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第17話 ヒロインは私
午後の光が傾いて、学園の中庭が金色に染まっていた。
ルーリー・フィバットはベンチに腰を下ろし、膝の上の落ち葉をいじっていた。
いつもここで待ち合わせていたのに。いくら待っても誰も来ない。
シスタン殿下も、バルドも、セドリックも。
(でもいいの。ヒロインには試練があるの。
きっと、殿下も見ていてくださる)
そう自分に言い聞かせる。
世界はきっと、物語の通りに進む。
いまは暗い章だけど、この先にはハッピーエンドが待っているはず。
そのときだった。
「ルーリー・フィバット嬢」
低く、けれどやわらかい声が、背後から響いた。
振り返ると、木の影に隠れるように黒い外套の男が立っていた。
まるで影が形をとったみたいに、気配が静かだった。
「……あなた、誰?」
「ただの伝令です。王太子殿下をお慕いするあなたに、殿下のお言葉をお伝えにまいりました。」
ルーリーの心臓が跳ねた。
「……殿下の?」
「ええ。殿下は仰いました。
“ルーリーは、わたしと共に歩んだ道を知っている。
そして、ふたりの秘密の鍵を持っている”と。」
息が止まる。
(秘密の鍵……! それを知ってる人なんて、殿下と私だけなのに!)
男は、彼女の表情を確かめるように一歩近づいた。
「“ふたりの秘密の通路を使え。それが最後の救いになる”
——殿下はそうも仰っていました。」
ルーリーの胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。
「……殿下が、私に?」
「殿下はあなたを信じておられます。
フォレスト公爵家が殿下を陥れようとしている。
正しい記録がすり替えられようとしている。
止められるのは、鍵を持つあなたしかいません。」
男は灰色の布袋を差し出した。
制服の生地と同じような控えめな色で、目立たない。
けれどルーリーには、それが宝石箱みたいに輝いて見えた。
「殿下より、帳簿室にある同じ背表紙のものとすり替えてほしいと。
これが“正しい記録”です。間違ったものは焼き捨ててください。」
ルーリーは両手でそれを受け取った。
袋はあたたかく、胸に抱いた瞬間、涙がにじんだ。
(……やっぱり、ストーリー通りになるのね。
私がヒロインよ)
ルーリーは胸元の鍵を握りしめ、微笑んだ。
「殿下……待っててくださいね。
私が物語を元に戻して差し上げますわ」
夕焼けの風が頬を撫で、金色の光が差し込む。
ルーリーは袋を抱え、まるで舞台の幕が上がるように立ち上がった。
——その足が、夜への道へと踏み出す。
◇
風のない夜。
世界じゅうが私の呼吸に合わせて、そっと息を潜めているみたい。
学園の裏庭。蔦に隠れた低い石壁の根元に、小さな石の扉。
殿下が笑って教えてくれた——学園と王宮を結ぶ、誰も知らない道。
私と殿下を結ぶ、愛の道。
(ねえ、見ててね、シスタン殿下。今日、物語はまた正しく動き出すの)
胸元の小さな金の鍵を指でつまむ。
春の放課後の記憶が、ふわりとよみがえる。
——王都の下町、放課後デート。
「王妃になる証がほしいわ」
殿下は照れて笑って、首にかけている金色の鍵を取り出した。
「これはね、王族だけが持てる鍵なんだ。王宮のどんな扉も、これひとつで開く」
心の中で鐘が鳴って、世界がそこで光った。
「じゃあ、私にも同じものをくださいな」
二人で鍵屋に入り、老職人の火花を見つめた。
飾りのはずの合鍵は、金色の星みたいに美しくて、
私はそれを胸に抱いて、殿下の心の形ごともらった気がした。
——カチリ。
小さな、小さな音。
石扉が押し出され、冷えた空気が頬を撫でた。
細い階段、湿った石壁、遠くでぽとりと落ちる雫の音。
通路の奥から、王宮の夜が呼んでいる。
(殿下と私だけの秘密。ふたりで見つけた、ふたりの道)
足音は小鳥みたいに軽く、壁に反射してふわりと重なった。
通路の天井に散る水滴が月の欠片みたいに光るたび、胸の鍵もきらりと応える。
私は笑う。こわくなんてない。
だって、ヒロインは、正しい道に愛される。
やがて階段は平らになり、古い木扉に突き当たる。
いつか聞いた殿下の声が、耳の奥でやさしく懐かしく響く。
「この先が南棟だよ。僕と家族しか知らない」
(私は特別。だって殿下がそう言ったもの)
——カチリ。
木扉が開き、王宮の廊下が、吸い込むみたいに私を迎え入れる。
誰もいない。すべて思った通り。
「全ての動きが、私の味方をしてくれるのよ」
胸にそう言い聞かせる声は、甘くて、少し泣きそうだった。
私は王妃になるはずよ。殿下は私を選んでいた。
途中で台詞を間違えた人たちがいただけ。
私は、正しい脚本に直しに来ただけ——ね、簡単でしょう?
王宮が管理する、帳簿室の前に立つ。
私は肩に掛けた麻袋から皮の表紙のついた帳簿を取り出す。
(殿下に言われたとおり、これで全部“正しい脚本”に直すの)
これが正しい帳簿。正しい脚本。
間違った、古い帳簿は焼き捨てるように指示されている。
このまま持ち出して、裏庭の焼却炉に放り込めばいい。
——カチリ。
暗い帳簿室の空気がゆっくり流れる。
“間違えた帳簿”を取り出して、代わりに“正しい帳簿”を棚に納める。
ぴたり。
(ほらね、世界はちゃんと私を選んでる)
“間違えた帳簿”の入った麻袋を抱えて通路を戻る。
焼却炉は南庭の隅。殿下に教わった場所。
赤い火がちらちらと揺れている。
私は麻袋を抱きしめて、炎を見つめた。
「ほら、私たちの愛の火も、もう一度燃え上がるのよ」
麻袋ごと、焼却炉に放り込む。
炎がふっと息を吸うみたいに広がって、
中のものをすぐに飲み込んでいった。
(ね、これで物語はちゃんと元どおり)
微笑んで、振り返らない。
私はヒロインなの。
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