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第七話 簒奪の果て
しおりを挟む応接室の重苦しい空気を切り裂くように、ロベルトの怒声が響いた。
「そして貴様だ、エドアルド! このような戯言を……本気で信じたのか!」
少年は蒼ざめ、視線を彷徨わせる。隣のカリナはなおも涙を作り、縋りつくように叫んだ。
「アル様! お願いです、信じてください! お姉様は何もしていない、全部、私が作ったんです!」
ファオが、冷徹な瞳でカリナに迫る。
「そこまで言うなら――答えてもらおう。この薬はどう作る?」
懐から小さな袋を取り出す。
「これは、薬学を学ぶのであれば基礎中の基礎。少しでも心得のある者なら、説明できる。……さあ答えろ、どう調合する?」
カリナは顔を強張らせ、額に汗を浮かべた。言葉が出ない。
その様子を見て、ファオは冷ややかに言い放つ。
「分からぬか……ならば、もはや明らかだ。この娘に薬など作れるはずがない」
そして、そっともう一つの瓶を机上に置く。
<今週用 アル様>と書かれた紙片が括りつけられていた。
「これは、ミリアーナ様の手によるものだ」
カリナは瓶を見て、反射的に叫んだ。
「待って! こっちなら分かるの! 私はアル様用のものしか作っていないから!」
身を乗り出し、早口でまくし立てる。
「これは……白花草と苦蓮葉を乾かして煎じて、青玉石をすり潰して粉に混ぜたものよ!」
ファオの瞳が細く鋭くなる。
「――違いますな」
沈黙が落ちる。カリナの顔から血の気が引いていく。
「それは、四年前に私が教えた処方そのまま。基礎の基礎にすぎぬ」
指先で瓶を軽く叩き、ファオは淡々と告げる。
「だが、この瓶に入っているのは、星露草と霞晶石を組み合わせた処方……。ミリアーナ様が自ら試行を重ね、独自に導き出したものだ」
「――っ!」
カリナの唇が震えた。
次の瞬間、彼女は逆上し、ロベルトを指差しながら口を滑らせる。
「だいたい……なんであんたが生きてるのよ!? お母様から聞いてたわ! あんたは伯母様と同じ毒で死ぬはずだったのに!」
「このバカ! 何を言うの!」
ルクレツィアが蒼ざめ、娘に掴みかからんばかりに叫んだ。
「私は……私は人を殺したりしない! 全部、お母様が――!」
「――っ!」
ダニエルをはじめ、騎士たちが息を呑む。場の空気が一変した。
重苦しい沈黙を破ったのは、王国騎士団の隊長だった。
「……これ以上は不要だ」
低く響いた声に、ルクレツィアとカリナの顔が引きつる。
「今この耳で、殺人に関する明確な証言を得た。加えて――侯爵様、先ほど王宮より伝令が参りました。捕らえられていた隣国の内通者が自白したのです。此度の戦争で情報を流していた者の名……それが判明いたしました」
場が凍りつく。
「……ルクレツィア・カルディーニ、カリナ・カルディーニ。両名に国家騒乱罪、並びに侯爵家簒奪の罪が問われている」
「な、何を……!」
ルクレツィアの声が裏返った。
「王命により、ここに両名を拘束する!」
命令と同時に、騎士たちが動く。ルクレツィアとカリナの両腕が強く押さえ込まれ、母娘の絶叫と抗弁が厚い扉に吸い込まれていった。
ロベルトはただ黙して、その光景を見つめていた。
胸の奥に渦巻くのは、怒りと絶望、そして裏切られ続けた年月の苦味。
やがて視線は母娘から離れ、心はすでに別室で眠る娘へと向かっていた。
◇
控えめなノックが響いた。シドが扉を開けると、そこにはエドアルドの両親が立っていた。
「……ロベルト、無事で良かった」
父親ダリオ・アルヴェリーニが挨拶より先に言葉をかける。
「ご無沙汰しております、ロベルト様」
母親イザベラも深く腰を折った。二人は何も聞かされず、呼ばれてここへ来たのだ。
「ああ、そうだな。……こちらに掛けてくれ」
ロベルトは形式的にだけ席を示す。訝しむ様子を見せつつも、二人はエドアルドを挟んで腰を下ろした。
「さて。時間がない。簡単に言おう。――ミリアーナとエドアルドの婚約は、そちらの有責により破棄させてもらう」
「は……?」
「なんですって……?」
青ざめた顔で言葉を失う両親。呼び出された理由が想像もしなかった大事にあることを悟り、ただ呆然とする。
「どういうことか説明していただこう」
ダリオが低い声で問うが、ロベルトは心ここにあらずだった。
(毒……。もしやミアのあれは毒を盛られたせいなのか……)
先ほど耳にした『毒』が頭を離れない。娘の苦しみの理由に思い至った瞬間、胸を灼くような怒りが込み上げた。
「……いや、私はもうミリアーナの傍にいたい。ダニエル、あとは任せた」
「はい、お任せください」
「ファオ先生も、薬のこと、娘のことを説明してやってほしい」
「承知いたしました」
「では」
短く言い残し、ロベルトは退出した。
◇
「さて……アルヴェリーニ侯爵、ご無沙汰しております。ダニエル・フィオレンティです」
「……ああ、ダニエルか。領地での戦の件、聞いたぞ。大変だったな」
「――はい。一年半かかりましたが、なんとか収束に向かっています」
ダニエルはそう答え、ふっと視線をエドアルドへと移した。
「――たった一年半か。……いや、ミアにとっては一年半も、か」
低い声が応接室に落ち、空気が重く張り詰める。
「此度のこと、ご自分で説明されますか、エドアルド殿」
「……」
「できぬか。では私が説明しよう」
淡々と語られる真実に、ダリオとイザベラの顔はどんどん蒼白に染まっていった。
「エドアルド……! お前、そんな愚か者だったとは……!」
「どうして……どうしてミアちゃんを疑ったの! あんなにあなたを想ってくれていたのに!」
両親の叱責にも、エドアルドはただ俯き、肩を震わせるばかり。
そこでファオが口を開いた。
「私は、ファオ・ロンと申します。王都で診療所を営んでおります。ミリアーナ様の研究にも時折、助言をしてまいりました」
少し息を整え、静かに告げる。
「……五日前、学園で倒れられて以来、ミリアーナ様は屋敷におられます。――ご存じでしたか」
「なんですって……?」
「ミアちゃんが……?」
イザベラが声を失い、ダリオは拳を強く握りしめた。
「ロベルト様にはすでにお伝えしましたが……頭に腫瘍がございます。手の施しようはなく、今は昏睡状態。強い痛み止めで眠り続けておられるのです。倒れて以来、この五日間、一度も目を開けてはおられません」
「そ……そんな……」
イザベラの目から涙が零れ落ちる。
その時、俯いていたエドアルドが、震える声で口を開いた。
「ミアが……そんなに、苦しんで……」
ダニエルの声が冷たく落ちる。
「そうだ。頭痛に苛まれ、功績は奪われ、流された噂に傷つき……それでもお前の薬は作り続けていた。…きっとお前に信じて欲しかったのだろうし…いや、そうではないな。ミアは、お前を信じていたのだ」
その一言に、エドアルドの肩がびくりと震えた。
沈黙を破ったのはファオだった。
「……脳腫瘍が進めば、記憶や判断が曖昧になることがあります。裏切られていると分かっていても、その輪郭を掴みきれなかったのかもしれません」
ファオは机上の小瓶を指で押し出し、淡々と続ける。
「ですが――ご覧なさい。この字。“今週分 アル様”と書かれている。腫瘍の影響で手は震えていたはずだ。それでも……必死に、最後まで、あなたのために作っていた。ミリアーナ様がどれほどあなたを想っていたか……その証です」
ダリオは唇を噛み、低く言い放つ。
「……このバカ息子は、廃嫡、そして放逐する」
イザベラが泣き崩れる。
エドアルドの目から、涙が一筋、頬を伝い落ちた。
「……僕は……なんてことを……本当に、バカだ……ミア……」
嗚咽を堪えながら、彼は絞り出すように続けた。
「父上……ロベルト様……廃嫡も、婚約破棄も、すべて承ります。ただ……ただ最後に、一度だけ……ミアに会わせてください。謝らせてください……どうか!」
言葉の終わりに、エドアルドはソファから立ち上がり、その場に深々と頭を垂れた。
エドアルドの声が途切れ、重苦しい沈黙が落ちた。
その中で、イザベラの嗚咽が小さく、しかし痛々しく響いた。
「……どうして……どうしてミアちゃんを……」
両の手で顔を覆い、肩を震わせながら泣き崩れる。
隣に座るダリオは声を発しなかった。
ただ拳を強く握りしめ、震える手が膝を打ち、静かな怒りが滲み出る。
「……愚か者め……」
掠れた声が応接室に低く響く。
エドアルドはなおも頭を垂れたまま、震える声で繰り返す。
「……謝らせてください……どうか……」
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