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お腹を鳴らすだなんて可愛すぎて反則

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 菫は、宿屋を出てすぐ洋服店へと向かった。ダールの夕食には夜運ばれてくる宿屋の食事を食べてもらえば良いし、菫自身は夜一食抜くくらいブラック会社務めであった故に大したことではないから、最悪洋菓子はなくても構わない――菫の中ではダールに食べさせないという選択肢はない――が、流石に洋服なしではダールが風邪を引いてしまう。ダールに苦しい思いをさせるわけにはいかないし、本音を言えばダールのまともな服を身にまとった姿が見たいのである。ついでに、この世界では目立つらしい菫自身の服も注目を浴びない程度のものに変えておきたい。
 到着した洋服店には、幸い男物も女物も売られているようだ。辺りを見回して、ダールに似合いそうな服の物色を始める。

「あの…、私共の店には一般庶民向けの服しか置いていませんが……」

 服を探す菫にそう言って申し訳なさそうに話し掛けてきたのは、菫よりも十程年上に見える女性の店員だった。一瞬脳内にはてなマークを浮かべた菫だったが、奴隷商人にも「異国の貴族殿」に間違われたということを思い返す。きっと菫お気に入りの洋服は、この世界――少なくともこの国においては上質なものに見えるのだろう。
 一般庶民向けのもので良いので大柄の男性が着られるものと菫が着られるものを見たいと伝えると、戸惑った様子の店員はそれでも注文通りいくつかの服を菫の前へと差し出した。

「こちらが、当店で一番サイズの大きい男性服になります」

 そう言って店員が見せたのは、白いシャツと紺色のダブルブレストのジャケット、黒のズボンだった。ジャケットには葉っぱかなにかの刺繡が施されている。シャツとズボンはともかくジャケットはあまり見慣れないものだが、少し広めに胸元の開いているジャケットの形はダールの逞しく豊満な胸板を綺麗に見せてくれることだろう。よくよく考えれば街中の男性はこのような服を着ていた気がすると思い出した菫は、白いシャツを三枚と黒いズボンを二枚、そしてジャケットを紺、緑、焦げ茶の三色を一着ずつ購入することに決めた。恥を忍んで、下着(どうやらこの国の下着はトランクス一択であるらしい)も三着程準備してもらった。
 女性用の服は、白いブラウスに長いジャンパースカートが主流であるようだった。男性の服よりも色や刺繍の文様の種類が豊富で、スカートの裾もまっすぐだったりフレアになっていたりと様々である。菫自身はこの国の流行等知る由もないし、ダールを着飾ることで頭がいっぱいの今自身の服装なんてものは些事でしかないのだが、店員は違ったらしい。お客様の白い肌にはこの色が似合うだとか、お客様の美しい顔立ちには華やかな刺繍の方が良いだとか、大袈裟に思える世辞を交えながら色々と勧めてくる。

(…まあ、この店員にとって私は「異国の貴族っぽい金蔓」なわけだし……そりゃ張り切って売ろうとするよね)

 菫は店員の熱意に押され、白いブラウスを二着、そして紺、薄桃、橙の三色のジャンパースカートをそれぞれ一着ずつ購入することになった。刺繍も色々と説明されたが、正直あまり覚えていない。ただ、小振りな花をメインとした刺繍は可愛いな、とは思った。勿論、下着も上下セットで購入した。基本的な形は日本のそれと大した変わりはなかったが、レースやリボンなどの装飾は一切なく、至極シンプルなものだったので菫のテンションは然程上がらなかった。誰に見せるわけでもないが、勝負下着はなんとなくモチベーションに繋がるものなので、どこかで可愛い下着も買えると良いな、とぼんやりと考える菫であった。
 会計は、直前に存在を思い出した靴(といっても、ダールの足のサイズを知らなかったのでひとまずサイズの大きいサンダルのようなものを購入した)も含めて約二千エンペルだった。結構買ったと思ったのだが、やはり物価自体が菫の考える円よりも安いらしい。それでもダール四人分である。










 洋服店を後にした菫は、今度は洋菓子店へと足を踏み入れた。空が少し暗くなってきたので閉まってるかもしれないと思ったが、どうやらまだ営業中であるらしい。菫の入店に気付いた女性の店員は、菫を見て一瞬目を見開いてから、にこりと微笑んだ。

「いらっしゃいませ」

 先程の服屋の店員と比べ、異質な出で立ちの菫を見ても落ち着いた対応である。もしかしたら、貴族等が来店することに慣れているのかもしれない。場所や時代によって砂糖などは高級品とされることも多いし、もしかしたらこの国において洋菓子というのは高価なものなのかもしれない。
 そう思った菫がショーケースの中の洋菓子の値段を見ると、案の定というかなんというか、菫の手の平にも満たないサイズの洋菓が一つ約千エンペルするようだった。洋菓子一つがダール二人分。そろそろ物事の値段をダールに換算する癖をやめなくてはと思いながら、菫は奮発して洋菓子を四つ購入した。ダールの好みが分からなかったのもあるし、訳のわからないまま異世界に飛ばされ混乱しつつもなんとか順応しようとしている菫自身へのご褒美でもあった。
 洋菓子の見た目や名前は、菫の知るそれと大差なかったため戸惑いなく選ぶことができた。苺のショートケーキ、フルーツタルト、モンブラン、ティラミスを箱に詰めてもらっている間、菫は今入浴しているであろうダールのことを思い浮かべる。奴隷というのもあるのか、ダールはやたらと自分を卑下する上に菫に対して一線もニ線も引いており親密な仲には程遠い。一緒に食事をする中で少しは打ち解けられると良いが、そもそも甘味は大丈夫だろうか。苦手だったときの為に甘さ控えめなティラミス等も選んでみたが、食べられなかった場合ケーキ四つを菫が全て食べることになる。勿論貴重なお金を消費して購入したので、捨てる等という選択肢はない。もったいない。万が一ダールが甘いものを食べられなかったとして、菫だけで今夜二個、明朝二個であれば食べられなくはないが、摂取カロリーを考えると恐ろしい。
 菫は現実的な思考から意識を背け、笑顔で箱を手渡してくれる店員ににこりと微笑み返した。






 ◇






 両手に麻袋(地球でいうところのレジ袋の扱いらしい)をぶら提げて宿屋の一室に戻った菫を待ち構えていたのは、何故かタオル一枚を腰に巻き付けて正座をするダールだった(腰にタオルを巻くように言ったのが菫であることは間違いないが、菫は正座をして待っていてと伝えたつもりはない)。
 入浴により諸々の汚れが綺麗になくなったダールの筋肉美は菫の思考を一時停止させるには充分であったが、「スミレ様…!」と感極まったように自身の名を呼ぶダールの声に菫はなんとか我に返ることができた。菫はひとまず鞄と麻袋を荷物棚に置いて、未だ正座の姿勢を崩そうとしないダールの元へと駆け寄った。

「ダール、なんで床に座ってるの!しかも正座なんて」
「…!も、申し訳、」
「せっかくソファーもベッドもあるのに!足痛いでしょう」
「え、」

 菫はダールの腕を掴んで立つように促すと、そのままソファーへと誘導した。何故だか驚いた様子のダールを座らせて、先程服屋で購入したダールの服一式を取り出すために麻袋内を物色する。どの色のジャケットから着てもらおうか迷ったが、ひとまず麻袋に手を突っ込んだ際に一番最初に手が触れた緑のジャケットを着てもらうこととした。シャツ、ズボン、下着も一セットずつ取り出してダールへと手渡すと、ダールはきょとりと菫を見上げた。前髪は未だ長く顔は見えにくいが、どうやら髭も菫の言う通り剃ってくれたらしい。

「あの、これは」
「ダールの洋服。いつまでも裸に布一枚じゃ風邪引いちゃうでしょ?サイズが分からないからとりあえず大きいのを買って来たんだけど…」
「俺の…?」

 不思議そうに首を傾げるダールを見て、菫も首を傾げる。こんなサイズの洋服、菫が着る筈もないのに何故不思議がられるのか。もしかして好みじゃなかっただろうか、と不安になって「ごめん、こういう服嫌いだった?」と聞くと、ダールは慌てて首を横に振り、「着替えて参ります」と服一式を持って脱衣所へと向かった。

 ダールが脱衣所に入った直後、コンコン、と部屋の扉を叩く音が聞こえる。菫が返事をして扉を開けると、宿屋の従業員が夕食の載ったトレイを手に扉の前で立っていた。菫はお礼を言ってトレイを受け取り、従業員がお辞儀をして扉を閉めるのを見送ってからトレイを長机へと置く。
 丸パンが二つと、野菜や豆等が多めに入ったスープ、白身魚のホイル焼き。ほくほくと湯気が立ち香りも良く、美味しそうである。洋菓子といい食事といい、味は分からないものの自身の知るものと大きく変わりはなさそうであることに菫は心底安堵した。食の合わない世界での生活なんて地獄である。

「スミレ様、お待たせいたしました」
「おかえり。…って、うわあ、すっごい似合う…!」

 菫の購入した洋服は、幸いにもダールにぴったりだったらしい。シャツやズボン越しにもわかる腕や脚の筋肉の隆々とした様子も、ジャケットによって強調される胸板の逞しさも、全てが菫の好みドストライクである。惜しむらくは、未だ長い前髪がダールのご尊顔を隠してしまっていることだ。

「あ、ダール、さっき渡したヘアピンある?」
「っはい!傷一つつくことなくこの通り!」
「?あ、ありがとう…」

 勢い良く差し出されたヘアピンを受け取る。安物なので傷位簡単につくだろうが、ダールはどうやら思った以上に大事にヘアピンを扱ってくれていたらしい。もしかしたら、財布や鞄同様このようなヘアピンも高価なものに見えているのだろうか。それならば、資金繰りに困ったらこれも売りに出せるかもしれない。特に思い入れのあるものでもないし、少しでもお金になるのであれば菫としてはラッキーである。

「ダール、屈んでくれる?」
「はい」
「………ん、よし。後で前髪は切るけど、とりあえず温かい内にご飯食べないとね」

 菫は先程同様ダールの前髪をヘアピンで留める(やはりタイプ過ぎるダールの顔ににやけてしまったのはご愛嬌である)と、ソファーの端へと座る。そうしてあまり広くはない隣のスペースをぽんぽんと叩き、ダールに座るように促した。が、ダールには意図が伝わらなかったので、「ここに座ってくれる?」と改めて声を掛ける。ダールはおずおずと菫の隣へと腰掛けた。ダールの体格が良いので狭いが、他に座れる椅子もないので仕方がない。菫は肩同士が触れて役得等と思っているわけではない。決して。

「ダールって食べられないものある?」
「食べられないもの、ですか…。……毒草にはあまり良い思い出がないので、毒草以外でしたら…。あ、でも、スミレ様が食べろと仰るのであれば」
「いや、食べろとは仰らないけれども。というか毒草食べたことあるの?平気?」
「ええ、奴隷になる前のことですので」
「そ、そう……。って、そういう話じゃなくて。嫌いな食べ物とかはないの?」
「特にはありません」

 菫としては甘いものが好きとか嫌いとか、夕食に食べたくないものが入っていないかとか、そういう類の話題を振ったつもりだったのだが、思いの外ヘビーな話題となってしまった。毒草なんて食べる機会もないし食べさせるつもりもない。ダールは菫のことをどう思っているのか少々不安になった。

(……まあ、自分の意図も何も関係なく私の奴隷にさせられたんだから警戒するよね…)

 出会ったばかりで、しかも出会い方が出会い方だから色々と疑われるのも仕方がない。そう自分に言い聞かせた菫は、仕切り直しとばかりに笑顔で机に載せていた夕食のトレイをそのままダールの目の前へとスライドさせた。

「これ、食べられないものがなければ全部ダールが食べちゃって」
「……は、?」
「甘いものも買って来たから、苦手じゃなければ後で一緒に食べようね」
「いや、ええと、…これを、俺が?」

 ダールは目の前に置かれた夕食を指さすと、信じられないという顔で菫を見た。一人称が「俺」になっている辺り、かなり動揺しているらしい。菫が頷いて見せると、尚も戸惑った表情をしたダールは手を付けることなく夕食を凝視している。

「もしかして、お腹空いてない?」
「………、」

 ――ぐきゅるるる。
 ダールが菫の言葉に返事をしようと口を開いた瞬間、声よりも先にダールの腹の虫が鳴いた。思わず笑ってしまった菫は、顔を真っ赤にしたダールに謝罪の言葉を述べつつ(しかしこの外見でお腹を鳴らすだなんて可愛すぎて反則だから仕方ないと脳内では全く反省せず)、改めてダールに夕食を食べるように促したのだった。





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