不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第5章

107.いざなわれる音

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「さぁ!もうひと踏ん張りよ! 頑張りましょ!!」

 食事を終え、最後の一仕事を鼓舞するかのようにエレナがパンッ!と手を叩く。

 彼女の言う通り、仕事はほぼ終わったと言っていいほどまで進んでいた。
 残るはリビングのみ。それもソファーやクッションの汚れを落とし、後は適当に掃除機をかけるだけで終了だ。
 さすがに大掃除といっても排水溝や換気扇などのしんどすぎるところは除外した。昨年の大晦日に掃除したらしいし、また今度でいいだろう。

「私はお皿とか片付けるね。エレナ、私が居なくてもできる?」
「これまでだってできたんだから余裕よ。リオの指示のお陰だけど……」

 アイさんは部屋の掃除から少し離れてお昼ごはんの片付けだ。
 鍋やお皿など、もしかしたらそっちのほうが大変かもしれない。作ってくれたのに片付けもやってくれて本当に助かった。
 ちなみにアイさんのほうを手伝おうとしたら逆に効率が悪くなるからと断られてしまい、渋々リビングに向かって袖を捲り上げる。

「あり?ねぇアイ、重曹ってどこにあるか知らない?」
「重曹はたしか……洗面台の下の開きにあったと思うよ。見てみて?」
「りょうか~い」

 早速掃除に取り掛かるのために重曹の在り処をアイさんに聞くリオ。

 ……と、ここで疑問が浮かんだ。
 ここはエレナの部屋。そして場所を把握しているのはアイさん。何かがおかしい。

「エレナ、なんでリオは家主じゃなくてアイさんに聞いたの?」
「そんなの決まってるじゃない。 いっつも掃除はアイがやってるんだからアイのほうが詳しいのよ」
「……へぇ」

 案の定だった。
 やはり自分の部屋にもかかわらず、家事系はアイさんに一任しているらしい。
 今日を期にエレナも自らの部屋には気を配ってほしいものだと内心祈る。

「重曹あったよ~。でも、もう殆どカラみたい」
「えっ!?あ!そうだった! そういえば前少ないから買おうと思って忘れちゃってた!!」

 リオは早々に見つけたらしく戻ってきたが、その手に持つ重曹は随分軽かった。袋の中身はスプーン数杯分程度。ほぼカラだ。
 しっかりしてるアイさんが珍しい……と思ったが、実質2つの部屋を管理してるのだから管理漏れもあるだろう。

「ごめんリオ、今後のことも考えて買ってきてくれない?」
「ん、了解ー。お茶請け買うついでに買ってくるさね」
「ごめんね。その間私の家のを使ってるから!」
「よろしく~」

 軽い返事でスマホと財布を手に部屋を出ていくリオ。
 この場に残ったのは三人。エレナが重曹を持ってきてくれると思ったが、アイさんの視線は俺に向けられて申し訳無さそうに口を開く。

「慎也さん、すみませんが私の部屋に行って重曹持ってきてもらえません?」
「え、俺?」
「はい。私は洗い物で手を離せませんし、エレナは目を離すとまたサボっちゃうかもしれませんので」

 これから掃除機でもかけようかと思った矢先の、思わぬお願いに驚愕してしまう。
 まさか本人が居ない部屋の入室を許可を出すとは。なんだろ、ここまで信頼されると俺って男扱いされてないんじゃないかとさえ邪推してしまう。

「私はサボらないわよ!」
「でも、今まで掃除してって言ったのにやらなかったのはエレナだよね?」
「うっ……!!」
「だから今日はちゃんと掃除すること。慎也さん、場所はここと同じく洗面台の下にありますので。鍵はエレナから借りてください」
「仕方ないわね。……これよ」

 アイさんに促されたエレナは大人しく引き出しからカードキーを一枚手渡してくれた。
 これがアイさんの……。これがあれば彼女の生活ぶりが……。……ってダメだ。信頼して渡してくれているのだから変なこと考えないようにしないと。

「いい? 場所もわかってるんだから取ってすぐ戻ってくること! いいわね!?」
「了解。直ぐに戻るよ。 行ってきます」


 随分とエレナは警戒していたが、流石に信頼を崩したくないからと真面目に首肯する。
 カードキーを大事に手に収めた俺は玄関から一旦外に出て、隣にある部屋へとカードキーを読み込ませる。

 ピー。
 と、小さく音の後、ガチャリと扉の鍵が開く音がした。
 当然のことながら間違いなく彼女の部屋の鍵らしくホッと方を撫で下ろす。
 
「おじゃましま~す……」

 ゆっくりと扉を開けた先には以前見たままの玄関があった。
 あの時はエレナも一緒だったし、何より家主のアイさんが居たからまだ良かったが、一人きりだと凄く緊張する。
 ここで変な気を起こしたらアイさんどころか全員の信頼が総崩れだ。一度固唾をのんで真っ直ぐ部屋と向かい合う。


 靴を脱いだ俺はこれといった障害もなくに洗面所にたどり着いた。エレナの部屋とほぼ同じ間取りで迷うこともない。
 扉を開けた先にある洗面所は、エレナの洗面台と瓜二つだった。多少タオルの柄や化粧品が違うが概ねコピーと言っていい。
 たしかこの下の開きだったはずだと扉を開く。

「あった……」

 目当てのものは案外すぐに見つけることができた。エレナのものとは違い、ほぼ満タンにある重曹の袋。
 これだけあれば間違いなく今日の掃除の分はあるだろう。

 目的も達したことだしさっさとエレナの部屋に戻らないと――――


 プルルルル―――――

 重曹を胸に抱いて立ち上がり、もと来た道を引き返そうとした瞬間。誰も居ないはずの部屋に着信音が鳴り響いた。

 アイさんがスマホを忘れたのだろうか?
 いや、それはない。彼女のスマホは向こうのテーブルの上に置かれていた。俺と同じカバーだから見間違えようがない。

 じゃあこの音は――――そう音の発生源に意識を向けたところで、どこから鳴っているのかを理解した。

「アイさんの……部屋」

 音の発生源は開かずの扉と言われた彼女の個人部屋だった。
 更に驚くべきは扉が開いていること。これが閉まっていれば諦めていただろう。しかし扉はほんの少しだけ開いていて、見るからに鍵なんて掛かっていない事が証明されていた。

 どうする。すぐ戻って知らせるべきか。
 気にならないと言われれば嘘になる。エレナも気になっている扉の先、それが今開いているのだ。


 そう考えている間にも鳴り続ける着信音。
 ありふれた、無機質なコール音が今はまるで誘うようなハーメルンの笛のような感覚に襲われる。

「一瞬だけ。 すぐ取って戻ってくる。そうしよう」

 まるで言い訳するような独り言を並べる。
 いけないことだとわかりつつも、まるで光に集まる虫のようにフラフラと近づいていき、ゆっくりと扉を開ける。

「ここがアイさんの……」

 開かずの扉の先は、カーテンが閉じられた真っ暗な部屋だった。
 薄暗い光が僅かながらに部屋の輪郭を浮き上がらせるもその殆どは暗闇に包まれている。
 確かに着信音はこの部屋から聞こえる。もっと奥……よく目を凝らすと微かに端末の光が見えた。

「…………」

 動かす足は重い。誰も居ないはずなのに視線を感じる。
 勝手に入ってしまった罪悪感からか、どうにも居心地の悪い空気を感じながら真っ直ぐ光の方へ進むと、ベッドらしきものの上にぽつんと携帯電話が置かれてあった。
 二つ折りのシンプルな携帯。小さな窓からは着信を知らせる光が灯っており、持ち上げると同時に音がプツンと途切れてしまう。

「切れちゃった……」

 タイミングよく切れてしまった。しかし何コールも鳴りっぱなしだから相手も随分待っていたのだろう。
 持ち上げたのは何の変哲もないただの携帯。一瞬開いて中を確認したい衝動に駆られたがこれ以上はダメだとギュッと握りしめる。

「アイさんに持ってかないと」

 これ以上はだめだ。持っていってアイさんに謝ろう。
 俺は携帯を手に出口へと進もうと足を動かそうとして……失敗した。

 戻ろうとした足が動かない。
 何か外部的な妨害が遭ったわけではない。踵を返そうと足を動かした瞬間、ふと見上げた壁に貼られたものが目に入り、俺の思考は止まってしまった。


「これは………俺?」


 ――――壁に貼られていたもの。それは、俺だった。

 俺が、幾つもの俺がそこにはあった。
 さっきまで目が闇に慣れていなかったこともあり気づかなかった。
 眼前に広がる光景。まるで壁を覆い尽くさんとする、引き伸ばされた俺の写真がそこにはあった。
 1……2……いやそれどころではない。10,20と続く大量の写真が、大小様々な大きさに伸ばされ壁中に貼られていた。

「なんだこれ……それに、エレナも……?」

 一面に貼られた俺の写真。しかしよく見ればそれは半分だけで、部屋中央を区切るようにして半数はエレナで占められている。

 更に、見る限り全ての写真には共通点があることに気づいた。
 それはどれもカメラ目線ではないというもの。
 そういう撮り方なのかもしれないが少なくともこの部屋の半分は違う。だって全ての写真において俺はカメラを向けられた自覚がない。
 よく見ると貼られた写真の全てがこの夏以降に撮られたものだ。中にはプールで泳いでいた時の、水着姿の写真だってある。

「――――見ちゃいましたね?」
「!? だれ――――」

 写真に気を取られていたせいでいつの間にか近づかれていることに気がつくことができなかった。
 すぐ後ろから聞こえる声に思わず振り返るもそれも叶わず、ドン!と力任せに押された俺はベッドへと倒れ込んでしまう。

 そして続くように背後の人物もベッドに乗り込んできて馬乗りに。俺が混乱している隙を狙って両腕を頭の上に押さえつけられた。

「…………アイ…………さん」

 混乱する中ようやく目を開くと、馬乗りになっている人物の姿が廊下からの光に照らされて見えてくる。
 うつ伏せになりながらチラリと見えたその顔は、さっきまで見惚れもしていたアイさんその人であった――――。
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