14 / 22
白の温もり
しおりを挟む朝。
東棟の小さな窓から差し込む光は、いつもより、ほんの少しだけあたたかかった。
ビオラはゆっくりと目を覚ました。
毛布にくるまったまま、体を起こす。部屋を見渡したその瞬間──息が止まった。
……誰も、いない。
エイミーも、サナも、ダンも。
昨夜まで聞こえていた気配も声も、すべてが、跡形もなく消えていた。
毛布をぎゅっと握りしめ、ビオラは身を縮こまらせた。
──あれは、夢だったの?
やさしい言葉も、温かい食事も、笑い声も──
全部、私が欲しすぎて見た、幻だったの?
その瞬間、忘れていた記憶が、胸をえぐるように蘇る。
──あの日。
「お母様っ!」
床に崩れた母の体。
青ざめ、苦しそうに胸を押さえ、何かを伝えようとする唇。
「う……ああ……」
どれだけ呼んでも、返事は弱くなるばかり。
揺さぶっても、手を握っても、声は遠ざかっていった。
「お母様……! どうしよう、どうしたらいいの……!」
「……ア……アリ……シア……」
「お母様?」
「……あなたの……名前……アリシア……ビオラ……」
「ビオラ……?」
「……隠し……名よ、わたしの……国の……花の名前……どうしても、つけたかったの……」
「お母様……!」
ビオラは扉へ駆け寄った。
「誰か……誰か来て!! お母様が──!」
叫んだ。何度も、何度も。
けれど、誰も来なかった。扉は、外から鍵がかけられていた。
夜が明けても、誰も現れなかった。
──そしてその日から、声は出なくなった。
それから、ずっと。
私は、ずっと……ひとりだった。
……また、ひとりに戻ったの?
夢だったの?
そんな夢なら、見たくなかった。
ビオラは、絶望とともに、ゆっくりと立ち上がった。
そして、ふと気づく。何かが──違う。
床はきれいに磨かれている。
窓辺の埃も消えていて、空気が澄んでいる。
……香りも、違う。
そして、テーブルの上に──
一枚の、小さな白い布。
ビオラは静かに近づき、それを手に取った。
布の隅に、見覚えのある縫い目。
白糸で、布地に溶け込むように刻まれた、影縫い。
『さんにんは きみをたすける なかま
もうすこし まっていて』
読み終えた瞬間、ビオラの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
……夢じゃなかった。
あの人たちは、本当に、いたんだ。
わたしを「助ける」と言ってくれる人が、本当に──いる。
そのときだった。
「もうっ! こんなにたくさん持ってきて!」
「だって、少しでも美味しいもの食べさせてあげたいじゃない~」
「俺も手伝いますから、大丈夫ですよ」
「でも、もう起きちゃったかもしれないでしょ!」
賑やかな声とともに、扉が開いた。
大きな包みを抱えたエイミー、サナ、そしてダンが、どっと雪崩れ込むように戻ってくる。
……ああ、帰ってきてくれた。
あたたかさが、ちゃんと戻ってきてくれた。
ビオラの涙は、止まらなかった。
「どうしたの? 泣いてるの?」
エイミーが驚いて駆け寄る。
「ごめんね、急に外に出て。荷物を一緒に運ぶには、三人の方が早いと思って──」
言葉の途中で、ビオラがエイミーに、ぎゅっと抱きついた。
細い腕で、小さな体で、しがみつくように。
エイミーは一瞬驚いたが、すぐに、そっと背中を抱き返す。
「……大丈夫よ。どこにも行かないわ。
私たちは、あなたの味方」
その腕の中で、ビオラは静かに涙を流し続けた。
サナはそっと包みを床に置き、眉を下げてつぶやく。
「なんだ……よかった。ちゃんと、私たちのこと、わかってくれてたんだ」
「……ずっとひとりだったんだ。どうやって、俺たちに関わればいいかなんて、わからないさ」
ダンは少し離れた場所で、包みを下ろしたまま、黙って佇んでいた。
大柄な体に似合わぬ静かな声で、ぽつりと呟く。
「……ようやく、人に触れられたんだよ」
部屋の中に、しばし静寂が満ちた。
その沈黙は、決して重たくなかった。
まるで、春先の雪解けを見守るような、あたたかな静けさだった。
やがてビオラが、そっと顔を上げる。
目はまだ赤いけれど、涙は少しずつ落ち着いていた。
唇が、声にはならない言葉をかすかに形づくる。
──ありがとう。
エイミーはふっと微笑み、そっとビオラの髪を撫でた。
「言葉がなくても、ちゃんと伝わってるわよ」
その優しい声に、サナが軽く手を叩いた。
「よしっ、じゃあ次! 泣いたらお腹空くよね?
朝ごはん、食べよう!」
温かな、ほんの少しだけ普通な朝が、東棟の小さな部屋に訪れていた。
394
あなたにおすすめの小説
両親に溺愛されて育った妹の顛末
葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。
オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。
「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」
「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」
「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」
妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
ワザと醜い令嬢をしていた令嬢一家華麗に亡命する
satomi
恋愛
醜く自らに魔法をかけてケルリール王国王太子と婚約をしていた侯爵家令嬢のアメリア=キートウェル。フェルナン=ケルリール王太子から醜いという理由で婚約破棄を言い渡されました。
もう王太子は能無しですし、ケルリール王国から一家で亡命してしまう事にしちゃいます!
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
短編 一人目の婚約者を姉に、二人目の婚約者を妹に取られたので、猫と余生を過ごすことに決めました
朝陽千早
恋愛
二度の婚約破棄を経験し、すべてに疲れ果てた貴族令嬢ミゼリアは、山奥の屋敷に一人籠もることを決める。唯一の話し相手は、偶然出会った傷ついた猫・シエラル。静かな日々の中で、ミゼリアの凍った心は少しずつほぐれていった。
ある日、負傷した青年・セスを屋敷に迎え入れたことから、彼女の生活は少しずつ変化していく。過去に傷ついた二人と一匹の、不器用で温かな共同生活。しかし、セスはある日、何も告げず姿を消す──
「また、大切な人に置いていかれた」
残された手紙と金貨。揺れる感情と決意の中、ミゼリアはもう一度、失ったものを取り戻すため立ち上がる。
これは、孤独と再生、そして静かな愛を描いた物語。
【完結】【番外編追加】お迎えに来てくれた当日にいなくなったお姉様の代わりに嫁ぎます!
まりぃべる
恋愛
私、アリーシャ。
お姉様は、隣国の大国に輿入れ予定でした。
それは、二年前から決まり、準備を着々としてきた。
和平の象徴として、その意味を理解されていたと思っていたのに。
『私、レナードと生活するわ。あとはお願いね!』
そんな置き手紙だけを残して、姉は消えた。
そんな…!
☆★
書き終わってますので、随時更新していきます。全35話です。
国の名前など、有名な名前(単語)だったと後から気付いたのですが、素敵な響きですのでそのまま使います。現実世界とは全く関係ありません。いつも思いつきで名前を決めてしまいますので…。
読んでいただけたら嬉しいです。
王命により、婚約破棄されました。
緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる