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第九話 想いの花々
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教会の鐘が、静かに鳴り響いていた。
重く、深く──鎮魂を告げるその音は、石造りの天井を震わせ、大地にまで沁みわたっていく。
ミリアーナの葬儀は、ごく少人数で営まれた。
棺の前に立つのは、父ロベルト、叔父ダニエル、庭師マルコ、家令シド。
そして、師ファオと校医エミリオ。
侯爵家の長女の葬儀とは思えぬ小規模なものだったが、それはロベルトの願いだった。
「ミアを心から偲ぶ者だけで見送りたい」──その言葉の通り、六人は深い祈りを捧げていた。
やがて葬儀が終わり、最後の別れのとき。
花に包まれた棺を前に、ロベルトはただ黙って娘を見つめ続けた。
「……ダニエル」
押し殺した声で、弟に向き直る。
「私は……侯爵の位を退こう。このように大切なものさえ守れぬ男に、その名を冠する資格はない。頼む、後を継いでくれ」
「兄上……」
ダニエルは目を伏せ、それでも静かに頷いた。
「分かりました。しかし……兄上は、これから?」
「私は、お前に任せていた領地に戻ろう。そこで……セラフィーナとミアと一緒に暮らしたいんだ」
その時、教会の使用人が歩み寄り、ロベルトに耳打ちした。
「あの……花を手向けたいと仰る、学園の方々が外にいらしてますが」
ロベルトは一瞬迷い、深く息を吐いた。
「……そうか。入ってもらってくれ」
◇
入ってきたのは、三人の女生徒だった。
緊張に肩を震わせながら、一礼して花を差し出す。
「侯爵様、初めまして。不躾をどうかお許しください」
「学園長からミリアーナ様のお話を伺い……居ても立ってもおられず参りました」
「せめて、この花だけでも……」
彼女たちは棺に花を置き、声を詰まらせながら思い出を語る。
「私は傷を負って怯えていた時、お薬をくださいました。『これで綺麗になるはず』と……その通りに跡は残らなかったのです」
「私は胃痛に苦しんでいた折に、わざわざ翌日、お薬を持ってきてくださって……それから食事が美味しくなって。……ありがとうございます」
「私は……ずっと怖い方だと誤解しておりました。でも、お薬を渡してくださる時に“薬は怖くないわ”と微笑んでくださって……あんなに優しい方だったなんて……」
涙を流す少女たちに、ロベルトの胸は締め付けられた。
「……そうか。……ありがとう。聞かせてもらえて、嬉しいよ……」
再び使用人が現れ、告げる。
「あの……他にも、花を手向けたいという方々が」
「……入ってもらってくれ」
教会の扉がゆっくりと開かれた。
その先に立っていたのは──老いも若きも、平民も商人も。
皆が両手に花を抱き、列をなし、静かに歩み入ってくる。
「ミリアーナ様、本当にありがとうございました」
「お薬で助かりました」
「傷が消えたんです」
「喘息が出なくなりました」
次々に重なる声。花が次々に棺の周りに置かれ、溢れるように広がっていく。
やがて、皆と一緒に外で待っていた公爵夫人が歩み出て言った。
「侯爵、このたびは……お辛いことでしょう。ですが私も御息女に助けられました。図書館で不調のことをお話ししたとき、耳を傾けてくださり、お薬をくださったのです。……あんなに若いのに、まるで年の離れた友人のように話を聞いてくださって。これからどんな女性になるのかと、心から楽しみにしておりましたのに……」
その言葉に、ロベルトの目から大粒の涙が零れ落ちた。
気がつけば、棺の周りは無数の花で埋め尽くされていた。
花を踏まぬよう、ロベルトはそっと棺に近寄り、娘の頬を撫でた。
その指先はかすかに震えている。
「……なんで……私は……こんなに可愛い娘の顔を、一度だって見に帰らなかったんだ……」
「いくら戦があったとはいえ……一度くらいは帰ってこられただろうに……」
「情けない父で……すまない……」
侯爵ではなく、一人の父の慟哭が、教会の中を満たした。
貴族の葬儀では決してありえぬその声に、花を手向けていた人々も、胸を押さえ、涙をぬぐった。
やがてロベルトは、深く息をついた。
棺の縁に手を置き、「ミア……」と名を呼びながら、ゆっくりと立ち上がる。
「みなさん──我が娘、ミリアーナのために、これほど多くの花を手向け、見送りに来てくださって……本当にありがとうございます」
「ミリアーナは、皆さんに愛されていたのだと知り……父として救われる思いです。
私が王都にいない間、皆さんとのやり取りがどれだけ娘の支えになったか……想像もつきません。本当に、ありがとうございました」
声を震わせながらも、彼は続ける。
「先ほど、侯爵の位を弟ダニエルに譲ると伝えました。妻と娘を失い、正直、自暴自棄になっておりました。領地に戻って静かに暮らそうと……そう思っていたのです」
「ですが、今……皆さんのお言葉を聞いて思いました。
私は、ミアの夢を継ぎたい。娘が皆さんに向けていた“少しでも良くなってほしい”という想いを、父のこの手でついでいきたいと」
ロベルトは教会全体を見渡し、深く頭を下げた。
「私は領地に戻ります。娘の積み上げた功績を、形として残し、薬草園を作り、研究を進めます。
それが、私にできる唯一のことだと信じています」
「皆さん、どうかミリアーナのことを忘れないでやってください。
……いや、皆さんが忘れる前に、私が必ず思い出させます。皆さんの前に必ず、薬を届けます」
「必ず、です──約束します。……約束するからな、ミリアーナ」
そう言って、ロベルトは棺に身をかがめ、娘の額にそっとキスを落とした。
その瞬間、誰からともなくすすり泣きが広がった。
花々の香りが満ちる教会の中央で、父と娘を取り囲むその光景は──
まるでミリアーナが最後に望んでいた、大きな花冠そのもののように見えた。
ダニエルが静かに頷く。
「兄上……ええ。きっとミアも、喜びます」
マルコが進み出る。
「私もお供させてください。ミリアーナ様の庭を、一緒に造らせていただきたい」
ファオも震える声で告げる。
「もしよろしければ……私も。ミリアーナ様の研究の続きを、ぜひ……」
ロベルトは涙に濡れた目で三人を見つめ、深く頷いた。
◇
鎮魂の鐘が鳴り終わる頃、教会の外にも花々の香りが満ちていた。
そして──誰も気づかなかった。
遠く、教会を臨む丘の上。
そこに、小さな花冠がひとつ、ひっそりと置かれていた。
風に揺れるその花冠は、誰に知られることもなく、静かに少女を見送っていた。
重く、深く──鎮魂を告げるその音は、石造りの天井を震わせ、大地にまで沁みわたっていく。
ミリアーナの葬儀は、ごく少人数で営まれた。
棺の前に立つのは、父ロベルト、叔父ダニエル、庭師マルコ、家令シド。
そして、師ファオと校医エミリオ。
侯爵家の長女の葬儀とは思えぬ小規模なものだったが、それはロベルトの願いだった。
「ミアを心から偲ぶ者だけで見送りたい」──その言葉の通り、六人は深い祈りを捧げていた。
やがて葬儀が終わり、最後の別れのとき。
花に包まれた棺を前に、ロベルトはただ黙って娘を見つめ続けた。
「……ダニエル」
押し殺した声で、弟に向き直る。
「私は……侯爵の位を退こう。このように大切なものさえ守れぬ男に、その名を冠する資格はない。頼む、後を継いでくれ」
「兄上……」
ダニエルは目を伏せ、それでも静かに頷いた。
「分かりました。しかし……兄上は、これから?」
「私は、お前に任せていた領地に戻ろう。そこで……セラフィーナとミアと一緒に暮らしたいんだ」
その時、教会の使用人が歩み寄り、ロベルトに耳打ちした。
「あの……花を手向けたいと仰る、学園の方々が外にいらしてますが」
ロベルトは一瞬迷い、深く息を吐いた。
「……そうか。入ってもらってくれ」
◇
入ってきたのは、三人の女生徒だった。
緊張に肩を震わせながら、一礼して花を差し出す。
「侯爵様、初めまして。不躾をどうかお許しください」
「学園長からミリアーナ様のお話を伺い……居ても立ってもおられず参りました」
「せめて、この花だけでも……」
彼女たちは棺に花を置き、声を詰まらせながら思い出を語る。
「私は傷を負って怯えていた時、お薬をくださいました。『これで綺麗になるはず』と……その通りに跡は残らなかったのです」
「私は胃痛に苦しんでいた折に、わざわざ翌日、お薬を持ってきてくださって……それから食事が美味しくなって。……ありがとうございます」
「私は……ずっと怖い方だと誤解しておりました。でも、お薬を渡してくださる時に“薬は怖くないわ”と微笑んでくださって……あんなに優しい方だったなんて……」
涙を流す少女たちに、ロベルトの胸は締め付けられた。
「……そうか。……ありがとう。聞かせてもらえて、嬉しいよ……」
再び使用人が現れ、告げる。
「あの……他にも、花を手向けたいという方々が」
「……入ってもらってくれ」
教会の扉がゆっくりと開かれた。
その先に立っていたのは──老いも若きも、平民も商人も。
皆が両手に花を抱き、列をなし、静かに歩み入ってくる。
「ミリアーナ様、本当にありがとうございました」
「お薬で助かりました」
「傷が消えたんです」
「喘息が出なくなりました」
次々に重なる声。花が次々に棺の周りに置かれ、溢れるように広がっていく。
やがて、皆と一緒に外で待っていた公爵夫人が歩み出て言った。
「侯爵、このたびは……お辛いことでしょう。ですが私も御息女に助けられました。図書館で不調のことをお話ししたとき、耳を傾けてくださり、お薬をくださったのです。……あんなに若いのに、まるで年の離れた友人のように話を聞いてくださって。これからどんな女性になるのかと、心から楽しみにしておりましたのに……」
その言葉に、ロベルトの目から大粒の涙が零れ落ちた。
気がつけば、棺の周りは無数の花で埋め尽くされていた。
花を踏まぬよう、ロベルトはそっと棺に近寄り、娘の頬を撫でた。
その指先はかすかに震えている。
「……なんで……私は……こんなに可愛い娘の顔を、一度だって見に帰らなかったんだ……」
「いくら戦があったとはいえ……一度くらいは帰ってこられただろうに……」
「情けない父で……すまない……」
侯爵ではなく、一人の父の慟哭が、教会の中を満たした。
貴族の葬儀では決してありえぬその声に、花を手向けていた人々も、胸を押さえ、涙をぬぐった。
やがてロベルトは、深く息をついた。
棺の縁に手を置き、「ミア……」と名を呼びながら、ゆっくりと立ち上がる。
「みなさん──我が娘、ミリアーナのために、これほど多くの花を手向け、見送りに来てくださって……本当にありがとうございます」
「ミリアーナは、皆さんに愛されていたのだと知り……父として救われる思いです。
私が王都にいない間、皆さんとのやり取りがどれだけ娘の支えになったか……想像もつきません。本当に、ありがとうございました」
声を震わせながらも、彼は続ける。
「先ほど、侯爵の位を弟ダニエルに譲ると伝えました。妻と娘を失い、正直、自暴自棄になっておりました。領地に戻って静かに暮らそうと……そう思っていたのです」
「ですが、今……皆さんのお言葉を聞いて思いました。
私は、ミアの夢を継ぎたい。娘が皆さんに向けていた“少しでも良くなってほしい”という想いを、父のこの手でついでいきたいと」
ロベルトは教会全体を見渡し、深く頭を下げた。
「私は領地に戻ります。娘の積み上げた功績を、形として残し、薬草園を作り、研究を進めます。
それが、私にできる唯一のことだと信じています」
「皆さん、どうかミリアーナのことを忘れないでやってください。
……いや、皆さんが忘れる前に、私が必ず思い出させます。皆さんの前に必ず、薬を届けます」
「必ず、です──約束します。……約束するからな、ミリアーナ」
そう言って、ロベルトは棺に身をかがめ、娘の額にそっとキスを落とした。
その瞬間、誰からともなくすすり泣きが広がった。
花々の香りが満ちる教会の中央で、父と娘を取り囲むその光景は──
まるでミリアーナが最後に望んでいた、大きな花冠そのもののように見えた。
ダニエルが静かに頷く。
「兄上……ええ。きっとミアも、喜びます」
マルコが進み出る。
「私もお供させてください。ミリアーナ様の庭を、一緒に造らせていただきたい」
ファオも震える声で告げる。
「もしよろしければ……私も。ミリアーナ様の研究の続きを、ぜひ……」
ロベルトは涙に濡れた目で三人を見つめ、深く頷いた。
◇
鎮魂の鐘が鳴り終わる頃、教会の外にも花々の香りが満ちていた。
そして──誰も気づかなかった。
遠く、教会を臨む丘の上。
そこに、小さな花冠がひとつ、ひっそりと置かれていた。
風に揺れるその花冠は、誰に知られることもなく、静かに少女を見送っていた。
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