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第十話 花冠をあなたに
しおりを挟む10年後、とある港町。
汗と潮風にまみれた荷揚げ場で、一人の若い作業員が荒い息をついていた。
何度も補修をした跡のある作業着に身を包み、咳を堪えながら荷を肩に担ぐ姿は、かつての面影を知る者には見るに堪えないほどにやつれている。
──エドアルドだった。
咳が止まらず、胸を押さえてうずくまる。仲間が気づき、声をかけた。
「おい、大丈夫か? 救護所に行ってこい。最近、新しい薬が配られてるそうだぞ。庶民でも手が届くようにって、王宮から作業所に常備されるようになったらしい」
その言葉に導かれるように、エドアルドは救護所を訪ねた。
症状を伝えると、若い医師が帳面を確認し、薬を差し出す。
「これは……どこから?」
かすれ声で問うと、医師は微笑んで答えた。
「辺境のフィオレンティ領からですよ。安価で安全に作られていて、“花冠”と呼ばれています」
「……花冠……」
呟いたエドアルドは、両手でその紙包みを受け取った。
表には、小さな花冠の紋──中央に“M”の文字が刻まれている。
救護所を出ると、彼は足を止め、その包みを見つめた。
「……ミア……」
それ以上の言葉は出なかった。
ただ、花冠の包みを胸に抱き、涙を流していた。
◇
その頃、フィオレンティ領。
初夏の光に包まれた薬草園から、色鮮やかな荷車がゆっくりと門を出ていく。
積まれた木箱には、すべて花冠の紋が押されていた。
マルコが言う。
「ようやく安定して出荷できるようになりましたね。価格も庶民が買えるように抑えることができました」
ファオも目を細めた。
「これで……ミリアーナ様の想いが、多くの人を助けていくのですね」
シドが続ける。
「王都でもすっかり“花冠”と呼ばれるようになったそうですよ」
ロベルトはその言葉に、静かに目を伏せ、微かに微笑んだ。
「……そうか……」
荷車はゆっくりと領地の道を進み、やがて遠く王都へと続く街道へ消えていった。
その背に揺れる花冠の紋は、まるで少女の祈りを載せて走っていくかのようだった。
◇
夕暮れ。
ロベルトは一人、薬草園の小道に立っていた。
風に揺れる草花の香りが、ふとあの日の娘の笑顔を呼び起こす。
「……ミア。父は……お前の夢を継げただろうか」
絞り出すように問いかける。
しばしの沈黙。
ふいに、そよ風が頬を撫で、耳にやわらかな声が重なった気がした。
──「お父様、ありがとう」
──「あなた、お疲れ様」
「……ミア……セラフィーナ……」
ロベルトの瞳に光がにじみ、頬を伝ってひとすじ落ちていった。
その涙を拭うように、薬草園を包む風はなおも優しく吹き続ける。
遠く街道の先では、花冠の紋を掲げた馬車が、夕陽に照らされながら進んでいく。
その姿はまるで、少女の祈りを未来へと運んでいるかのようだった。
──花冠をあなたに。
<完>
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