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悲しい現実
しおりを挟むこの世界の貴族たちは、婚約が整うと皆一様に閨教育というものを受ける。ネット等がないので、情報を仕入れられないこの世界でそういったことを学ぶには、専門の教師を頼んで教えを請わなくてはならない。勿論本から知識を得る方法はあるが、それはあくまで余剰の学びであって、基本的には教師から習うのが主なのである。らしい。
アネッサは前世でネットの波を大航海した際に様々な知識を得てはいる(実際には自慰行為以上のことはしたことがないので、所謂耳年増というやつである)ものの、勿論そんなことは誰にも明かしたことはないので、一般的な貴族と同様に閨教育の教師を呼ぶこととなった。前世の感覚からすると他人から直接性教育を受けるというのは少し気恥ずかしいような感覚はあるが、それが普通なのだ。アネッサは自身に言い聞かせた。
それに、気恥ずかしさと同時にわくわくしている部分もある。なんといったって、この世界はネット等のハイテクは揃っていないものの、化学を超えた魔法というものが存在するのだ。魔道具などもあるわけで、さぞこの世界のえっちはそういったものが駆使された素晴らしいものであるに違いない。
そう思って、アネッサは閨教育が施される今日この日をとても楽しみにしていた。のに。
アネッサは、目の前の閨教育担当の女性教師であるハネルの言葉を聞き、思わず言葉を失った。あまりに信じられない内容に、思わず「それで?」と続きを促してしまったアネッサに対して再びハネルの無慈悲な言葉がかけられる。
「男性は自分で男性器を触り勃起させ、固い棒状にします。その間に女性は自分で女性器に痛み止めの入った香油を塗り、受け入れの準備を整えます。そして、男性が女性器に男性器を挿入し――何度か往復させ、膣内に子種を吐き出します。それでは射精が難しい場合もあるため、その際は女性器から男性器を抜き、男性器を再び触り射精する直前に女性器へと男性器を押し当て、膣内に子種を注ぐと良いでしょう。……今度は覚えましたか?」
あまりに端的で情緒のない言い方なのはともかくとして、驚くべきはその内容である。
(流石にえっちの前後を端折っただけよね?それだけがすべてだなんて言わないわよね?いちゃらぶの部分まで教えろとは言わないけれど、もう少し細かい説明があってしかるべきではないの?)
アネッサはそう思って続く言葉を促したというのに、つい先ほど聞いたばかりの文言が一言一句違わず再び聞こえてきて、頭を抱えることとなった。
「待って、前戯は?だってそれだけじゃ男性もあんまり気持ち良くないし女性も痛いでしょう?」
「前……?…痛みは、まあ、子を作るというのはそういうものですから。大丈夫です、何度か繰り返せばお互い若干は痛みが薄れます。子を産むときは更に痛いのですし、人間の身体というのは耐えられるように出来ていますから」
そういう問題じゃない。いや勿論破瓜の痛みはあるだろうけれど、ハネルの言う”子作り”はその次元ではない。大して慣らしもせず、痛み止め効果はあるものの香油の滑りだけで挿入するなんて正気の沙汰ではない。想像だけで痛すぎる。
確かに子供を産むときだって信じられない程痛みはあるけれど、それだって陣痛の間に子宮口が徐々に開いていくからこそ子供が外に出られるのだ。会陰も切開するし、出てくるまでにしっかりと身体を準備させるのである。いきなりポンと出てくるわけではない。
それに、ハネルの説明を聞く限りでは女性側の苦痛だけでなく男性側の苦痛も大きいように感じる。アネッサには前世含め男性の意見を直接聞く機会などなかったが、ある程度の刺激と興奮が必要なことは知っている。初めてのときは緊張で萎えてしまっただとか、そういう失敗談も聞いたことがある。
テレビなどがないこの世界に大人向けのビデオなど存在する筈もないし、そうなると男性側は単なる刺激だけで射精までもっていくということだろうか。女性側の受け入れも万全ではないのに。そんなのどちらも楽しくないではないか。
それに、膣内射精が難しい場合は一旦出して自慰して精子だけを膣内に入れるというのも受け入れ難い。そんなのもう性行為ではない。ほぼほぼ自慰行為ではないか。
更に問題なのは、今回アネッサの閨教育を担当したハネルは貴族社会でもかなり著名な閨教育の教師であるということだ。つまりこの世界の一般的ないし高次な閨教育は、先程の愛も何もない端的な繁殖行為がすべてであるということで。
折角異世界に(アネッサ基準では)美人として転生し顔も身体つきもドストライクな殿方と婚約できたというのに、こんなのあんまりだ。アネッサの爛れたいちゃらぶ性活は一体どこにあるというのか。これでは何のために転生したのか分からない。魔法チートもないというのに(アネッサはこのことを結構引きずっている)。
「…ハネル先生。つかぬことをお聞きするのだけれど」
「ええ、なんでもどうぞ」
「殿方も、私達と同じ内容の閨教育を受けるのかしら」
もしかしたら、殿方側ではまったく違う、女性をとろっとろにする愛撫の方法などを学ぶのかもしれない。よくある「女性は男性にお任せすれば大丈夫」的な感じで、女性は知り得ない細かい教育を受けている可能性がある。そんな淡い期待を胸にそう問いかけたアネッサに返ってきたのは、やはり無慈悲な回答で。
「ええ、そうですよ」
ーーああ、神よ!
どうして私をこんな遅れた閨教育しか施されないところに転生させたのですか!
アネッサは神を呪わずにはいられなかった。
◇
衝撃の閨教育を受けて数日後(驚くことに閨教育は1回のみで終了した。まああの内容だけで何回もされても困るけれども)、アネッサは自室にて読書に耽っていた。ぱらぱらと捲るのは、「男女の営みについて」というあからさまな題目のつけられた本である。ちなみにこの本は我が侯爵家の書庫のだいぶ奥の方に隠されるようにしまわれていた。父にも侍女にも見つからないように自室へ持ち帰るのは骨が折れたが、恐らくは誰にも見つかっていないだろう。アネッサは出来る女なのである。
期待度激アツなしまわれ方をしていたやたらと分厚いそれには格式高い教師が教えることの出来ないこの世界の隠された性事情があるだろうと、アネッサは意気揚々と読み始めた。それはもう、鼻息を荒くするレベルで。が、読み始めたは良いものの、内容はそれはそれはひどいものだった。
人間の成長という小タイトルから始まるそれは、生物学の教科書よろしく人体の仕組みから事細かく記されていた。さあでは男女の営みとは、というページに辿り着いたのは分厚い本のおおよそ半分ほどに差し掛かったころだった。折角「この世界のあれこれを逃さないように」と一見関係なさそうなページでも飛ばすことなく一言一句丁寧に読んできたというのに、まるで無意味であった。あんまりだ。アネッサの奮闘した貴重な数時間と眼精疲労と肩こりを返してほしい。
そしていざ男女の営みゾーンに入ったかと思えば、まずは相手と目を合わせましょうというところから始まる。いやそんなん教えてもらわなくてもわかる。次に挨拶をしましょうとか、相手の表情を見ながら会話の内容を考えましょうとか、ともすれば間違えてマナー本でも手に取ってしまったかと思ってしまうような内容である。
更に驚くべきことに、男女の営みゾーンに入ってから手を繋ぐまでで数十ページを費やした。え、この世界ってそんなに接触しちゃいけないの?感染症予防の概念すら薄いのにソーシャルディスタンスだけは取り入れてるの?もしかして触れるだけで病気が移ると思ってる?とアネッサが怒涛のツッコミを入れたくなるのも致し方ないことだろう。
ようやく(本の中で)口付けを交わす頃には、もう本の終盤に差し掛かっていた。しかもここで記されている口付けは所謂ライトキスとかバードキスとか言われるもので、アネッサからすれば”口付け”なんて言い方をするのもおこがましい。ただ、唇と唇を薄っすら触れ合わせるだけの行為だ。粘膜の接触とは到底言い難い、ただの事故チューである。烏滸がましいにも程がある。事故チューは事故チューで別の趣きはあるけれど、ここでは割愛する。
一体この世界の恋人たちはなにをもってイチャイチャするのか。ディープキスどころかバインドキスすらしないとは一体どういう了見なのか。キスに舌などは一切不要とでも言わんばかりの教本を床に投げつけたくなった。
「……よくよく考えれば、娼館がない時点で色々と疑うべきだったわ…」
――アネッサにも、違和感はあった。
この世界には風俗のような、娼館と呼ばれるものが存在しない。ただ箱入り貴族令嬢であるアネッサの耳に入らないだけなのだろうかとスルーしていたが、どうやらそうではなかったようだ。ただ、性教育らしい性教育もなくみんなよく分からないままに子作りだけの行為をしているから発達していないだけなのだ。
そもそも性に対して過大な期待も興味もないから、貞操観念的なものも明確には存在しない。性行為とはイコール子作りであり、夫婦でなければ楽しくもない性行為をする必要もない。
だから、”身持ちが悪い”とかいう概念もないし、”性犯罪”というものも表立っては起こらない。当然だ、この世界の男性にとっての性行為は、射精による快感よりも(女性側を慣らすという概念がないために)男性器を引きちぎられそうな痛みの中、なんとか摩擦行為に微かな快感を拾って”子種を出さなくてはならない”というプレッシャーの方が強いのだから。それなら相手のいない自慰行為の方が数段マシな気がする。
「…あんなに素敵な殿方と婚約したのに……」
結局本の全てを網羅した後に残ったのは、この世界の男女が閨教師の教えてくれた通りの性行為しか存在せず、アネッサの期待する爛れたいちゃらぶ性活なんていうものは夢のまた夢であるという悲しい現実、そして悲しい現実を得るために多大な時間を浪費したという事実だけであった。
アネッサは絶望のあまり、今度こそ手元の本を床に投げつけたのだった。
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