宵の太陽 白昼の月

冴木黒

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番外編

後日談 五年後の冬

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 ソレイユ王国は五つの島からなる国だ。周囲は海に囲まれていて、大陸に近い。気候は四つの季節があり、年間を通して雨が多い。さっきまで晴れていたかと思ったら、急に空が暗くなる。それでも一度に振る雨の量は少ないから、災害に繋がることもあまりない。
 今は冬のソレイユは、寒さが厳しく、日照時間は短い。午後三時を過ぎると、日が傾き始める。そして冬は夏よりも雨が多く、雨の後は一段と冷え込んだ。
 起きてまず、暖炉に火を入れ、その上の窯で湯を沸かす。
 そう広くない部屋は、ややもすれば暖かくなる。
 沸いた湯を使って茶を淹れていると、ノックの後に扉が開かれた。

「おはようございます」
「おはようラータ。手紙が届いてるよ。ディアと、ソロさんからでええと、セレーネから。二人合流したのかな?」

 入ってきたのは寝間着姿のシオンだ。
 以前は長く伸ばし、うなじのあたりで纏めていた髪は、今はざっくり切られて短い。
 シオンは手の中にある封筒を見ながら、器用に床のあちこちに置かれたものを避けて、椅子に座る。
 ラータは陶器のカップをもう一つ持ってくると、茶を注いで、テーブルの空いた場所に置いた。テーブルの上は相変わらず本や紙束や器材が溢れていて使える場所が少ない。

「どうぞ」
「ありがとう。開けるよ?」
「はい」

 ラータはシオンの傍らにやってくると、その手元を覗き込む。
 手紙はディアの筆跡で書かれていた。

 シオンさん、ラータお元気ですか?
 言われていた材料をぜんぶ手に入れて、わたしは今セレーネにいます。
 ソロとは一昨日、宿場町で会いました。これから二人でソレイユに戻る予定ですが、その前にヴィガに寄って、二人の好きなパンとかお菓子とか色々買って帰ります。
 エルフの国のこととか、南の国の海のこととか、話したいことが、今回もたくさんあります。
 それでは二人に会える日を楽しみにしています。

 手紙の最後はそんな言葉で締めくくられていた。
 世界の扉を潜り、この世界へ来たのはもう五年前。
 旅の末に辿り着いたのがこのソレイユだった。魔法文明が発達し、大きな図書館があるこの地に定住し始めたのは三年以上前のことになる。
 この世界の魔法は元いた世界とは少し違っていて、杖が必須で、魔法の種類によってはそれ以外に道具が必要だったりもする。
 努力の末、世界を渡る移動魔法を見つけたラータだったが、世界を特定する方法には難渋した。ラータとシオンは王都に残り、王立の魔法研究機関で仕事をしながら、研究を進めることにした。
 その間ディアとソロは魔法発動に必要な素材探しを行うことに決めた。
 素材は稀少なものが多く、世界のあちこちに散らばっているということで、ディアとソロは手分けして各地を巡った。
 時折集めた材料を持ち帰ってくることがあったが、すぐにまた旅立ってしまう。
 今回ディアらと会うのは数か月ぶりだ。

「セレーネからなら五日ってとこかな? 伝書鳩使ったみたいだし、それが二日だとして……明後日の夜かその翌日の朝には」
「待ってください、シオンさんこれ……」

 話を遮り、戸惑いがちにラータが指で示すのは手紙の一番下に記された日付だ。それを見て、シオンはぎょっとする。

「え、五日前!?」
「そういえばなんか一昨日だったか伝書鳩の事故がどうのって」
「ってことはちょっと待ってくれ、今日あたりには……」

 シオンの言葉を引き継ぐように聞こえてきたのは、窓の外からの声だった。明るく元気な挨拶の声。
 その後に下の階で扉を開く音と、階段を駆け上がる音。そして男のものの、怒鳴る声。
 賑やかに扉が開かれ、飛び込んできたのは、背中と腕に大荷物を抱えたディアだ。長い黒髪は捩り編んで結い上げ、頭に起毛の暖かそうな帽子を被っている。膝下まであるコートと長めのブーツ、それにマフラーで防寒対策はしてあるものの、顔だけはどうしようもなく、冷気にさらされていた頬が赤くなっていた。

「ただいま! 寒いッ! あったかい!」
「閉めるなバカ!」
「あ、ごめん」

 開いた方の手で、後ろ手に扉を閉めてまた怒鳴られる。
 シオンがディアの横から腕を伸ばして扉を開いてやる。すると両腕に大きな袋を抱えたソロが現れ、シオンにそれを押し付けた。

「大体お前買いすぎ」
「だって久しぶりだったし。どうせソロだって食べるでしょ?」
「食うけどよ」
「じゃ、いいじゃない」
「まあともかく二人共ちょっと座って落ち着きなよ。といっても、ここじゃ寛げないし、俺の部屋も似たようなもんだからな……」
「談話室借りよう。あと大家さんにお土産持って行ってくるね」

 シオンとラータが借りているのは、アパートメントの二階部分で、風呂とトイレ、台所は共同という一間だけの部屋だ。その分家賃が安い。
 ディアとソロは旅に出ずっぱりで、不在がちなので、あえて部屋は借りていない。
 だからこうして帰ってきた時には、いつも宿に泊まっていた。
 一階にある談話室に茶と菓子を持ち込み、ソファで寛ぐ。シオンが誰かからもらったという花の香りがするお茶を淹れてくれて、カップで両手指を温めたディアはほうと息を吐く。

「あーあったかーい、生き返るー」
「さっむいよね外。俺、毎朝布団から出れないもん」
「わかるわかる。今回行ってたの南の方だったからさ、こっちのほう戻ってきたら全然違うし。気温差きっついって慌ててコートとか帽子とか買ったもん」

 シオンとディアが頷き合う隣でソロがラータに向けて話を振る。

「でよ、これで一応言われたもん集まったけど、お前らの方はどんな調子だよ?」
「はい。なんとかあの、天文学専門の人と魔法の研究開発してる人にも協力してもらって、あと少しで術式は完成しそうなんですけど。多分、数日中には」
「そっか。じゃあオレはしばらくのんびりしてるよ」
「わたしも、ちょっとゆっくりしようかな」

 ディアも言って頭の上で指を組み、伸びをする。
 王都に滞在するのは久しぶりだ。この街を初めて訪れて以来のことだ。何せディアは世界中を転々としていて、この三年間、腰を落ち着ける暇などなかった。

 けれど、それはディアにとって、とても充実した時間だった。



 王都に戻ってきた時に泊まるのはいつも決まった宿だ。
 少々値は張るが、風呂とトイレが部屋についていて、何よりも食事がうまい。たまの贅沢だ。
 金は狩りや繕い物で稼いだものだ。珍しい模様の刺繍はどこでも喜ばれる。
 また、この世界にはギルドと呼ばれる仕事の斡旋所があって、ソロは主にそこで報酬を得て旅の資金にしていたが、ディアもまれに利用することがあった。
 皆なんだかんだでうまくやっている。
 この世界の風土にも慣れた。
 五年。
 長かったような、あっという間だったような。
 魔法が完成したら、元いた世界に帰る。それはそれで寂しくはあったが、ディアには果たしたい約束がある。
 早朝の、まだ薄暗い時間。冷たくて透明な空気。吐く息は白く広がり、空中に散じる。
 街中を歩く人はいなくて、等間隔に置かれたガス灯にも灯りはない。時折、建物の窓から暖かな橙色の光が漏れていて、その周辺は大抵、食べ物のいい匂いがする。
 焼きたての香ばしいパンの。
 様々な食材が混じりあったスープの。
 温められた甘いミルクの。
 人の営みと、生活の香り。
 街を出てしばらく歩いた場所にある丘。丘の頂上付近には石積みの塔があって、そこには王国の祖である男の像が祀られている。
 塔の壁に沿って作られた長い階段を昇りきると、屋根の上に出る。風が強く、肌の露出した部分、額や頬が少しだけひりつく。
 街がある方角とは反対側の欄干に寄り、ディアはそこから遠く見渡す。
 地平線が紅に輝いている。
 もうすぐ夜が明ける。

「俺はこの世界に残るよ」

 昨夜のことだ。
 夕食の席で、シオンが言った。

「ラータの作った世界を渡る移動魔法、それがあればあの、俺たちの世界と対になるという例の世界に行くこともできるかもしれない」
「え、お前まだそれ興味あったの?」
「当たり前ですよ」

 ソロが目を丸くし、シオンが間髪入れずに言う。
 それからシオンはディアに向けて尋ねた。

「ディアはどうする? 一緒に行く? 行くなら、この世界に残ってもらわないとになるけど」

 改めて聞かれ、返答に迷う。
 もう一つの世界ともう一人の自分はディアの幼いころからの夢で、旅の目的でもあった。
 だけど旅をする中で一度諦め、目的が変わり、そして全く別の世界へやってきて、時が過ぎ、ディアの心境にも変化があった。
 もちろん、もう一人の自分に会えるなら会ってみたいという思いがないわけではない。
 ただその好奇心や夢よりも、今は優先したいことがディアにはあった。

「わたしは、戻ろうと思うの。今あっちの世界がどうなっているのかちゃんとこの目で確認したいし、フェリカとの約束を果たしたいから」
「うん。いいと思うよ」

 シオンはにこにこしながら頷く。そうして今度はソロを見た。

「ソロさんは? やっぱり帰るんですか?」
「まあな。オレも向こうのことは気になってるし」
「扉入る前、魔王と割と恐ろしい約束してましたけど大丈夫なんです?」
「お前の中で、オレどんな要求されることになってるわけ」
「だってあなた何でもするって言ってたでしょ」
「言ったけどよ……」
「ははぁ今後悔してるでしょう、してますね」

 テーブルに肘をつき指を組んで額を押し付け、深く息を吐き出すソロを、シオンが面白がった。同情したラータが横から口を挟む。

「あの、クレピスキュルも多分命くれとかそういうことは言わないんで……」
「命を要求されるより恐ろしいことって、世の中には結構あるじゃないですか、ねえ?」
「お前黙れよもう」
「まあ冗談はこの辺にして、ソロさんとディアとはしばらくお別れということになりますね」

 シオンの言葉にディアとソロの視線がラータに向いた。
 ラータは口の中のものを飲み込んで言う。

「あ、ええと僕もこの世界に残ろうと思って。シオンさんとは前に話してて」
「そっか……」

 ディアがぼんやりと呟いた。

「寂しくなるね」
「うん」

 そう簡単に別の世界を行ったり来たりはできない。魔法は完成しても、発動させるのには色んな素材が必要だし。それらを集めるのに、今回三年もかかったわけだし。
 ラータが林檎の香りと甘味のあるシードルを飲む。
 ディアもラータも、この五年の間に成人し、酒を吞める年になっていた。
 ラータが言う。

「あのさ」
「うん」
「魔法は完成させるけどさ、もう少し後じゃダメかな? その、あっちの世界に帰るの」

 ディアは驚いて、ソロと視線を合わせる。それから、もう一度ラータを見た。
 ラータはもう一口、底に残った酒を呑みきって、グラスをテーブルに置く。だがグラスからは手を離さず続けた。

「……ごめん、僕のわがままだ。ディアやソロさんにだって都合があるのに」

 潤んで揺れた瞳が伏し目がちに細められる。
 少し酔っているようだった。
 確かに元の世界に帰ってしまえば、シオンとラータには気軽に会えなくなるだろう。
 だけど今までと大きく変わらないようにも思える。ディアとソロは殆ど旅に出ていて、たまに王都へ戻って休むことはあったけれど、それだって二、三日とそう長く滞在することはなかった。
 それと何が違うのだろう。

「ま、ちがうだろうな」
「え、え、そう? 何が? どの辺が?」

 宿への帰り道。ソロに言われて、ディアは頭を抱えた。
 強く風が吹く。
 ソロは外套の、開いた首元を手で合わせ、

「さむっ」

 と漏らして体を一度大きく震わせた。

「異世界への転移魔法は相当大掛かりだって言ってたじゃねぇか。集めるのにくそめんどくせぇ道具があって、そのうえ魔法使いだって何人も必要で、魔力のなんか、なに? ナニがどうでそうなるから一度にそう何度も使えるもんじゃないとかなんとか、お前聞いてなかったの?」
「聞いてたけど最後の方は未だに意味わかんない」
「オレも」

 ソロが軽く肩を竦める。

「それはまあ置いといてさ、今までだったらお前数か月に一回でもここに帰ってきてたろ? なんならあいつ、ラータ、通信具なんてもんまで作ってさ、どこでも連絡取れるようにしちまうし、結局この世界では一度もしたことはなかったけど、召喚と同じ原理だっていうあの魔法でオレ達を呼び寄せることだってできたんじゃねぇかな?」

 覚えている。
 ゼベルの研究者たちと共にいたシオンを連れ戻す時に使っていた魔法だ。

「同じ世界にいるからこそできていたことが、別々の世界になることでできなくなる。しようと思えばいつでもそれができる環境にあるのと、そうじゃねぇのは違うだろうなって思うよ」

 ディアは空を見上げる。
 漆黒の緞帳にビーズを散らしたような星空だった。冬は空気が澄んでいるから、星の輝きが一層強く感じる。
 自分たちがいた世界は、あの中にあるのだろうか。
 それとももっと果てしなく、遠い場所に。
 光さえ届かないほど遠くにあるのだろうか。

「けど、お前はお前の好きにすればいい」

 そう言ったソロは、同じように空を見上げていた。
 空は今、夜明けに白んでいる。
 太陽が昇り、光に照らされて世界が色づく。
 夜が明けて朝が来て、また夜が訪れて。月と星と太陽があって。美しく彩られた世界のなか、人や動物や色々な生命が息づいていて。
 そんなところは、ディア達が元いた世界と変わらない。
 アメテュストゥスに導かれ、扉が開かれた時には怖気づいてしまった。
 扉の先にあるのはどんな世界かわからず、もしかすると恐ろしい世界かもしれないと聞いて不安だった。
 不安に駆られながらも前に進むことができたのは、シオンやソロ、ラータが一緒だったからだ。
 一人遠く旅をしていても、ソレイユの王都にはシオンとラータの二人がいてくれていて、疲れたらいつ帰ってきても構わなかった。
 会おうと思えば、いつだって会えた。
 元の世界へ戻れば、それができなくなる。
 それはやはり。

「さびしいなあ」

 つぶやく。
 ぼんやりと感じていたことが、ディアのなかで明確になる。
 朝陽に輝く世界を目に焼き付ける。


 宿に戻ると、ラータが待っていた。
 受付前のラウンジの、暖炉の傍でソファに座っていて、入り口からディアが入ってきたのを見ると立ち上がった。

「話があるんだけど、少しいいかな?」

 二人共朝食がまだだったから、パンを買って食べることにした。
 宿の食堂はちょっとと、ラータが言うものだから、外を歩きながら食べることにした。
 宿の近くにある店で、食べ歩きしやすそうなものをいくつか購入する。買った時は焼きたてだったが、外に持って出ると、またたく間に冷えてしまった。

「ほらーやっぱダメじゃん、今の時期は無理だって。スープ買おうスープ」

 街の中心にある広場の屋台でスープを買って、ベンチに並んで座る。
 早朝で寒さは厳しいが、人々の通勤する姿がちらほら見られた。
 椀型の器に直接口をつけて、小さく啜る。
 香辛料入りのスープは舌先に僅かな刺激をもたらして、喉を通り胃に流れ込む。具材はとろとろになるまで煮込まれていて、噛むまでもなく口の中で溶けるように砕ける。肉や野菜の様々な風味が混じりあっていて美味しい。
 ほうと息を吐く。白い息の塊が出る。

「それで話って?」

 促すと、ラータは喉を鳴らしてスープを飲み込み、振り向いた。

「昨日の話だけど」
「うん」
「君は元の世界に戻ってどうする? また旅するの?」
「え、うーん。まずはラトメリアのフェリカのところに、会いに行きたいなって思うけど、その後は一度家に帰ってみようかなって……」

 森の中。家の裏に作った母親の墓。
 それからすぐに旅に出てしまって、放置したままだからきっと荒れているだろうと思う。
 草を抜いて、掃除をして、綺麗にしたい。
 ラータはそうと呟くように言って、スープの器をベンチに置くと、鞄の中から麻紐で纏められた紙束を二つ取り出した。

「ひとつ、頼み事してもいい?」
「なに?」
「これをクレピスキュルに渡してほしいんだ」
「手紙? すごく分厚いけど」

 ディアも器を置いて、差し出されたそれを受け取る。
 本にでもできそうな量の紙は結構な重さがあった。

「世界の扉の中でのことと、それから今回の研究でわかったこの星の位置についてとか、もうすぐ出来上がる転移魔法の術式とか。荷物になって悪いけど」
「クレピスキュル会えるかな? ラータいないなら、召喚もできないし」
「ソロさんが一緒だろ? ソロさんはクレピスキュルから名前もらってるみたいだから、多分呼べば応えてくれるよ」
「じゃあ、ソロに預けた方がよくない?」
「それはそうなんだけどさ……」

 ラータの目が泳いで、ディアは首を傾げる。

「ま、いいや。預かっとくね」
「うん、よろしく」

 この間にも少し冷めてしまったスープを飲む。飲み干して、またベンチに器を置く。
 陶器でできた器は後で屋台に返さないといけない。
 ラータは広場を過ぎゆくひとを眺めながら言う。手にはまだ半分ほどスープが残った器を持ったままだ。

「今作ってる異界を繋ぐ転移魔法ってさ」
「うん」
「術式とかたぶん、すごく無駄が多いと思うんだよね」
「そうなの?」

 言われたところで、ディアには全くわからない。
 そもそも術式とか見たこともない。

「うん。だから僕はこれからその無駄を省いて、もっと手軽に……異界を行き来できるようにしたいなって思ってる」
「そっか、すごいねラータは」
「……多くの人の協力があるからできるんだよ」
「それでもすごいよ。ラータのそれは、誰にでもできることじゃないもの」

 ディアは唇を緩めて、目を細める。
 ラータは束の間その表情に見入って、それから俯き言った。

「ありがとう」

 視線は手元のスープに注がれていた。

「で、さ。時間はかかってしまうかもなんだけど、また二年か三年か、それかもっと掛かるかもだけど。もっと自由に、簡単に行き来のできる魔法を必ず完成させるから、その……」

 ラータは持っていた器を横に置いて、それからディアの手を取るとまっすぐに目を見て言った。

「それまで待っててほしいんだ」
「え、うん」

 待つ。
 ラータが、向こうの世界に戻ってくるのを。
 それはもちろん。
 お願いされるまでもない。
 当たり前のことを言われて不思議に思うディアだったが、そんな彼女を見てラータは小さく噴き出した。

「やっぱりダメかあ、ダメだよね」
「え、な、なにが」
「あーうん。だからね、僕は君のことが好きで、いずれは君と一緒になりたいとかそういう意味での待っていてほしいってことだったんだけど、多分通じてなかったよね」
「一緒に……」

 一緒に。
 一緒になりたい?
 それで好き。
 好き?

「つまり結婚したいとかそういう感じ」
「けっこん……結婚ってあれ? 夫婦になるやつ?」
「それ以外になんかあったっけ?」

 ぽかんと口を開けたまま、ディアは固まる。
 それから少し時間を置いて、

「え―――!!」

 と叫んで、ベンチから立ち上がった。

「なんで、え、なんで?」
「あ、それって全然そんなことも考えたことないって感じの反応だよね」
「そりゃそうでしょ!」
「そうはっきり言われると傷つくなあ」
「えーいや、だって、そんな……ええー」
「で、聞きたいんだけど、ディアは僕のこと嫌い?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあ好き?」

 改めて問われて考える。
 寒いはずなのに、体温が一気に上がった気がする。

「…………ごめん、あの、よくわかんない」
「じゃあ、考えておいてよ。時間はたっぷりあるだろうしさ」

 ラータは脇に置いた器を取って、冷めきったスープを飲み干し、ディアが置いた器と重ねて、屋台に返す。

「まってまってまってやっぱりおかしくない? 色々なんか急すぎない? だって結婚って」
「おかしくないおかしくない、結婚なんて勢いでするもんだよ。俺の知り合いなんて出会って一日かそこらで決めたやつもいるしさ」

 屋台の、壮年の男が笑いながら言い、ディアは頭を抱える。
 思い出してみる。
 リザとルトラ。はその後どうなったのかわならない。
 クレピスキュルとソロ。は、なんか違う。
 あとは旅の中で見かけた夫婦とか恋人とか。
 それぞれの顔を頭に浮かべて、それから考えかけて諦める。
 ダメだ。内情だの、経緯だのなんてほとんど知らないし、参考にできそうにない。
 それでもなんとなくでも知っている。

「まずはお付き合いしたり、デートしたり、キスとか場合によってはそれ以上のなんやかんやもして、それからそうなるもんじゃないの!?」
「ディアさえいいなら僕はそういうことしたいって思ってるけど?」
「ラータってそういうこと言うんだ!?」
「君が今言ったんじゃん」
「言ったけど!」

 また頭を抱えてしまったディアにラータは少し困ったように言った。

「今すぐ返事くれなくていいからさ。ディアの中ではっきり答えが出るまで、考えてみて。もちろんできれば、あっちの世界に戻るまでに返事もらえたらありがたいけど、無理ならしょうがないって思ってるから。で、僕これから仕事だからそろそろ行くね」
「あ、うん……いってらっしゃい」

 去っていくラータの背を呆然と見送り、ディアは混乱する頭でようやくそれだけ言った。



 答えは、結局出なかった。
 何せ、あれからたった二日だ。
 この二日の間に、ラータは魔法を完成させた。

 王立研究所の地下、広くて何も物がない部屋に大勢の魔法使いが集まっていた。その三分の一程の人が今回、ラータが開発した魔法に携わるのだという。残りは全員ギャラリーだ。床には、幾重にも重なる大きな円と、魔法文字が描かれている。円の外側には一定の間隔で、台座が置かれ、その上にディアとソロが集めた様々な素材があった。

「ディア、ソロさん、忘れ物はない?」

 シオンに伴われ、円の中心にやってきた二人は短く頷く。
 シオンが微笑む。

「それじゃお別れだね」
「しばらく、じゃないの?」

 ディアは目を瞬いて言い、シオンはうーんと唸って考える。

「いや、次いつ会えるか、そもそも会えるかどうかわかんないし」
「あんたはまた別の世界を目指してるわけだもんな」
「ですね。まあ縁があればまたどこかで会えるでしょう。二人共、体に気を付けて。ソロさんは魔王様とお幸せに、ディアはあんまり無茶ばかりしちゃダメだよ」
「おっ前、最後の最後まで面白がりやがって。性格悪いったらないな」
「いやいや心の底から幸せを願ってますよ」

 シオンは声に出して笑い、一度振り返ってラータを呼んだ。
 ラータは他の魔法使い達と打ち合わせをしていたが、中断してディア達の方へ駆け寄ってきた。

「今日は君が主催で忙しいだろうけど、挨拶くらいしておきなよ。しばらく会えないだろうしさ」
「あ」

 僅かに期待を含んだ目で見られ、ディアはどきりとする。
 がっかりさせたくないと思うが、だからといって適当な返事をしたくもないから困る。
 だから言った。

「ごめん、ラータ……」

 俯き加減に、更に申し訳なさげに謝られ、ラータの表情が強張ったが、ディアは気づかない。

「まだ、その、答えが出なくて」
「あ、ああ、そういうこと」

 ラータは明らかに安堵して、首を振る。
 蚊帳の外のシオンとソロが顔を見合わせている。

「いいよ。真剣に考えて、悩んでくれたのが嬉しい。そしたら返事は次に会う時まで保留だね」

 ディアはひとつ頷くと、爪先で立って、ラータの首に掻きついた。
 それから頬にほんの一瞬唇をつけて、離れる。
 ラータは目を瞠って固まり、息を呑む。

「またね」
「ディ」

 言いかけたところで、ディアが今度はシオンに同じことをした。

「シオンさんも、きっとどこかでまた」

 ソロが慰めるようにラータの肩を叩いた。
 シオンがまた声をあげて笑い、ラータが恨みがましい目でシオンを見ていた。
 後で、あれは南洋の島で覚えた別れの挨拶なのだと教えられた。


 その後、円を取り囲む形で魔法使いが配置され、ラータの合図で詠唱が始まった。台座の上に炎が宿り、炎の色が赤から青へと変化する。
 床に描かれた魔法陣が光を帯びる。
 魔力が風となり、波となって室内を満たす。
 魔法が発動する。
 円の中心に立つ、ディアとソロの姿が消えて、後には何もなくなる。台座の上の素材も、床の魔法陣も消えていた。

「行っちゃったね」
「はい」

 床に座り込むラータは大量に汗をかいていた。
 それでも数年前のように、倒れこんだりはしない。あの時よりも体は成長したし、体力だってついた。そのための努力もしてきた。
 シオンが隣にしゃがみこんで、膝を抱える。

「一応俺にとって、ディアは娘みたいなっていうか妹みたいなっていうか、そんなんだからさ」

 一瞬嫌味でも言われるのかなと思ったが、穏やかで温かい眼差しがラータに向けられた。

「そしてラータ。君もまた、俺にとっては大切な友人なんだ。だからまあ幸せになりなよ。俺はいつでも君たちの幸せを願ってるよ。どこでどんな形であれ、君たちが元気で、思うように生きていてくれたらいいなとそう思っているよ」

 冬の冷たい朝。
 研究所の地下の部屋の、まだ人が大勢いて騒がしくて、そんな中でシオンが静かにそう言った。
 春を思わせるその笑みに、ラータは少しだけ泣きそうに笑って頷いた。
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