婚約破棄されたので隣国で働きます ~追放侯爵令嬢、才覚だけで王妃候補に成り上がる~

鷹 綾

文字の大きさ
26 / 40

第26話 責任という名の重さ

しおりを挟む
第26話 責任という名の重さ

 翌朝、王宮の回廊は静まり返っていた。
 ――静かすぎるほどに。

 

「……皆、様子をうかがっていますわね」

 ルビー・エルヴェールは、書類を抱えたまま歩きながら、空気の変化を感じ取っていた。

 挨拶はある。
 礼儀も整っている。
 だが、以前より一拍、間がある。

(“次は誰が責任を負わされるのか”――そう思っている顔ですわ)

 

 彼女の改革は、もはや「親切な改善案」ではなかった。
 制度を動かし、記録を残し、判断の痕跡を可視化する。

 それは同時に――
 逃げ場を消すということでもある。

 

 執務室に入ると、すでに一人の男が待っていた。

「失礼します、顧問殿」

 地方行政監査局・副局長。
 実務畑一筋で生きてきた、初老の官僚だ。

「ご用件は?」 「……昨日の新規通達についてです」

 

 彼は、少しだけ言い淀んだ。

「“判断理由の文書化”――あれは、現場にとって相当な重荷になります」

「ええ、承知していますわ」

 即答だった。

 

「ですが、だからこそです」

「……と、申しますと?」

 

 ルビーは、机の上に一枚の古い報告書を置いた。

「これは、五年前の地方災害対応記録です」 「……ああ」

 男の表情が、わずかに曇る。

 

「当時、誰が、どこで、何を判断したのか――
 ほとんど残っていません」

 

「結果だけは記録され、
 失敗した“責任者”の名前だけが残った」

 

 ルビーは、静かに言った。

「責任とは、本来“結果”ではなく“判断”に対して負うものです」

 

「判断の理由が残らなければ、
 正しい判断も、誤った判断も、区別できません」

 

 副局長は、黙り込んだ。

 

「……つまり」 「ええ」

 

「これは、処罰のためではありません」 「むしろ――」

 

 ルビーは、視線を上げる。

「守るための制度です」

 

 男は、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

「……現場は、恐れるでしょう」 「ええ」

 

「ですが、その恐れは」

 ルビーは、少しだけ微笑んだ。

「“考えずに済んでいた時代”への名残です」

 

 午後。

 ルビーは、若手官僚向けの説明会に顔を出していた。

 集まったのは、地方配属予定の者たち。
 緊張と不安が、ありありと伝わってくる。

 

「質問がある人は?」

 しばしの沈黙の後、一人の青年が手を挙げた。

「……正直に申し上げます」

 震える声。

「判断を書面に残すということは、
 間違えたら一生、責任を問われるということではありませんか?」

 

 空気が張り詰める。

 

 ルビーは、彼をまっすぐに見た。

「いいえ」

 きっぱりと。

 

「間違えたことでは、責任は問いません」

 

 ざわめき。

 

「問いません。ただし」

 

「考えなかったことは、問い続けます」

 

 青年は、息を呑んだ。

 

「恐れなくていいのは、
 “最善を尽くした判断”です」

 

「恐れるべきなのは、
 “前例だから”“上が言ったから”と、
 自分の頭を使わなかった判断です」

 

 沈黙が落ちる。

 

「……それでも、怖いです」

 誰かが、呟いた。

 

 ルビーは、少しだけ視線を和らげた。

「ええ。怖いでしょう」

 

「でも、その怖さを感じる人こそが」

 

 ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「人の生活を預かる資格があると、私は思います」

 

 説明会が終わった後。

 廊下で、マクシミリアンが待っていた。

「随分と、厳しいことを言う」 「逃げ道を用意する方が、残酷ですわ」

 

「……確かにな」

 

 彼は、少しだけ真面目な顔で続ける。

「君の制度は、人を甘やかさない」 「ええ」

 

「でも、不思議と――」

 彼は、微かに笑った。

「人を信じている」

 

 その夜。

 ルビーは、灯りの落ちた執務室で、一人考えていた。

(責任とは、重い)

 だからこそ、
 押し付けてはならない。

 

(でも、背負う覚悟がなければ)

 権限を与えてはならない。

 

 ルビー・エルヴェールは、静かに窓の外を見た。

 彼女の改革は、
 “優しさ”から、
 “覚悟”の段階へと進んでいた。

 それは、戻れない道。
 だが――彼女はもう、迷わなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都
恋愛
ランゲル王国の王太子ヘンリックは結婚式を挙げた夜の寝室で、妻となったローゼリアに白い結婚を宣言する、 ……つもりだった。 夫婦の寝室に姿を見せたヘンリックを待っていたのは、妻と同じ髪と瞳の色を持った見知らぬ美しい女性だった。 「『愛するマリーナのために、私はキミとは白い結婚とする』でしたか? 早くおっしゃってくださいな」 そう言って椅子に座っていた美しい女性は悠然と立ち上がる。 「そ、その声はっ、ローゼリア……なのか?」 女性の声を聞いた事で、ヘンリックはやっと彼女が自分の妻となったローゼリアなのだと気付いたのだが、驚きのあまり白い結婚を宣言する事も出来ずに逃げるように自分の部屋へと戻ってしまうのだった。 ※こちらは「裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。」のIFストーリーです。 ヘンリック(王太子)が主役となります。 また、上記作品をお読みにならなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

婚約者を交換ですか?いいですよ。ただし返品はできませんので悪しからず…

ゆずこしょう
恋愛
「メーティア!私にあなたの婚約者を譲ってちょうだい!!」 国王主催のパーティーの最中、すごい足音で近寄ってきたのはアーテリア・ジュアン侯爵令嬢(20)だ。 皆突然の声に唖然としている。勿論、私もだ。 「アーテリア様には婚約者いらっしゃるじゃないですか…」 20歳を超えて婚約者が居ない方がおかしいものだ… 「ではこうしましょう?私と婚約者を交換してちょうだい!」 「交換ですか…?」 果たしてメーティアはどうするのか…。

処理中です...