宵の太陽 白昼の月

冴木黒

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最終話 新たな世界へ

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 そこは先程までとはまた異なる空間だった。
 扉がない。ディアやシオン、ソロの姿もない。限りなく黒に近い紺色の壁と天井、そして床。窓もなく、灯りらしきものも見当たらないが、視界はさほど悪くない。壁に走る幾筋もの、所々で屈折した光のせいだろう。
 その空間は、一言でいうならば雑然としていた。
 奥には机が三つあって、そこは山積みの本と書類の束と、何か見たこともない器材で溢れていた。机の上に乗りきらなかった物が、椅子や床の上にも絶妙なバランスで積まれている。
 これによく似た光景をラータは知っている。
 大学の研究室だ。
 ラータがゼベルの大学で在籍していた研究室も、おおよそそんな感じで、本と書類と研究道具に埋め尽くされていた。
 室内がこの状態になるのは大抵、研究者が滞在した後のことだ。
 食事は本を読みながら予め買ってきておいたものを齧り、時には排泄すら忘れて調べものに没頭する。限界を感じれば最低限の場所を設けて睡眠をとる。風呂に入らないなんてことはざらだった。
 数日そんな生活をしていれば当然臭いはするし、目の下には隈ができて疲労に顔色が悪くなっているし、服はよれて皺だらけだった。
 はっきりいって人前に出られるような様相ではなかった。
 ラータに限らない。研究者なんていうのは大抵そんなものだ。
 ところがここにいるのは、この雑多な有様には到底似つかわしくない人物だった。
 三つの机のうち、真ん中の席について書き物をしている。
 銀色の髪を頭の上できちんと結いあげ、官服のような白い衣装に身を包み、片眼鏡を掛けた、見た目二十歳前後の若い女性。
 女性は手を止めずに言う。

「どうぞ、空いている場所をお使いください」

 空いている場所と言われても。
 女性の左右の席は物でいっぱいだ。困惑するラータに女性が相変わらず紙にペンを滑らせながら言う。

「邪魔なものは床にでもどけていただいて構いません。その端末は今から使うので、まず電源を入れてください」
「あの」
「はい」
「あなたは一体誰なんです? それにさっきから一体何を……」

 そこで初めて女性は顔を上げ、ラータを見た。
 澄んだ翠緑の瞳がこちらをじっと見つめる。

「あなたはご自分の意思でここに来たのでしょう? なすべきことを果たすために」
「扉を閉じるのが僕の目的です」
「ええ、ですからお招きしたのです。どうぞお掛けになってください。それとそこの電源を」
「すみません、電源って?」
「モニター横のスイッチを」
「モニターって……」

 女性は無言で立ち上がり、薄い長方形の板の側面にある小さな突起を指先で押した。
 そうすると真っ黒だった表面が光って、また消える。数秒もかからないうちに、今度は文字が浮かび出て、女性が手元で何か操作した。

「立ち上がるまでに時間が掛かるので、その間に説明いたします。私はこの狭間の世界の管理者であるユエグァンと申します。今行っている作業はあなた方の、開いてしまった扉を閉じるためのもの。そして扉が開かれたことにより生じた乱れの調整と破損部分の再構築。さて、ラータさん。あなたにはこれから私の作業を手伝っていただきますが、こちらの端末を使われたことは、ないですよね」

 困ったように吐息し、ユエグァンは立ち上がる。

「失礼します」

 ユエグァンは人差し指と中指でラータの額に触れ、小さく何か呟いた。
 ラータの頭に知識が流れ込んでくる。ディスプレイ、キーボード、プログラミング、システム、ソフト、データ。僅かな間に耳慣れない単語と、その意味を理解させられる。

「少しばかり強引ですが、一から学ぶとなると手間ですから。早速ですがこちらを」

 ずいっと、机の上で塔のようになった書類が押し出される。

「まずはそこの端末で入力してください。それが終わったら、こちらで私の手伝いを。その後は」
「ちょ、ちょっと待ってください」

 先刻植え付けられた知識のおかげで彼女の指示は理解できる。理解はできるが、ラータの危惧するところはそこではない。

「これを今から二人だけでって、どれだけ時間が掛かるんですか?」
「そうですね……寝ずで最低でも二月といったところでしょうか? ああ、この空間は時間の流れが違うので、その辺りのことは御心配なく。ここに二月滞在したとしても、あなた方の世界ではせいぜい一時間というところでしょうか」

 ユエグァンはにこりともせずに告げた。
 一時間。
 どうなんだ。今のところクレピスキュルの力で抑えてはいるけど、耐えられるだろうか。それにさっき、彼女は最低でもと言った。つまり更に時間が掛かる可能性があるということだ。
 ラータはそっと挙手して言う。

「提案なんですけど」
「はい」
「助っ人を一人、呼んでも構いませんか?」

 ラータが招いたのはもちろんシオンだった。
 同じようにユエグァンから知識を授かったシオンは、ラータのにらんだとおり大きな戦力となってくれた。
 シオンの動きは的確で、そして効率的だった。
 ただし持ち前の好奇心を発揮して、気が逸れることもしばしばあった。

「この作業を千年前は、アルバ族の人たちみんなでやってたわけですか?」
「そうですね、人手が十分でしたので数日で終わりましたよ」
「ところでこのぱそこん、ですか? いいなあ、記録とか残すのにめちゃくちゃ便利だろうだなあ。どうやって動いてるんだろ」
「シオンさん作業に集中しましょう……」

 うきうきしながらシオンがラータの操作する端末を観察し始め、ラータがうんざりしたように言った。
 初めのうちこそ、時間の経過を気にしていたラータだったが、途中からもう今が何日目なのかわからなくなった。それからまたしばらく経ち、それぞれの顔に疲労が色濃く出始めた頃、全く変わらない様子のユエグァンが書類の束を差し出して言った。

「これで最後です」

 二人を動かしていたのは、殆ど気力だった。
 何せ同じ姿勢で長い間作業をしていたせいで腰は痛いし、肩は凝るし、目は乾いて疲れていたし、何より頭痛がひどかった。
 それでも終わりは見えている。
 怠い腕を動かし、どうにか指示された作業をすべて終える。

「お疲れ様でした。これであなた方の世界の扉は閉じられ、全ての流れは元に戻っているはずです」
「ああはいどうも、おつかれさまでした……」

 二人とも机の上に突っ伏した状態で、シオンがどうにかそう言い、ラータの意識は半分眠りに沈みかけていた。
 ユエグァンはどこからか小瓶を持ってくると、二人の前に置く。

「飲んでください、多少なりと体力が回復するはずです。本来なら休息をとることをお勧めするところですが、今あなた方はそれもできないでしょうから」

 二人はぐらつく頭を上げて瓶を取り、一気に煽る。香りはハーブに近い鼻に抜けるような感じだったが、飲んでみれば思いのほか甘味が強かった。
 それでほんの少しだけ、痛みと怠さが軽減される。

「運よくどこか落ち着ける場所に辿り着くことができたら、その時は栄養と休息を、しっかり摂るようにしてくださいね。それではご武運を」

 あっさりとそう言ったユエグァンが掌を体の前に突き出したのを見て、ラータは慌てる。

「え、あの、待って」

 言い終える頃には、転移させられていた。
 クレピスキュルや自身の移動魔法と違って吐き気を催すような感覚の後、ラータとシオンはディア達の前に投げ出された。
 ディアとソロが驚いた顔をしていて、球体と扉は消えていた。
 それらがなくなってしまえば、本当に何もない場所だ。
 道すらなくて、無限に広がる空間。
 当然出口もない。
 ディアが肩を竦めて言う。

「びっくりしたよ。扉も球も急に消えたかと思ったら、二人が飛び出してくるんだもん。でもよかった帰ってきてくれて」
「まあ無事に扉を閉じられたってことでいいんだよな?」

 シオンがずれた眼鏡を指先で直して頷く。

「はい、重労働の末に」
「オレ達も呼んでくれたらよかったじゃん。あれ魔法だろ? お前呼んだの、ラータのやつの」
「あー無理です無理無理、ソロさんには絶対無理」
「あン?」

 なんとなく馬鹿にされた気がしてソロは眉尻を上げるが、シオンは気づかない様子でラータに目を向けた。

「それでこれどうやって元の世界に戻ります? なんなら移動魔法とかは」
「できるならそうしたいところですけど、何故か転移先の位置が感知できないんです」
「そういえば最後ユエグァンさん言ってましたよね? 運よくどこか落ち着ける場所に辿り着ければって」
「ユエグァンさんって誰?」

 事情を知らないディアが首を傾げる。
 ラータとシオンが順に答えた。

「ええと、この異空間の管理してるひと」
「俺結構好みタイプです」
「聞いてねぇ」
「え、何、どんな人どんな人?」

 急に興味津々といった様子で食いついてくるディアに、シオンはちょっと考えながら言う。

「えーなんかこうカチッとした感じの?」
「美人?」
「うん」
「見たかったー」
「そんなことより、さっさと帰る方法探さないのかよ。こんなところで野垂れ死にとか嫌だぜオレ」
「あ、そうでしたね」

 四人は顔を突き合わせて考え込み、それからシオンが提案した。

「まあとりあえずさ、ちょっと歩いてみる? なんもない風に見えて何かあるかもしれないし」

 何しろ誰も何もいい案など浮かばないので、反対する者はいなかった。
 床のない空間を歩いていく。
 宙に浮いているわけではないが、地に足がついているのとはまた違う感じが妙だった。景色はずっと変わらない。ただただ青い世界。
 空の色よりも濃い、海の深いところの色だ。その中に、わずかに紫と緑が混じっている。
 ソロがぽつりと漏らす。

「結構歩いてみたけど、やっぱなんもねぇな」
「歩く方向間違えた?」
「いや、どこ行っても同じだろ?」

 確認を取るように、ソロはシオンを見やる。
 シオンも頷く。

「多分ですけど、これ無限回廊ってやつじゃないですかね?」
「知らない。何それ」
「ああ、あの延々と同じ場所を巡るやつですよね? 本で読んだことあります。でもそうするとただ歩くだけでは何も解決しないんじゃ」
「えーじゃあどうしよう。やっぱりなんかこう、魔法とかで? もっかい扉開いて、とか?」

 ラータの説明を聞いたディアが唇を尖らせて言う。
 それに対して、ソロが冷静に突っ込みを入れた。

「いや開いたらダメだろ、せっかく閉じたのに」
「でもあれって扉がというより、対になる世界を繋げようとしたことが問題だったんだよね? だったらわたし達の世界にある扉を開くだけだったら?」
「けどその扉を内側からしか閉じられないのが問題なんだろ?」
「ああ、そうか」

 考えかけて振出しに戻り、また頭を抱えるディアに突然声が掛かった。

「おや、あの時の娘さんではないですか?」

 まさか自分たち以外に人がいるだなんて思いもせず、ディアはもちろん他の面々も驚いて振り返る。そこには見覚えのある、紫色の髪と瞳の青年が立っていた。
 青年はゆったりとしたローブを身に纏い、竪琴を抱えている。そして額には涙型の青い石を着けていた。
 何よりもその美しい声。
 そうだ確かゼベルの。
 大通りで人だかりができていて。

「あ」
「ディア知ってるの?」
「あの、確かゼベルで唄ってた……」
「ええ、名をアメテュストゥスと申します。覚えていてくださったようで光栄です」

 アメテュストゥスは胸に手を当て、頭を下げる。

「あんた、何者だよ」
「私は数多の世界を渡り歩く旅人」

 不審を露わにするソロに対しても、不快な顔を見せることなくアメテュストゥスは微笑む。

「扉に誘われ、様々な世界を巡り、歴史を唄い伝える者です」
「扉に、誘われる?」
「はい。今もまた新たな世界に導かれ、こうして扉に向かっているところです。見たところあなた方は行き場を失いお困りのご様子。宜しければ、ご一緒にいかがでしょう? お望みの場所へお連れすることは叶いませんが、この場に留まるよりは良策かと思います」
「その前に、ひとつ教えてください」

 ラータが言い、アメテュストゥスは微笑んだままラータを見た。

「あなたは扉を開く力を、自由に世界を行き来する力を持っていると、そういうことですか?」
「扉を開く力、というのはまた違いますが、そうですね。世界が、扉が私を選び、導くというのが正しいでしょうか」

 歩きながら話しましょうか。
 そう言って、アメテュストゥスは目当てのない先へ足を踏み出す。
 ラータ達も彼の後について歩く。

「私が私の意思で世界を選び、渡ることはできません。ええと、どこだったかの世界でランダムという言葉がありましたが、それが近いですね。私はあくまで開かれた扉を潜るだけなのです。今から向かう場所がどこであるのかはわかりません。私も一度も訪れたことのない世界かもしれないし、訪れたことのある世界かもしれない。戦の絶えない恐ろしく悲しい世界、遠い昔に滅んでしまった生命の存在しない世界、そんな世界も過去にはありました」

 話し終えるのと同時に、アメテュストゥスの前に大きな扉が現れる。
 ディア達が潜ってきた扉と同じ形状をしていた。
 アメテュストゥスがそっと手を触れる。すると触れた部分から扉に蔦のような、文字のようなものがざっと広がり、かちりと小さく音がした。
 扉はゆっくりと外側に向けて開かれる。
 扉の向こう側は優しい光で満たされているばかりで、何も視認できない。

「さて、今回はどんな世界が私たちを招いてくれるのでしょうか」

 アメテュストゥスは迷いも恐れもせずに、扉を潜った。
 その姿が光の中に溶けて消える。
 シオンとソロが顔を見合わせる。

「どうします?」
「どうするって、ここでこうしてても仕方ねぇし?」
「ディア?」

 ラータが隣に並ぶディアの不安げな表情に気づいて言った。

「なんだよ今更。君らしくないな」
「わたしだって怖いことくらいあるわよ」

 戦の絶えない恐ろしく悲しい世界。
 遠い昔に滅んでしまった生命の存在しない世界。
 聞かされてしまって、怖気づく。
 考えるのは苦手だ。それは怖いことや良くないこと、そういった可能性まで考えてしまって恐れがでてくるからだ。そうすると今度は何もできなくなってしまう。

「ここでさ、ずっとこうしてても何も変わらないよ。そのうち飢えて死ぬだけだ。だからさ、元の世界に帰る方法を探そう。ここには何もない。扉を潜ってまた別の世界に行けば、何かヒントが見つかるかもしれない」
「見つからなかったら?」
「まずはそこで生きる術を探す。君はそういうの得意だろ?」

 ラータがにやりと笑って言い、ディアは頷く。

「その後でさ、僕も色々考えてみるよ。今ある移動魔法の術式を練り直したり……それかもしかするとこの向こうの世界にはまた違う技術があるかもしれないしさ」

 シオンはディアの横をすり抜けて、扉の前に立つ。

「行こうディア、こんなところまできたんだ。君は一人で家を飛び出し、そして大陸を渡って、更にはこんな狭間の世界にまでやってきた。大丈夫、君はどこにだって行けるしどこでだって生きていける。未来なんて誰にもわからない。案じてばかりでは何もできないよ」
「後先を考えない無謀なのがお前の特性だろ?」

 ソロが目を細めて言い、ディアの背中を軽く押した。
 ラータが手を差し出して、ディアはその手を握る。
 頷き合い、光の中へ足を踏み出す。
 眩さのあまり、きつく瞼を閉じた。


 次に目を開いた時に見えたのは、生い茂る緑だった。
 木々に囲まれたその場所はどこかの森の中のようで、下生えの中に知らない花を見つけた。
 潜ってきたはずの扉は見当たらない。
 ラータは手を繋いだまま、ディアの隣にいた。シオンとソロもその後ろで辺りを見渡している。

「ああ、ここにもまたいくつもの生命の気配を感じます。そしてそれぞれ独自の文化が根付いているようですよ」

 アメテュストゥスが竪琴を爪弾きながら、唄うように言う。
 木の上で鳥が飛び立ち、葉擦れの音がした。

「それでは皆様、どうぞ良い旅を」

 竪琴の音色を残して、異界を渡る不思議な旅人は木々の間に消えた。

「で」
「どうしよう?」

 ソロとディアが順に言った。
 シオンが首を傾けながら、んーと唸って、それから手を打ち合わせた。

「街か村か、ひとまずは人里がないか探しましょう。なんにせよ、食べ物と眠る場所は必要ですし。あとほら俺とラータくんは重労働の後なんで、ちょっと休ませてもらわないと頭もろくに働かないんで」
「じゃあ行くか」
「行くってどっちへ?」
「どっちでもいいよ。どうせ右も左もわかんねぇもん。夜までに街や村が見つからなきゃ、野宿でどうにかなんだろ」

 ソロが手をひらひらさせて、適当に歩き出す。その後を追いながら、

「ですねぇ」

 とシオンが言った。
 ラータがディアを振り向く。その瞳は星のような輝きを宿し、燃えているようにさえ見えた。

「あのさちょっとさ、なんかさ、わくわくしない?」

 ディアは何度も首を縦に振る。

「うん、うん」

 新しい世界だ。
 どんな国があってどんな街があって、どんな人が住んでいるんだろう。
 どんな生き物がいるだろう。
 どんな景色に出会えるだろう。
 そんなことを考えるだけで、心が浮き立つようだ。

「僕たちも早く行こう、置いてかれちゃう」
「うん!」

 二人で駆け出す。
 知らない世界へ、一歩を踏み出す。
 ここは知らない世界だけれど、空があって地面があって、草木があって、それから。
 それから同じ、その知らない世界に、信頼できる友人達がいてくれる。
 だからきっと大丈夫。
 心の中で、アメテュストゥスの言葉を反芻する。胸に刻む。


 どうぞ良い旅を。
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