不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第5章

116.意思の籠もった眼差し

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「なに…………これ…………」

 眼の前の光景にただただ愕然とする。
 エレナに連れられて寝室に入った第一声はそれだった。
 後ろに立つ少女二人は何も答えない。エレナにいたってはさっきまで作っていたクッキーを食べている。

「リオ?」
「あ~……。いやぁ、あらかじめ聞いていたとはいえ面白い光景だなぁ。エレナがやったの?」
「……エレナ?」
「ご本人の希望でね。二人が来る前にささっと」

 眼の前の光景。これはどういうことだと振り返っても、二人ともどこ吹く風。
 どうやらエレナとリオにとってこの光景は打ち合わせしていた内容だったみたいだが、俺には信じられないものだった。

「さ、慎也。後はキミ次第よ。煮るなり焼くなり好きにして頂戴!!」
「っ……!」

 エレナに背中を思い切り押され、つんのめりながらもなんとかベッドの前で立ち止まる。

「好きにって……どうしろと……」

 小さく呟いた言葉に答える者は誰もいない。
 困り果てた俺は視線を下に落とし、困惑する光景を直視した。


 ここは以前エレナを看病した彼女の寝室。
 真っ白な部屋に最低限の家具、大きなベッドが鎮座するシンプルな部屋だ。

 目的の人物……アイさんはそこにいた。

 眼の前……普段エレナが毎日寝ているであろうベッドには、目隠しをしたアイさんが両手両足をオモチャの手錠で拘束され仰向けに倒れているのだ――――。
 まるで先日俺が拘束されたのと同じ格好。目隠しのおまけ付き。
 こんな状況、戸惑わないほうがムリな話だ。どうすればいいかもわからずエレナに助けを求める視線を向けると、彼女は「ハァ」と息を吐いて隣に立つ。


「ほら、前に慎也も手錠されてたじゃない?ただ土下座だけじゃ気がすまないから、今度は本人が同じ目にならないとって。最初は私も止めたんだけど、慎也だしいいかなって思ったのよ」
「そのまま止めきってほしかったかな……」
「仕方ないじゃない。ウチのなかで一番頑固なのはアイなのよ」

 経緯はわかった。しかしその思考回路だけはわけがわからなかった。
 一応理由については飲み込むとする。でも、好きにするってことはどうすればいいのだろうか。さっきの扉前の一件もあって、俺の思考回路も色々とマズイ気もするのだけれど……

「とりあえず適当に触れてみたら? あ、でもエッチなことは無しね。姉の前でそういうのは看過できないわ」

 想像に耽っていたらえらく行動が制限されてしまった。
 じゃあ……とりあえず少し触れるだけ。

 そう思ってゆっくりと目隠しをしているアイさんの頬へ触れ、そのまま髪をかき分けて耳を触れると彼女の肩がビクンと大きく跳ねる。

「んっ……! あっ…………そこは…………!」

 俺の手が耳に触れ、その輪郭をなぞるだけで何度も跳ねる身体と妖艶な声を出す少女。
 中指が輪郭を一周し、そのまま内側のへこみに入り込むと拘束されている手と脚がいきなり縮みこみ何かに耐えるように声にならない声を上げる。

「~~~~!! そこっ! きもちいっ……!」

 ……ちょっと耳を触っているだけなのに随分と恥ずかしくなってきた。
 ちらりと扉の方へ視線を向けるも二人は壁を背にしてこちらの様子を伺っているだけで何かを言う様子もない。

 どうやらここまでならセーフ。そう言っているようだ。
 しかしネタは尽きた。これ以上となると……もう…………

「…………ごめん、限界! アイさん、こういうのはいいからちゃんと起きて!!」

 彼女らはセーフ判定でも俺がもう限界だ。これ以上となると理性が持たない。
 手早く耳から手を引っこ抜いた俺は拘束されている手首へと伸ばし、以前エレナに解いてもらったように手錠のボタンを押して両手を開放させる。

「あら、予想通りの結末ね。リオはどう?」
「私は一度もアイに触れずに外すと思ってた……外してほしかった」
「でも十分及第点でしょ? さすが慎也。そのまま襲っちゃわないかとヒヤヒヤしたけど信頼してたわよ」

 後ろから実況するような話し声が。

 信頼してくれることは嬉しいが精神に悪すぎる。
 高鳴る鼓動を抑えつつ次は足首に取り付けられた拘束を解くと、彼女はゆっくりとベッドの端に座って目隠しに使われていたアイマスクを取る。

「慎也さん……その……ごめんなさい。お腹でも顔でも叩かれると思ってましたのに……」

 ゆっくりと目を開いた彼女は視線を下げつつ小さく謝罪の言葉を呟く。
 目の当たりにした当初は何かネタ目的かとも思いはしたが、どうやら本当に謝罪の気持ちだったようだ。

「叩くなんて……そんなことはしないよ」
「でも!それくらいのことを私はしたんです!私、慎也さんに酷いことを……!」

 彼女を責める気持ちが一切無いからだろうか。正直、そんな考えなど欠片すら思いつかなかった。
 それはそれでイヤラシイ方向へと思考が偏っていたことは認める。
 コレも全部、みんなの攻勢のお陰で思考回路が定まったのだと責任転嫁する。特にリオ。

「酷いなんて全然。あの時は驚いただけだから」
「そんなことないです! だって、慎也さんの気持ちも聞かずに無理矢理駆け落ちなんて! 慎也さんも拒否しましたし…………」
「たしかに遠慮したけど、アイさんみたいに可愛くって優しい人に好かれて嬉しかったよ。あの拒否は……ほら、エレナたちと不和が生まれそうだったから」
「慎也クーン。私はー?私も可愛いくて優しいよねー?」

 後ろからリオが何か言っているが聞こえないフリ。
 アイさんに寄り添うように俺もベッドの端に腰を下ろすと、すがりつくように彼女の手が俺の右手を握ってくる。

「優しくなんかないです! 私は……ボクは隠し撮りばっかりして!既成事実なんか作ろうとして!いつもいつも自分のことばっかりで!!」

 見上げるように俺の瞳を捉えた彼女からは涙が溢れていた。


 ――――あれから数日。きっとアイさんはあれからずっと後悔をしてきたのだろう。だから一刻も早くなんとかするためにリオも即日を指定したのだ。
 追い出されたとはいえアイさんが後悔に苛まれていたというのに、のうのうと遊んでいた自分を思い出して固く拳を握りしめる。
 彼女の茶色の瞳からはとめどなく涙が流れており、いつぞやのデートの日に着た真っ白なワンピースを濡らしてもお構いなしだ。

「アイさんは凄く優しいよ」
「……ボクは自分勝手です。さっきも慎也さんに叩かれたほうが気が楽になると思った自己満足ですし、そうやって……叩かれてでも慎也さんを繋ぎ止められたら……なんて嫌な思いもありましたし……」

 段々と力が失われていくように頭が下がっていき、語気も弱くなっていくアイさん。

 以前、彼女は過去に父親と問題があったと言っていた。両親の不和を近くで見ていた彼女は無意識下で叩かれることが問題解決の一つと思っているのかもしれない。
 そんな考えはあってはならないと、俺は空いた手を使ってもう一度髪に隠れた耳へと触れていく。

「っ――――!」

 叩かれると思ったのだろうか。その耳に触れた瞬間肩は大きく震え目はキュッと強く瞑られる。
 もしかしたら、さっき横になった時に触れた時も同じように叩かれると思ったのだろう。触れたまま何もしないでいると彼女の瞑られた瞳がゆっくりと開いていく。

「あ……れ……?」
「叩くなんてことは絶対にしないよ。ほら、こんなに可愛い顔を傷つけるなんて絶対にさせないから」
「なら……それならなんてお詫びすればいいか……」
「お詫びなんて、俺は嫌だなんて思ってなかったから。むしろアイさんは大丈夫?ほら、俺とキスなんかしちゃって……」

 神鳥さんから平気と聞いていても、たとえ本人からだとしてもアイドルとキスって大丈夫なのだろうか。
 あの時は勢いだとしても、今となっては俺とキスしたことを後悔しているとか。

「ううっ……グスッ……うっ…………」
「え!? あ、アイさん!?」

 少し嫌な想像が頭をよぎって思考を振り払うと、彼女は本格的に涙を流しだして手を覆ってしまった。
 まさか本当にキスしたことを後悔したのか……あってほしくなかった現実に背筋に冷たいものが走る。

「あ~あ、慎也がアイを泣かした~」
「泣っかした~」
「二人とも…………」

 離れた位置から聞こえるのはからかうような二人の声。
 間違ってはいないが、それは色々と語篇がある。

 しかし本当に後悔で泣いたのかわからない。
 どうすればいいか分からず慌てふためいていると、彼女の伏せた頭が横に振っていることに気がついた。

「グスッ……ごめんなさい……。慎也さんが優しくて……嬉しくって…………」

 涙ながらに告げられる真意を聞いてホッと肩の荷が降りた。
 どうやら悲しくて泣いているのではないようだ。
 安堵した俺は耳に添えていた手を引こうとすると、彼女の手によって阻まれる。

「すみません。まだ手、当てていてもらえますか? 安心するので……」
「もちろん。気が済むまで」
「でも、本当に許してくれるんですか?慎也さんに酷いことしたのに……」
「許すも何も、問題にも思ってないよ。むしろ俺こそ謝らなきゃならないのに」

 そう、あの時はアイさんに押し倒されそうになったが、そもそもその原因となったのは俺が原因だ。
 けれど彼女は何のことか見当もついていないようで頭に疑問符が浮かんでいる。

「ほら、そもそも俺が勝手に部屋に入ったのが原因だし」
「それは……!私が誘い出したからで……!」
「それでもだよ。勝手に許可してもない、入るなって言われてた部屋に入るなんて俺が謝らなきゃ。ごめんなさいアイさん」

 あの部屋は開かずの間と言われるほど秘匿してきたはずなのだ。
 いくら鍵が空いていたとはいえ、結果的に誘われたとはいえ許可も貰わず入るなんて以ての外だろう。
 俺が頭を下げると彼女は慌てたように視線をあちこちへと移動させ始める。

「だから……!私が悪いですのに……!」
「いや、俺が――――」
「私が――――」
「――――はい、しゅ~りょ~!」

 お互い謝り合戦になりかけていたところをすんでのところでエレナの止めが入った。
 彼女は「はいはい」とまるで喧嘩を仲裁する母のようにヤレヤレといった様子で俺たち二人の頭に手をやる。

「それ以上は話が進まなくなりそうだったから止めさせて貰ったわ。お互い悪くない、それでいいでしょ?」
「俺はそれでも……」
「私は…………。慎也さん、すみません」
「こらっ!アイ!どっちも悪くないんだから謝らないの!!」

 エレナに叱られたアイさんは優しく頭を小突かれしまう。
 最初はエレナが後ろで見守っているのは賑やかしかなにかかとと思っていた。しかしその実イザという時の仲裁のためにいてくれたのかと今更ながらに気づく。
 優しく微笑むエレナを見つめていると、次第に引っ張られる感触とともに俺の頭はエレナの胸元に収まっていく。

「……さすが私の弟ね。許すなんて懐が深いわ」
「許すもなにも、怒ってすらなかったよ」
「それでもよ。あの写真を見て忌避しなかったのも、アイとちゃんと向き合ってくれたのも、ありがとね」

 そっと抱きしめたまま俺の頭を撫で続けるエレナ。
 彼女は俺に優しげな瞳を向けつつ今度はアイさんに目を向ける。

「アイ、慎也にまだ言うことがあるんじゃないの?」
「うん……。慎也さん、これだけのことをやらかして決して受け入れてもらえないでしょうけど、聞いてもらえますか?」
「なに、かな?」

 エレナから開放された俺は正座したアイさんと向かい合う。
 その瞳は涙の痕が残り、充血して少し赤みが残っているが意思の籠もった眼差しだ。

「私も……その……慎也さんの事が好きです。こんなこと言う資格があるかわかりませんが、それでも、貴方の側に居続けたいです」

 手は指先が赤くなるほどギュッと力強く握られており、背筋は伸びて力強い言葉。
 それは心からの、アイさんの心の奥底から出た力強い言葉だった――――。
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