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第五章『冒険の旅』
湯でくつろぐ一行と、ギュンターの中央護衛連隊長たる資質
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ウェラハスはディングレーをそっと見つめると、告げる。
「皆、『光の民』には不慣れな様子だ。
ゼイブン以外は。
君が、面倒見てくれるか?」
ディングレーは上着を肩から滑り降ろし、長い黒髪が流れる逞しい肩を曝(さら)し、ウェラハスに頷く。
ウェラハスはギュンターに付いて来るよう促すが、ギュンターは、皆が衣服をどんどん脱いでいるのに追いつこうと、シャツを脱ぎ出すローランデの、明るい栗毛と濃い栗毛が交互に混ざる、柔らかな色の長髪に囲まれたその優しい横顔を、心から惜しそう見つめ、待っているウェラハスに向き直り、歩き出すその背に従った。
テテュスが真っ先に湯に浸かろうとすると、石段に居たアーチェラスは湯の中を掻き分けて近寄り、テテュスが浴槽に、降りるその両脇を支え、抱え上げた。
テテュスは軽く抱き上げられ、湯の中に降ろされると、優しい神聖騎士アーチェラスを見上げ、微笑む。
「ありがとう」
アーチェラスはその邪気の無い感謝に、心からの微笑みを返すと、横から続き湯に足を滑り入れるレイファスとファントレイユにも、その小さな手を取り、滑らないようそっと湯の中に導く。
ディングレーはホールーンの横に入ると、その温かさにほっ。と吐息を吐き、ディンダーデンはざぶん!と、ホールーンの目前に入ってアーチェラスから、グラスを受け取った。
ローランデとシェイルが広い浴槽の隅に、二人並んで浸かる。
ホールーンはディングレーを、仲間のように自然に横に迎え入れた。
が、ディンダーデンに振り向くと、浴槽の縁に両手を広げ、長い焦げ茶の巻き毛を散らして仰向く姿を見つめた。
「臆する様子は無いな」
ディンダーデンは仰向けた顔を戻し、ホールーンを青の流し目で見つめ、ささやく。
「神聖騎士団員だから、特別扱いして欲しいか?
ああ…言葉に出さなくても俺の感情が、解るんだったな」
ホールーンは目を丸くして、ディンダーデンを見た。
ディングレーはホールーンの思惑を説明する。
「あんたが『心を読む』と、全然警戒しないな。
と、彼は言ってるんだ」
ディンダーデンはその青の流し目を、今度はディングレーに投げるとつぶやく。
「便利だろう?
いちいち言わなくていいのなら。
近衛じゃ怒鳴って拳を握らないと、マトモに言葉を聞かない奴ばかりだ」
ホールーンは呆れたようにその男を見つめ、ぼそりとつぶやいた。
「開けっ広げだな」
ディンダーデンはグラスの酒を飲み干すと、アーチェラスに差し出し、言った。
「隠す事なんか、無いしな」
そしてゼイブンに振り向き、問う。
「礼儀正しいんだろう?」
ゼイブンはファントレイユの横に滑り込むと、そのいけすかない青い流し目の近衛の色男を見つめ、斜(はす)に構え、つぶやく。
「『神聖神殿隊』の連中なら。
お前が今まで何人、得意の薬で毒殺したか、直ぐ口にしたぞ?」
ディンダーデンは屈託無く笑った。
「俺は盛ってもせいぜいが、一週間下る下剤だ。
そりゃ、強力だがな。
毒薬は時々、使いたくてたまらないが自重してる。
『神聖神殿』に行った時、連中がそれを証明してくれる」
ゼイブンは、嘘を付け。とディンダーデンを軽く睨み、ホールーンに振り向いた。
が、ホールーンは『事実だ』と頷いた。
「…だろう?」
ディンダーデンはお代わりをアーチェラスから受け取りながら、ゼイブンに艶然と微笑んで、ゼイブンを不機嫌にした。
「毒薬を、持ってるの?」
レイファスがファントレイユの横でお行儀良く肩迄湯に浸かり、目を丸くしてディンダーデンを見つめた。
ディンダーデンは、またも苦手な子供に質問され、一気にぶすっ垂れる。
途端、アーチェラスもホールーンも笑った。
ディングレーもゼイブンにもその意味が直ぐに解り、ゼイブンが笑う皆の表情を不思議そうに見回すレイファスに、説明する。
「ディンダーデンは、お前も心を読んでくれたら楽だ。と思ってる」
レイファスがディンダーデンを見ると、彼はその通りだ。とグラスを口に運びながら、ふんぞり返って頷いた。
アイリスが、ダンザインの振り向く戸口に視線を送ると、ウェラハスがギュンターを連れて現れる。
オーガスタスもローフィスもが、大きな一人がけ用の椅子に深く腰掛けたまま、大人しくウェラハスの後に従う、殊勝なギュンターを見つめた。
ウェラハスは頭を下げるアイリスに、朗らかな声音で告げる。
「皆は今、湯に浸かってくろついでいる」
ローフィスはオーガスタスを見つめ、オーガスタスは軽く肩をすくめた。
ダンザインはその様子で、二人共疲れているなと感じ、ギュンターに向き直るとつぶやく。
「推薦状を書くには、君と面会しないと作成出来ない」
ギュンターは頷き、ウェラハスの促す、騎士団長ダンザインの向かいに置かれた椅子に腰を降ろした。
ギュンターは真正面に対峙する、西領地[シュテインザイン]の護衛連隊長でもあり神聖騎士団の長を務めるダンザインの、白っぽい金髪を長く胸に垂らし、隙無く整いきった白面の崇高な顔立ちの、透けて不思議な輝きを宿す青の瞳に見つめられ、そっとつぶやく。
「俺は自分が相応しいと、思っていない。
だが左将軍がそれが必要だと、心を砕いて手配して下さっている今。
もし任命して頂けるのなら、全身全霊で応える気構えがある」
その言葉を聞いてオーガスタスは微笑んだし、ローフィスも笑顔で、軽く肩をすくめた。
アイリスは自分達がこぞってディアヴォロスの為と、ギュンターを中央護衛連隊長に就ける為に動いた事が、彼の決意を促したと解り、そう言い放ったギュンターの、金の髪の巻き付く、決意を秘めた紫の瞳の輝く美貌の横顔を見つめた。
ダンザインは微笑みながら直ぐに返す。
「ではそれを、証明して貰おうか」
だが途端、ギュンターの表情が、変わる。
オーガスタスもローフィスも、アイリスにも何も見えはしなかった。
が、ギュンターの視界にだけ、それは見えた。
右にローランデの愛しい姿。
そして左には、大勢の民が、強欲な『私欲の民』の刃に曝され、殺されようとする場面が。
ギュンターの眉が歪む。
白昼夢にしては、迫力が有りすぎた。
『立って、進むがいい。
左右のどちらかに』
空間から声が響き、ギュンターの前に左右の道が示された。
右の道の先に、あれ程焦がれたローランデの佇む姿が。
そして左の道に…一人、また一人がまるで処刑されるように、民が『私欲の民』と呼ぶ、情け知らずの盗賊達の振り下ろす刃に鮮血を吹き出し、次々に斬り殺され、倒れ伏す民衆の姿が見えた。
血にまみれ倒れた男は断末魔の痙攣に身を震わせ、やがて瞳孔をぱっくり開けたまま、息耐える様子にギュンターの眉間が寄る。
幻だと解っていても、そのリアルな映像にそれを忘れ、思わず掴んでいた椅子の肘掛けを握る手に力が籠もる。
じっとりと汗ばんでいるのを意識し、ここはダンザインを目前に座る椅子で、戦いの場では無い。
と思い出してほっとするものの、直ぐ体がふわっと浮く様な感覚と共に幻想の中へと引きずり込まれ、その確かで無い足場の浮遊感に、不安を掻き立てられる。
…そして次に殺されようとする婦人が、幼い息子を腕に掻き抱き、恐怖と覚悟に、今まさに刃(やいば)を振り下ろそうとする下卑た男を空色の瞳で見つめていた。
すがりつく息子の小さな手が母親の腕に喰い込み、彼女は自分の命は構わないからどうか、この子だけは…!
とその、人間の心を無くした盗賊に憐れみを訴える瞳を、向けた。
『命を賭けた願い事だ』
ギュンターはそう感じた。
が…男のニヤニヤ笑いは、だが、その口元からは消えはしなかった。
彼女の眉が泣き出しそうに寄って、小さな息子の体をきつく護るように抱き締めるのを見た途端。
ギュンターは咄嗟に駆け出していた。
考えてる間など無かった。
心では白昼夢だと、解っていた。
が、その彼女の想いのあまりの切実さに、ギュンターは距離も解らぬまま腰の剣の柄を握り、抜くと、婦人を殺そうと刃を振り上げる男目がけて襲いかかって行った。
『…十分だ』
声が聞こえ、ギュンターは夢から醒めたように自分が、椅子に掛けたままだと気づく。
幻は消え、自分を不思議そうに見つめる、アイリス。
オーガスタス、ローフィスの姿が目に映った。
ダンザインはギュンターに、穏やかに微笑むと告げる。
「皆、随分疲れているようだ。
君達も湯に浸かり、休むといい。
その間に私は、推薦状を書き上げるとしよう」
ギュンターは呆然とダンザインを見つめた。
その、崇高な容貌の神聖騎士団長を。
「…本当に、書いてくれるのか?」
ダンザインは頷き、席を立ち始めるオーガスタスやローフィスに視線を振り、言った。
「彼らと共に、行きなさい」
だがギュンターは、椅子の握りをきつく掴み、顔を揺らす。
「…たった、あれだけで?
俺でいいと、納得したのか?」
ダンザインはギュンターを見つめる。
「ディアヴォロスの推薦がある。
彼の保証を私はたった今、確認し、やはりディアヴォロスの見識は確かだと、心から納得した」
ギュンターは顔を揺らす。
ダンザインは言葉を続ける。
「君は私欲に溺れず、必要な時必要な行動の取れる男だ。
そしてそれは…長足るに、十分な資格だと私は思う」
ギュンターは俯く。
「だが、俺には身分が無い。
俺が長に収まれば、不満を持つ男達が山程出るぞ?」
ダンザインは言った。
「彼らの不満は君が、危険に曝された命を決して見捨てず、護り抜く事実で解消されるだろう」
ギュンターはダンザインを、見つめた。
「とても長い間我慢し、心から欲しているに関わらず。
君はちゃんと的確に判断し、行動していた」
ギュンターは俯く顔を揺らす。
ああ…こいつも心を、読むんだ。
だが、言った。
「俺の欲求不満は時が来れば解消されるだろうが。
今死のうとする命は、時が経てば永久に、失われるからな」
ダンザインは微笑んだ。
「それこそが、長たる資質だ。
君は育ちが良くなく、自分に品が無いと思っているようだが、一つ忠告させてもらうなら…」
ギュンターは、顔を上げてつぶやく。
「伺おう」
「君のやり方を通せ。
地方護衛連隊長は、品格や家柄よりも勇猛さと民を護る力が優先されるべきだから」
ギュンターは散々、皆から秘かに野獣と呼ばれている自分を、思い出した。
確かに地方護衛連隊長は、目前の西領地[シュテインザイン]の護衛連隊長をも兼ねるダンザインと、ローランデが長たる北領地[シェンダー・ラーデン]以外は自分同様、獰猛で野獣のような大公らが統べている。
ギュンターは、吐息を吐いてつぶやいた。
「なる程」
ダンザインは微笑を浮かべたまま頷き、ウェラハスに彼らを導くよう、促した。
「皆、『光の民』には不慣れな様子だ。
ゼイブン以外は。
君が、面倒見てくれるか?」
ディングレーは上着を肩から滑り降ろし、長い黒髪が流れる逞しい肩を曝(さら)し、ウェラハスに頷く。
ウェラハスはギュンターに付いて来るよう促すが、ギュンターは、皆が衣服をどんどん脱いでいるのに追いつこうと、シャツを脱ぎ出すローランデの、明るい栗毛と濃い栗毛が交互に混ざる、柔らかな色の長髪に囲まれたその優しい横顔を、心から惜しそう見つめ、待っているウェラハスに向き直り、歩き出すその背に従った。
テテュスが真っ先に湯に浸かろうとすると、石段に居たアーチェラスは湯の中を掻き分けて近寄り、テテュスが浴槽に、降りるその両脇を支え、抱え上げた。
テテュスは軽く抱き上げられ、湯の中に降ろされると、優しい神聖騎士アーチェラスを見上げ、微笑む。
「ありがとう」
アーチェラスはその邪気の無い感謝に、心からの微笑みを返すと、横から続き湯に足を滑り入れるレイファスとファントレイユにも、その小さな手を取り、滑らないようそっと湯の中に導く。
ディングレーはホールーンの横に入ると、その温かさにほっ。と吐息を吐き、ディンダーデンはざぶん!と、ホールーンの目前に入ってアーチェラスから、グラスを受け取った。
ローランデとシェイルが広い浴槽の隅に、二人並んで浸かる。
ホールーンはディングレーを、仲間のように自然に横に迎え入れた。
が、ディンダーデンに振り向くと、浴槽の縁に両手を広げ、長い焦げ茶の巻き毛を散らして仰向く姿を見つめた。
「臆する様子は無いな」
ディンダーデンは仰向けた顔を戻し、ホールーンを青の流し目で見つめ、ささやく。
「神聖騎士団員だから、特別扱いして欲しいか?
ああ…言葉に出さなくても俺の感情が、解るんだったな」
ホールーンは目を丸くして、ディンダーデンを見た。
ディングレーはホールーンの思惑を説明する。
「あんたが『心を読む』と、全然警戒しないな。
と、彼は言ってるんだ」
ディンダーデンはその青の流し目を、今度はディングレーに投げるとつぶやく。
「便利だろう?
いちいち言わなくていいのなら。
近衛じゃ怒鳴って拳を握らないと、マトモに言葉を聞かない奴ばかりだ」
ホールーンは呆れたようにその男を見つめ、ぼそりとつぶやいた。
「開けっ広げだな」
ディンダーデンはグラスの酒を飲み干すと、アーチェラスに差し出し、言った。
「隠す事なんか、無いしな」
そしてゼイブンに振り向き、問う。
「礼儀正しいんだろう?」
ゼイブンはファントレイユの横に滑り込むと、そのいけすかない青い流し目の近衛の色男を見つめ、斜(はす)に構え、つぶやく。
「『神聖神殿隊』の連中なら。
お前が今まで何人、得意の薬で毒殺したか、直ぐ口にしたぞ?」
ディンダーデンは屈託無く笑った。
「俺は盛ってもせいぜいが、一週間下る下剤だ。
そりゃ、強力だがな。
毒薬は時々、使いたくてたまらないが自重してる。
『神聖神殿』に行った時、連中がそれを証明してくれる」
ゼイブンは、嘘を付け。とディンダーデンを軽く睨み、ホールーンに振り向いた。
が、ホールーンは『事実だ』と頷いた。
「…だろう?」
ディンダーデンはお代わりをアーチェラスから受け取りながら、ゼイブンに艶然と微笑んで、ゼイブンを不機嫌にした。
「毒薬を、持ってるの?」
レイファスがファントレイユの横でお行儀良く肩迄湯に浸かり、目を丸くしてディンダーデンを見つめた。
ディンダーデンは、またも苦手な子供に質問され、一気にぶすっ垂れる。
途端、アーチェラスもホールーンも笑った。
ディングレーもゼイブンにもその意味が直ぐに解り、ゼイブンが笑う皆の表情を不思議そうに見回すレイファスに、説明する。
「ディンダーデンは、お前も心を読んでくれたら楽だ。と思ってる」
レイファスがディンダーデンを見ると、彼はその通りだ。とグラスを口に運びながら、ふんぞり返って頷いた。
アイリスが、ダンザインの振り向く戸口に視線を送ると、ウェラハスがギュンターを連れて現れる。
オーガスタスもローフィスもが、大きな一人がけ用の椅子に深く腰掛けたまま、大人しくウェラハスの後に従う、殊勝なギュンターを見つめた。
ウェラハスは頭を下げるアイリスに、朗らかな声音で告げる。
「皆は今、湯に浸かってくろついでいる」
ローフィスはオーガスタスを見つめ、オーガスタスは軽く肩をすくめた。
ダンザインはその様子で、二人共疲れているなと感じ、ギュンターに向き直るとつぶやく。
「推薦状を書くには、君と面会しないと作成出来ない」
ギュンターは頷き、ウェラハスの促す、騎士団長ダンザインの向かいに置かれた椅子に腰を降ろした。
ギュンターは真正面に対峙する、西領地[シュテインザイン]の護衛連隊長でもあり神聖騎士団の長を務めるダンザインの、白っぽい金髪を長く胸に垂らし、隙無く整いきった白面の崇高な顔立ちの、透けて不思議な輝きを宿す青の瞳に見つめられ、そっとつぶやく。
「俺は自分が相応しいと、思っていない。
だが左将軍がそれが必要だと、心を砕いて手配して下さっている今。
もし任命して頂けるのなら、全身全霊で応える気構えがある」
その言葉を聞いてオーガスタスは微笑んだし、ローフィスも笑顔で、軽く肩をすくめた。
アイリスは自分達がこぞってディアヴォロスの為と、ギュンターを中央護衛連隊長に就ける為に動いた事が、彼の決意を促したと解り、そう言い放ったギュンターの、金の髪の巻き付く、決意を秘めた紫の瞳の輝く美貌の横顔を見つめた。
ダンザインは微笑みながら直ぐに返す。
「ではそれを、証明して貰おうか」
だが途端、ギュンターの表情が、変わる。
オーガスタスもローフィスも、アイリスにも何も見えはしなかった。
が、ギュンターの視界にだけ、それは見えた。
右にローランデの愛しい姿。
そして左には、大勢の民が、強欲な『私欲の民』の刃に曝され、殺されようとする場面が。
ギュンターの眉が歪む。
白昼夢にしては、迫力が有りすぎた。
『立って、進むがいい。
左右のどちらかに』
空間から声が響き、ギュンターの前に左右の道が示された。
右の道の先に、あれ程焦がれたローランデの佇む姿が。
そして左の道に…一人、また一人がまるで処刑されるように、民が『私欲の民』と呼ぶ、情け知らずの盗賊達の振り下ろす刃に鮮血を吹き出し、次々に斬り殺され、倒れ伏す民衆の姿が見えた。
血にまみれ倒れた男は断末魔の痙攣に身を震わせ、やがて瞳孔をぱっくり開けたまま、息耐える様子にギュンターの眉間が寄る。
幻だと解っていても、そのリアルな映像にそれを忘れ、思わず掴んでいた椅子の肘掛けを握る手に力が籠もる。
じっとりと汗ばんでいるのを意識し、ここはダンザインを目前に座る椅子で、戦いの場では無い。
と思い出してほっとするものの、直ぐ体がふわっと浮く様な感覚と共に幻想の中へと引きずり込まれ、その確かで無い足場の浮遊感に、不安を掻き立てられる。
…そして次に殺されようとする婦人が、幼い息子を腕に掻き抱き、恐怖と覚悟に、今まさに刃(やいば)を振り下ろそうとする下卑た男を空色の瞳で見つめていた。
すがりつく息子の小さな手が母親の腕に喰い込み、彼女は自分の命は構わないからどうか、この子だけは…!
とその、人間の心を無くした盗賊に憐れみを訴える瞳を、向けた。
『命を賭けた願い事だ』
ギュンターはそう感じた。
が…男のニヤニヤ笑いは、だが、その口元からは消えはしなかった。
彼女の眉が泣き出しそうに寄って、小さな息子の体をきつく護るように抱き締めるのを見た途端。
ギュンターは咄嗟に駆け出していた。
考えてる間など無かった。
心では白昼夢だと、解っていた。
が、その彼女の想いのあまりの切実さに、ギュンターは距離も解らぬまま腰の剣の柄を握り、抜くと、婦人を殺そうと刃を振り上げる男目がけて襲いかかって行った。
『…十分だ』
声が聞こえ、ギュンターは夢から醒めたように自分が、椅子に掛けたままだと気づく。
幻は消え、自分を不思議そうに見つめる、アイリス。
オーガスタス、ローフィスの姿が目に映った。
ダンザインはギュンターに、穏やかに微笑むと告げる。
「皆、随分疲れているようだ。
君達も湯に浸かり、休むといい。
その間に私は、推薦状を書き上げるとしよう」
ギュンターは呆然とダンザインを見つめた。
その、崇高な容貌の神聖騎士団長を。
「…本当に、書いてくれるのか?」
ダンザインは頷き、席を立ち始めるオーガスタスやローフィスに視線を振り、言った。
「彼らと共に、行きなさい」
だがギュンターは、椅子の握りをきつく掴み、顔を揺らす。
「…たった、あれだけで?
俺でいいと、納得したのか?」
ダンザインはギュンターを見つめる。
「ディアヴォロスの推薦がある。
彼の保証を私はたった今、確認し、やはりディアヴォロスの見識は確かだと、心から納得した」
ギュンターは顔を揺らす。
ダンザインは言葉を続ける。
「君は私欲に溺れず、必要な時必要な行動の取れる男だ。
そしてそれは…長足るに、十分な資格だと私は思う」
ギュンターは俯く。
「だが、俺には身分が無い。
俺が長に収まれば、不満を持つ男達が山程出るぞ?」
ダンザインは言った。
「彼らの不満は君が、危険に曝された命を決して見捨てず、護り抜く事実で解消されるだろう」
ギュンターはダンザインを、見つめた。
「とても長い間我慢し、心から欲しているに関わらず。
君はちゃんと的確に判断し、行動していた」
ギュンターは俯く顔を揺らす。
ああ…こいつも心を、読むんだ。
だが、言った。
「俺の欲求不満は時が来れば解消されるだろうが。
今死のうとする命は、時が経てば永久に、失われるからな」
ダンザインは微笑んだ。
「それこそが、長たる資質だ。
君は育ちが良くなく、自分に品が無いと思っているようだが、一つ忠告させてもらうなら…」
ギュンターは、顔を上げてつぶやく。
「伺おう」
「君のやり方を通せ。
地方護衛連隊長は、品格や家柄よりも勇猛さと民を護る力が優先されるべきだから」
ギュンターは散々、皆から秘かに野獣と呼ばれている自分を、思い出した。
確かに地方護衛連隊長は、目前の西領地[シュテインザイン]の護衛連隊長をも兼ねるダンザインと、ローランデが長たる北領地[シェンダー・ラーデン]以外は自分同様、獰猛で野獣のような大公らが統べている。
ギュンターは、吐息を吐いてつぶやいた。
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