宵の太陽 白昼の月

冴木黒

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雨の中

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 その日の講義は午後からだったが、ラータは朝早くに目が覚めた。
 それならば大学構内にある書庫で時間を潰そうと考え、寮を出た後だった。さっきまで晴れていたというのに、突然空が暗くなったと思うと、雨が降り始めた。雨粒は初め小さく弱いものだったが次第に強くなっていき、やがてバケツをひっくり返したような激しいものになった。通りから、人がいなくなる。
 ラータもまた近くにある店に駆け込んで、雨宿りさせてもらうことにした。
 ゼベルにやってきた当初からもう何度も通っている、馴染みのパン屋だ。あらかじめ遅くまで大学に残ると決めている日は、この店で必ず夜食用のパンを買って持っていくようにしている。
 小さな店構えの割には種類が豊富で、他のパン屋と比べて菓子のような甘いパンが多かった。中でも気に入っているのは、柔らかい白パンの間にミルクのクリームをたっぷりと挟んだものだ。今日は特に研究室に籠る予定もないが、店に入ったついでにといくつか購入する。
 店の奥から女主人の声が聞こえてきた。

「この様子じゃ当分止まないよ。奥でお茶でも飲んでいきなよ、ラータちゃん。どうせ学校は午後からなんだろ?」
「通り雨とかじゃないんですかね?」

 ラータは店先の張り出し屋根の下から空を見上げる。空は一面灰色の分厚い雲に覆われていた。

「ラータちゃん、ミルクかいちごのジャムどっちにする?」

 淹れたての茶葉の涼やかな匂いが漂ってきて、言われる。

「えー、それじゃあジャムの方で」
「はいよ」

 昼までには上がってくれるといいけれど。ラータの思いとは裏腹に、地面を打つ雨粒の勢いは衰える様子がない。それどころか雷の低く唸る音まで響いてくる。これから更に荒れるかもしれない。
 だというのに雨ざらしの通りに、ふらふら歩く人の姿を見つけて、ラータは驚く。
 異国風の服装の、赤い目をした少女。昨日、大学の前でひどく焦った様子で守衛と問答をしていた少女だ。
 東大陸から招かれたという民俗学専門の学者を訪ねてきていて、守衛に足止めされていたのを見かねたラータが事務局で少女の尋ね人であるその男を探し出したのだった。わざわざ研究室まで赴き、ラータが少女のことを告げると、男は礼を言い正門へ向かっていった。
 あの後一体何があったのか、少女は魂が抜け落ちてしまったかのようなうつろな顔つきをしていた。足取りが危ういなと思ったら、その途端に転んだ。
 フードを被ってから、雨の中、少女の前に出る。汚れた手を取り助け起こしながら、ラータは呆れた声で言った。

「何してるの? 風邪ひくよ」

 少女が覇気のない目でラータを見あげる。濡れた髪が顔に張り付いて、唇は色味を失っていた。
 ラータは抜け殻のような少女の手を引き、店の中に連れて入った。

「おやまあどうしたんだいその子は、びしょ濡れじゃないか! さあこっちへおいで二人とも」

 店主の女が大声で言い、店の奥の居住部分へ来るように促す。
 テーブルには淹れかけの茶と茶菓子があって、ラータは上着を脱ぐと椅子の背に引っ掛けて乾かす。

「ラータちゃん、ちょっとここで待ってておくれ」

 店主は少女を連れて別の部屋に消え、少ししてから一人で戻ってきた。そして手早くミルクを注いだ鍋に火をかける。
 ラータは勝手にポットの中身をカップに移して飲む。置きすぎた茶は、苦みが出てしまっていた。
 扉が開いて少女が出てくる。サイズの合わない大きな服に着替えて、毛布を体に巻き付けていた。髪は、頭の上の方でまとめている。扉の前に立ったまま動かないから、ラータが呼びかけて椅子に座らせる。

「さあ、お飲み。体が温まるよ」

 湯気の立つカップを少女に勧め、店主は椅子をもう一つ持ってきて座った。
 少女の目から涙がこぼれた。
 太ももの上で組まれた手の甲に落ちてはじける。
 涙は次から次へと溢れ、しまいには声を上げて泣き始めた。
 ラータと店主は顔を見合わせ、店主は新しいタオルを取りに席を立った。
 涙が枯れるんじゃないかというほど泣いて、少女はようやく泣き止んだ。すると今度はお腹の虫が盛大に鳴き、少女は照れて俯く。

「あげる。甘くておいしいよ」

 ラータは先程買ったばかりのパンを一つ渡してやった。
 店主がスープを作りに台所へ行った。

「ありがとう」
「君、この街の子?」

 鼻を啜りながら、少女は首を横に振る。

「わたし、東大陸から来たの。仲間と一緒に旅をして、この街までやってきたの」
「それって昨日の、あの人?」
「うん、それともう一人……」

 少女はまた泣き出しそうな顔になって、言葉尻を濁す。
 何か訳があることを察し、迷ってラータは言った。

「ひとまず食べなよ。お腹空いてるんだろ」

 両手で持ったパンを一口齧って、ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。
 固かった表情が、わずかに和らいだ。

「おいしい……」
「こっちもうまいよ」

 余程腹が減っていたのか早々に食べ終わってしまった少女に、ラータはもう一つパンを差し出した。
 少女は受け取って、また必死に食べる。
 ハチミツ入りの温かいミルクを飲んで人心地つくと、少女が口を開いた。

「あの、わたしディアって言います」
「僕はラータ。ここよりももっと北のトルトゥガってとこから、留学の為にこの街に来てるんだ」
「ラータちゃんはねーすごいんだよー」

 ラータの後ろで、イモの皮を剥きながら店主が言う。

「この年で大学に行くってんだからね。頭もいいし、すごい魔法使いでもあるんだよ。困ってるなら話してみなよ、きっとあっという間に解決してくれるよ」
「適当なこと言わないでよ、マルダさん」
「アハハごめんごめん、でもまあ何かあるなら言ってみるといいよ。できることがあるかもしれないしさ。なくても話すだけで気持ちの整理がついたりするもんだよ」

 下唇を突き出して言うラータに、マルダは闊達に笑った。
 ディアはまだ半分くらミルク残ったカップを両手で包むようにし、泣き腫らした目でその中を見つめていた。
 ラータが言う。

「話したくないなら、無理に話さなくてもいいけど」
「どう話していいかわからなくて……」

 どちらもが沈黙する。
 マルダが野菜を切る音と、鍋の湯が沸く音だけが室内に響いていた。
 ラータは何となく前に座る少女を観察してしまう。艶のある黒髪に、昔見せてもらった柘榴石と同じ色の双眸。小さな鼻と珊瑚色の唇。大きな襟から出ている首は細くて、すっきりとしている。
 珍しいのは目の色だ。
 黒い髪はラータの故郷にいくらでもいるし、東大陸に住む人間は皆その色だという。なんならラータ自身も黒髪だ。
 だが赤色の目は見たことがない。
 ラータの通う大学には他国からの留学生が多く、肌の色から髪の色、目の色も様々な人が集まっている。だがそんな中でも赤色の目は見なかった。
 東大陸から来たと言っていたが、それもまた違うように思えた。
 東大陸の人間であれば、目の色は黒のはずだ。それに肌の色は黄色味を帯びているはずだが、ディアは西大陸の人間のそれだ。
 目の色を除けば、自分と同じトルトゥガの民の見た目に近い気がした。

「なんかね、ここへきて色んなことが続けて起こって、まだ頭の中で整理できてなくて。何をどこからどう話すべきかとか、そういうの元々得意でないから」

 ディアが視線を下に向けたまま、ゆっくりと話し始めた。考えながら、一つ一つ慎重に言葉を選んでいるようだった。

「だったらさ、最初から話せば?」
「最初から?」
「きみのこと。どうして旅をしてたのか、この国に来た理由、それからこの街に着いて何があったのか。順を追って話してるうちに、何に困ってて、どうしたいのかってのが見えてくるかもよ。そもそも部分的な話をされても、僕わかんないだろうし」

 ディアは何度か目を瞬かせる。そうしてまた手元を見つめて、迷うような素振りをするから、ラータは不愉快そうに眉をひそめた。

「話す気あるのないの?」

 声はわずかに苛立っていて、ディアは息を呑む。

「助けてほしい、話を聞いてほしいって思ってるなら、下手に隠しごとせず話すべきだし、会ったばかりの僕を信用できないっていうならそれは仕方ない」
「そういうつもりじゃ……」
「そういうつもりじゃないならどういうつもりだよ。きみがどうしたいのか、はっきりしてくれないと僕にはわからない。僕だって別に暇じゃないんだ」

 台所の方から、マルダが割って入る。

「何言ってんの、ラータちゃん午後まで暇でしょ」
「そうだけど、そういうことじゃないんだよ」
「はいはいケンカしない。ともかくあんた、ディアちゃんだっけ。スープできたから食べな。ラータちゃんもどうだい」
「いらない」

 つっけんどんに返して、ラータはテーブルを離れた。
 外の様子を見に、店側へ行く。雨はまだ激しく、まだ止む気配はなかった。

「あの」

 背中の方で言われる。
 首を動かし振り返ると、ディアがそこに立っていた。

「さっきはごめんなさい。言いにくいことがあって、話したら嫌がられるんじゃないかとか、迷惑な顔されるんじゃないかとか考えちゃったの」
「内容によっては、そうなるかもね」

 身体ごと、ディアに向き直る。変わらない背丈の少女をまっすぐに見る。

「ディア、君の抱えている問題は君だけのものだ。きみ以外の他の人間からすれば、それはしょせん他人事にすぎない。ただ君の様子を見てれば、よほどのことがあったんだろうなってことくらいは想像がつくよ。本人が持て余してるような事情なんか、他人からしてみればもっと面倒に決まってる。きみが一人でどうにかできるならそれでもいいけど、そうじゃないなら誰かに頼るしかない。そして僕は会ったばかりの他人だけど、きみよりはこの街に詳しくて、魔法が使える。それからもうわかってるとは思うけど、マルダさんは親切な人だ。僕が言えることはそれだけ、あとは君がどうするかだね」

 一呼吸置いて、ディアは言った。

「うん。ちょっと長くなるかもだけど、話聞いてもらえる?」

 少しだけ吹っ切れたような顔をしていた。
 どうせ午後の講義まで、まだ時間がある。
 ラータは頷いて、店の奥に声を投げた。

「マルダさん、やっぱり僕にもスープちょうだい」

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