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おかえり、私の吸血鬼さん1
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「えへ、来ちゃった」
「……クリオ、何でここにいるの?」
葉子が帰宅するや否や、目に飛び込んできたのはイケメンの男。
髪も瞳も同じ金色で、肌は白く透き通ったような美しさで、肢体もスラッとまるでモデルのような出立ちである。
だが、そんな彼には普通の人間とは違う部分があった。
それは、その身体を覆えるほど大きな翼だ。
しなやかで黒く、ベルベッドのような美しさのそれは、彼がただの人ではないことの証明であった。
「だって……」
「だって、じゃないでしょ。可愛く言ってもダメだよ。てか、ついこのあいだ私と違って可愛い女の子ゲットするって言ってなかったっけ?」
「それは、その、言ってたんだけど……やっぱりなんていうか、その……僕はぐいぐい来る女の子苦手だし……」
「……で?」
「ごめんなさい、葉子ちゃんのおうちにもう一度住まわせてください!」
「はぁ、もう……吸血鬼がそんなヘタレで大丈夫なの?」
「そんなこと言ったってぇ~! 無理なものは無理だもん~!! いきなり僕に跨ってくるんだよ!? 怖くない!??」
「いや、血を吸うのに好都合でしょ」
「葉子ちゃんってそういうとこドライだよね。もっとムードとかさぁ~」
「はいはい。ただ愚痴言いに来ただけなら帰ってくださーい」
「ごめんなさいごめんなさい! 葉子さま、もう言いませんから置いてください~!!」
クリオはそう言って葉子にしがみつく。
それを適当にあしらって、荷物を片付け部屋着に着替える。
それをまじまじと見てくるクリオを足蹴にする。
「葉子ちゃん酷い~!! 目の前で着替えるってことは見ていいってことじゃないの!?」
「自分の家でどこで着替えようが関係ないでしょ。ムードとか言うならそっちが気遣いなさいよ」
「えーー、でも久々なんだし……ね?」
そう言って後ろから抱きしめてくるクリオを、すかさず顔面を押さえて引き剥がす葉子。
「ね? じゃない。私、仕事から帰ってきて疲れてるの。シャワー浴びたら寝るから、クリオも勝手に寝るなら寝ててちょいだい」
「え? いいの? やったぁ! やっぱり葉子ちゃんは優しい~」
「はぁ、そういうのはいいから」
ルンルンしながらベッドの方に向かうクリオ。
相変わらず現金なやつだと呆れつつ、下着やタオルなどを引っ掴んでそのまま浴室へと向かう。
「はぁ、もうなんなのよ……」
葉子は蛇口を捻り、シャワーを浴びながらそう溢す。
不意に流れた涙はシャワーのお湯と共に排水溝へと流れていった。
◇
「……生きてる?」
クリオとの出会いはかれこれ1年前だった。
身体中ぼろぼろになり、家の近くで転がっているのを葉子が見捨てることができずに拾って来てしまったのがキッカケだ。
もちろん、見た目が綺麗だというのもあったが、昔から葉子はそう言った捨てられている類のものを見捨てられない性分というのが災いした。
そしてえっちらおっちらヒィヒィ言いながら家に連れ帰ってみて、羽があることに気付いてびっくりしたのだ。
まさか人間ではない? と羽に触れると脈動を感じて、またまた驚いて、もう一度捨ててしまおうかと一瞬悩んだくらいだった。
だが、さすがにまた捨てるには忍びなく、結局つい世話焼きな性格も災いして、色々と世話をしてしまったのだ。
「葉子ちゃんといると落ち着く~」
「はいはい」
いつも読書をしているとくっついてくる。
クリオはひっつかれるのは嫌らしいが、ひっつくのは好きという難儀な性格をしていた。
そもそも、今でこそクリオはこんなヘタレになっているが、昔はそうではなかったらしい。
本人曰く、この見た目でだいぶ苦労したそうで、昔は慎ましかった女性も現代になるにつれ肉食系と変化していって、彼はだんだんと女性恐怖症になっていってしまったそうだ。
あのぼろぼろのときも、前の彼女と色々あって揉めたそうで、そのあとふらふら誰かの血を吸うこともなく行き倒れになっていたところを葉子が拾ったというのが顛末だったようだ。
なんだかんだでクリオとの生活は心地よく、ずっとこの生活が続けばいいのに、と心のどこかでそう思っていたのだが、終わりは突然であった。
◇
「葉子ちゃん、お疲れ~サッパリした?」
「うん、まぁ……どうしたの、これ」
てっきりクリオは寝たと思って適当に髪を乾かしてリビングへと戻ってくれば、なぜか食卓にオムライスが鎮座していた。
「へへ、作ったんだ」
「いつ覚えたの?」
「葉子ちゃんのおうちを出てから僕も色々頑張ったんだよ~」
「ふぅん。あそ」
「何その反応~! そもそもちゃんと髪乾かしてないでしょ!? いつも言ってたじゃん、せっかくの綺麗な髪なんだからちゃんと乾かさないとダメだって」
「はいはい」
「もー! ドライヤー持ってくる!!」
ぷんぷん、と擬音がつきそうな可愛らしい感じでドライヤーを取りに行くクリオ。
相変わらず見た目と中身のギャップが激しい男である。
(見た目で言うと、俺様系な感じなのに喋るとあんなだからな)
クリオは見た目こそ美しいが、中身はとても残念だった。
クリオはかれこれもう数百年は生きているそうなんだが、どう考えてもそうとは思えないほど中身が幼い。
一体どこの世界線を生きてきたのか心配すらなってくるレベルだ。
今まで見た目である程度カバーできていても、女の人は結構シビアだからスキルがなく女性不信なクリオが取り入るのは存外難しい。
そのため見た目以外あとは気にしないというタイプはペットを飼うような人物がクリオにとって相性がいいと言えるのだが、そういう人物に限ってクリオにただそこにいればいいと言いつつも、実際は多くを彼に求めるのだ。
……特に夜の営みで。
それが女性不信のクリオには非常に苦痛らしく、それで幾度となく女の子を取っ替え引っ替えしては根無草のように色々なところを転々としているらしい。
(まぁ実際私もこうして適当にあしらっているけど、クリオがいるとどうしても欲求が湧いてくる)
段々と人は欲深になってくる。
クリオの周りの人々達も例に漏れず、貴方の子供が欲しいやら、ずっと一生そばにいて欲しいやらで彼を縛りつけようとしたらしい。
そして私も、例に漏れずクリオが何かをすることを極端に嫌った。
何かできるようになってしまったら、どこかに行ってしまうのではないかと恐怖したからだ。
(結局、先日仲違いして出て行っちゃったけど)
そもそもなぜクリオと葉子が揉めたのか、それは家事のことである。
何度教えても全然できないし、やらせても失敗するしで葉子はあまり家事をクリオにやらせていなかった。
だが、先日とうとう何かを手伝いたいクリオと何もしなくてもいいからただそこにいてくれ、と主張する葉子で揉めに揉めたのだ。
そして売り言葉に買い言葉で、「だったらもっと可愛げのある、僕に頼ってくれるような女の子のとこに行ってやるー!」と言ったっきりクリオは家を出て行ったのだが、こうして本日戻ってきたというわけだ。
ぶぉぉぉぉ~
髪を乾かされながらオムライスを食べる。
傍目から見たらだいぶシュールな光景だろう、と思いながらも葉子は黙々と食べることに集中する。
「ねぇ、聞いてる~?」
「ん? 聞いてない」
「もぉ! ちゃんと聞いてよ! こうやって乾かすだけで髪傷まなくなるんだから、洗ったら乾かすの!」
「はいはい」
「もー、絶対聞き流してるでしょ」
文句を言いながらもクリオの手つきは優しく、大きくて綺麗な手で自分の髪に触れながら乾かしてくれていると思うと葉子も満更でもなかった。
昔から手伝うことに関してはダメダメなのに、こうして世話をすることはクリオはとても長けている。
「はい、乾いたよ」
「ありがとうー」
「どう? 美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「本当!? へへ、修行したかいがあった~」
能天気なクリオと裏腹に、ギュッと葉子の胸は痛んだ。
自分ではない誰かのところで学び、しかも上達させて実際に作れるようにした人物に嫉妬。
だが、葉子がそんなこと言えるはずもなく、モヤモヤと黒い何かを抱え込む。
そもそも誰のために作ろうとしていたのか、家を出てから今までどこに行っていたのか、誰に教わったのか、それすらも恐くて聞けない。
クリオが出て行ってから、自分があまりにも自分本意すぎて自己中であったと何度も何度も自責したのもあって、これ以上彼に干渉して自分を傷つけるのは避けたかった。
「ごちそうさま」
「ふふ、葉子ちゃんにご馳走できてよかった~! あ、後片付けは僕がやるから、歯磨きしたり読書したりしてていいよー。明日も仕事?」
「ううん、明日はおやすみ」
「そかそか! あ、でも、今日疲れているなら、寝ないとお肌に悪いもんね。葉子ちゃんのこのピッチピチのお肌に何かあったら大変!」
「ピッチピチってもう28だよ」
「僕からしたら全然若いよ! 僕と葉子ちゃんは……んー、600歳くらいは離れてるし」
「吸血鬼と一緒にしないでよ」
「ふふ、確かに」
勝手に色々言いながら、ふんふん鼻歌を歌いつつ食器を下げるクリオ。
どこか上機嫌で浮ついている彼に対し、葉子はクリオのことをまた受け入れてもいいのだろうかという葛藤に苛まれていた。
もしこれが一時的なもので、彼が再びいなくなってしまったらと思うと、次は耐えられる自信がない。
だからまた以前のように全てを受け入れられるかというと決めかねている部分はあった。
(あぁ、我ながらヘタレね)
クリオのことを言ってられない、と思いながら、今日帰りに買ってきた文庫を取り出す。
そしてクリオに言われた通り歯磨きをしながら、ページをめくり始めた。
「何読んでるの? ……んー、婚約破棄……?」
「そう。今流行ってるんだって」
「へぇ、婚約破棄が流行ってるだなんてすごいね」
「何で?」
「これ、中世とかのお話なんでしょ? 実際にそんなことあったら血祭りだからねぇ~。処刑されるし。下手したら一族郎党みんな縛り首かギロチンだよ」
「えぇ!?」
「処刑は一種のエンタメだからね。そういうネタがあれば率先してやってたところもあったよ。まぁ、地域によるだろうけど」
「現代生まれでよかった……」
たまに怖いことを平気でケロッと言うクリオが怖い。
彼曰く、昔に比べてだいぶ今の方が過ごしやすいが、吸血鬼としてはSNSなどの普及で変な噂が広まりやすく、また元カノのような人々から見つかるリスクが高いため、そう言った意味では生きづらいと聞いて変に納得してしまった。
長く生きていると色々と見てきたのだろう。
いいことも悪いことも全部。
だからこそあまり深く立ち入ってはダメなのだと、葉子はあえてクリオの過去を詮索することはしなかった。
「ねぇねぇ、葉子ちゃん」
「何?」
「そろそろ寝ないの?」
「んー?」
ちらっと時計を見ると、そろそろ0時を回りそうなくらいの時間だった。
普段はまだ夕飯を作ってる時間だが、クリオのおかげでだいぶ時間短縮ができているのでいつもより早い時間に色々と済ませられていた。
「寝て欲しいの?」
「うん」
「何で?」
「そりゃあ……葉子ちゃんを食べたいから」
クリオの表情が変わる。
先程まで可愛らしい子犬のような雰囲気だったのに、今は大人の男性の顔つきになって葉子をゆっくりと押し倒した。
クリオはどこの誰であっても魅入ってしまうほど顔がいい。
だから目をそらせることができず、葉子はクリオに釘付けになる。
このように魅了するのは彼の魔力らしいが、ただの人間でもありクリオにまだ気がある葉子がその魔力に抗うことなどできなかった。
「早く寝ないとお肌が、って言ってなかった……?」
「でも、明日おやすみなんでしょ?」
「そうだけど……ん」
クリオの長い金色の髪がゆっくりと降りてきて、葉子の肌をくすぐる。
そして、部屋着から覗く肌にクリオが吸いつき、葉子が声を漏らした。
久々の感触。
クリオがいなくなってからというもの、彼を忘れるように仕事に没頭していたので、こういうこととは無縁の生活をしていたため、だいぶご無沙汰で余計にドキドキした。
(クリオにとってはただの食事なんだからドキドキしたってしょうがないでしょ)
そう思いながらも期待している自分がいる。
そんな複雑な相反する気持ちを抱きながらもされるがままになる。
「……いい?」
「クリオにとってのご飯でしょ、いいよ」
「ご飯だけど、僕にとっては特別なものだよ」
特別、と言われてキュンとする。
そして、チュッチュッと肌に唇を落とされる。
時折強く吸われながら、舐められたり噛まれたり、まるで味わうような刺激にこれから食べられてしまうのかと緊張してくる。
「葉子ちゃん震えてるの? ……可愛い」
チュッチュッとそこかしこに口付けられる。
耳、首筋、顎の付け根から鎖骨……とだんだん下りてきて、いつの間にか露わにされた肌の上を舌が滑っていく。
たっぷりと唾液を含みながら舐められたせいか、彼が舐めた部分がひんやりとするが、すぐさま興奮で熱くなりなんとも言えない気分になりながら葉子は身体をよじった。
「気持ちいい?」
「わかんな……っ」
「じゃあ、もっとたっぷり可愛がってあげるね」
クリオはそう言うと、ぱくんと胸の頂を口に含む。
そして、ねっとりと舐め上げたかと思うとちゅうちゅうと吸われる。
「んふ……っぁ、……っ」
「もっと声出してよ」
「クリオってベッドの上だとキャラ変わるよね」
「そうかなぁ? 気のせいだよ」
そんなことを言いつつも、先端を舐めたり齧ったり。
反対は指でコネコネと弄られ、さらに膨らみもやわやわと揉まれる。
クリオの手つきは優しく、ソフトタッチだ。
正直最初、吸血鬼はもっと乱暴に抱くイメージだったが、クリオとセックスしてそのイメージ彼方へ吹っ飛んだ。
そもそも葉子はこうして優しく抱かれたのは初めてで、今までの元カレは自分本位なセックスばかりでこうして優しく時間をかけてくれたことなどなかった。
だからクリオとのセックスは新鮮で、相性がよく、だからこそ手放したくなかったというのもあった。
「あ、そこ……っ、」
「ん? ここ? ……あれ、性感帯増えてない?」
「気のせい、でしょ」
「そうかなぁ、……ふぅん」
チュッチュ、と身体中口付けながら肌を撫でられる。
くすぐったいようなもどかしいような、そんな感覚。
肌が粟立つようなふわふわと、だんだんゆっくりと熱が身体中に帯びていく。
至るところを口付けられ、時折ちくりとした痛みと共に咲く華。
紅くポツポツと色付くそれは、気付けば身体中に咲いていた。
「痕付けすぎ」
「だって、葉子ちゃんは僕のものでしょう?」
言われてギュッと葉子の胸が軋む。
なぜだかはわからない。
いや、違う、わかってはいる。
今までクリオがいなかった期間、葉子はその穴を埋めるために必死だった。
ぽっかりと空いた穴は想像以上に大きく、起きたら会えるのではないか、帰ってきたら会えるのではないか、道すがら会えるのではないかと期待しては打ちひしがれての連続だった。
だからこそ、こうして戻ってきたことは嬉しかったが、またどこかへ行ってしまうのではないかという不安がつきまとう状態で、さも葉子がクリオのものだと言われてしまったことに対して傷ついたのだ。
どれほど私がクリオのことを想っていたか、どれほどこの悲しみを払拭するため頑張ってきたか、葉子の真意など知るよしもないクリオに能天気にそんな発言をされたことが解せなかった。
「え? どうしたの? 葉子ちゃん泣いてるの!?」
「煩い! クリオのバカ!!」
「え、ごめん。何か嫌なことした? それともどっか痛かった!?」
「そうじゃなくて……」
溢れ出した涙が止まらない。
ポロポロと堰を切ったように溢れ出す涙は止めようにも止めることができなかった。
今までクリオの前で泣いたことなどなく、こんな弱い自分を曝け出したくないのに、気持ちとは裏腹に涙だけでなく嗚咽まで出てくる始末だ。
クリオはオロオロとし始め、ギュッと葉子を抱き締める。
そしてバサッと大きな翼でも包むようにして、葉子の視界は暗闇に包まれた。
「無理に泣き止まなくてもいいよ。葉子ちゃんが泣き止むまで待つから。悪いもの全部出しちゃえ」
「……ふっ、……ううぅ……っふ、く」
「よしよし」
まるで幼児をあやすかのように背を摩られる。
ぽんぽん、とリズムよく叩かれてだんだんとそれが心地よく、気持ちも落ち着いてきた。
「どうして泣いたの?」
「わかんない」
「葉子ちゃんは急に泣くような子じゃないでしょ?」
「…………」
「いつも何か抱え込みすぎ。葉子ちゃんの悪いとこだよ? 言わずに溜め込んじゃうの」
「だって、言って関係が悪くなるの嫌だもん」
「うん?」
「本音を言って嫌われたくないから……」
それが葉子の本音だった。
言葉にすることで、相手から嫌われたくない、関係を終わらせたくない。
だからこそ、不満でもなんでも溜め込んできた。
自分さえ我慢すればいいのだと。
「それは違うよ、葉子ちゃん」
「え?」
「我慢したって葉子ちゃんがつらくなるだけでしょ? それに、言わなきゃわからないことだってたくさんある。みんなそれぞれ別の生き物なんだから、考えも違うし感じ方も違う。だからこそ話して共有しなきゃ」
「うん」
「だてに僕は永く生きてないよ? そういうので失敗した人間をたくさん見てる。だからこそ、正直に言って欲しい。葉子ちゃんが思ってること、嫌なこと、全部」
クリオに諭されるように言われ、葉子もポツポツと話し出す。
なぜ出て行ったのか、どこに行ってたのか、誰のとこにいたのか、誰に料理を教わったのか、誰のために変わろうと思ったのか。
我ながら重い女だと思う。
だけど、このままだとずっとクリオと壁を作ったままで、また同じいつかいなくなってしまうかもしれない、という恐怖を持ち続けるのは嫌だった。
「そっか、葉子ちゃんにはいっぱい悪いことしたね。まず先にちゃんと謝っておく、本当にごめん。それと、順番に答えていくね。まずは出て行った理由だけど、葉子ちゃんに何かお返しがしたかったんだ」
「お返し?」
「葉子ちゃんにはたくさんお世話してもらったでしょ? 服を買ってもらったりご飯を作ってもらったり。甘やかしてくれたり、僕の美味しいご飯になってくれたり。それなのに僕は何も葉子ちゃんに返せなかったのがすごく苦痛だったんだ」
「そんな。クリオはただいるだけで……」
「葉子ちゃんはそう言うけど、やっぱり何もしないっていうのは、ね。今までは女の子の希望を聞いてそれがお返しになってたからよかったけど、葉子ちゃんはそれもないし。だから、僕も爆発して余計なこと言って出てきちゃった。大人気ないよね、こんなに永く生きてるっていうのに」
「それは……」
「それで、友達のところへ行ったんだ。あ、ちなみに友達って吸血鬼の友達で男だよ? それでね、相談したんだ、どうしたらいいかって」
「それで?」
「めっちゃビシバシしごかれた。手際が悪いとか、余計なことすんなとか、もっと状況をよく見て判断しろとか。今まで僕と一緒にいた女の子達、葉子ちゃんも含めて僕に甘いし甘やかしてくれてたから、ボクもそれでいいと思ってたんだけど、そんなことなくてあまりに僕のレベルが低いことを思い知ったんだ」
「そうだったの」
「うん。まぁ、友達もだいぶスパルタだったんだけどね! できないと、日光に晒すとか言うんだよ!? 実際ちょっと灼かれたし、酷くない!?」
そう言って見せられた手にはほんの少し火傷のような傷ができている。
吸血鬼は基本的に治癒は速いが、こうして日光などの傷は治りにくいらしい。
「確かに」
「でしょ!? まぁ、でもそのおかげでこうして色々レベルアップしてきたの」
「そっか」
「それで、最後の質問だけど……僕は葉子ちゃんのために変わろうと思ったんだ。本当だよ? 葉子ちゃんは今まで出会ったどの女の子とも違くて、思いやりもあって一生懸命ででも弱いとこもあって。だから僕はずっと一緒にいたいと思ってる。この前は嘘言って勝手に出て行って葉子ちゃんを傷つけてごめん。こんなこと言える立場じゃないけど、僕は葉子ちゃんが死ぬまで一緒にいたい」
「私、クリオが思うよりもずっと重い女だよ? 嫉妬もするし、束縛もしたいし。でもそんな女の子はクリオは嫌なんじゃない?」
「そんなことないよ。葉子ちゃんなら僕はずっとそばにいる。確かに重い女の子が苦手って言ったけど、それは人によるっていうか……葉子ちゃんになら何されてもいいよ。例えば、家から出るなって言うなら出ないし、えっちの時だってずっと奉仕するのだっていいよ? 吸血も嫌だって言うなら普通のご飯で我慢する」
「そこまでは望んでないよ……」
「ふふ、やっぱり葉子ちゃんは優しい。大好きだよ、葉子ちゃん」
そう言うとクリオがまた抱き締めてくれる。
結局自分達は言葉が足りなかったのだと自覚した。
そして、クリオの体温の温かみに今度は安堵の涙が溢れ、再びハラハラと涙を流した。
「……クリオ、何でここにいるの?」
葉子が帰宅するや否や、目に飛び込んできたのはイケメンの男。
髪も瞳も同じ金色で、肌は白く透き通ったような美しさで、肢体もスラッとまるでモデルのような出立ちである。
だが、そんな彼には普通の人間とは違う部分があった。
それは、その身体を覆えるほど大きな翼だ。
しなやかで黒く、ベルベッドのような美しさのそれは、彼がただの人ではないことの証明であった。
「だって……」
「だって、じゃないでしょ。可愛く言ってもダメだよ。てか、ついこのあいだ私と違って可愛い女の子ゲットするって言ってなかったっけ?」
「それは、その、言ってたんだけど……やっぱりなんていうか、その……僕はぐいぐい来る女の子苦手だし……」
「……で?」
「ごめんなさい、葉子ちゃんのおうちにもう一度住まわせてください!」
「はぁ、もう……吸血鬼がそんなヘタレで大丈夫なの?」
「そんなこと言ったってぇ~! 無理なものは無理だもん~!! いきなり僕に跨ってくるんだよ!? 怖くない!??」
「いや、血を吸うのに好都合でしょ」
「葉子ちゃんってそういうとこドライだよね。もっとムードとかさぁ~」
「はいはい。ただ愚痴言いに来ただけなら帰ってくださーい」
「ごめんなさいごめんなさい! 葉子さま、もう言いませんから置いてください~!!」
クリオはそう言って葉子にしがみつく。
それを適当にあしらって、荷物を片付け部屋着に着替える。
それをまじまじと見てくるクリオを足蹴にする。
「葉子ちゃん酷い~!! 目の前で着替えるってことは見ていいってことじゃないの!?」
「自分の家でどこで着替えようが関係ないでしょ。ムードとか言うならそっちが気遣いなさいよ」
「えーー、でも久々なんだし……ね?」
そう言って後ろから抱きしめてくるクリオを、すかさず顔面を押さえて引き剥がす葉子。
「ね? じゃない。私、仕事から帰ってきて疲れてるの。シャワー浴びたら寝るから、クリオも勝手に寝るなら寝ててちょいだい」
「え? いいの? やったぁ! やっぱり葉子ちゃんは優しい~」
「はぁ、そういうのはいいから」
ルンルンしながらベッドの方に向かうクリオ。
相変わらず現金なやつだと呆れつつ、下着やタオルなどを引っ掴んでそのまま浴室へと向かう。
「はぁ、もうなんなのよ……」
葉子は蛇口を捻り、シャワーを浴びながらそう溢す。
不意に流れた涙はシャワーのお湯と共に排水溝へと流れていった。
◇
「……生きてる?」
クリオとの出会いはかれこれ1年前だった。
身体中ぼろぼろになり、家の近くで転がっているのを葉子が見捨てることができずに拾って来てしまったのがキッカケだ。
もちろん、見た目が綺麗だというのもあったが、昔から葉子はそう言った捨てられている類のものを見捨てられない性分というのが災いした。
そしてえっちらおっちらヒィヒィ言いながら家に連れ帰ってみて、羽があることに気付いてびっくりしたのだ。
まさか人間ではない? と羽に触れると脈動を感じて、またまた驚いて、もう一度捨ててしまおうかと一瞬悩んだくらいだった。
だが、さすがにまた捨てるには忍びなく、結局つい世話焼きな性格も災いして、色々と世話をしてしまったのだ。
「葉子ちゃんといると落ち着く~」
「はいはい」
いつも読書をしているとくっついてくる。
クリオはひっつかれるのは嫌らしいが、ひっつくのは好きという難儀な性格をしていた。
そもそも、今でこそクリオはこんなヘタレになっているが、昔はそうではなかったらしい。
本人曰く、この見た目でだいぶ苦労したそうで、昔は慎ましかった女性も現代になるにつれ肉食系と変化していって、彼はだんだんと女性恐怖症になっていってしまったそうだ。
あのぼろぼろのときも、前の彼女と色々あって揉めたそうで、そのあとふらふら誰かの血を吸うこともなく行き倒れになっていたところを葉子が拾ったというのが顛末だったようだ。
なんだかんだでクリオとの生活は心地よく、ずっとこの生活が続けばいいのに、と心のどこかでそう思っていたのだが、終わりは突然であった。
◇
「葉子ちゃん、お疲れ~サッパリした?」
「うん、まぁ……どうしたの、これ」
てっきりクリオは寝たと思って適当に髪を乾かしてリビングへと戻ってくれば、なぜか食卓にオムライスが鎮座していた。
「へへ、作ったんだ」
「いつ覚えたの?」
「葉子ちゃんのおうちを出てから僕も色々頑張ったんだよ~」
「ふぅん。あそ」
「何その反応~! そもそもちゃんと髪乾かしてないでしょ!? いつも言ってたじゃん、せっかくの綺麗な髪なんだからちゃんと乾かさないとダメだって」
「はいはい」
「もー! ドライヤー持ってくる!!」
ぷんぷん、と擬音がつきそうな可愛らしい感じでドライヤーを取りに行くクリオ。
相変わらず見た目と中身のギャップが激しい男である。
(見た目で言うと、俺様系な感じなのに喋るとあんなだからな)
クリオは見た目こそ美しいが、中身はとても残念だった。
クリオはかれこれもう数百年は生きているそうなんだが、どう考えてもそうとは思えないほど中身が幼い。
一体どこの世界線を生きてきたのか心配すらなってくるレベルだ。
今まで見た目である程度カバーできていても、女の人は結構シビアだからスキルがなく女性不信なクリオが取り入るのは存外難しい。
そのため見た目以外あとは気にしないというタイプはペットを飼うような人物がクリオにとって相性がいいと言えるのだが、そういう人物に限ってクリオにただそこにいればいいと言いつつも、実際は多くを彼に求めるのだ。
……特に夜の営みで。
それが女性不信のクリオには非常に苦痛らしく、それで幾度となく女の子を取っ替え引っ替えしては根無草のように色々なところを転々としているらしい。
(まぁ実際私もこうして適当にあしらっているけど、クリオがいるとどうしても欲求が湧いてくる)
段々と人は欲深になってくる。
クリオの周りの人々達も例に漏れず、貴方の子供が欲しいやら、ずっと一生そばにいて欲しいやらで彼を縛りつけようとしたらしい。
そして私も、例に漏れずクリオが何かをすることを極端に嫌った。
何かできるようになってしまったら、どこかに行ってしまうのではないかと恐怖したからだ。
(結局、先日仲違いして出て行っちゃったけど)
そもそもなぜクリオと葉子が揉めたのか、それは家事のことである。
何度教えても全然できないし、やらせても失敗するしで葉子はあまり家事をクリオにやらせていなかった。
だが、先日とうとう何かを手伝いたいクリオと何もしなくてもいいからただそこにいてくれ、と主張する葉子で揉めに揉めたのだ。
そして売り言葉に買い言葉で、「だったらもっと可愛げのある、僕に頼ってくれるような女の子のとこに行ってやるー!」と言ったっきりクリオは家を出て行ったのだが、こうして本日戻ってきたというわけだ。
ぶぉぉぉぉ~
髪を乾かされながらオムライスを食べる。
傍目から見たらだいぶシュールな光景だろう、と思いながらも葉子は黙々と食べることに集中する。
「ねぇ、聞いてる~?」
「ん? 聞いてない」
「もぉ! ちゃんと聞いてよ! こうやって乾かすだけで髪傷まなくなるんだから、洗ったら乾かすの!」
「はいはい」
「もー、絶対聞き流してるでしょ」
文句を言いながらもクリオの手つきは優しく、大きくて綺麗な手で自分の髪に触れながら乾かしてくれていると思うと葉子も満更でもなかった。
昔から手伝うことに関してはダメダメなのに、こうして世話をすることはクリオはとても長けている。
「はい、乾いたよ」
「ありがとうー」
「どう? 美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「本当!? へへ、修行したかいがあった~」
能天気なクリオと裏腹に、ギュッと葉子の胸は痛んだ。
自分ではない誰かのところで学び、しかも上達させて実際に作れるようにした人物に嫉妬。
だが、葉子がそんなこと言えるはずもなく、モヤモヤと黒い何かを抱え込む。
そもそも誰のために作ろうとしていたのか、家を出てから今までどこに行っていたのか、誰に教わったのか、それすらも恐くて聞けない。
クリオが出て行ってから、自分があまりにも自分本意すぎて自己中であったと何度も何度も自責したのもあって、これ以上彼に干渉して自分を傷つけるのは避けたかった。
「ごちそうさま」
「ふふ、葉子ちゃんにご馳走できてよかった~! あ、後片付けは僕がやるから、歯磨きしたり読書したりしてていいよー。明日も仕事?」
「ううん、明日はおやすみ」
「そかそか! あ、でも、今日疲れているなら、寝ないとお肌に悪いもんね。葉子ちゃんのこのピッチピチのお肌に何かあったら大変!」
「ピッチピチってもう28だよ」
「僕からしたら全然若いよ! 僕と葉子ちゃんは……んー、600歳くらいは離れてるし」
「吸血鬼と一緒にしないでよ」
「ふふ、確かに」
勝手に色々言いながら、ふんふん鼻歌を歌いつつ食器を下げるクリオ。
どこか上機嫌で浮ついている彼に対し、葉子はクリオのことをまた受け入れてもいいのだろうかという葛藤に苛まれていた。
もしこれが一時的なもので、彼が再びいなくなってしまったらと思うと、次は耐えられる自信がない。
だからまた以前のように全てを受け入れられるかというと決めかねている部分はあった。
(あぁ、我ながらヘタレね)
クリオのことを言ってられない、と思いながら、今日帰りに買ってきた文庫を取り出す。
そしてクリオに言われた通り歯磨きをしながら、ページをめくり始めた。
「何読んでるの? ……んー、婚約破棄……?」
「そう。今流行ってるんだって」
「へぇ、婚約破棄が流行ってるだなんてすごいね」
「何で?」
「これ、中世とかのお話なんでしょ? 実際にそんなことあったら血祭りだからねぇ~。処刑されるし。下手したら一族郎党みんな縛り首かギロチンだよ」
「えぇ!?」
「処刑は一種のエンタメだからね。そういうネタがあれば率先してやってたところもあったよ。まぁ、地域によるだろうけど」
「現代生まれでよかった……」
たまに怖いことを平気でケロッと言うクリオが怖い。
彼曰く、昔に比べてだいぶ今の方が過ごしやすいが、吸血鬼としてはSNSなどの普及で変な噂が広まりやすく、また元カノのような人々から見つかるリスクが高いため、そう言った意味では生きづらいと聞いて変に納得してしまった。
長く生きていると色々と見てきたのだろう。
いいことも悪いことも全部。
だからこそあまり深く立ち入ってはダメなのだと、葉子はあえてクリオの過去を詮索することはしなかった。
「ねぇねぇ、葉子ちゃん」
「何?」
「そろそろ寝ないの?」
「んー?」
ちらっと時計を見ると、そろそろ0時を回りそうなくらいの時間だった。
普段はまだ夕飯を作ってる時間だが、クリオのおかげでだいぶ時間短縮ができているのでいつもより早い時間に色々と済ませられていた。
「寝て欲しいの?」
「うん」
「何で?」
「そりゃあ……葉子ちゃんを食べたいから」
クリオの表情が変わる。
先程まで可愛らしい子犬のような雰囲気だったのに、今は大人の男性の顔つきになって葉子をゆっくりと押し倒した。
クリオはどこの誰であっても魅入ってしまうほど顔がいい。
だから目をそらせることができず、葉子はクリオに釘付けになる。
このように魅了するのは彼の魔力らしいが、ただの人間でもありクリオにまだ気がある葉子がその魔力に抗うことなどできなかった。
「早く寝ないとお肌が、って言ってなかった……?」
「でも、明日おやすみなんでしょ?」
「そうだけど……ん」
クリオの長い金色の髪がゆっくりと降りてきて、葉子の肌をくすぐる。
そして、部屋着から覗く肌にクリオが吸いつき、葉子が声を漏らした。
久々の感触。
クリオがいなくなってからというもの、彼を忘れるように仕事に没頭していたので、こういうこととは無縁の生活をしていたため、だいぶご無沙汰で余計にドキドキした。
(クリオにとってはただの食事なんだからドキドキしたってしょうがないでしょ)
そう思いながらも期待している自分がいる。
そんな複雑な相反する気持ちを抱きながらもされるがままになる。
「……いい?」
「クリオにとってのご飯でしょ、いいよ」
「ご飯だけど、僕にとっては特別なものだよ」
特別、と言われてキュンとする。
そして、チュッチュッと肌に唇を落とされる。
時折強く吸われながら、舐められたり噛まれたり、まるで味わうような刺激にこれから食べられてしまうのかと緊張してくる。
「葉子ちゃん震えてるの? ……可愛い」
チュッチュッとそこかしこに口付けられる。
耳、首筋、顎の付け根から鎖骨……とだんだん下りてきて、いつの間にか露わにされた肌の上を舌が滑っていく。
たっぷりと唾液を含みながら舐められたせいか、彼が舐めた部分がひんやりとするが、すぐさま興奮で熱くなりなんとも言えない気分になりながら葉子は身体をよじった。
「気持ちいい?」
「わかんな……っ」
「じゃあ、もっとたっぷり可愛がってあげるね」
クリオはそう言うと、ぱくんと胸の頂を口に含む。
そして、ねっとりと舐め上げたかと思うとちゅうちゅうと吸われる。
「んふ……っぁ、……っ」
「もっと声出してよ」
「クリオってベッドの上だとキャラ変わるよね」
「そうかなぁ? 気のせいだよ」
そんなことを言いつつも、先端を舐めたり齧ったり。
反対は指でコネコネと弄られ、さらに膨らみもやわやわと揉まれる。
クリオの手つきは優しく、ソフトタッチだ。
正直最初、吸血鬼はもっと乱暴に抱くイメージだったが、クリオとセックスしてそのイメージ彼方へ吹っ飛んだ。
そもそも葉子はこうして優しく抱かれたのは初めてで、今までの元カレは自分本位なセックスばかりでこうして優しく時間をかけてくれたことなどなかった。
だからクリオとのセックスは新鮮で、相性がよく、だからこそ手放したくなかったというのもあった。
「あ、そこ……っ、」
「ん? ここ? ……あれ、性感帯増えてない?」
「気のせい、でしょ」
「そうかなぁ、……ふぅん」
チュッチュ、と身体中口付けながら肌を撫でられる。
くすぐったいようなもどかしいような、そんな感覚。
肌が粟立つようなふわふわと、だんだんゆっくりと熱が身体中に帯びていく。
至るところを口付けられ、時折ちくりとした痛みと共に咲く華。
紅くポツポツと色付くそれは、気付けば身体中に咲いていた。
「痕付けすぎ」
「だって、葉子ちゃんは僕のものでしょう?」
言われてギュッと葉子の胸が軋む。
なぜだかはわからない。
いや、違う、わかってはいる。
今までクリオがいなかった期間、葉子はその穴を埋めるために必死だった。
ぽっかりと空いた穴は想像以上に大きく、起きたら会えるのではないか、帰ってきたら会えるのではないか、道すがら会えるのではないかと期待しては打ちひしがれての連続だった。
だからこそ、こうして戻ってきたことは嬉しかったが、またどこかへ行ってしまうのではないかという不安がつきまとう状態で、さも葉子がクリオのものだと言われてしまったことに対して傷ついたのだ。
どれほど私がクリオのことを想っていたか、どれほどこの悲しみを払拭するため頑張ってきたか、葉子の真意など知るよしもないクリオに能天気にそんな発言をされたことが解せなかった。
「え? どうしたの? 葉子ちゃん泣いてるの!?」
「煩い! クリオのバカ!!」
「え、ごめん。何か嫌なことした? それともどっか痛かった!?」
「そうじゃなくて……」
溢れ出した涙が止まらない。
ポロポロと堰を切ったように溢れ出す涙は止めようにも止めることができなかった。
今までクリオの前で泣いたことなどなく、こんな弱い自分を曝け出したくないのに、気持ちとは裏腹に涙だけでなく嗚咽まで出てくる始末だ。
クリオはオロオロとし始め、ギュッと葉子を抱き締める。
そしてバサッと大きな翼でも包むようにして、葉子の視界は暗闇に包まれた。
「無理に泣き止まなくてもいいよ。葉子ちゃんが泣き止むまで待つから。悪いもの全部出しちゃえ」
「……ふっ、……ううぅ……っふ、く」
「よしよし」
まるで幼児をあやすかのように背を摩られる。
ぽんぽん、とリズムよく叩かれてだんだんとそれが心地よく、気持ちも落ち着いてきた。
「どうして泣いたの?」
「わかんない」
「葉子ちゃんは急に泣くような子じゃないでしょ?」
「…………」
「いつも何か抱え込みすぎ。葉子ちゃんの悪いとこだよ? 言わずに溜め込んじゃうの」
「だって、言って関係が悪くなるの嫌だもん」
「うん?」
「本音を言って嫌われたくないから……」
それが葉子の本音だった。
言葉にすることで、相手から嫌われたくない、関係を終わらせたくない。
だからこそ、不満でもなんでも溜め込んできた。
自分さえ我慢すればいいのだと。
「それは違うよ、葉子ちゃん」
「え?」
「我慢したって葉子ちゃんがつらくなるだけでしょ? それに、言わなきゃわからないことだってたくさんある。みんなそれぞれ別の生き物なんだから、考えも違うし感じ方も違う。だからこそ話して共有しなきゃ」
「うん」
「だてに僕は永く生きてないよ? そういうので失敗した人間をたくさん見てる。だからこそ、正直に言って欲しい。葉子ちゃんが思ってること、嫌なこと、全部」
クリオに諭されるように言われ、葉子もポツポツと話し出す。
なぜ出て行ったのか、どこに行ってたのか、誰のとこにいたのか、誰に料理を教わったのか、誰のために変わろうと思ったのか。
我ながら重い女だと思う。
だけど、このままだとずっとクリオと壁を作ったままで、また同じいつかいなくなってしまうかもしれない、という恐怖を持ち続けるのは嫌だった。
「そっか、葉子ちゃんにはいっぱい悪いことしたね。まず先にちゃんと謝っておく、本当にごめん。それと、順番に答えていくね。まずは出て行った理由だけど、葉子ちゃんに何かお返しがしたかったんだ」
「お返し?」
「葉子ちゃんにはたくさんお世話してもらったでしょ? 服を買ってもらったりご飯を作ってもらったり。甘やかしてくれたり、僕の美味しいご飯になってくれたり。それなのに僕は何も葉子ちゃんに返せなかったのがすごく苦痛だったんだ」
「そんな。クリオはただいるだけで……」
「葉子ちゃんはそう言うけど、やっぱり何もしないっていうのは、ね。今までは女の子の希望を聞いてそれがお返しになってたからよかったけど、葉子ちゃんはそれもないし。だから、僕も爆発して余計なこと言って出てきちゃった。大人気ないよね、こんなに永く生きてるっていうのに」
「それは……」
「それで、友達のところへ行ったんだ。あ、ちなみに友達って吸血鬼の友達で男だよ? それでね、相談したんだ、どうしたらいいかって」
「それで?」
「めっちゃビシバシしごかれた。手際が悪いとか、余計なことすんなとか、もっと状況をよく見て判断しろとか。今まで僕と一緒にいた女の子達、葉子ちゃんも含めて僕に甘いし甘やかしてくれてたから、ボクもそれでいいと思ってたんだけど、そんなことなくてあまりに僕のレベルが低いことを思い知ったんだ」
「そうだったの」
「うん。まぁ、友達もだいぶスパルタだったんだけどね! できないと、日光に晒すとか言うんだよ!? 実際ちょっと灼かれたし、酷くない!?」
そう言って見せられた手にはほんの少し火傷のような傷ができている。
吸血鬼は基本的に治癒は速いが、こうして日光などの傷は治りにくいらしい。
「確かに」
「でしょ!? まぁ、でもそのおかげでこうして色々レベルアップしてきたの」
「そっか」
「それで、最後の質問だけど……僕は葉子ちゃんのために変わろうと思ったんだ。本当だよ? 葉子ちゃんは今まで出会ったどの女の子とも違くて、思いやりもあって一生懸命ででも弱いとこもあって。だから僕はずっと一緒にいたいと思ってる。この前は嘘言って勝手に出て行って葉子ちゃんを傷つけてごめん。こんなこと言える立場じゃないけど、僕は葉子ちゃんが死ぬまで一緒にいたい」
「私、クリオが思うよりもずっと重い女だよ? 嫉妬もするし、束縛もしたいし。でもそんな女の子はクリオは嫌なんじゃない?」
「そんなことないよ。葉子ちゃんなら僕はずっとそばにいる。確かに重い女の子が苦手って言ったけど、それは人によるっていうか……葉子ちゃんになら何されてもいいよ。例えば、家から出るなって言うなら出ないし、えっちの時だってずっと奉仕するのだっていいよ? 吸血も嫌だって言うなら普通のご飯で我慢する」
「そこまでは望んでないよ……」
「ふふ、やっぱり葉子ちゃんは優しい。大好きだよ、葉子ちゃん」
そう言うとクリオがまた抱き締めてくれる。
結局自分達は言葉が足りなかったのだと自覚した。
そして、クリオの体温の温かみに今度は安堵の涙が溢れ、再びハラハラと涙を流した。
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