宵の太陽 白昼の月

冴木黒

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裏切り

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 目を覚ますと同時に、全身が痛みを知覚する。眠っていたというよりは、痛みのあまり気絶してしまったという方が正しかった。
 静かで埃っぽい。背中にあたる床は固くて冷たい。どこかで雨の音がする。天井に近いところに格子付きの小さな窓があった。わずかに覗き見える空は黒く重い感じがした。
 起き上がるのも辛くて、顔だけを動かす。
 無機質な壁と格子に何もない牢。傍に兵士はいない。
 代わりに、格子の向こうに知った男がいた。
 男は背中を向けて、床に座っていた。
 驚いて起き上がろうとすると、硬質なものがぶつかる音がして、足元を見ると鎖で繋がれていた。

「気が付きましたか?」

 男が振り返りもせずに言った。声は平坦で感情が見えない。
 鎖を鳴らして、ソロは格子の近くまでやってくる。向こう側の部屋にいるのは男一人だけだった。
 こいつも捕まったのかと思って、言う。

「悪い、オレのせいで……ディアは、あいつも捕まったのか?」
「ディアはここにいません」
「そしたら、あいつだけでも逃げられたんだな」

 ほっと息を吐く。
 それは純粋に仲間の無事を喜ぶものだったが、男は別の意味で捉えたらしかった。

「でも残念でしたね。あの宝石は、今彼らの手にありますよ」
「え……ああ、いや構わねぇよ。それよりも巻き込んじまって悪かったな」

 小さく吐息で笑うような音がした。
 男は立ち上がると、ゆっくりと振り返り、牢の中のソロを侮蔑の目で見下ろした。

「嘘ばっかり」

 ソロは目を見開く。
 男が纏う衣装に、言葉を失う。
 幅広の襟に、二列に並ぶ大振りのボタンとベルトで飾られた、膝下まである白の長衣。
 胸元に光るのは、金の縁取りがなされたひし形の徽章で、黒百合の花と、狼のシルエットがデザインされていた。
 ゼベル王国を象徴する花と動物だ。
 今まではっきりしなかった頭が、冷水を浴びせられたように冴える。
 よく見れば、男の後ろには扉があった。彼がいるのは、隣の牢などではない。牢の外側だ。

「悪かったなんて思ってなんかないくせに。奪われて構わないなんて思ってないくせに。だったらどうしてディアにあの石を押し付けたりしたんだ。あなたの口から出るのはいつも嘘ばかりだ。あの石だって、本当は遺跡で手に入れたものなんかじゃなかった」

 男の視線から逃れるように、ソロは顔を逸らす。
 それを見て、男は目を眇める。

「俺、初めに言いましたよね。あの石をどこでどうやって手に入れたか、正直に話してくださいって。あなたは森の奥にある、廃墟になった神殿で見つけたと言った。でも、実際には違ってた」
「ちがう、本当に、オレたちが最初に見つけたのはあの神殿の中だった」
「じゃあ、どうして今あなたはそんなところにいるんですか、ソロさん」

 僅かに間があって、返答がないのを確認すると、男が目をつむって言う。

「石の本来の持ち主はゼベル出身の商人。オストリカで、殺され、石を奪われたと聞きました」
「……なに?」
「ソロさん、あなたに……」

 否定しようと、開きかけた口はそのままの形で固まる。
 男の顔は怒りに歪んでいたが、どこか泣きそうにも見えた。体の脇で握られた拳が震えている。格子に遮られていなければ、殴られていたかもしれない。
 冷たい鉄の棒にすがりついて言う。

「待ってくれ、オレは」

 けれど男はこれ以上話す気などないというように、足早に扉から出て行ってしまった。
 ソロはどうすることもできず、格子越しに扉を見つめていた。

***

 扉の外には兵士が二人いた。
 とてもじゃないが、友好的とは言えない視線。当然だ。彼らの仕事は牢の見張りだろうが、自分の監視も兼ねているのだろう。会釈して通り過ぎる。
 中での会話を聞かれていただろうが、別にどうでもいい。
 通路をまっすぐ進んでいくと、渡り廊下に出る。渡り廊下の先は隣接した研究所に続いている。
 世界の扉の研究ために作られた施設だ。研究所には学者や魔法使いが集められていた。
 渡り廊下を通り抜けたところで声が掛かる。

「アルクトス博士」

 シオンを呼び止めたのは、錫色の髪の男だった。研究者たちを束ねるゼベルの将軍で、年はまだ二十代後半かそこらに見える。
 同性の目から見ても美しい男だった。
 切れ長の目に整った鼻梁、血色の良い薄い唇。そして均整のとれた体躯。髪は肩口で緩く結ばれていて、後れ毛が一筋頬に掛かっている。

「博士はよしてください、ヤックハルス将軍。俺はまだそんな風に呼ばれるような立場では」
「ではアルクトス殿。今後のことについていくつか話しておきたいことがあるのですが、少し構いませんか?」
「ええ、俺はいつでも」

 ヤックハルスについてやってきたのは、研究所内にある彼の執務室だった。奥側に大きな窓が一つと、両側の壁一面には本がびっしりと詰め込まれた書棚、そして書類やら本やらが山積みになった机と椅子が置かれてあった。
 机にある書類と本は扉やアルバ族に関するものばかりだ。ヤックハルスはそれらを押しのけて、そこに地図を広げた。

「明日、我々はここを発ちます。そしてまずはこのジェアダを抜け、トルトゥガを目指します。アルバ族の遺跡はこのあたり、トルトゥガからは半日といったところでしょうか」
「ひとつよろしいですか?」
「はい」
「このアルバ族の遺跡というのは、グラウクス博士が発見したとされる神殿跡のことですよね? 世界の扉はそこにあるということですか? それともその遺跡には何か、扉のある場所について手がかりが残されているということでしょうか?」

 ラトメリアで読んだ書物には、扉の存在については記されていなかった。
 ヤックハルスは地図から指を離して答える。

「扉はまだ見つかっていません。ただ、私はあの遺跡のどこかにあるものと考えています。こちらをご覧ください」

 積まれた本の中から一冊取り出すと、開いてみせる。

「これはまた別の学者の著書になりますが、アルバの民は扉の守り人だったのではないかと、そう書かれています。この説が正しければ、あの遺跡は神殿というよりも扉が隠された場所なのではないかと」
「しかしこれまでにも調査はしてこられたのでしょう?」
「ええ、ですが壁画の文字にまだ解読できていない部分があります。それと遺跡内に気になる場所がひとつ。祭壇のある、神事を行っていたのではないかとされる部屋です。私はそこで地下に続く階段を見つけました」
「それなら確か、俺が読んだ本のなかにもありました。五つの台座があるだけの小部屋だと」
「そう、それ以外に何もない。ですがきっと何か意味があるものだと、私は思っています」

 ヤックハルスは本を閉じて置き、短く息を吐く。

「まあ、あくまで私の勝手な推測ですがね。さて話は戻りますが、そういうわけですので今日の夜までに支度を整えておいていただけますか。足りないものがあれば部下に申し付けてください。こちらで用意いたします」

 その後、出立時間のことや行程の詳細など短いやりとりをしてから、シオンは与えられた自身の部屋に戻った。
 静かな部屋には、外の激しい雨音が響いていた。
 風に窓が揺れている。
 ベッドに、机と椅子といった最低限の物しかない質素な部屋。ベッドの傍に宿に置いてきたはずの荷が置かれている。
 灯りもつけずに、シオンは脱力したようにベッドの端に腰かける。
 ディアはどうしただろう。
 どこかで雨をしのげているだろうか。宿にはきっと帰れない。
 できれば連れてきたかった。だってあの子はまだ十五歳だ。無謀で、世間知らずで、御伽噺なんて不確かなものを信じて、旅に出るような子供だ。
 放っておけばきっと悪いやつに騙されたり、良くないことに巻き込まれたりするに違いない。
 そう思って、声を掛けた。
 そしてシオンの読みどおり、彼女は財布を掏られかけたり、面倒ごとに首を突っ込んだりした。振り回されたこともあったが、見捨てる気にはなれなかった。 
 頑固なところはあるものの根は素直な少女で、文字を覚えようと努力していたし、自分の気持ちに真っ直ぐに向き合う強さを持っていた。
 最初の港町で、旅の目的を鼻で笑うソロに放った言葉。

「あるかどうかなんてわからない。だからわたしがそれを確かめに行くの」

 シオンがディアに好感を持ったのは、あの時だ。
 未だ多くの謎が残っているという大昔に滅びた民族。
 民族学を専門にしているシオンからしてみれば、それそのものが魅力的な研究題材ではあったものの、純粋にディアを応援してやりたいという気持ちもあった。
 新しい事実が判明したり、謎が解明したりするのが楽しくて、気づけばシオン自身がもっと知りたいと思うようになっていた。ゼベルにやってきて、ここから本格的に調査を進められるだろうと意気込んでいたところだった。
 それなのに。
 突然ソロが罪人として捕らえられ、ただでさえ頭が混乱している時に魔族が現れて、扉を開けば世界が壊れるだなんて、そんなことを言われて戸惑った。
 そんな時に、ヤックハルスから聞かされた話。
 扉の向こうに広がる世界の高度な技術と文明。船で空を飛び、生命を人工的に造り出すことができるのだという。

「どうですか、あなたも研究者であるというならば興味をそそられるのではありませんか?」

 ヤックハルスは、シオンが東大陸からグレイスゼベル大学に招かれた学者であることを知っていた。
 身の内にくすぶる好奇心。
 知りたい、見てみたいという欲望。
 たとえ世界が壊れると言われても、そう簡単に諦められるわけがなかった。
 ディア、君もそうじゃないのか?
 そう思っていたのに。
 罪悪感がないわけじゃない。
 もしかしたら自分自身が命を落とすことになるかも、そんな可能性を考えなかったわけではない。
 葛藤はないのかと言われれば、そうでもない。
 それでも抗えない。知らない場所に行ってみたい、見てみたい、触れてみたいという思いには、抗えない。
 ついさっき、自分はソロにひどいことを言った。
 嘘をつき、肝心なことを黙って、自分たちをだましていたのだと思うと腹が立った。最低だと思った。
 だけど自分はどうだろう。
 いけないことだと知りながら、それでも自分の中にある欲を優先して、ディアを裏切った。
 本当はわかっている。
 最低なのはきっと自分の方だ。シオンは手で顔を覆う。
 これまで旅をしてきて、そのあと荷を解いたりはしていないから、準備をするとはいっても殆どすることがない。  
 旅に必要な物はすでに纏めてある。
 シオンはベッドの上に、後ろ向きに倒れ込む。暗い天井をぼんやり眺めた。視界の端に濡れた窓が映る。
 雨はまだ降っていて、雷の音が聞こえた。
 独りきりのその部屋で、シオンは少しだけ泣いた。
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