【完結】妹に存在を奪われた令嬢は知らない 〜彼女が刺繍に託した「たすけて」に、彼が気付いてくれていたことを〜

桜野なつみ

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白の温もり

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 朝。
 東棟の小さな窓から差し込む光は、いつもより、ほんの少しだけあたたかかった。

 ビオラはゆっくりと目を覚ました。
 毛布にくるまったまま、体を起こす。部屋を見渡したその瞬間──息が止まった。

 ……誰も、いない。
 エイミーも、サナも、ダンも。
 昨夜まで聞こえていた気配も声も、すべてが、跡形もなく消えていた。

 毛布をぎゅっと握りしめ、ビオラは身を縮こまらせた。

 ──あれは、夢だったの?
 やさしい言葉も、温かい食事も、笑い声も──
 全部、私が欲しすぎて見た、幻だったの?

 その瞬間、忘れていた記憶が、胸をえぐるように蘇る。

 ──あの日。

「お母様っ!」

 床に崩れた母の体。
 青ざめ、苦しそうに胸を押さえ、何かを伝えようとする唇。

「う……ああ……」

 どれだけ呼んでも、返事は弱くなるばかり。
 揺さぶっても、手を握っても、声は遠ざかっていった。

「お母様……! どうしよう、どうしたらいいの……!」

「……ア……アリ……シア……」

「お母様?」

「……あなたの……名前……アリシア……ビオラ……」
「ビオラ……?」

「……隠し……名よ、わたしの……国の……花の名前……どうしても、つけたかったの……」

「お母様……!」

 ビオラは扉へ駆け寄った。

「誰か……誰か来て!! お母様が──!」

 叫んだ。何度も、何度も。
 けれど、誰も来なかった。扉は、外から鍵がかけられていた。

 夜が明けても、誰も現れなかった。

 ──そしてその日から、声は出なくなった。

 それから、ずっと。
 私は、ずっと……ひとりだった。

 ……また、ひとりに戻ったの?

 夢だったの?

 そんな夢なら、見たくなかった。

 ビオラは、絶望とともに、ゆっくりと立ち上がった。
 そして、ふと気づく。何かが──違う。

 床はきれいに磨かれている。
 窓辺の埃も消えていて、空気が澄んでいる。
 ……香りも、違う。

 そして、テーブルの上に──
 一枚の、小さな白い布。

 ビオラは静かに近づき、それを手に取った。

 布の隅に、見覚えのある縫い目。
 白糸で、布地に溶け込むように刻まれた、影縫い。

『さんにんは きみをたすける なかま
 もうすこし まっていて』

 読み終えた瞬間、ビオラの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 ……夢じゃなかった。
 あの人たちは、本当に、いたんだ。

 わたしを「助ける」と言ってくれる人が、本当に──いる。



 そのときだった。

「もうっ! こんなにたくさん持ってきて!」
「だって、少しでも美味しいもの食べさせてあげたいじゃない~」
「俺も手伝いますから、大丈夫ですよ」
「でも、もう起きちゃったかもしれないでしょ!」

 賑やかな声とともに、扉が開いた。
 大きな包みを抱えたエイミー、サナ、そしてダンが、どっと雪崩れ込むように戻ってくる。

 ……ああ、帰ってきてくれた。
 あたたかさが、ちゃんと戻ってきてくれた。

 ビオラの涙は、止まらなかった。

「どうしたの? 泣いてるの?」

 エイミーが驚いて駆け寄る。

「ごめんね、急に外に出て。荷物を一緒に運ぶには、三人の方が早いと思って──」

 言葉の途中で、ビオラがエイミーに、ぎゅっと抱きついた。

 細い腕で、小さな体で、しがみつくように。
 エイミーは一瞬驚いたが、すぐに、そっと背中を抱き返す。

「……大丈夫よ。どこにも行かないわ。
 私たちは、あなたの味方」

 その腕の中で、ビオラは静かに涙を流し続けた。

 サナはそっと包みを床に置き、眉を下げてつぶやく。

「なんだ……よかった。ちゃんと、私たちのこと、わかってくれてたんだ」

「……ずっとひとりだったんだ。どうやって、俺たちに関わればいいかなんて、わからないさ」

 ダンは少し離れた場所で、包みを下ろしたまま、黙って佇んでいた。
 大柄な体に似合わぬ静かな声で、ぽつりと呟く。

「……ようやく、人に触れられたんだよ」

 部屋の中に、しばし静寂が満ちた。
 その沈黙は、決して重たくなかった。

 まるで、春先の雪解けを見守るような、あたたかな静けさだった。

 やがてビオラが、そっと顔を上げる。
 目はまだ赤いけれど、涙は少しずつ落ち着いていた。

 唇が、声にはならない言葉をかすかに形づくる。

 ──ありがとう。

 エイミーはふっと微笑み、そっとビオラの髪を撫でた。

「言葉がなくても、ちゃんと伝わってるわよ」

 その優しい声に、サナが軽く手を叩いた。

「よしっ、じゃあ次! 泣いたらお腹空くよね?
 朝ごはん、食べよう!」

 温かな、ほんの少しだけ普通な朝が、東棟の小さな部屋に訪れていた。
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