満場一致で削除されましたが、世界は問題なく回っております』

鷹 綾

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第四話 撤退の書簡

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第四話 撤退の書簡

 ルーヴェン公爵家から発せられた通達は、感情の匂いを一切含んでいなかった。

 王宮へ届けられたそれは、上質な羊皮紙に端正な筆跡で記されている。

 ――婚約解消に伴い、付随する特別条項を終了する。
 ――軍需優先供給、穀物備蓄保証、港湾関税優遇は即時通常契約へ移行する。
 ――再契約を希望する場合は、正式な協議の場を設けること。

 謝罪も非難もない。

 ただ、事実。

 王宮の執務室に沈黙が落ちた。

「……即時、だと?」

 アルベルトは書簡を握りしめる。

「猶予もなし?」

 財務官は額に汗を浮かべながら答える。

「条項に基づく正当な処理でございます。違法性はございません」

「だが急すぎる!」

「殿下、急なのは――」

 言葉が止まる。

 急だったのは婚約破棄の方だ。

 それを口にすれば、場が凍る。

 アルベルトは舌打ちした。

「再交渉だ。すぐに使者を送れ」

「……どの条件で?」

 問いは冷たい。

 これまでの優遇は婚約を前提としていた。
 今は、ただの一貴族家門との取引になる。

 王家の立場は強い。

 だが、無限ではない。

 そこへ、リュシエラが静かに入室する。

「殿下、皆様が慌てすぎなのですわ」

 白衣が柔らかく揺れる。

「神が導かれる道に、障害はございません」

 財務官は目を伏せる。

 信仰は精神の支えにはなる。
 だが、帳簿は祈りで埋まらない。

「殿下、三日以内に軍への支払いが発生します。優遇が消えたことで不足が出ます」

「ならば一時借入を」

「担保が必要です」

「王家だぞ」

「王家であっても、契約が前提です」

 その言葉に、アルベルトの眉が跳ねる。

「契約、契約と……」

 苛立ちは、理解の不足から生まれる。

 一方、ルーヴェン公爵家では。

 エリシアは隣国行きの馬車に乗り込む直前、最後の確認をしていた。

「軍需品の出荷、遅延は?」

「ございません。通常契約分は予定通り」

「王家側からの再交渉打診があれば」

「正式文書でのみ対応」

 無感情な整理。

 だがそこに冷酷さはない。

 ルールに従っているだけだ。

 公爵が娘に言う。

「王宮は焦るだろう」

「焦りは判断を鈍らせます」

「同情は?」

「契約外ですわ」

 わずかな笑み。

 馬車の扉が閉まる。

 車輪が動き出す。

 王都を離れるその背中に、迷いはない。

 同時刻、王宮の円卓では再び貴族が集まっていた。

「軍需の不足は深刻だ」

「穀物備蓄の再計算が必要だ」

「港湾関税が通常に戻れば、商会は隣国へ流れる」

 誰も怒らない。

 ただ、淡々と損失を計算する。

「王太子殿下は再交渉を指示された」

 沈黙。

 老侯爵が低く言う。

「事前協議を拒み、公開で破棄した」

「今度は協議を求める、と」

「順序が逆だ」

 誰も声を荒げない。

 だが空気は固い。

 若い伯爵が言う。

「我々は、予測可能性を求める。昨日の行為は、それを壊した」

 その言葉に多くが頷く。

 貴族社会において、最大の価値は“予測可能性”。

 誰が何をするか読めるから、投資し、軍を動かし、同盟を組む。

 公開破棄は、その予測を破壊した。

 アルベルトは廊下を歩く。

 侍従たちが距離を取るのを感じる。

 昨日までと、わずかに違う。

 誰も無礼はしない。

 だが、踏み込んでこない。

 リュシエラが寄り添う。

「殿下は間違っておりません」

「当然だ」

 彼は自分に言い聞かせる。

 だが、胸の奥に小さな違和感が芽生える。

 なぜ、祝福がないのか。

 なぜ、賛同の声が広がらないのか。

 その夜、財務官の机にもう一通の書簡が届く。

 隣国商会からだ。

 ――王家優遇の終了を受け、関税再交渉を希望する。

 動きは早い。

 王家の後ろ盾が揺れた瞬間、周囲は計算を始める。

 アルベルトはまだ気づかない。

 彼が壊したのは婚約ではない。

 秩序の前提だということを。

 エリシアの馬車は、王都の門を抜ける。

 彼女は窓の外を見つめる。

 遠ざかる城壁。

「後悔はございませんか」

 侍女が小さく尋ねる。

「ございません」

 短い返答。

「契約を守る者と、守らぬ者。結果は自然に出ます」

 彼女の声は穏やかだ。

 怒りも嘲笑もない。

 ただ、確信。

 王宮では、帳簿の数字が赤く染まり始めていた。

 まだ小さな赤字。

 だが、確実に広がる。

 沈黙のまま、静かに。

 誰も叫ばない。

 誰も断罪しない。

 だが秩序は、違反者を記憶する。

 そしてそれは、いつか形になる。

 この夜は、まだ前触れにすぎない。
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