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シュルツの部屋でラナーンの世話をする召使い、ルンナル

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 ラナーンは部屋に戻るなり、眠くなって横になってた。
サイドテーブルで音がした気がして、目を覚ます。
そこにはいつも世話してくれてる、ラナーンが内心“ウスノロ馬鹿”と呼ぶ、シュルツの召使いが。
大きな体でもぞもぞと、何かしてた。

アースルーリンドは大陸エルデルシュベインでも、秘境と呼ばれる土地。
周囲をぐるりと高い崖に囲まれ、そこに迷い込んで出られなくなった者達が先祖。

閉じた環境で数少ない迷い人が定住し、次第にその数を増やし、やがて外界から訪れた者に、美形の宝庫と呼ばれ。
崖の外の広大な樹林に住む盗賊らは、大陸の各国で高値で売れるので、わざわざ崖を超えてアースルーリンドの民を、さらいにやって来る。

…つまり殆どの民が整った顔立ちをしていたし、それが当たり前。
そんな中、この召使いは愚鈍で、のっぺりした顔をしていた。

数少ない“美しくない者”。
ラナーンは美形達の中でも、目立つ美しさを持っていたので、内心この召使いを見下しきっていた。
美しくないだけで無く、不器用でグズ。

けれど目が覚める度、側で世話してくれてるのはいつも、この召使い。
ラナーンは内心、シュルツは実は大貴族でも貧乏で。
召使いの数がとても少なく、質も悪いんだと思った。

目覚めた時、部屋の中は暗く、サイドテーブルの向こうの箪笥の上にランプが置かれ。
灯りは、それだけ。
夕飯を運んできたのかと、サイドテーブルの方へ何気に手を振る。

「熱っ!」
指先に、熱さを感じ、咄嗟伸ばした手を戻す。
けれど何かとても熱い物に触れた指先は、じんじんと痛かった。

「…!!!」

ラナーンは咄嗟、身を起こし横に立つ召使いを睨み付けた。
召使いは…驚き、怯えた表情をし、ラナーンを見つめ返す。

「あ…あつ…熱かった?
す…すみませんだ…」

見ると、湯がなみなみ入った陶器のポットがサイドテーブルに置かれ、サイドテーブルの上には湯が、飛び散っていた。

「…すみ…ませんだって?!
火傷したじゃないか!!!
痕が残ったら、どうするつもりなんだ?!」

思わず凄い剣幕で、怒鳴ってた。
召使いは…おどおどし、慌てて手を出し、傷付いた手を掴もうとするから。
ラナーンは思い切り、払い退けて叫んだ。

「触るな!!!」

けれどその剣幕と先ほどからの会話で、不穏な空気を感じ取ったらしいシュルツが。
バタン!と大きな音立てて、部屋に飛び込んで来る。

「…何があった?!」
ラナーンはきっ!として、シュルツを睨む。
「火傷を負わされた!
あんたんとこの召使い、しつけなってないんじゃないの?!」

昼間、レナルアンとやりあった勢いも、残ってたのかもしれない。
シュルツは狼狽えきる召使いをチラと見た後、寝台に駆け寄り、ラナーンが引いた腕をそっと取る。
握る手を開かせ、傷を探す。
異変無く
「どの辺り?」
と聞くと、ラナーンは
「人差し指の先」
と答えた。

シュルツは指先に、2ミリ程度の赤い発疹を見つけ、他に無いかと見回したけど。
それしか見つからず、言葉を無くした。
やっと口開くと
「…………………もしかして、これが火傷?」
と囁き、そっと触れてみる。
ラナーンは微かに痛みを感じ、シュルツの手を振り払い睨む。
が、シュルツが呆けてるので、自分の痛みを感じる指先を見た。

「……………………………」

人差し指の腹に、ちょっと赤く膨れた痕が見え、その小ささにラナーンも正直、大騒ぎする程の傷じゃなくて、かなり気まずかったけど。
勢いで、つい怒鳴りつけた。
「…だってあいつの不手際だ!」
シュルツは真顔で尋ねる。
「…指先に、湯を落としたのか?」

洗練されて無くて、田舎っぽい感じはするけど。
鼻も顎もががっしりめの、男らしく好感持てる風情のシュルツに、真顔で尋ねられ。
更にブルーの瞳でじっと見つめられて。
ラナーンは気まずくなり、顔を下げ小声で告げる。
「…じゃなくて…俺が手を振ったら…ポットに当たって…」

聞いた途端、シュルツは大きなため息を吐いた。
そして、サイドテーブルのうんと後ろに不安げな表情で立つ、召使いに振り向く。

再度ラナーンに振り返ると、小声で囁いた。
「ルンナルが気に入らないのか?」

ラナーンは気まずさから逃れようと、顔を下げたまま叫んだ。
「…当たり前だろ?!
グズでノロマで!
あんな所にポット置いて!
俺に怪我させたいんじゃないの?!」
「彼に悪意は全く無い」

シュルツの即答に、ラナーンは顔を上げた。
シュルツは低い声で囁く。
「…が、君がいつもの我が儘で彼を傷つけるんなら。
彼を君の世話から外す。
けれど彼は…。
子供の頃、木から落ちて頭を打って以来、普通じゃない」

ラナーンはシュルツの顔を見つめ返し
“馬鹿?”
と、聞こうとした。

シュルツは囁く。
「…普通よりとても、純粋だ」

ラナーンはぽかん。として、シュルツを見た。
シュルツは素早く言葉を繋ぐ。
「君がここに運び込まれた時。
偶然彼が最初に世話に当たった。
彼は、ずっと眠り続け、目覚めない君をとても心配して。
別の召使いが、代わろうと申し出ても、一晩中君の側を離れなかった」

言って、シュルツはラナーンを見ると、続きを話し出す。
「…彼が木から落ちた子供の頃。
彼の母親は彼が目覚めないのでは無いかと。
一晩中付き添っていた事を、思い出したのかもしれない。
彼は君が目を覚ました時。
とても…喜んでね。
それで…いそいそと、君の世話の準備をする彼を誰も…止められず。
俺も彼が、君に傷つけられないか、気にはなっていたが。
彼があんまり君の世話を熱心にするので…そのままにして置いた。
ラナーン。
彼は馬鹿が付くぐらい、誠実で一生懸命だ。
ここの召使い達はそんな彼が、大好きで護りたいと思ってる」

ラナーンは掠れた声で尋ねた。
「なに…から?」

シュルツは青い眼差しをラナーンに真っ直ぐ向けて、言い放った。
「悪意ある者達から」

ラナーンは、顔を下げた。

「…君からしたら。
彼のような者は格好の餌食。
当たり散らす材料かもしれない。
けれど俺は君に彼を、傷つけさせたくない。
だから…君の世話をもうするなと。
彼に命ずる事も出来る。
けれどもしそれをしたら…」

ラナーンは顔を、上げた。
シュルツは俯いていた。
「…彼は自分が不十分で。
…能力不足で、世話から外されたと…落ち込むだろう」

ラナーンはふいに瞳が潤んだ。
シュルツは顔を上げる。
「…つまりそれだけ…」
「…もう…いい」

シュルツはラナーンを見る。
ラナーンは俯き…瞳を潤ませて囁く。
「…言っといて…。
俺…まだ体が本調子じゃ無いから…。
時々凄く…態度悪いけど…。
それ、治ってないからだ…って…」

シュルツはラナーンを覗き込む。
ラナーンは顔を上げた。
泣きそうな表情で、シュルツはうっ!と顔を引く。

ラナーンは気づかず、言葉を続ける。
「…どうせ、明日はここを出る。
それまで…だから…。
俺…の具合が悪いから…それで…そのせいだ…って……」

シュルツは今にもポロポロと涙を零しそうな。
タマに講義室で見かける時、いつも偉そうで我が儘なラナーンと今のラナーンが違いすぎて。
どう接していいか分からず、ただ、首を縦に振った。

ラナーンは顔を上げる。
「…俺…あんたんとこの領民だった…ら…」

シュルツはその時、ようやくラナーンに同情した。
「…さ程大きな領地じゃ無いし。
父も農民や猟師に混じると、領主だと分からない程の田舎者だ。
けれど誰もが皆、互いに親身になり…人の繋がりは情があって、とても温かい」

ラナーンは頷く。
「…凄く…好きなんだ。領地も…領民も」

シュルツは頷く。
「領主がする事はただ一つ。
領民を剣で。
盗賊共から護る事だ」

ラナーンはまた、頷く。
「…ごめん…って…言っといて。
ルン…?」
「ルンナル。
覚えにくかったら、ルンでいい。
君が直接言えば?
彼は、ほっとする」

シュルツはそう囁くと、まだサイドテーブルの後ろで状況を見守るルンナルに振り向く。
「彼の怪我は大した事無い。
が、体調がまだ悪いから。
それでちょっとしたコトにも、不機嫌なんだ」

ラナーンが視線を向けた時。
ルンナルが心から嬉しそうに、ほっとした様子で笑う。

その笑顔が…とても綺麗で、輝いて見えて…ラナーンは呆けた。
「(…空色の瞳なんだ…)」

そんな事にすら、気づきもしなかった…。

ラナーンは顔を下げ、決まり悪げに小声で告げる。
「…俺まだ…調子、良くないから…。
怒鳴って…ゴメン…」

「元気…なら…い…い。
あなた…元気なら…僕、平気」

そう言って、拳握って胸を叩く。
『大丈夫』
そう言うように。

ラナーンは普段なら、馬鹿にした。
けれど直ぐ側に居るシュルツが笑顔を浮かべる。
「君が熱心に看病したから。
彼はもっと元気になるよ」

ルンナルは…シュルツにそう言われ、照れて頬を染めた。

シュルツはラナーンに振り向く。
真剣な眼差しで囁いた。

「彼は君の体も拭いてる。
傷がいっぱいあったと…心を痛めてる。
だから…」

ラナーンはその時、ようやく分かった。
自分まで俺を傷つけたのかと。
彼は怯えた。

ラナーンはまた、顔を下げた。
そして、はっきりとした口調で言った。

「指先、ちよっと湯に触れただけだし、ホントはびっくりしただけで、それ程痛くない!」

…嘘だった。
ここでは絶対傷付けられない。
そう安心しきっていたから。
緊張が、解けていたから。

だからふいに痛みが襲った時。
それが裏切られて…倍以上痛みを感じたし、腹が立った。

…でも、ルンナルのせいじゃない…。
ちょっとした事。
単に熱いポットが近くに置かれすぎて。
それを知らずに手で触れてしまっただけの…事故。

でもたったそれだけの事ですら。
心が傷付いてしまう、自分がいる…。

「俺…ちょっと辛かったから…だから…」

シュルツの手が優しく肩に触れ、ラナーンは顔を上げると、ルンナルは…。
瞳を潤ませて、頷いていた。

まるで傷付いた子犬が、もっと傷付かなくて良かった。
そう言うように。

シュルツが部屋からそっと出て言った後。
ルンナルは陶器の容器に、熱湯と水を入れて布で浸し、そっ…とラナーンの顔を、拭き始めた。
ぎこちない手つきだけど、温かくて…。
ラナーンはその温かさが心に染みて、泣きそうで…。

顔を下げて、尋ねた。
「…俺の事…心配だった?」

顔を上げると、ルンナルはのっぺりした顔に笑顔を浮かべる。
やっぱり、輝いて見えた。

「でも、あなた、もう目覚めたし、ご飯も食べる。
もっと元気に、なる」

ラナーンは顔を下げた。

そしてこっくり、頷いた。
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