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貸本屋の男
住み込み
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頷いて辞去するアルマンを店の外まで見送ってから、戻ってきた店主はやれやれと肩をすくめる。
「人の趣味にとやかく言うつもりはないけど、あの人の情熱は偏執的だよね」
「相当好きなんだな。古書とか稀少なものとかが」
「……そうだね。眺めるだけで満足してくれるならいいんだけど、ああいう輩はどんな手を使ってでも蒐集して自分のものにしたがるから厄介なんだ」
「……」
これだけの蔵書数をほこる貸本屋の店主がそれを言うのだろうか。自己紹介か?と揶揄してやろうか迷ったが、一応雇用主であると思い直して止めておいた。雇用主であるというか、絶賛脅しを受けている最中である。
「それで?俺の仕事は?なにすりゃいいんだ」
「あれ、仕事熱心なんだね。でも、外はもうすっかり陽が落ちてたよ。今日の営業はこれで終わりにしよう」
「え?」
言われてみれば、市場に出てからというもの、もうかなりの時間が経っている。外が暗くなっていてもおかしくないのだが、この店にはなぜか窓が少ないので気がつかなかったのだ。
首をめぐらせて窓を探すルネの様子に、
「本は日光に弱くて傷みやすいんだ。読書用のスペースにだけ明かりとりの窓を作って、あとは店の中に陽の光が入らないようにしてるからね」
と、アルテュールが教えてくれた。たしかに室内は全体が橙色のランプでほのかに照らされていて、太陽光による自然の明るさではなかった。
わざわざ陽の光を避ける必要があるなんて、なんて保管が面倒なのだろう。インクのついた紙の束のくせに、まるで宝石のように気をつかわせる。
「他にも気をつけなきゃいけないことは色々あるよ。色あせ、カビ、風通し、虫害、ホコリ……」
「あー、わかったわかった。とにかく、今日の仕事は終わりなんだな?じゃあ俺は帰らせてもらうぜ」
「え?ダメだよ。言ってなかったっけ、住み込みだよ」
さっさとトンズラしようと玄関ドアに向かったルネの肩を、アルテュールがやんわり押し留めた。やんわりとはいっても柔らかいのは動きと笑顔だけで、肩を掴んだ手の握力はけっこう強い。なにより衝撃的なことを言われたので、ルネはぽかんとしてアルテュールを見上げた。
「は……?」
「だって、ここで君を帰らせたらそのまま姿をくらましてしまいそうだし」
それは一理ある。実際、ルネはすぐさま家の荷物を持ち出して、このままどこへなりと逃げ出す腹づもりだった。もっともな意見ではあるが、大変困った。
「……いや、逃げねぇから一旦帰らせてくれ。俺、見てのとおりなにも持ってきてないんだ」
「うん。寝巻きやらなにやらは僕のものを貸すよ。他にも必要なものがあれば言ってほしい、すぐに用意しよう――これでもなにか問題があるかな?」
アルテュールが微笑しながら首を傾げると、亜麻色の髪がさらりと肩口で揺れた。どうやったら、ここまで優しげな顔で自分の意見を押し通せるのだろう。貴族特有の、天性のいけ好かなさだ。
そして、こういう態度のやつに反論してもまったく無駄なことを、ルネはよく知っている。
「あ、心配なら僕から君のご家族に連絡を……」
「いらない。そんなもんいねぇよ」
――これだから貴族のお坊ちゃんはなんにもわかっちゃいない。
ルネのように下層で生まれ育った子どもたちは、まず親の顔を知らない。大人の保護者なんていない。生まれた時から最下層に放り出されて、自分ひとりの力で生きてきたのだ。唯一、おせっかいでよくまとわりついてくるアベルの顔がちらりと浮かんだが、それだけだった。あの場所では、だれが死んでも死ななくても、こともなげに朝が来る。今日笑いあった隣人が明日には路地裏で死体となって見つかることもざらにあるし、だれも他人のことを心配する余裕なんてない。
ハッと嘲るような息がもれた。ルネがスッと目を眇めて短く答えると、アルテュールもそれ以上なにかを言うことはせず、「そうか」とだけ返した。
こんな風に住む世界の違う場所に来ても、生きた心地がしなくても、寝て起きたら明日はやって来る。いや、もしかしたら目の前の男の気が変わって、寝ているうちに殺されているかもしれないが、それにしたって今までの所業を考えれば仕方がないことだ。自分が家に帰ってこないことに、アベルが責任を感じていなければいいのだが。
「人の趣味にとやかく言うつもりはないけど、あの人の情熱は偏執的だよね」
「相当好きなんだな。古書とか稀少なものとかが」
「……そうだね。眺めるだけで満足してくれるならいいんだけど、ああいう輩はどんな手を使ってでも蒐集して自分のものにしたがるから厄介なんだ」
「……」
これだけの蔵書数をほこる貸本屋の店主がそれを言うのだろうか。自己紹介か?と揶揄してやろうか迷ったが、一応雇用主であると思い直して止めておいた。雇用主であるというか、絶賛脅しを受けている最中である。
「それで?俺の仕事は?なにすりゃいいんだ」
「あれ、仕事熱心なんだね。でも、外はもうすっかり陽が落ちてたよ。今日の営業はこれで終わりにしよう」
「え?」
言われてみれば、市場に出てからというもの、もうかなりの時間が経っている。外が暗くなっていてもおかしくないのだが、この店にはなぜか窓が少ないので気がつかなかったのだ。
首をめぐらせて窓を探すルネの様子に、
「本は日光に弱くて傷みやすいんだ。読書用のスペースにだけ明かりとりの窓を作って、あとは店の中に陽の光が入らないようにしてるからね」
と、アルテュールが教えてくれた。たしかに室内は全体が橙色のランプでほのかに照らされていて、太陽光による自然の明るさではなかった。
わざわざ陽の光を避ける必要があるなんて、なんて保管が面倒なのだろう。インクのついた紙の束のくせに、まるで宝石のように気をつかわせる。
「他にも気をつけなきゃいけないことは色々あるよ。色あせ、カビ、風通し、虫害、ホコリ……」
「あー、わかったわかった。とにかく、今日の仕事は終わりなんだな?じゃあ俺は帰らせてもらうぜ」
「え?ダメだよ。言ってなかったっけ、住み込みだよ」
さっさとトンズラしようと玄関ドアに向かったルネの肩を、アルテュールがやんわり押し留めた。やんわりとはいっても柔らかいのは動きと笑顔だけで、肩を掴んだ手の握力はけっこう強い。なにより衝撃的なことを言われたので、ルネはぽかんとしてアルテュールを見上げた。
「は……?」
「だって、ここで君を帰らせたらそのまま姿をくらましてしまいそうだし」
それは一理ある。実際、ルネはすぐさま家の荷物を持ち出して、このままどこへなりと逃げ出す腹づもりだった。もっともな意見ではあるが、大変困った。
「……いや、逃げねぇから一旦帰らせてくれ。俺、見てのとおりなにも持ってきてないんだ」
「うん。寝巻きやらなにやらは僕のものを貸すよ。他にも必要なものがあれば言ってほしい、すぐに用意しよう――これでもなにか問題があるかな?」
アルテュールが微笑しながら首を傾げると、亜麻色の髪がさらりと肩口で揺れた。どうやったら、ここまで優しげな顔で自分の意見を押し通せるのだろう。貴族特有の、天性のいけ好かなさだ。
そして、こういう態度のやつに反論してもまったく無駄なことを、ルネはよく知っている。
「あ、心配なら僕から君のご家族に連絡を……」
「いらない。そんなもんいねぇよ」
――これだから貴族のお坊ちゃんはなんにもわかっちゃいない。
ルネのように下層で生まれ育った子どもたちは、まず親の顔を知らない。大人の保護者なんていない。生まれた時から最下層に放り出されて、自分ひとりの力で生きてきたのだ。唯一、おせっかいでよくまとわりついてくるアベルの顔がちらりと浮かんだが、それだけだった。あの場所では、だれが死んでも死ななくても、こともなげに朝が来る。今日笑いあった隣人が明日には路地裏で死体となって見つかることもざらにあるし、だれも他人のことを心配する余裕なんてない。
ハッと嘲るような息がもれた。ルネがスッと目を眇めて短く答えると、アルテュールもそれ以上なにかを言うことはせず、「そうか」とだけ返した。
こんな風に住む世界の違う場所に来ても、生きた心地がしなくても、寝て起きたら明日はやって来る。いや、もしかしたら目の前の男の気が変わって、寝ているうちに殺されているかもしれないが、それにしたって今までの所業を考えれば仕方がないことだ。自分が家に帰ってこないことに、アベルが責任を感じていなければいいのだが。
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