地獄の門番は笑う

Primrose

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第二の出発点

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 真昼さんと出会って一週間。私こと神楽彩芽の怪我が完治した。
 回復の護符は肌触りはともかく、怪我の治りを数倍まで早める事が出来る。体が資本の獄卒にとって必需品の一つだ。
 一週間も寝たきりだった為か、体が少々なまっている。入院食は美味しいのだけど、なぜが肉料理や魚料理が基本で、消化にいい食べ物はほとんど出ない。
 この事を上司の鬼頭瑠美子さんに打診しても、『こういうのを食べて筋肉つけなきゃダメよお』の一点張り。この人達は医療について学んだんだろうか? 瑠美子さんはともかく、病棟の人間にこの食事について聞いても、『筋肉が付きそうで良いですね‼』と満面の笑みで返された。冥府の人間は全員筋肉ウイルスに感染しているのだろうか。
 何はともあれ、入院していた間の衰えを取り戻さねば。
 という訳で、私は今トレーニングルームにいる。一般の物ではなく、冥府所有の施設だ。
 冥府は無駄に施設が整っていて、負傷した獄卒が入院する病棟、護符に使う術式や歴史が記録されている図書室に、武器を手入れするメンテナンスルームまで、ここで暮らす獄卒もいる位だ。
 当然全ての施設は獄卒仕様になっており、トレーニングルームは一般の物よりもハードだ。サンドバッグには砂鉄が入っており、ランニングマシンは時速30㎞くらいまで出る。過剰に思われるかもしれないが、これ位の設備で鍛えないと逃亡者に太刀打ち出来ない。
 そもそも逃亡者とは、閻魔大王が裁きを受けさせると判決を下した魂が、死者の国である冥界で罰を受けながら暮らす。それに耐えかね、日本中に何百とある冥界と人間界の出入り口から逃げ出した亡者だ。
 大抵の出入口には寺社仏閣が置かれ清められているが、最近は仏教の衰退もあって、新たな出入口が開いても対応しきれない事がある。そこから彼らは逃げ出し、ある者は愛する人に会いに、またある者は未練を晴らそうと暴走する。人間界よりもずっと過酷な環境にいた彼らは、基本的に人間よりも強い肉体を持っている。だから我々も過酷な環境で鍛え、彼らに対抗する。
 それでも敵わないから、特別な術式を宿した護符や、彼らに極めて有効な封具ふうぐと呼ばれる武器を使う。中には自分で封具を創る獄卒だっている。私も自分で護符を作って闘うし、その事からも、これらがいかに重要か分かるだろう。
 私は軽く包帯を巻いて、サンドバッグの前に立つ。当然人間界の物よりも重く、下手をすれば指の骨が折れるかもしれない。
 けれど私は躊躇いも無く、袋に向けて一撃を叩きこむ。
 タン、タン、と短い音が連続し、わずかに揺れ始める。私が一撃を入れる度に揺れは大きくなり、どんどんと強い力で反撃を繰り出す。
 私が強い力で殴ると、その分強い力で返ってくる。圧縮された砂鉄も固まりは、力の鏡として私に殴り掛かってくる。それに対抗する為に強い力を叩きこみ、そしてその力はサンドバッグが利用する。
「いだ‼」
 やがて耐えきれなくなり、正面から打撃を受けて倒れてしまう。
 何度もやっているが、このサンドバッグが当たるととても痛い。砂鉄とは言え、金属の塊が高速で飛んでくるのは痛い。
「そう言えば、夜空ちゃんの剣技、カッコよかったなあ」
 私は今もなお眠り続ける後輩、巫女酒夜空の事を考えていた。
 夜空ちゃんは新人でありながら、その鮮やかかつ独特な剣技で敵を薙ぎ払って行った。けれど私のミスで瀕死の重傷を負い、今も生死の境を彷徨っている。
 あの時、私が近くで戦えていてば、なんとか助けられたのではないか。そう思わない日は無かった。
 けれど、ずっとしょげている訳にもいかない。彼女が目覚めた時に、もっと強く、頼れる先輩になっていたい。その一心が、私を何度も立ち上がらせた。どれだけ辛いトレーニングにも耐えられた。
 でもこの鍛錬を続けても、あの子と並べるのだろうか。あの達人の域に達しているだろう技、一切の隙の無い動きは、ただの鍛錬では登り切れない高さのものだった。
「こうしちゃいられない」
 私は備品の刀を借りて、あの動きを再現する。
 大太刀は流石に無理だが、普通の刀ならば私でも振るえる。記憶にあるあの独特の動きを思い出し、なぞる様に舞う。
 真似をして分かったが、彼女の型は通常の剣技とは全くと言っていいほど違う。
 通常の剣技は、腰に構える居合や正面に構えて振り下ろす等々、金属の質量を活かした物が一般的だ。
 でも彼女は、太刀を下から上へ振り上げたり、途中で太刀筋を曲げたりと、とにかく異質だった。まるで巫女の舞を踊っている様な、不思議な感覚を覚えていた。
 そしてとても疲れる‼ 夜空ちゃんはこんな事を何時間も続けていたが、辛い顔一つ見せなかった。彼女に本当に体力面は優れているらしい。
「だああ‼」
 私はものの数分で音を上げてしまい、その場に寝転んた。
 刀でこれだけの疲労なのだから、それよりも更に大きく重い大太刀で闘っていた苦労は測り知れない。
 そもそも刀を握ったのだって今日が初めてだったのに、いきなり我流の型で振ったのが間違いだった。
 いっその事、自分用の刀を創ろうかな。
「試してみるか」

                   ・   ・   ・

 獄卒に入れろとは言ったものの、一体何をしたらいいのだろうか。
 私、巫女酒真昼は現在暇だ。やる事が分からないので、妹の夜空の病室を訪れていた。
 機械的なチューブを全身に取り付けられ、その上から幾何学的な紙が巻き付けられている。治療を担当していた人の話では、「順当に行けば明後日には目を覚ます」との事。
 それまでに、なんとか実力を付けたい。
 という訳で、教育係の神楽さんの元に行こうとしたら、
「あの子なら丁度留守ねえ」
 と言われた。
 なので冥府の図書館で本を読み漁っていたら、神楽さんの名が付いた本がいくつか出て来た。
 というより、最近置かれた本にはほとんど彼女の事が書かれている。
『100年に一度の天才‼』
『若き獄卒がまたも大発明‼』
『冥府長官も絶賛‼ 若き次期長官候補‼』
 大げさともとれる見出しの記事や、彼女の作った護符の事まで、事細かに書かれていた。
 そんな彼女が太刀打ち出来なかった敵は、一体なんなのだろう。
 犬に取りついた怨霊という話は聞いたが、ただの怨霊にそこまでの実力があるのだろうか。
 疑問はあるが、それを調べる術が無い以上知る事は出来ない。
 ならば、今すべきは強くなる事。今度はあの子と一緒に戦えるように、姉として頼ってもらえる様に。
 とは言うものの、一体何をすればいいのだろう。獄卒に入るという事以外は何も変わっていない。支給服も貰ってないし、封具に触れた事も無い。
 ここは武器を見に行こう。鬼頭さんに頼めば見せてくれると思う。
 瑠美子さんは快く受け入れ、メンテナンスルームに案内してくれた。
 ここには闘いで破損した封具の修理や新しい封具の開発を行う場所らしい。
「さあ、どれか選んでねえ」
 鬼頭さんに言われるがままに、デスクに並んだ封具を見る。
 デスクには太刀や銃、弓に槍と様々な物が置かれていた。武器にも明るくない私にはどれがいいのか分からない。
 一通り見ては手に取り、何か違うなと首を傾げる。それを何度か繰り返していると、ある物に目が留まった。
 私がそっと持ち上げたのは、所謂破魔の弓だった。神社に置かれている様な破魔矢と同じ、悪しき者を破壊する力がある。
 だが遠距離と言えば銃が主流の現在、弾道の計算や飛距離に難がある弓は衰退していっている。
 私もそう思っていたが、実際に触ってみるとそうでもない。弓は軽く扱いやすいし、矢も感覚を掴めば難なく当てる事が出来た。
「これにします」
「珍しいねわねえ、今の時代矢を選ぶなんてえ」
 瑠美子さんは驚いていたが、それでもこの弓を私にくれた。
 自分にも封具が渡されたからか、心が躍りながら帰路に着こうとした時だった。
 ガシャン‼ と大きな音がして、近くにあった部屋の扉から煙が上がっていた。
「大丈夫ですか!?」
 私は何かあったのでは、と急いでその部屋に駆け込んだ。
 すると部屋の中は、ダイナマイトでも吹っ飛ばしたのかと思える程に散らかっており、部屋中に煙が充満していた。
 しかもヘリでも墜落したのか、壁や床に大きな傷がいくつもついている。
 そして良く眼を凝らすと、煙の中に誰かが倒れていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、真昼さんか。まあ、私は大丈夫」
「なんだかデジャブな光景ねえ。一体いくつ部屋を潰せば気が済むのかしらあ!?」
 私が心配する隣で、鬼頭さんはとてつもない邪気を放っていた。
 また? え、何? この人何回も部屋を刻んでるの?
「いやあ、新しい封具を試してたらこんな事に……」
 そう言われて周りを見ると、神楽さんの手には刀が握られていた。というより、刀の柄が握られていた。鍔から先にある筈の刀身が全くない。欠けているどころか、元から付いていない様な形の刀だった。
「それが新しい封具ですか?」
「うん、ちょっと実験がてらやってみたの」
 そう言って、神楽さんは手に持った封具を軽く回して見せる。
 本来刀身がある筈の場所には、何かの文様で埋められていた。刀身を付けられそうにもない。
「それでどう切るんです?」
「やってみせようか?」
 神楽さんはウキウキと刀を振っている。
 だが彼女は、私の背後から発せられる邪気に気が付いていない。
「ダメよお」
 遂に動き出した鬼頭さんは、神楽さんを引っ張り出して帰ってしまった。
「え、あ、ちょ……」
 何か言いたげだった神楽さんも、鬼頭さんの鬼の形相に何も言えなくなって黙ってしまった。
「真昼ちゃんは後でねえ」
「は、はい……」
 あの人には触れてはいけない。心の底からそう思う位、鬼頭さんの姿は恐ろしかった。

                     ・   ・   ・

 瑠美子さんに小一時間みっちり叱られた後、私はようやく解放された。
 いつもは過剰なまでに温厚なのに。やはりいつも優しい人は怒ると余計に怖いんだな。
 にしても、経費で落ちるんでから部屋を潰したっていいではないか。
 政府に属さない独自施設とはいえ、我々はかなりの額を稼いでいる訳で。公にはなっていないが、恨まれやすい環境にある知名人の警護も依頼される事がある。そういった依頼は良くある上に、そこそこの稼ぎになる。私も依頼された事があるが、楽で稼げる仕事だという印象がある。
 ここだけ聞けば楽な仕事と思われるかもしれないが、通常業務はその分過酷だ。仕事の日は1日中街を巡回する必要があるし、非番の日も封具の手入れや術式の勉強等々、休みらしい休みをもらった記憶がない。これが俗に言うブラック企業なんだろうか。実際に働いたことは無いが、恐らくよのブラック企業が白く見える位には辛い職業だろう。
 私は2年前に瑠美子さんにスカウトされてから獄卒として働いているが、何度病棟に突っ込まれた事か。もはや同僚よりも病棟の人間の方が仲が良くなっている気がする。
 正直早く業務改善をしてくれと何度も思っているが、あの上司に言ってもロクな結果にならないのは分かっている訳で。
 なので私は、なんだかんだ理由を付けて休憩している。
 図書館は空調も効いていて、しかも周りの雑音も無く静かなので、休憩には持って来いな場所だ。
「ああ、疲れた」
 私は机にうつ伏せになり、思考を放棄して体温を調整している。
 執務室は空気が重々しい上に空調がしっかり整備されていない。つまりは灼熱地獄という訳だ。
 まあ冥界自体が平均気温50℃という事も関係があるのかもしれないが、それでも熱すぎる。獄卒の制服に体温調節の機能が無ければ10回は死んでいるだろう。
 そうして時間を溶かしていると、内ポケットの護符が熱を発しだした。スマホで言う着信だ。
 私は図書館を出て護符を取り出すと、発火と共に声が聞こえた。
「もしもし?」
『ああ神楽さん、大至急病棟に来てください』
 出て来たのは天音さんだった。研究部の他にも病棟の管理も任されているので、彼からその話が出るのは問題ない。
「なんですか? まさか夜空ちゃんに何か……?」
『ええ、そのまさかです。今直ぐ特別病床の方に来てください』
 その言葉を受けて、私は全速力で走り出す。
 天音さんの声色を聞く限り悪い話では無さそうだが、それでも心配をぬぐい切れない。
 息も絶え絶えで病床の前に立つと、夜空ちゃんの寝ている方の部屋が空いていた。
「あ、おはようございます」
 私の目の前には、ベッドで顔を上げている夜空ちゃんの姿があった。
「良かった、本当に良かった……」
 私は今にも倒れそうな体を引きずって、ベッドの隣に置かれた椅子に座った。
、巫女酒夜空さん」
「え、あ、こちらこそ」
 私は彼女に挨拶をすると、そっと微笑んだ。

 彼女は生存の代償として、記憶を全て失った。
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