満場一致で削除されましたが、世界は問題なく回っております』

鷹 綾

文字の大きさ
3 / 40

第三話 沈黙の広間

しおりを挟む
第三話 沈黙の広間

 翌朝の王宮は、奇妙なほど静かだった。

 夜会の翌日は、いつもなら噂と笑いが飛び交う。誰が誰と踊った、誰が失言した、どの家が新しい同盟を結んだ――そんな話題で廊下は賑わうものだ。

 だが今朝は違う。

 侍従たちは声を潜め、文官は目を合わせず、騎士たちは整然と立ちながらもどこか距離を保っている。

 アルベルト王太子は、その変化にまだ気づいていなかった。

「大袈裟だな。たかが婚約だろう」

 執務室でそう言い放ちながら、彼は机に置かれた書類を乱暴にめくる。

 財務官は額に汗を滲ませていた。

「殿下、軍需契約が通常価格に戻りました。これまでの優遇条件が消えたことで、来月の支出が――」

「調整すればいい」

「調整では足りません。即時の現金流動が……」

 アルベルトは苛立ちを隠さない。

「ルーヴェン家が意趣返しをしているだけだ。いずれ落ち着く」

 そのとき、扉が静かに開いた。

 白衣の少女が、光を背にして立っている。

「殿下、お疲れでいらっしゃいますわ」

 リュシエラは穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄る。

「皆様が少し騒ぎすぎなのです。殿下は正しい選択をなさったのですから」

 その声は甘く、柔らかい。

 財務官は視線を下げる。

「……殿下、午後の貴族会議ですが」

「何だ?」

「出席者が……全員、とのことです」

 アルベルトは眉をひそめる。

「全員? 派閥代表だけでよいはずだ」

「いえ……主要家門すべてが出席を希望しております」

 それは異例だった。

 貴族社会は無駄な動きをしない。
 全員が集まるということは、全員が“確認したい”ということだ。

「来たいなら来ればいい」

 王太子は立ち上がる。

「私が説明すれば済む話だ」

 午後。

 大広間ではなく、重厚な円卓の間。

 侯爵、伯爵、公爵。老齢の重鎮から若き当主まで、ほぼすべての主要家門が揃っている。

 ざわめきはない。

 誰も先に口を開かない。

 アルベルトが入室しても、歓声も拍手もない。

 ただ、視線。

 静かな視線。

「諸侯よ。昨日の件についてか?」

 誰も否定しない。

 老公爵がゆっくりと口を開いた。

「殿下、確認いたします。婚約破棄は、王家としての正式決定でございますか」

「当然だ」

「事前協議は」

「不要だ」

 空気が、さらに冷える。

「補償案は」

「必要ない」

 ざわめきは起きない。

 ただ、円卓の上に置かれた指先が、わずかに強く握られただけ。

 若い伯爵が慎重に言う。

「殿下。婚約は両家の信義を示すものでございます。付随契約の扱いについて――」

「契約は契約だ。再交渉すればよい」

「その再交渉の根回しが、ございませんでした」

 その一言が、鋭い。

 アルベルトは苛立つ。

「私は王太子だぞ」

 沈黙。

 老公爵が静かに返す。

「だからこそでございます」

 王太子は、初めて言葉に詰まる。

「……何が言いたい」

「殿下は、王太子であらせられます。ゆえに、契約を軽んじる姿勢は、王家そのものの軽視と映ります」

 声は穏やか。

 だが、逃げ道はない。

「私は軽んじていない!」

「では、なぜ公開の場で」

 言葉が途切れる。

 答えは単純だ。

 感情。

 だがそれを口にすれば、貴族社会では致命的。

 円卓は静まり返る。

 誰も怒鳴らない。

 誰も糾弾しない。

 それが逆に、重い。

 アルベルトは視線を巡らせる。

 味方を探す。

 だが、目を合わせる者はいない。

 視線を落とす者。

 真正面を見据える者。

 距離を測る者。

 そこへ、リュシエラがそっと一歩前に出る。

「皆様、殿下は神の導きに従われただけですわ」

 その声は優しい。

「信仰は国家の柱の一つ。殿下は光を選ばれました」

 数名の貴族が、わずかに眉を動かす。

 神殿が国家を導く構図は、歓迎されない。

 均衡が崩れるからだ。

 老公爵は淡々と返す。

「信仰と契約は、別でございます」

 それ以上は言わない。

 議論は続かない。

 ただ、確認が終わる。

 会議は解散した。

 採決も糾弾もない。

 だが全員が理解している。

 “王太子は、ルールを理解していない”。

 廊下に出た瞬間、アルベルトは息を吐いた。

「大げさだ」

 だがその声には、微かな揺らぎがあった。

 リュシエラが寄り添う。

「殿下は正しい。あの方々は古い秩序に縛られているだけです」

「そうだ……そうだな」

 彼は頷く。

 だが、背後で閉まる重い扉の音が、やけに大きく響いた。

 その頃、ルーヴェン公爵家では。

 エリシアが出立の準備を終え、父と向かい合っていた。

「王宮は動いているようだ」

「ええ。全員出席の会議だったとか」

「怒鳴られはしなかっただろう」

「怒鳴るほど、未熟ではありませんわ」

 公爵は微笑む。

「沈黙は、時に宣告より重い」

 エリシアは窓の外を見る。

 王都の空は、変わらず青い。

「秩序を守る者と、破る者。どちらが残るかは、いずれ分かります」

 彼女は馬車へ向かう。

 王宮で起きた沈黙の重さを知らぬまま。

 いや、知ろうとしないまま。

 舞台は、静かに分かれた。

 声なき距離が、ゆっくりと広がり始めている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今さら救いの手とかいらないのですが……

カレイ
恋愛
 侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。  それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。  オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが…… 「そろそろ許してあげても良いですっ」 「あ、結構です」  伸ばされた手をオデットは払い除ける。  許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。  ※全19話の短編です。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。 理由は他の女性を好きになってしまったから。 10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。 意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。 ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。 セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。

覚悟はありますか?

翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。 「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」 ご都合主義な創作作品です。 異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。 恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました

日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。 だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。 もしかして、婚約破棄⁉

処理中です...