
「お金もありますしえっ…えっちなことだって……!」
「アイさん、わかって……」
「…………」
数度に渡る応酬。
魅力的だ。彼女の提案は。けれど楽しくない。そんな退廃的な生活、楽しくないんだよ。
俺の厳とした態度に諦めたのだろうか。次第に彼女の視線は下を向いていき、黙り込んだ。
「…………わかりました」
一分、ニ分と静寂が場を支配する。
先程のキスとは違った意味で永遠に思われた空間は、彼女の言葉によって打破された。
目を伏せていた彼女がゆっくりと深呼吸して再び俺と顔を合わせる。
再び上げた彼女の目は、瞳孔の開いたまま俺ではない別の何処かを見ているよう。
「それでは、次のプランに移ります」
「プラン……?」
「えぇ。既成事実です 今なら誰も来ませんし、慎也さんは動けません。既成事実を作って心身ともに一緒になります」
「っ…………!!」
彼女の淡々と告げる言葉に俺の身体は一気に強張る。
既成事実……そんなことはあってはならない。
ただ一瞬の心の爆発に一生を賭けるのは避けるべきだ。
その時ならきっといいだろう。しかしいつか絶対後悔する時がくる。
まさか本当にするつもりなのか、今度は俺の下着にまで手をかけはじめた。
しかし手足を使えないなりに必死に腰へ体重をかけて抵抗を示す。
「アイさん!待って!! よく話そう!?」
「今が最後のチャンスですから待てません。大人しくしていてください……!」
必死に脱げないよう抵抗するも体勢が悪く、人ひとりの手を使った力に相対するには限界がある。
段々とズレていく下着と下がっていく彼女の腕。掃除の件もあってか俺の体力もカラに近い位置にある。
ここまでか…………。
そう諦めの言葉が頭をよぎった時、チラリと光に照らされた茶色が目の端に映ったような気がした。
「――――いや、アイこそ大人しくしてて」
「なっ…………! リ…………くぅ!!」
一瞬のことだった。
下着に手をかけていた彼女の身体が大きく浮き上がったと思いきや、一瞬のうちに俺の横へと倒れ込んだ。
「なにが……?」
何が起こった。
さっきまで馬乗りになっていた彼女は視界から消え去っている。
彼女が見えなくなる直前、誰かの声が聞こえてきた気がした。その声の主を探そうと、動けない中視線だけを動かして辺りを見渡す。
――――視線が左へ向いた瞬間、全てを理解した。
ベッドの縁。
俺の隣ではアイさんの首根っこと右手首を掴み、ベッドに押さえつけるリオの姿がそこにあった。
彼女はチラリと俺の顔を見て少しだけ頬を緩ませる。
「いやぁ、常々恨んだり嘆いたりしてたけど、今日ほど自分の影が薄くて良かったと思う日は無いね。大丈夫?慎也クン。まだ襲われてないよね?」
「リオ…………」
リオはまるで何の問題もないかのようにおちゃらけた様子で俺の安否を確認してくる。
その問いにゆっくりと頷くと微笑みを返され、今度は真剣な様相で捕らえているアイさんを見下ろした。
「さて、現行犯……っていうのかな? どうしよっか、エレナ」
「っ……! エレナ……!」
捕らえられたアイさんはリオの視線の先、扉へと向ける。
開かれた扉。誰も居ない廊下。しかしリオの呼びかけに応えるように黙って姿を現したのは、腕組みをしながら冷静に俺達を見下ろす金髪の少女……エレナだった――――。
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