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第三話 歪められた日常
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父ロベルトが領地へと発ったその日を境に、ミリアーナの暮らしは静かに、しかし確実に変わっていった。
館に呼び寄せられた新しい使用人たちは、皆そろってルクレツィアを「奥様」、カリナを「お嬢様」と呼んだ。
ミリアーナのことも礼を失することなく「ミリアーナ様」と呼んではいたが、それはどこか距離を置いた響きで、かつて「ご令嬢」と敬って仕えた誇りある声色とはまるで違っていた。
初めは戸惑い、胸の奥に小さな違和感を覚えただけだった。だが日が経つにつれ、それは「自分はこの家において余所者なのだ」と言われているようで、どうしようもなく孤独を募らせていった。
庭師のマルコだけが変わらず声をかけてくれたが、彼とて屋敷の内情には立ち入れぬ。ミリアーナは、笑みを絶やさぬよう努めながら、胸の奥にひそかな痛みを抱き続けた。
◇
学園入学が近づき、制服を仕立てるために商人がやって来た。
しかしその商人も、ルクレツィアと親しく交わる者に代えられていた。
「奥様にはこちらの最上等の布を」
「お嬢様には、この光沢のある絹がよろしいでしょう」
「……こちらの方には、この布で十分かと」
そう言われて差し出されたのは、他の二人に比べて明らかに質の劣る生地だった。
それでもミリアーナは微笑んで受け取り、礼を述べた。
――お父様に心配をかけてはならない。
そう自らに言い聞かせ、悔しさを胸の奥に押し込める。
その背後で、カリナが小さく呟いた。
「……白々しい」
「え?」と振り返るミリアーナに、従妹はにこりと微笑んだ。
「いいえ、何でもありませんわ」
◇
エドアルドからの便りも途絶えて久しい。
花畑へ行こうと約束したまま、一度も果たされぬまま。
心細くなって幾度か手紙を出したが、返事はなかった。
けれどその頃、エドアルドのもとには別の差出人から文が届いていた。
「カリナ・フィオレンティ」と名乗る手紙には、
“お姉様のことについて一度お会いしてお話ししたい”
と、丁寧な筆致で綴られていた。
(ミリアーナが返事を寄越さぬのは何か事情があるのかもしれない。だが従妹ならば、知っているだろう)
そう考えて、エドアルドはその誘いに応じた。
◇
待ち合わせの場に現れたカリナは、楚々とした笑みを浮かべていた。
そして、エドアルドに信じがたい話を囁いた。
「実は……母はロベルト様に手をつけられ、私はその時の子供です」
「秘密にされ、別の家に嫁がされていましたが、夫を亡くしてから侯爵家の別邸に住まわされたのです」
「セラフィーナ様が亡くなられたので、ようやく本邸に迎え入れられました」
「それから……お薬を作っていたのも、私なのです。
でも、全部ミリアーナお姉様が功績を奪ってしまって……。
けれどどうか、お姉様を責めないでください。
お姉様はあなたを愛するあまり、そうするしかなかったのです」
涙ぐみ、身を震わせて訴えるカリナ。
彼女が語る薬草の名や効能、調合の手順は確かに正確だった。
それはすべて、かつてミリアーナが彼女に語ってしまった内容を、巧みに盗み取ったものだった。
だが、エドアルドにはそれを見抜けなかった。
「……そうだったのか」
彼は愚かにも、その言葉を信じてしまった。
◇
やがて迎えた学園入学の日。
父からの手紙は一通も届かぬまま。
ルクレツィアの手で握りつぶされていた。
ミリアーナの手紙も全てルクレツィアに読まれ、問題のない内容だけ父に送られていたのを知らなかった。
広い式典の場で久しぶりに見えたエドアルドの姿に、思わず涙がにじむ。
「……よかった……アル様」
溢れる感情のままに名を呼んだ。
だが、返ってきたのは冷ややかな言葉だった。
「……白々しい」
それは、かつて従妹が吐き捨てた嘲りの言葉と同じ響きだった。
その手は、隣に立つカリナの方へと伸びていた。
「お姉様に悪いです」と口では言いながらも、嬉しそうにその手を取る従妹。
ミリアーナの胸は張り裂けそうだった。
◇
その頃から、頭痛が彼女を苛むようになった。
最初は鈍い痛みだったのが、日に日に鋭さを増し、吐き気を伴うようになった。
顔色は悪くなり、言葉も少なくなっていった。
本当は、痛みに耐えるために口を閉ざしていただけ。
けれどその沈黙や険しい顔つきが、カリナの囁いた噂を裏付けてしまった。
「高慢で冷たい悪役令嬢」――と。
学園ではその呼び名が広まり、周囲の目はますます冷たく、陰口は残酷さを増していった。
それでもミリアーナは通い続けた。
アルの元気な姿を見るために。
館では冷遇され、学園では蔑まれ、
それでも薬草園に立ち続け、ひとり薬を調合し続けた。
けれど、その薬をエドアルドに届けるのは、いつもカリナだった。
渡すその日に限って、ミリアーナは目覚めた時にはもう昼近く、体は鉛のように重く、ベッドから起き上がれなかった。
その原因が、前夜に盛られていた睡眠薬のせいだと、彼女は知る由もない。
「やはり僕を思ってくれているのは、カリナなのだ」
エドアルドの心はますます従妹の方へ傾いていった。
父からの便りはなく、
家では冷たくあしらわれ、
学園では悪女と蔑まれ、
そして体調まで蝕まれていく。
ミリアーナの日常は、音もなく、けれど容赦なく崩壊していった。
館に呼び寄せられた新しい使用人たちは、皆そろってルクレツィアを「奥様」、カリナを「お嬢様」と呼んだ。
ミリアーナのことも礼を失することなく「ミリアーナ様」と呼んではいたが、それはどこか距離を置いた響きで、かつて「ご令嬢」と敬って仕えた誇りある声色とはまるで違っていた。
初めは戸惑い、胸の奥に小さな違和感を覚えただけだった。だが日が経つにつれ、それは「自分はこの家において余所者なのだ」と言われているようで、どうしようもなく孤独を募らせていった。
庭師のマルコだけが変わらず声をかけてくれたが、彼とて屋敷の内情には立ち入れぬ。ミリアーナは、笑みを絶やさぬよう努めながら、胸の奥にひそかな痛みを抱き続けた。
◇
学園入学が近づき、制服を仕立てるために商人がやって来た。
しかしその商人も、ルクレツィアと親しく交わる者に代えられていた。
「奥様にはこちらの最上等の布を」
「お嬢様には、この光沢のある絹がよろしいでしょう」
「……こちらの方には、この布で十分かと」
そう言われて差し出されたのは、他の二人に比べて明らかに質の劣る生地だった。
それでもミリアーナは微笑んで受け取り、礼を述べた。
――お父様に心配をかけてはならない。
そう自らに言い聞かせ、悔しさを胸の奥に押し込める。
その背後で、カリナが小さく呟いた。
「……白々しい」
「え?」と振り返るミリアーナに、従妹はにこりと微笑んだ。
「いいえ、何でもありませんわ」
◇
エドアルドからの便りも途絶えて久しい。
花畑へ行こうと約束したまま、一度も果たされぬまま。
心細くなって幾度か手紙を出したが、返事はなかった。
けれどその頃、エドアルドのもとには別の差出人から文が届いていた。
「カリナ・フィオレンティ」と名乗る手紙には、
“お姉様のことについて一度お会いしてお話ししたい”
と、丁寧な筆致で綴られていた。
(ミリアーナが返事を寄越さぬのは何か事情があるのかもしれない。だが従妹ならば、知っているだろう)
そう考えて、エドアルドはその誘いに応じた。
◇
待ち合わせの場に現れたカリナは、楚々とした笑みを浮かべていた。
そして、エドアルドに信じがたい話を囁いた。
「実は……母はロベルト様に手をつけられ、私はその時の子供です」
「秘密にされ、別の家に嫁がされていましたが、夫を亡くしてから侯爵家の別邸に住まわされたのです」
「セラフィーナ様が亡くなられたので、ようやく本邸に迎え入れられました」
「それから……お薬を作っていたのも、私なのです。
でも、全部ミリアーナお姉様が功績を奪ってしまって……。
けれどどうか、お姉様を責めないでください。
お姉様はあなたを愛するあまり、そうするしかなかったのです」
涙ぐみ、身を震わせて訴えるカリナ。
彼女が語る薬草の名や効能、調合の手順は確かに正確だった。
それはすべて、かつてミリアーナが彼女に語ってしまった内容を、巧みに盗み取ったものだった。
だが、エドアルドにはそれを見抜けなかった。
「……そうだったのか」
彼は愚かにも、その言葉を信じてしまった。
◇
やがて迎えた学園入学の日。
父からの手紙は一通も届かぬまま。
ルクレツィアの手で握りつぶされていた。
ミリアーナの手紙も全てルクレツィアに読まれ、問題のない内容だけ父に送られていたのを知らなかった。
広い式典の場で久しぶりに見えたエドアルドの姿に、思わず涙がにじむ。
「……よかった……アル様」
溢れる感情のままに名を呼んだ。
だが、返ってきたのは冷ややかな言葉だった。
「……白々しい」
それは、かつて従妹が吐き捨てた嘲りの言葉と同じ響きだった。
その手は、隣に立つカリナの方へと伸びていた。
「お姉様に悪いです」と口では言いながらも、嬉しそうにその手を取る従妹。
ミリアーナの胸は張り裂けそうだった。
◇
その頃から、頭痛が彼女を苛むようになった。
最初は鈍い痛みだったのが、日に日に鋭さを増し、吐き気を伴うようになった。
顔色は悪くなり、言葉も少なくなっていった。
本当は、痛みに耐えるために口を閉ざしていただけ。
けれどその沈黙や険しい顔つきが、カリナの囁いた噂を裏付けてしまった。
「高慢で冷たい悪役令嬢」――と。
学園ではその呼び名が広まり、周囲の目はますます冷たく、陰口は残酷さを増していった。
それでもミリアーナは通い続けた。
アルの元気な姿を見るために。
館では冷遇され、学園では蔑まれ、
それでも薬草園に立ち続け、ひとり薬を調合し続けた。
けれど、その薬をエドアルドに届けるのは、いつもカリナだった。
渡すその日に限って、ミリアーナは目覚めた時にはもう昼近く、体は鉛のように重く、ベッドから起き上がれなかった。
その原因が、前夜に盛られていた睡眠薬のせいだと、彼女は知る由もない。
「やはり僕を思ってくれているのは、カリナなのだ」
エドアルドの心はますます従妹の方へ傾いていった。
父からの便りはなく、
家では冷たくあしらわれ、
学園では悪女と蔑まれ、
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ミリアーナの日常は、音もなく、けれど容赦なく崩壊していった。
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