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砂塵の中
つけ狙う影
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日の沈まないうちに、と家を出て通りに出る。露商の店のたち並ぶのを横目にスイスイと人の波を潜り抜け、ルネは顔見知りの店主の店でデーツをひとつかみ注文した。ピン、と手慰みに銅貨を弾きながら待っているルネに、こんな場所で露店をしているくせに気のいい店主がちらりと気づかわしげに視線をよこした。それから、周囲の喧騒にまぎれるよう、小声でルネに囁く。
「……なぁ、後ろの兄ちゃん、あんたの知り合いかい…?」
「あぁ、いいんだよ。ありがとな」
難しい顔をしている店主になんてことない調子で返してから、デーツを受け取って店を離れる。いくつか露店を冷やかした後、何気なく大通りから逸れて狭い路地裏へ。壁沿いに放置されている木箱を足場に、身軽に屋根の上につたいのぼる。屋根を越えて一本横の通りに降り立って、ルネはパンパン、と薄っすらと汚れた手を叩いて埃を落とした。
「動くな。お前がルネだな?」
うす暗い裏路地を出ようと歩き出した瞬間、ぬっと目の前に大柄の男が現れて行き先に立ちふさがった。撒いたと思っていた男の姿を認めた瞬間、くるりとルネが反転して走り出す。
「おい!だから逃げるな!」
家を出たところから、ずっと後をつけてきていた男だ。細く薄暗い路地に誘い込んで撒こうと思ったのに、相手の方が一枚上手だったか。
住居だか店舗だかわからない建物の隙間を走る。なんにせよ、良い話じゃなさそうなことだけは確かだ。なんの盗みがバレたのか、アレかソレか、謂れのない因縁か、謂れのある取り立てか。心当たりが多すぎてわからないが、とにかく追われるなら逃げた方がいい。
無造作に放り投げられているゴミや樽や木箱をかわしながら走り抜けようとしたら、加速する前に肩をつかまれた。振り払おうと勢いよく身を捩ったら、その拍子に懐にしまっていた例の財布が飛び出て、ぽてりとうす汚い地面に落ちた。その辺に捨てるわけにもいかずに持ち歩いていた財布だ。こんなところで落としてしまっていいものかどうか。
あっ、と一瞬財布に気を取られてた隙に、男がグッと腕をひねり上げてルネを狭い路地の壁に押し付ける。
「……?その財布は……お前、これをどこで手に入れたんだ?」
「痛ぇって。腕放せよ。落ちてたのを拾っただけだ」
ルネが抵抗せず、おとなしく壁に押しつけられながら嘯くと、疑わしそうに顔を歪めた男にジロリと睨みつけられた。
睨まれようが脅されようが、あの優男から財布をスった証拠などどこにもないのだから、彼には顛末を知りようもない。うす汚い下層の人間が高級そうな財布を持っているものだから不審だったのだろうか、と内心で苦い思いをする。
「本当だって。逃げねぇから放せ」
ルネが小さく身を捩ると、腕を掴んでいた手から力が抜けて体が自由になった。とはいっても、この状況で目の前の屈強な男から逃げきる算段もつかないが。ルネははあ、と息を吐いて、はりついていた壁から身を離した。
これ以上抵抗しても面倒なことになりそうだし、家を知られているようだから逃げきれないだろう。
男は納得したようではなかったが、ルネを一瞥すると地面に落ちていた財布を拾い上げ、じっくりとそれを検めている。皮の表面に飾られている紋章のような装飾を観察してから、丁寧な手つきで自分の懐にそれをしまい込んだ。
「おいおい、拾ったんだからそれは俺のものだろ。真面目そうな顔して横取りとは、なかなかやるな」
「違う。俺の記憶が確かなら、俺はこの財布の持ち主を知っている。拾った財布は落とし主に返すまでだ。もし違っていたなら、その時はお前に返そう」
こいつ、まさかあの男の知り合いか。ルネが遠慮もなく嫌そうな顔をしたからか、男が勝ち誇ったような顔をする。
よくよく目を細めて見てみれば、この頑健とした男も身なりが良く、擦り切れてもいない上等そうな服を着ていた。スラム街の人間ではないだろう。
あのお上品そうな財布の男を知っているというのも、あながち嘘ではないかもしれないな、とルネがじろじろと品定めをしていると、眉根を寄せて難しそうな顔をした男が改めて向き直る。
「それで、お前がルネなんだな?」
「違うぜ。ルネってのは俺が出てきた家の主人だろ。俺もソイツを訪ねてきたんだが、不在らしいから出てきたんだ」
「む。この期に及んで嘘をつくな」
「嘘じゃねえよ」
名前と住居を知られてはいるようだが、どうやら顔までは知らなかったらしい。このまま押し通して逃げ果せられせそうな気配を感じて、ルネは肩の力を抜いた。
「ならば、なぜ逃げようとした」男が真偽を見極めようと、ギュッと目蓋に力を入れて目を細めながら訊ねる。
「そんなの、アンタみたいな厳つい男にいきなり追い回されたら、誰でも逃げたくなるって」
へらり、と笑って軽薄を装いながら、ルネはひらひらと両手を上げる。半信半疑ながらも、少し納得したらしい男が狼狽えた。
「なに……」
「そうそう。だからもう帰っていいよな?財布の件はアンタを信用するから、返さなくていいし」
言い返されないうちにさり気なく路地の出口に向かい、明るい大通りに出る。後ろをついて歩いてきた男にヒラヒラと手を振ったら、難しい顔で唸られた。
太陽の日差しばかりがジリジリと熱い。背に落ちていたフードを被ろうとしたところで、通りの向こうに見知った少年の姿が見えた。アベルだ。急いで目深にフードを被ってくるりと背を向けたが、その間にもルネを見つけて顔を輝かせたアベルは、間の悪いことにぐんぐんルネたちのいる方に近づいてくる。
「あ!ルネさん、探しました。さっきパン屋の女将さんがおまけにってコレくれて……」
無邪気に喜びながらルネに話しかけてくる少年に、今は目くばせなど通じそうにない。知らないふりで体ごと顔をそむけるが、立ち去りがたい様子で隣に立っていた男がアベルの呼び声に反応した。
「……ルネだと?」
「よかったな。この近くに奴がいるんじゃねえか?じゃあ俺はこれで」
素知らぬ顔をして立ち去ろうとしたルネの腕を男がつかむ。振り払えそうもない力の強さに舌打ちしそうになりながら、ルネが立ち止まって愛想よく振り返った。
「なんだい?まだ俺になにか?早く捜しに行った方がいいんじゃないですかね」
「……あの少年、こちらに話しかけているように見えるが」
「アンタに話しかけてるんじゃねえの?そういえばルネの奴、アンタと背格好が似てるから勘違いしてんじゃないかな」
つらつらと口から出まかせを言って難を逃れようとするが、腕をつかむ男の力が弱まることはない。その間にも、様子を訝しんだアベルが寄ってきてルネに話しかける。
「あれ、ルネさん?お取込み中でした?」
声を弾ませていたアベルは、そこでやっとルネが隣にいる男に険悪な雰囲気で腕を拘束されている様子が目に入ったらしい。途端に心配そうに顔を曇らせて口を噤んだ。
三歩ほどの距離を残して、アベルがルネの目の前で立ち止まった。その顔を振り返ってから、ルネは諦念のため息を吐いてフードを取り去った。
もはや確信に近いものを得たらしい男の腕に入る力が強い。逃げ切れそうもなかった。
「……アベル、悪ぃけどそれ食って先に帰ってろ」
掴まれていない方の手を懐に突っ込んで、さっき買ったばかりのデーツの袋をアベルに投げ渡す。 男が険しい表情でルネを睨んでいる。鋭い瞳を見上げてから、ルネは再び両手を肩の高さにまで上げた。男が鼻息荒く肩をいからす。
「ようやく観念したようだな」
「はいはい。そんで俺になんの用なんだ?」
「ふてぶてしいぞ、お前。用件はわかっているだろう。着いてきてもらうぞ」
その用件の見当がつかないんだけどな、と思ったが、この様子を見るかぎり口にしたら怒りを買いそうだったので黙っておいた。嫌でもこれから連行されるようだし、着いていけばわかるだろう。
悄然としているアベルには悪いが、今はこちらもフォローしてやれる状況ではなかった。どうせ家がバレていたんだし、捕まるのも時間の問題だったと思うぞ、と無事に帰れたときに覚えていたら言ってやろうと考える。無事に帰れるかどうかは、ちょっとわからないが。
「……なぁ、後ろの兄ちゃん、あんたの知り合いかい…?」
「あぁ、いいんだよ。ありがとな」
難しい顔をしている店主になんてことない調子で返してから、デーツを受け取って店を離れる。いくつか露店を冷やかした後、何気なく大通りから逸れて狭い路地裏へ。壁沿いに放置されている木箱を足場に、身軽に屋根の上につたいのぼる。屋根を越えて一本横の通りに降り立って、ルネはパンパン、と薄っすらと汚れた手を叩いて埃を落とした。
「動くな。お前がルネだな?」
うす暗い裏路地を出ようと歩き出した瞬間、ぬっと目の前に大柄の男が現れて行き先に立ちふさがった。撒いたと思っていた男の姿を認めた瞬間、くるりとルネが反転して走り出す。
「おい!だから逃げるな!」
家を出たところから、ずっと後をつけてきていた男だ。細く薄暗い路地に誘い込んで撒こうと思ったのに、相手の方が一枚上手だったか。
住居だか店舗だかわからない建物の隙間を走る。なんにせよ、良い話じゃなさそうなことだけは確かだ。なんの盗みがバレたのか、アレかソレか、謂れのない因縁か、謂れのある取り立てか。心当たりが多すぎてわからないが、とにかく追われるなら逃げた方がいい。
無造作に放り投げられているゴミや樽や木箱をかわしながら走り抜けようとしたら、加速する前に肩をつかまれた。振り払おうと勢いよく身を捩ったら、その拍子に懐にしまっていた例の財布が飛び出て、ぽてりとうす汚い地面に落ちた。その辺に捨てるわけにもいかずに持ち歩いていた財布だ。こんなところで落としてしまっていいものかどうか。
あっ、と一瞬財布に気を取られてた隙に、男がグッと腕をひねり上げてルネを狭い路地の壁に押し付ける。
「……?その財布は……お前、これをどこで手に入れたんだ?」
「痛ぇって。腕放せよ。落ちてたのを拾っただけだ」
ルネが抵抗せず、おとなしく壁に押しつけられながら嘯くと、疑わしそうに顔を歪めた男にジロリと睨みつけられた。
睨まれようが脅されようが、あの優男から財布をスった証拠などどこにもないのだから、彼には顛末を知りようもない。うす汚い下層の人間が高級そうな財布を持っているものだから不審だったのだろうか、と内心で苦い思いをする。
「本当だって。逃げねぇから放せ」
ルネが小さく身を捩ると、腕を掴んでいた手から力が抜けて体が自由になった。とはいっても、この状況で目の前の屈強な男から逃げきる算段もつかないが。ルネははあ、と息を吐いて、はりついていた壁から身を離した。
これ以上抵抗しても面倒なことになりそうだし、家を知られているようだから逃げきれないだろう。
男は納得したようではなかったが、ルネを一瞥すると地面に落ちていた財布を拾い上げ、じっくりとそれを検めている。皮の表面に飾られている紋章のような装飾を観察してから、丁寧な手つきで自分の懐にそれをしまい込んだ。
「おいおい、拾ったんだからそれは俺のものだろ。真面目そうな顔して横取りとは、なかなかやるな」
「違う。俺の記憶が確かなら、俺はこの財布の持ち主を知っている。拾った財布は落とし主に返すまでだ。もし違っていたなら、その時はお前に返そう」
こいつ、まさかあの男の知り合いか。ルネが遠慮もなく嫌そうな顔をしたからか、男が勝ち誇ったような顔をする。
よくよく目を細めて見てみれば、この頑健とした男も身なりが良く、擦り切れてもいない上等そうな服を着ていた。スラム街の人間ではないだろう。
あのお上品そうな財布の男を知っているというのも、あながち嘘ではないかもしれないな、とルネがじろじろと品定めをしていると、眉根を寄せて難しそうな顔をした男が改めて向き直る。
「それで、お前がルネなんだな?」
「違うぜ。ルネってのは俺が出てきた家の主人だろ。俺もソイツを訪ねてきたんだが、不在らしいから出てきたんだ」
「む。この期に及んで嘘をつくな」
「嘘じゃねえよ」
名前と住居を知られてはいるようだが、どうやら顔までは知らなかったらしい。このまま押し通して逃げ果せられせそうな気配を感じて、ルネは肩の力を抜いた。
「ならば、なぜ逃げようとした」男が真偽を見極めようと、ギュッと目蓋に力を入れて目を細めながら訊ねる。
「そんなの、アンタみたいな厳つい男にいきなり追い回されたら、誰でも逃げたくなるって」
へらり、と笑って軽薄を装いながら、ルネはひらひらと両手を上げる。半信半疑ながらも、少し納得したらしい男が狼狽えた。
「なに……」
「そうそう。だからもう帰っていいよな?財布の件はアンタを信用するから、返さなくていいし」
言い返されないうちにさり気なく路地の出口に向かい、明るい大通りに出る。後ろをついて歩いてきた男にヒラヒラと手を振ったら、難しい顔で唸られた。
太陽の日差しばかりがジリジリと熱い。背に落ちていたフードを被ろうとしたところで、通りの向こうに見知った少年の姿が見えた。アベルだ。急いで目深にフードを被ってくるりと背を向けたが、その間にもルネを見つけて顔を輝かせたアベルは、間の悪いことにぐんぐんルネたちのいる方に近づいてくる。
「あ!ルネさん、探しました。さっきパン屋の女将さんがおまけにってコレくれて……」
無邪気に喜びながらルネに話しかけてくる少年に、今は目くばせなど通じそうにない。知らないふりで体ごと顔をそむけるが、立ち去りがたい様子で隣に立っていた男がアベルの呼び声に反応した。
「……ルネだと?」
「よかったな。この近くに奴がいるんじゃねえか?じゃあ俺はこれで」
素知らぬ顔をして立ち去ろうとしたルネの腕を男がつかむ。振り払えそうもない力の強さに舌打ちしそうになりながら、ルネが立ち止まって愛想よく振り返った。
「なんだい?まだ俺になにか?早く捜しに行った方がいいんじゃないですかね」
「……あの少年、こちらに話しかけているように見えるが」
「アンタに話しかけてるんじゃねえの?そういえばルネの奴、アンタと背格好が似てるから勘違いしてんじゃないかな」
つらつらと口から出まかせを言って難を逃れようとするが、腕をつかむ男の力が弱まることはない。その間にも、様子を訝しんだアベルが寄ってきてルネに話しかける。
「あれ、ルネさん?お取込み中でした?」
声を弾ませていたアベルは、そこでやっとルネが隣にいる男に険悪な雰囲気で腕を拘束されている様子が目に入ったらしい。途端に心配そうに顔を曇らせて口を噤んだ。
三歩ほどの距離を残して、アベルがルネの目の前で立ち止まった。その顔を振り返ってから、ルネは諦念のため息を吐いてフードを取り去った。
もはや確信に近いものを得たらしい男の腕に入る力が強い。逃げ切れそうもなかった。
「……アベル、悪ぃけどそれ食って先に帰ってろ」
掴まれていない方の手を懐に突っ込んで、さっき買ったばかりのデーツの袋をアベルに投げ渡す。 男が険しい表情でルネを睨んでいる。鋭い瞳を見上げてから、ルネは再び両手を肩の高さにまで上げた。男が鼻息荒く肩をいからす。
「ようやく観念したようだな」
「はいはい。そんで俺になんの用なんだ?」
「ふてぶてしいぞ、お前。用件はわかっているだろう。着いてきてもらうぞ」
その用件の見当がつかないんだけどな、と思ったが、この様子を見るかぎり口にしたら怒りを買いそうだったので黙っておいた。嫌でもこれから連行されるようだし、着いていけばわかるだろう。
悄然としているアベルには悪いが、今はこちらもフォローしてやれる状況ではなかった。どうせ家がバレていたんだし、捕まるのも時間の問題だったと思うぞ、と無事に帰れたときに覚えていたら言ってやろうと考える。無事に帰れるかどうかは、ちょっとわからないが。
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