地獄の門番は笑う

Primrose

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新天地

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「記憶喪失?」
 無駄なデザインを省いた簡素な部屋に、震えた声が響いた。
 私こと神楽彩芽は、病棟で後輩の巫女酒夜空の病状について告げられていた。
「ええ、肉体の傷に関しては護符で修復しましたが、記憶だけはどうにもなりませんでした。少なくとも10年、もしかしたら全ての記憶を失っているかもしれません」
 白衣を着た男―――天音昭介は、カルテを眺めながら重い口を開いた。
 私はその言葉に、思考の全てを自己嫌悪に独占されていた。
 私のせいだ。私のせいで、彼女に一生残る傷を与えてしまった。
「言い方は変かもしれませんが、その程度で済んだだけでも奇跡なんです。半身麻痺や植物状態になっていた可能性の方が高かったので」
 私の様子を見て、天音さんは言葉を付け足した。
 それでも、彼女に対する罪悪感はぬぐい切れなかった。
「それで、他に症状は?」
「恐らく記憶喪失以外には無いと思います。経験や技術も、ある程度の影響はあるかもしれませんが問題ないです」
 そうか、それなら良かった。
 ……いや、本当に良かったのだろうか? 経験も失われていれば、それを理由に彼女を現世へいわなせかいへ戻せたのではないのだろうか。
「彼女が何もかも忘れていたら、どうなっていたと思いますか?」
 私が何を思って問いを投げたのか、天音さんは薄々感じている様だった。その上で、彼なりの答えをくれた。
「まあ、ここを追い出されて、家に帰るでしょうね」
 やはりそうなのか。つまりそれは裏を返すと、まだ彼女には活動の余地があるという事。
 また彼女は、あの地獄に連れていかれるのだろうか。また、怪我を負うのだろうか。
「神楽さん、一応言っておきます」
 天音さんは神妙な面持ちで、私と向き合って言った。
「もっと重傷だったら、彼女はここを離れられた、なんて考えないでください」
 その言葉、私は眼を丸くした。
 この人は何を言っているんだ? という気持ちもあったが、何故かと聞く気になれなかった。
「獄卒が常に命がけである事も、貴女はは知っている筈です。そして、それは巫女酒さんも同じです。それに彼女をここから遠ざけるのは、彼女の覚悟を踏みにじるのと同義です」
「……」
 返す言葉も無い。
 私は彼女を救う気でいたが、実は彼女の事を踏みにじっていたのかもしれない。 
 私は、本当に彼女の事を何も知らない。本当に、立場をわきまえずになまけていた。
「私は、彼女に何をすればいいんでしょう?」
 今度こそ彼女の力になると心に誓い、天音さんに尋ねる。
「こういう事は、自分で見つけるのが一番です」
 だが天音さんは答えを出さなかった。だがどことなく、彼らしい結論に思えた。
「面会許可は出します。早く行ってあげてください」
 彼はそう言って、私を夜空ちゃんの元へ送った。

 という訳で、私は今夜空ちゃんと言葉を交わし合っている。
 彼女は記憶を失ったからか、以前よりも幼い印象を受けた。子供らしいというか、14歳くらいの女の子というか。
 それでも彼女は、記憶喪失の事を気にしている素振りは無かった。
「へえ、彩芽さんって一人暮らしだったんですね」
「うん、少し寂しいけど、自由でいいもんだよ」
 彼女は私に何気ない問いを何度か投げて、コミュニケーションを取ろうとしてくれる。
「夜空‼」
 真昼さんも連絡を受けた様で、かなり焦った様子で走って来た。
「?」
 だが全ての記憶を失っている夜空ちゃんは、真昼さんを姉であると認識できていない。
「彼女は巫女酒真昼さん。貴女のお姉さんだよ」
「お姉ちゃん?」
 彼女は首を傾げながら、それでも真昼さんを姉と呼んでくれた。
 その一言に感極まったのか、真昼さんはその場で泣き崩れた。
「あの、大丈夫ですか?」
「今はそうしてあげて。彼女も辛かっただろうから」
 私は真昼さんを介抱しながら、心配そうに尋ねる夜空ちゃんに微笑んだ。

             ・   ・   ・

 夜空が目覚めたと聞いた時は、口から心臓が飛び出るかと思った。
 それで病棟に駆けつければ、聞かされたのは記憶喪失の四文字。
 それでも夜空が目を覚ましたというのは、心の底から安心出来る知らせだった。
 私の事は覚えていない様だったけど、それでも変わらず元気な姿を見られたからか、その場で泣きわめいてしまった。
 同じ場にいた神楽さんが介抱してくれたが、ある意味で苦痛だった。妹と先輩の前で泣きわめいた上に背中をさすられたのだ。体温が何度か上がった事だろう。
「そう言えば、夜空はこれからどうするんです?」
「どうするって、この仕事を続けるかって事?」
 一しきり泣いた後、私は二人に向けて聞いた。
 神楽さんは首を傾げて悩んでいたが、当の夜空は迷わなかった。
「続けます。多分記憶が残っていても、同じ結論を出すと思います」
「そう……分かった」
 正直、姉としてはここを退いて欲しかったが、彼女がそれを望まないなら私は止めない。
「ねえ、提案なんだけど」
 彼女の要望を聞き終えると、今度は神楽さんが話し始めた。
「提案って何ですか?」
「いや、二人が嫌ならいいんだけどさ……」
 神楽さんはそう前置きをしながら、気まずそうに本題を語り始めた。
「三人で同居とか、どうかなあって」
「「同居!?」」
 私と夜空は思わず大声を上げて驚いてしまう。
 まさか神楽さんからそんな言葉が出てくるなんて想像もしていなかった。
「そ、そう。同居すれば、勉強とか意見交換とかしやすいし、仲良くなれるし、と、思いまして……」
 神楽さんは居心地が悪そうにしながら話した。心なしか頬が赤くなっている気がする。
「いや、でも……」
「いいですね。それ」
 私が考えていると、またも夜空が迷わず言った。
「いいの?」
「ええ。私は記憶が無いですし、二人ともっと話したいので!!」
 夜空はそう言って、満面の笑みを見せた。
 その表情に私と神楽さんは頬を赤らめて黙り込んだ。
 いや、そんな姿見せられたら反論の余地が無くなってしまう。というか、反論する気も失せてしまう。
「私もいいですか?」
「うん、いいよ」
 私が遠慮がちに尋ねると、神楽さんも笑みを浮かべて応じてくれた。
「じゃあ、これから三姉妹だね‼」
「いや、それはちょっと恥ずかしい……」
「同じく……」
 私達は今まで以上に頬を紅潮させ、顔を逸らして口を閉じた。
 ともかく、これから三人で暮らすという事になったのは変わりない。
 三人で仲良くしよう、私はそう心に決めた。
 ……フラグじゃないよ?
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