不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

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第6章

132.レッスン

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「慎也さん!お疲れさまです!!」

 レッスン休憩中。
 小北さんを含めた三人が談笑している姿を離れた位置から見守っていると、ふとかけられる声に顔を上げる。
 アイさんだ。一人お手洗いから戻ってきた彼女は厳しいレッスン後にもかかわらずいつもと変わらない満面の笑みで俺を迎え入れてくれる。

「アイさんもお疲れ様。レッスン大変だったでしょ?」
「ありがとうございます。ちょっとだけ大変ですが、慎也さんが見守ってくれてるだけでどんなことでも頑張れますよ!」

 差し出したペットボトル片手にぐっと胸元で握りこぶしを作ってくれる。

 そう言ってくれて俺も嬉しい。
 けれど彼女は平気な顔をしているもののその額からは汗が流れ出ている。きっと特技?である汗を止めるのも疲れてできないのだろう。アイドルって表向きは華やかなものだがその実、裏ではこんな努力をしているのだと今更ながらに実感する。

「慎也さんも大丈夫です?疲れてません?荷物運び大変だったでしょう?肩揉みましょうか?」
「えっ……あっ……ちょっ……!」

 そんな関心をしているとアイさんが思いついたかのように言葉を連ねてきた。

 エレナもリオも談笑しているとはいえ椅子に座って体力回復に努めているにも関わらず、彼女は何を思ったのか俺の後ろに回って肩に手を添えてきた。
 体力回復どころか他人への献身だなんて。その思わぬ行動に断ることもできずにいると、その小さくて柔らかな手にゆっくりと力がこもっていき、肩に暖かな感触と心地よい圧迫感が襲ってくるのをただ黙って受け入れてしまう。

「あぁ……気持ちいい……」
「んしょ……。んしょ……。だいぶ凝ってるんですね。あんまりほぐしてもらってないのですか?」
「まぁ、そうだね。紗也が向こう行ってからは全然で」

 思わぬ心地よさに目を細める。
 前までは偶に紗也がお風呂上がりのマッサージをたまにやってくれていたが、向こうに行ってしまってからは随分とご無沙汰だった。
 知らぬ間に随分と肩が凝ってしまっていたのだろう。俺は優しくもしっかりとほぐしてくれるその手にただ身を預けていく。

「ふふっ。偶にエレナやリオにもやってるのでちょっとだけマッサージには自信があるんですよ?」
「アイさんは何でも、できるんだね」
「ヘタの横好きですよ。はい、次は腕いきますので上げてくださいね~」
「ふぁい……」

 指示通り左腕を上げると、腕を揉んだり時に肩を回したりして徐々に可動域を広げていく。
 アイさんってこんなことも得意だったのか。随分とありがたく気持ちがいい。もはや寝てしまいそうだ。

「アレ、どっちが休憩してるのかわからないわね」
「確かに……でもアイのマッサージは気持ちいいからねぇ」
「アイさん……前坂君のそんなとこ……恥ずかしい……」

 コクリコクリと、今にも寝そうになっていたところを遠くから聞こえてくる三者の声でハッと目が覚める。
 思わず目を見開いて向けばまるで井戸端会議をするように遠巻きにヒソヒソとしているエレナたち。
 そういえばここは公共の場。人目もあるのだしあまりこういうことは控えるべきだと今更ながら自覚する。

「ア……アイさん、もうそろそろ終わってくれてもいいから」
「…………」
「アイさ――――っ……!」

 肩をもみ続けるマッサージ。
 その心地よさを若干もったいないなと感じつつ止めようとしたが、その名を呼んでも返事すら返ってこない。
 どうしたのかともう一度。彼女の名を呼ぼうとした瞬間、えもいえぬ感覚が俺の身体を駆け巡った。

 気持ちいいような、こそばゆいような、不思議な感覚。
 これは、そう。くすぐられたときのような感覚に近い。気づけば肩を揉んでいたアイさんの手は滑り込むように脇へと伸びていた。

「ちょっ……!?アイさん!?どこに手を!?」
「はぁ……はぁ……慎也さんの身体……たくましい……」

 さっきまで肩を揉んでくれていたアイさん。しかし気づけばその手は肩になく、脇を通って胸元まで到達していた。
 まるで感触を確かめるように胸元に手を這わせる感触。息も荒くなっていて目が虚ろだ。

「どうしてこうも体つきが違うのでしょう……首元には汗ばんだいい匂いがすぐそこまで……」
「っ……!もう終わり!マッサージ終了!!」

 後ろから抱きつくような形で抱きついていた彼女の顔が首元で大きく深呼吸してきたのを見て、思わず力付くで飛び退いて距離を取る。
 のしかかられたら力負けするとしても、抱きつかれるだけならまだ抜け出せる。なんとか向かい合わせで見た彼女は、オモチャを取り上げられた子どものようにさみしげな顔をしていた。

「ぁっ……もっと……」
「もっとじゃないよ!アイさんのほうが疲れてるんだから休みなよ!俺は全然疲れてないんだからさ!」
「でも……私は慎也さんのお世話をしてるほうが嬉しいんですが……」
「それでも!ほら座って!!」

 名残惜しむように伸ばしてくる手を無理矢理収め、肩を掴んで座らせる。
 危うい所までいったせいで後方から突き刺される視線が非常にまずい。

 大人しく座ってくれたことにホッと一安心したと思いきや、今度は彼女が後ろを向いて長い後ろ髪を書き上げる。

「むぅ……。じゃあ、慎也さんが私にマッサージしてください!」
「俺が!?」
「当然です!外で働く奥さんをマッサージするのは旦那様の責務ですから! はい!どうぞ!」

 ただ休憩させるはずだったがまさかの提案。

 後ろ髪を全て前に移動させた彼女はそのまま背中を俺に預けてくれる。
 彼女も随分と汗をかいている。首筋に見える微かな水滴とそのうなじ。普段髪に隠れて全く見えない部分が露わになっている事実に、まるで秘されていたものが露出されているような感覚に襲われて随分と扇情的に見えてくる。

「でも……俺は人にマッサージをやったことが無いから……」
「ゆっくりと触れてほぐしてくれるだけでいいんですよ。どれだけ強くても……さっきの私のように、どこに触れても構いませんので」

 どこに触れても構わない――――
 その言葉につい、彼女の持つ双丘に目がいってしまう。
 現在の彼女はシャツ一枚。汗で透けることはないが薄着故にどうしても気になってしまった。もしかしたらあの夏の日からサイズも大きくなったのかも。
 ここに居る者の中で最も大きいのは言うまでもない。

 本当に、どこでも…………?
 運動後で彼女たちからフェロモンが出ているのだろうか。短絡的な思考に理性も薄くなり、無意識の内に俺の両の手が彼女の身体に伸びていく――――

「なぁにやってるのよ」
「あだっ」
「きゃっ!」

 普段よりも煽情的に見えるアイさん。彼女の誘いに促されるまま触れそうになった瞬間、額に何らかの衝撃が走り、思わず間抜けが声が出てしまった。
 見ればアイさんも同様に喰らったようだ。正面にはエレナが仁王立ちになっていた。

 どうやら俺の目を覚ましてくれたのは彼女の持つ二本のペットボトルのようだ。
 額に残る空ボトルの感覚を思い出しながら「助かった」と一つ息を吐く。

「あまりにも非現実過ぎて私たちも目を奪われちゃったじゃない。外なのに何してるのよ」
「ごめん、エレナ。 助かったよ」
「むぅ……もうちょっとだったのに…………きゃっ」

 小さく文句を言うアイさんに再度ペットボトルを当てるエレナ。
 中身がない時点で決して痛くは無いだろう。アイさんは額を手で抑えながらエレナを見上げる。

「ここは外なんだから自重しなさい。家じゃいくらでもやっていいから」
「慎也さん! 今日ウチに泊まりに来ませんか!?」
「いや、明日も学校あるし……」
「そんなぁ…………」

 わかりやすく項垂れるアイさん。
 魅力的な提案ではあるが、それは罠のような気がする。一回入ったら抜け出せないタイプの。

「前坂君!前坂君!」
「ん?」

 リオのところへ戻っていくエレナを見送っていると、ふとかけられる声が。
 小北さんだ。彼女はいつの間にか隣に近づいていて俺の袖を引っ張っている。

「もしかしていつもアイさんってこんな感じなの?」
「秋口からはいつもこんな感じかな。ここまで積極的なのは最近特にだけど」
「はえ~」

 仕事中の姿と最もギャップがあるアイさん。
 さすがに彼女も面食らったのか感嘆の声を上げている。

(やっぱり一番危険なのはアイさんか…………)
「……?なにか言った?」
「ん~ん、なんにも! それより前坂君」
「うん?」

 何やらボソボソと呟いているもののその内容までは聞こえてこない。
 聞き取るために一歩近づくと、小北さんはいきなり俺の手を取って瞳をこちらに向けてきた。

「これからは私が前坂君を守るからね!だから安心して!」
「? はぁ……よろしく、おねがいします?」
「うんっ!」

 謎の宣言。
 守るとは一体何からだろうと思いつつ、勢いにおされてついお願いしてしまった。
 しかし「えへへ」とはにかむ小北さんは上機嫌だ。それ以上言う必要もないと結論づける。

「―――さっ、そろそろ休憩も終わりね。みんな後半も行くわよ」

 気づけばもう休憩は終わりの時間のようだ。
 チラリと時計を確認して声を上げたエレナに続くように、2人は出てきたレッスン室に戻っていく。

「慎也さん!後半も頑張ってきますね!!」
「うん。アイさんも頑張ってね!」
「はいっ!」

 去り際に小さな握りこぶしを見せる彼女を最後にまたも二人きりになる空間。
 隣に立つ小北さんとともに見送っていると、ふと彼女が小さく呟く。

「……守るって行ったけどさ、前坂君にもある程度非があると思うの」
「何の話?」
「……知らない!」

 俺に非とは何のことだろう。
 ぷいっと顔を背ける彼女を、ただただ疑問符の浮いた顔で見続けるのであった。
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