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番外編
後日談 二粒の泪星
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人気のない小さな社に、槐《えんじゅ》の木。
記憶にある光景だ。
あの時は夜で暗かったが、今は太陽が高く明るく、周囲の様子もよくわかる。
社は小高い丘の上にあり、遠くに街が見えた。
隣でディアが目を瞬かせている。
「ここって……」
「ジェアダだっけ? ゼベルの北の。あいつ、シオンの奴を連れ戻す時に、ラータが魔法でオレ達を運んだ場所だよな」
もう五年も昔のことだが、今でもはっきり覚えている。
あの時、本当に必死だった。焦りや、怒りや、色んなよくない感情でいっぱいだった。
思い返すと、懐かしくもあり、切なくもある。
密かに感傷的になっていると、ディアが言った。
「どうしよう?」
「どうしようったってお前、後は自分たちの足で行きたいとこに行くしかねえだろ」
「んー、うんー、そうなんだけど、ラータから預かってるものがあって。クレピスキュルに渡してほしいって」
ディアが鞄の中から分厚い紙束を取り出すと、期待のこもった目でソロを見た。
「ソロならクレピスキュルから名前もらってるからいつでも好きなように呼べるって」
「知るかよ」
即答する。
だってそんな無責任な。自分は魔法使いでもないし、ラータのように召喚ができるわけでもないというのに。
与えられた名前には心当たりがあるものの、それをどうしろというのか。
嘆息するソロの目の前で、風が渦巻いた。
「ディア」
風の中心から現れたのは、鳥と人が融合したような奇妙な姿の男だ。
ディアの目が見開かれ、表情が輝く。
「グィー!」
「お前たちが帰ってきたと、たった今風が報せてくれてな。無事でよかった」
「うん、ラータの魔法で! ラータが移動魔法を開発して! ね、みんな元気だった? アルジルは? クレピスキュルは?」
「アルジルは相変わらずだ。魔王様は眠っておられる。起こすか?」
「いいの?」
「え、待てお前」
ディアが無邪気に言って、ソロは焦るが、その前にグィーの姿は消えていた。
そして僅かな間の後、今度はクレピスキュルが現れた。
「おかえりディア! よく戻ってきたな、お前たちが無事で何よりだ。というかお前ちょっと大きくなったか?」
「ただいまクレピスキュル! だってもうあれから五年よ。わたしも二十歳になったよ、大人だよ」
抱きしめられて、ディアもクレピスキュルを抱きしめ返す。
ディアが離れて、クレピスキュルがソロに向かって腕を広げたが、ソロはおうと片手を上げただけで動こうとしなかった。だからクレピスキュルが動いて、ソロを一度強く抱きしめる。けれどすぐに離れて、ニヤリと笑う。
「お前もよく約束を守ったな、リシッツァ。正直そのまま逃げるんじゃないかと思っていたが」
「あんたが約束を果たしたかどうか、自分の目で確かめねぇと気が済まない主義でな」
「そうか、それで確かめた結果どうだ?」
「上出来だ」
ソロが言って、クレピスキュルは誇らしげに微笑む。
ディアは紙束を手渡して言う。
「クレピスキュル、これラータからの預かりもの」
「ん? ああ、そういえばラティアータとあの学者は帰ってこなかったのだな。まったく薄情なもんだよ」
「シオンさんはどうかわからないけど。ラータはね、また戻ってくるつもりみたいよ」
「そうか、まあ元気でやってるなら別になんでもいいんだがな。それでお前たちはこれからどうするつもりだ?」
「わたしはラトメリアに行って、それから一度東大陸の家に帰るつもり」
「送ってやろうか?」
「ありがとう、でもいいの。自分の足で歩いて行きたいから」
ディアは笑う。
昔と同じように優しく頭を撫でて、クレピスキュルが言う。
「そうか、困ったらいつでも呼んでくれ。ディア、いや、アレーニ。アレーニは魔族に縁の名だから、お前も儂らにとって同胞も同然なのだよ」
ディアは目を丸くする。
ソロも驚いた様子でクレピスキュルを見た。
「え、え、そうなの?」
「ああ、ほらお前の母親がな。契約したろう、あの命と母性を司る魔族と。あの時、あの魔族が赤ん坊だったお前に与えた名がアレーニだ。魔族が人間に名前を与えるというのは守護を与えるのと同等のことなんだよ」
ディアは少しの間黙りこみ、複雑な感情をそのまま映したかのような表情になって頷いた。
けれど次の瞬間には笑顔になって、手を振る。
「ありがとうクレピスキュル。わたし、そろそろ行くよ。二人共元気でね。また会おうね」
その後ろ姿が見えなくなるまで、クレピスキュルとソロはディアを見送った。
ディアはその間一度も振り返らなかった。
二人だけになって、クレピスキュルが問う。
「さて、それでお前はどうするんだ? リシッツァ」
ソロは肩をすくめて吐息する。
「あんたの望みを叶えるさ。それが約束だっただろ?」
***
行ったことのない国の行ったことのない街に行った。クレピスキュルの魔法で行ったから、一瞬で着いた。並んで歩いて、並んで公園のベンチに座って、甘い物を食べたり、店を冷かしたりした。夜になると、宿で酒を呑んで、楽しく酔っ払った。
全部解決したら一回デート。
クレピスキュルの一つ目の望みだ。ソロの了承を得ず、ディアが勝手に提案し、クレピスキュルがのんだものだった。
そしてもう一つ、ソロ自身が持ち掛けた契約の代償がまだ残っている。
二人でひとつのベッドに入って、向かい合って横になり、まだ酒でふわふわとした様子のクレピスキュルが言った。
「楽しかったよ、久しぶりに胸が高鳴った。ありがとう、この世界に戻ってきてくれて。約束を果たしてくれてありがとう」
「礼を言うにはまだ早いんじゃねぇの? オレはまだあんたの望みを聞いてないけど?」
言えば、クレピスキュルは目を見開く。
夏の夕暮れ時の雲の色の眸が戸惑いに揺れる。
酔いが一気に醒めたような顔つきになる。
その様子から察したソロが眉根を寄せた。
「まさか言わないつもりだったのか? なんだよ、あんたらしくないな」
図太くて、ずうずうしい。
そんな奴が今さら何を遠慮するというのか。
心の内を読まれたかのように言われる。
「どれだけ強かになっても、図太くなっても、恐ろしいと思うことはあるし、躊躇うこともあるんだよ」
はっと笑って、ソロが言う。
「世界最強の魔王様がか?」
「茶化すな、いい雰囲気が台無しではないか」
冗談っぽくソロが言って、クレピスキュルも冗談っぽく返す。
クレピスキュルの目が柔らかく笑む。
夕暮れ空のような、熱く燃える星のような、それとも光に輝く宝石のような、そんなものを思わせる二つの目。
「儂はこの世界が在る限り存在する。それはもう気の遠くなるような長い時間なんだが、一方で星の煌めきのごとく一瞬のことでもあってな」
「ふン?」
「この悠久の時の中では、お前たちヒトの生などまさにあっという間なのだよ」
ああ、だから寝てたのか。
何故だかわからないけれど、そう思った。
眠ってしまえば、考えなくて済む。一瞬のことのように、その間にすべてが終わっている。
それで諦めがつくのか。
つきやすいのか。
過ぎ去ってしまえば、もうどうしようもない。
時は元に戻せない。
消えた命を戻すことはできない。
どんなことも大抵のことなら可能にしてしまう魔族の王にもできない、いくつかのこと。
「ほんの、僅かなことなんだ」
クレピスキュルの長い指が伸ばされて、頬に触れる。
「殆ど空のコップに、一口分の水を足すようなそんなものだ。無駄なあがきだ」
「そんでも一時、喉は潤う」
間髪入れずに言ったら、クレピスキュルは吐息のように笑う。
「そうだなうん。お前のな、寿命を少しだけ延ばしたいな、って」
「少し?」
「うん、五百年程」
「少しじゃねぇじゃん」
「少しだよ」
「ていうかそれってそんなに躊躇うことか? 寿命延ばしてやるっていわれて、嫌ってやつそんないないだろ」
「考えてもみろ、会った時は年下であった者たちがどんどん自分を追い抜かして死んでゆくのだぞ」
「ああ、そうか」
言われてみればそうだ。
五百年。生まれたばかりの赤ん坊が年老いて、死んで、その子供が年老いて死んで、それでもまだ余るほどの年数だ。
愛する人に、子供に、友人に、身近な人間に、置きざりにされる。
それはどんな気分だろう。想像することはできても、実感はない。その孤独と重みを、ソロは知らない。
ふと疑問が湧く。
「つうかよ、生き返らせることはできないのに寿命を延ばすってありなの?」
「ああ、すまん。それはあれだ。結果的にそうなるというだけの話なんだ」
「だから、つまりどういうことだよ」
クレピスキュルは再び言いづらそうに言う。
「まあだからその、お前には今後魔族としてだな。儂の力の一部をお前に与えることで、簡単にそういうのもできるわけで……」
「なんだそれ、寿命延ばすどころかオレに人間やめろって?」
目を丸くしてソロが言い、クレピスキュルは息を詰める。
けれど次の瞬間、ソロは笑った。
今度はクレピスキュルが目を丸くする。
「いいじゃねぇか。だってそっちのがあれだ、歪な感じがなくていい。人間として人間の中に混じって、五百年も生きてたらおかしな目で見られるだろうけど、魔族ならおかしくないだろ。だって魔族の奴らはみんな、そんだけ長く生きるわけだもんな」
「え、いやダメだろ、お前そんな軽薄なノリで決めて、あとで絶対後悔するぞ?」
「するかもな。でもここで嫌だって言っても、それはそれで後悔するかもしれないしさ。後でどう思うかなんて今は結局わかんねぇもんだろ」
クレピスキュルはああと両手で顔を押さえて息を漏らす。
「お前がこれほどにバカだったとはな、リシッツァ」
「テメェが望んだことだろ。おれはそれを叶えてやるって言ってんのに、なんだそれ」
「そうだよ、儂はそれを望んでいたのに。お前にうんと言ってほしいと思っていたのに。なのに何故だろうな。とても胸が苦しいよ」
殆ど空のコップに一口分の水を。
渇きを癒してくれるのは、ほんの少しだけ。
星の煌めきのように、一瞬だけ。
「魔族になって、寿命が延びて、それでもオレはいずれ死んでしまうけれど。それでもそれまでの僅かな時間がお前にとって、今日一日のような満たされたものになるならそれでもいいんじゃないかって思うよ。何もなくて退屈なのよりはマシじゃないかってさ」
「楽しい時間は過ぎれば、後に残るのは切なさだけだ」
「そしたらまた眠れよ。眠って、起きてそしたら気持ちもすっきりするかもしれねぇだろ。それで起きてる時間は好きなことしたらいい。国も街も変わって、周りの奴らも知らない奴になってるかもしれないけど、その出会いをまた楽しめよ。今までだってそうしてきたんだろ?」
「そうだよ。そしていつも辛くて、いつもしんどい。恵まれた出会いであればあるほど、余計にな」
苦しい声で吐き出すクレピスキュルを、ソロは見つめたまま言う。
「いいよ、好きなだけ迷えよ。後はあんたが決めればいい。オレは構わないよ、あと五十年でも、五百年でも、あんたの好きなだけ付き合ってやる。オレの時間をあんたにあげるよ」
ソロには幸いというべきか、家族はいない。
それでも親しい人間はいる。主に年下の。
もし魔族として生きていくことになれば。
彼らはそれこそあっという間にソロの年を追い越し、老いて死んで逝くことになるだろう。
考えるだけでもちょっと切なくなるが、実際にそれに直面した時には、きっともっと胸苦しくなるのかもしれない。
クレピスキュルが額から手を離し、もう一度ソロに手を伸ばす。
「いいんだな本当に、後悔するぞ?」
「くどいな」
「苦情は受け付けない」
「愚痴があったら他の魔族に聞いてもらう。だから話聞いてくれそうなやつ紹介してくれ」
「それならグィーが適任だ」
「あいつ酒とか飲むかな?」
「さてな。そういうことは本人に聞いてくれ、また明日にでも。今は」
指先が頬をなぞる。
クレピスキュルは目元を緩ませる。
目尻がわずかに濡れていた。
魔王にも涙があるんだなと思って、それから気が付く。ソロの瞼も涙に濡れていた。
クレピスキュルの指が動いて、ソロの目元を拭う。
そうして微笑んで囁いた。
「儂にお前との時間を楽しませてくれ」
記憶にある光景だ。
あの時は夜で暗かったが、今は太陽が高く明るく、周囲の様子もよくわかる。
社は小高い丘の上にあり、遠くに街が見えた。
隣でディアが目を瞬かせている。
「ここって……」
「ジェアダだっけ? ゼベルの北の。あいつ、シオンの奴を連れ戻す時に、ラータが魔法でオレ達を運んだ場所だよな」
もう五年も昔のことだが、今でもはっきり覚えている。
あの時、本当に必死だった。焦りや、怒りや、色んなよくない感情でいっぱいだった。
思い返すと、懐かしくもあり、切なくもある。
密かに感傷的になっていると、ディアが言った。
「どうしよう?」
「どうしようったってお前、後は自分たちの足で行きたいとこに行くしかねえだろ」
「んー、うんー、そうなんだけど、ラータから預かってるものがあって。クレピスキュルに渡してほしいって」
ディアが鞄の中から分厚い紙束を取り出すと、期待のこもった目でソロを見た。
「ソロならクレピスキュルから名前もらってるからいつでも好きなように呼べるって」
「知るかよ」
即答する。
だってそんな無責任な。自分は魔法使いでもないし、ラータのように召喚ができるわけでもないというのに。
与えられた名前には心当たりがあるものの、それをどうしろというのか。
嘆息するソロの目の前で、風が渦巻いた。
「ディア」
風の中心から現れたのは、鳥と人が融合したような奇妙な姿の男だ。
ディアの目が見開かれ、表情が輝く。
「グィー!」
「お前たちが帰ってきたと、たった今風が報せてくれてな。無事でよかった」
「うん、ラータの魔法で! ラータが移動魔法を開発して! ね、みんな元気だった? アルジルは? クレピスキュルは?」
「アルジルは相変わらずだ。魔王様は眠っておられる。起こすか?」
「いいの?」
「え、待てお前」
ディアが無邪気に言って、ソロは焦るが、その前にグィーの姿は消えていた。
そして僅かな間の後、今度はクレピスキュルが現れた。
「おかえりディア! よく戻ってきたな、お前たちが無事で何よりだ。というかお前ちょっと大きくなったか?」
「ただいまクレピスキュル! だってもうあれから五年よ。わたしも二十歳になったよ、大人だよ」
抱きしめられて、ディアもクレピスキュルを抱きしめ返す。
ディアが離れて、クレピスキュルがソロに向かって腕を広げたが、ソロはおうと片手を上げただけで動こうとしなかった。だからクレピスキュルが動いて、ソロを一度強く抱きしめる。けれどすぐに離れて、ニヤリと笑う。
「お前もよく約束を守ったな、リシッツァ。正直そのまま逃げるんじゃないかと思っていたが」
「あんたが約束を果たしたかどうか、自分の目で確かめねぇと気が済まない主義でな」
「そうか、それで確かめた結果どうだ?」
「上出来だ」
ソロが言って、クレピスキュルは誇らしげに微笑む。
ディアは紙束を手渡して言う。
「クレピスキュル、これラータからの預かりもの」
「ん? ああ、そういえばラティアータとあの学者は帰ってこなかったのだな。まったく薄情なもんだよ」
「シオンさんはどうかわからないけど。ラータはね、また戻ってくるつもりみたいよ」
「そうか、まあ元気でやってるなら別になんでもいいんだがな。それでお前たちはこれからどうするつもりだ?」
「わたしはラトメリアに行って、それから一度東大陸の家に帰るつもり」
「送ってやろうか?」
「ありがとう、でもいいの。自分の足で歩いて行きたいから」
ディアは笑う。
昔と同じように優しく頭を撫でて、クレピスキュルが言う。
「そうか、困ったらいつでも呼んでくれ。ディア、いや、アレーニ。アレーニは魔族に縁の名だから、お前も儂らにとって同胞も同然なのだよ」
ディアは目を丸くする。
ソロも驚いた様子でクレピスキュルを見た。
「え、え、そうなの?」
「ああ、ほらお前の母親がな。契約したろう、あの命と母性を司る魔族と。あの時、あの魔族が赤ん坊だったお前に与えた名がアレーニだ。魔族が人間に名前を与えるというのは守護を与えるのと同等のことなんだよ」
ディアは少しの間黙りこみ、複雑な感情をそのまま映したかのような表情になって頷いた。
けれど次の瞬間には笑顔になって、手を振る。
「ありがとうクレピスキュル。わたし、そろそろ行くよ。二人共元気でね。また会おうね」
その後ろ姿が見えなくなるまで、クレピスキュルとソロはディアを見送った。
ディアはその間一度も振り返らなかった。
二人だけになって、クレピスキュルが問う。
「さて、それでお前はどうするんだ? リシッツァ」
ソロは肩をすくめて吐息する。
「あんたの望みを叶えるさ。それが約束だっただろ?」
***
行ったことのない国の行ったことのない街に行った。クレピスキュルの魔法で行ったから、一瞬で着いた。並んで歩いて、並んで公園のベンチに座って、甘い物を食べたり、店を冷かしたりした。夜になると、宿で酒を呑んで、楽しく酔っ払った。
全部解決したら一回デート。
クレピスキュルの一つ目の望みだ。ソロの了承を得ず、ディアが勝手に提案し、クレピスキュルがのんだものだった。
そしてもう一つ、ソロ自身が持ち掛けた契約の代償がまだ残っている。
二人でひとつのベッドに入って、向かい合って横になり、まだ酒でふわふわとした様子のクレピスキュルが言った。
「楽しかったよ、久しぶりに胸が高鳴った。ありがとう、この世界に戻ってきてくれて。約束を果たしてくれてありがとう」
「礼を言うにはまだ早いんじゃねぇの? オレはまだあんたの望みを聞いてないけど?」
言えば、クレピスキュルは目を見開く。
夏の夕暮れ時の雲の色の眸が戸惑いに揺れる。
酔いが一気に醒めたような顔つきになる。
その様子から察したソロが眉根を寄せた。
「まさか言わないつもりだったのか? なんだよ、あんたらしくないな」
図太くて、ずうずうしい。
そんな奴が今さら何を遠慮するというのか。
心の内を読まれたかのように言われる。
「どれだけ強かになっても、図太くなっても、恐ろしいと思うことはあるし、躊躇うこともあるんだよ」
はっと笑って、ソロが言う。
「世界最強の魔王様がか?」
「茶化すな、いい雰囲気が台無しではないか」
冗談っぽくソロが言って、クレピスキュルも冗談っぽく返す。
クレピスキュルの目が柔らかく笑む。
夕暮れ空のような、熱く燃える星のような、それとも光に輝く宝石のような、そんなものを思わせる二つの目。
「儂はこの世界が在る限り存在する。それはもう気の遠くなるような長い時間なんだが、一方で星の煌めきのごとく一瞬のことでもあってな」
「ふン?」
「この悠久の時の中では、お前たちヒトの生などまさにあっという間なのだよ」
ああ、だから寝てたのか。
何故だかわからないけれど、そう思った。
眠ってしまえば、考えなくて済む。一瞬のことのように、その間にすべてが終わっている。
それで諦めがつくのか。
つきやすいのか。
過ぎ去ってしまえば、もうどうしようもない。
時は元に戻せない。
消えた命を戻すことはできない。
どんなことも大抵のことなら可能にしてしまう魔族の王にもできない、いくつかのこと。
「ほんの、僅かなことなんだ」
クレピスキュルの長い指が伸ばされて、頬に触れる。
「殆ど空のコップに、一口分の水を足すようなそんなものだ。無駄なあがきだ」
「そんでも一時、喉は潤う」
間髪入れずに言ったら、クレピスキュルは吐息のように笑う。
「そうだなうん。お前のな、寿命を少しだけ延ばしたいな、って」
「少し?」
「うん、五百年程」
「少しじゃねぇじゃん」
「少しだよ」
「ていうかそれってそんなに躊躇うことか? 寿命延ばしてやるっていわれて、嫌ってやつそんないないだろ」
「考えてもみろ、会った時は年下であった者たちがどんどん自分を追い抜かして死んでゆくのだぞ」
「ああ、そうか」
言われてみればそうだ。
五百年。生まれたばかりの赤ん坊が年老いて、死んで、その子供が年老いて死んで、それでもまだ余るほどの年数だ。
愛する人に、子供に、友人に、身近な人間に、置きざりにされる。
それはどんな気分だろう。想像することはできても、実感はない。その孤独と重みを、ソロは知らない。
ふと疑問が湧く。
「つうかよ、生き返らせることはできないのに寿命を延ばすってありなの?」
「ああ、すまん。それはあれだ。結果的にそうなるというだけの話なんだ」
「だから、つまりどういうことだよ」
クレピスキュルは再び言いづらそうに言う。
「まあだからその、お前には今後魔族としてだな。儂の力の一部をお前に与えることで、簡単にそういうのもできるわけで……」
「なんだそれ、寿命延ばすどころかオレに人間やめろって?」
目を丸くしてソロが言い、クレピスキュルは息を詰める。
けれど次の瞬間、ソロは笑った。
今度はクレピスキュルが目を丸くする。
「いいじゃねぇか。だってそっちのがあれだ、歪な感じがなくていい。人間として人間の中に混じって、五百年も生きてたらおかしな目で見られるだろうけど、魔族ならおかしくないだろ。だって魔族の奴らはみんな、そんだけ長く生きるわけだもんな」
「え、いやダメだろ、お前そんな軽薄なノリで決めて、あとで絶対後悔するぞ?」
「するかもな。でもここで嫌だって言っても、それはそれで後悔するかもしれないしさ。後でどう思うかなんて今は結局わかんねぇもんだろ」
クレピスキュルはああと両手で顔を押さえて息を漏らす。
「お前がこれほどにバカだったとはな、リシッツァ」
「テメェが望んだことだろ。おれはそれを叶えてやるって言ってんのに、なんだそれ」
「そうだよ、儂はそれを望んでいたのに。お前にうんと言ってほしいと思っていたのに。なのに何故だろうな。とても胸が苦しいよ」
殆ど空のコップに一口分の水を。
渇きを癒してくれるのは、ほんの少しだけ。
星の煌めきのように、一瞬だけ。
「魔族になって、寿命が延びて、それでもオレはいずれ死んでしまうけれど。それでもそれまでの僅かな時間がお前にとって、今日一日のような満たされたものになるならそれでもいいんじゃないかって思うよ。何もなくて退屈なのよりはマシじゃないかってさ」
「楽しい時間は過ぎれば、後に残るのは切なさだけだ」
「そしたらまた眠れよ。眠って、起きてそしたら気持ちもすっきりするかもしれねぇだろ。それで起きてる時間は好きなことしたらいい。国も街も変わって、周りの奴らも知らない奴になってるかもしれないけど、その出会いをまた楽しめよ。今までだってそうしてきたんだろ?」
「そうだよ。そしていつも辛くて、いつもしんどい。恵まれた出会いであればあるほど、余計にな」
苦しい声で吐き出すクレピスキュルを、ソロは見つめたまま言う。
「いいよ、好きなだけ迷えよ。後はあんたが決めればいい。オレは構わないよ、あと五十年でも、五百年でも、あんたの好きなだけ付き合ってやる。オレの時間をあんたにあげるよ」
ソロには幸いというべきか、家族はいない。
それでも親しい人間はいる。主に年下の。
もし魔族として生きていくことになれば。
彼らはそれこそあっという間にソロの年を追い越し、老いて死んで逝くことになるだろう。
考えるだけでもちょっと切なくなるが、実際にそれに直面した時には、きっともっと胸苦しくなるのかもしれない。
クレピスキュルが額から手を離し、もう一度ソロに手を伸ばす。
「いいんだな本当に、後悔するぞ?」
「くどいな」
「苦情は受け付けない」
「愚痴があったら他の魔族に聞いてもらう。だから話聞いてくれそうなやつ紹介してくれ」
「それならグィーが適任だ」
「あいつ酒とか飲むかな?」
「さてな。そういうことは本人に聞いてくれ、また明日にでも。今は」
指先が頬をなぞる。
クレピスキュルは目元を緩ませる。
目尻がわずかに濡れていた。
魔王にも涙があるんだなと思って、それから気が付く。ソロの瞼も涙に濡れていた。
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