陰陽師と金の迷い子 ―平安怪異譚―

桜野なつみ

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第三帖 芦屋川、疑われる

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御影が邸に着いた頃には、すでに夜もだいぶ更けていた。

灯火の下、案内された奥の間の襖を開けた瞬間、御影の視線がわずかに細まる。

几帳は倒れ、夜具は乱れ、枕が床に転がり、灯火までがどこか傾いている。穏やかな部屋の姿とは、とても言い難い有様であった。

御影は静かに言った。

「また余計なものを拾ったと聞いて来たが……すでに怪異が起こっているのか」

朝光は腕を組み、すぐに首を振る。

「いや、違う。これは」

一瞬、言葉を選ぶように間を置く。

「暴れられたのだ。この娘に」

「娘?」

御影の眉がわずかに動く。

朝光が顎で示す。

「そこだ」

御影の視線が寝床へ落ちる。

そこに横たわっているのは、一人の少女だった。

濡れた衣はすでに替えられ、髪も乾いている。だが灯火の下でもはっきりと分かるほど、その髪は異様な色をしていた。

金色。

都ではまず見ぬ色である。

少女は眠るように横たわっている。呼吸は静かで、胸は規則正しく上下している。どう見ても、現世の肉体を持つ者の姿であった。

御影は低く呟く。

「……これは」

朝光が肩をすくめる。

「妖ではないと思うぞ。何せ朝に拾ったのだ。鴨川で」

御影はわずかに目を細める。

「鴨川」

それから、部屋の惨状をもう一度見渡す。

倒れた几帳。乱れた夜具。転がる枕。

静かに朝光を見る。

「……と、言うことは」

一拍置き、淡々と続けた。

「この部屋の有様は、妖の仕業ではないのだな」

「違うと言っている」

御影はさらに言葉を重ねる。

「お前、また夜の訪れをしようとしたのではないか。それで嫌がられて暴れられたか」

朝光が思わず声を荒げる。

「いや違う! 断じて違うぞ! 今回は――」

だが御影はすでにその言葉を聞いていなかった。

静かに寝床へ近づき、少女の傍らに跪く。

そして顔の前へ、そっと手をかざす。

触れはしない。ただ気を探るように、静かに掌を置く。

しばしの沈黙。

やがて御影が短く言う。

「息づいている」

それから、低く続ける。

「……現世のものなのか?」

朝光はすぐ答えた。

「そうなんだ。生きているものでな。今朝方、鴨川に浮いているのを見つけて引き上げたんだ。気を失っておったので屋敷に連れ帰ったが」

御影は淡々と返す。

「襲って暴れられたと」

「だから違うと――」

朝光がまた言い募ろうとするのを、御影はまるで聞いていないかのように遮り、室内を見渡した。

几帳の向こう。廊の際。部屋の隅。

そこに控えている使用人たちを順に見る。

そして穏やかな声で言う。

「君たちは下がっておいてください。私と朝光の二人に」

使用人の一人が戸惑う。

「しかし……危険では」

御影は静かに答える。

「大丈夫です。とにかく二人に」

朝光が軽く手を振る。

「御影の言うとおりにせよ」

それで決まった。

使用人たちは顔を見合わせ、やがて一人、また一人と襖の外へ退いていく。足音が遠ざかり、やがて廊の気配も消えた。

室内に残るのは、灯火と、倒れた几帳と、眠る少女と、そして二人だけ。

御影はしばらくその静寂を確かめるように立ち尽くしていた。

やがて人払いが済んだことを確認すると、静かに指を組み、印を結ぶ。

低く、短い呪を呟く。

空気が、わずかに揺れる。

灯火がふっと細くなる。

その揺らぎの中から、ふわりと一人の女性の姿が現れた。

金に近い淡い髪。白い衣。だがその姿は都の女房とはどこか異なり、異国の気配を帯びている。

朝光が目を細める。

「式神か」

御影は答える。

「ああ」

そして眠る少女を見下ろしながら続けた。

「この娘と同じ姿の者がおったものでな」



女は静かに頭を下げた。

「お呼びにございますか」

「月依。この者、どう見る」

月依は少女を見つめ、わずかに目を細める。

「……同じ、西の香りが致しますね」

そのときだった。

暁のまつ毛がかすかに動く。

やがて、ゆっくりとその瞳が開かれた。

ぼんやりと視線を巡らせる。

見知らぬ部屋。見知らぬ男。そして——

自分と同じ顔立ちの女。

暁の目が一瞬で見開かれる。

「Oh my god…!」

勢いよく体を起こす。

「You! Finally!」

そして一直線に月依へ駆け寄った。

「You speak English, right?!」

飛びつく。

しかし——

体はそのまま、すり抜けた。

「What—?!」

暁は前のめりになり、慌てて畳へ手をつく。

御影と朝光が同時に固まる。

朝光がぽつりと言う。

「……御影」

御影の視線が暁へ向く。

「……ああ」

朝光が続ける。

「これは」

御影は静かに答えた。

「見えているな」

暁は混乱したまま振り向く。

「Why can’t I touch you?!」

月依は静かに答える。

「You cannot touch me.」

暁の顔がぱっと明るくなる。

「You speak English!!」

朝光が御影を見る。

御影も朝光を見る。

朝光が言う。

「おい」

御影が答える。

「分かっている」

朝光が苦笑する。

「これは」

御影が小さく息を吐いた。

「面倒な拾い物をしたな」

灯火が、静かに揺れた。
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