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灰の偽冠
しおりを挟む「たいへん素晴らしい出来栄えです。──やはり、お願いして良かった」
その言葉に、ドリスとロドリックは顔を見合わせ、にんまりと笑んだ。
ソーントン伯爵家の居間に、ヴァルト商会長、レオニスの声が響いている。
数ヶ月に渡る出張から帰国したロドリックが、久方ぶりに屋敷に戻り、ようやくレオニスと正式に対面した場だった。
テンタス皇国の使者とはいえ、貴族の末弟に過ぎぬ──そう高を括っていたロドリックだったが、目の前の若者の気配には、なぜかそれだけではない何かを感じさせる雰囲気があった。
「アリシア嬢の技術は、想像を遥かに超えております。この繊細な糸使い、図案の構成……すべてが完璧です」
「まあ……お褒めいただけて、光栄ですわ」
うっとりと微笑むアリシアの隣で、ドリスが満足げに頷く。
「貴国でも、ぜひ評判になればよろしいのですが」
「実は、テンタス皇国では、来年大変大きな慶事が予定されております」
そう前置きし、レオニスはゆっくりとアリシアへ視線を向けた。
「詳しいことはまだお伝えできませんが……第一皇女殿下が皇太子として即位され、皇配を迎えるのです。
その式典に使われる刺繍を、いま宮中で選定しておりまして──」
「まあっ!」
「わたくしは、その候補を探すよう命じられております。この出来であれば……自信を持って推薦できます。結果は追って、正式に通達が来ることとなるでしょう」
「それは……まさに名誉なことですわ!」
アリシアが両手を口元に当て、目を潤ませる。
ドリスは感極まった様子でレオニスの腕に触れ、
「レオニス様、どうかアリシアの名を、ぜひとも貴国に広めてやってくださいませ」
「もちろん。全力で挑みます」
そう応じて、レオニスは傍らの箱を手に取った。
「本日はこのたびの刺繍へのお礼を持参しました。伯爵がご在宅と伺いまして、奥様とお揃いの、金装飾のワイングラスを。
そして、アリシア嬢には──皇都の金細工師が仕立てたアクセサリーセットを」
「まあ!まあまあまあ!」
「嬉しいわ!」
アリシアは歓声を上げ、箱を抱えるようにして立ち上がる。
「お父様、お母様、わたくし──お部屋で合わせてまいりますわ!」
ドレスの裾を翻し、上機嫌で部屋を出ていくアリシアを見送った後、ドリスとロドリックは目を見合わせ、笑みを交わす。
「乾杯を用意してちょうだい」とドリスがメイドに告げると、すぐに香り高い赤ワインが運ばれてきた。
「──まさか、ここまで金の卵だったとはな」
「ふふ、あなたの見る目があったのよ」
「いや、お前の育て方が上手かったんだろう。ソフィアに“アリシア”という冠をかぶせたのは、大正解だった」
「うふふ……次は、お姫様の冠をかぶせてあげようかしら」
軽やかなグラスの音が、室内に響いた。
*
その帰り道。
馬車の中で、レオニスは刺繍の包みをそっと膝の上に広げていた。
淡い桜の枝が、布の上に静かに咲いている。
繊細な糸の重なり、揺れるような花びらの流れ。
その美しさの奥に、彼はふと──布の隅に、白い陰のような縫い目を見つける。
白糸で、密かに縫い込まれていたその文字は──
──ありがとう。
指先でそっと撫でながら、レオニスは小さく微笑んだ。
「……やっぱり、君はそこにいたんだね」
その声は誰にも届かず、馬車の揺れに消えていった。
「もう少し。あと少しだよ。……もうすぐ、君に会える」
窓の外、月が静かに照らしていた。
*
そして──それから二週間後。
王都パロス。王宮にて。
その日は、年に一度の大夜会──王の誕生日を祝う盛典が開かれていた。
磨き抜かれた大理石の床には、無数の足音と音楽が踊り、
天井から下がる水晶のシャンデリアが、きらめく星座のように光を放っている。
宴もたけなわとなったそのとき。
ソーントン伯爵家の名が、王室の伝令によって告げられた。
「ソーントン伯爵殿、およびご息女アリシア嬢。王よりお言葉がございます」
ざわつく会場。アリシアは、あの金細工のアクセサリーを胸元にきらめかせ、慎ましく一礼しながら王座へと進む。
その姿に、あちこちからささやき声が起こる。
「なぜ伯爵家が陛下の御前に?」
「アリシア嬢まで名指しで呼ばれたな」
王は、重々しい口調で告げた。
「テンタス皇国より、公式に通達が届いた。
アリシア・ソーントン嬢の刺繍が、皇太子と皇配のご成婚式に用いるサッシュに、正式に採用されたとのこと。
この名誉を、我が国民として、王室を通じて公にするよう依頼があった」
「ありがたき幸せ。謹んでお受けいたします」
ロドリックが深く頭を下げ、ドリスもアリシアも、感極まった面持ちで膝を折る。
広間に拍手が広がる。
貴族たちの賛辞の嵐が、アリシアを包み込む。
ドレスの裾がきらめき、アクセサリーがその歓声に応えるように光った。
その夜、ソーントン家は社交界の話題を独占した。
*
その数刻後、ソーントン邸の寝室にて──
「いやはや……これが正式な決定だとはな」
ロドリックがワイングラスを揺らしながら呟く。
「ドレスも褒められていたわ。まるで王妃様みたいだって。──ねぇ、“まるで”じゃなくて、本物になるのも夢じゃないわよ?」
ドリスが艶やかに笑い、ロドリックは乾杯のグラスを彼女に向けた。
「乾杯。──これからの栄光に」
「ふふ……我が家の、金の卵に」
澄んだ音が、闇に響く。
彼らの“栄光”は、灰色の冠を戴いたまま──
偽りと欺瞞の光を、よりいっそう強く放ちはじめていた。
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