『白い結婚、黒い逆転。――辺境公爵は書類で愛を囁く』

鷹 綾

文字の大きさ
1 / 17

1-1 断罪の夜会

しおりを挟む
第1章 断罪と契約婚

1-1 断罪の夜会

 煌めくシャンデリアが天井に映り、金糸のドレスを纏った貴婦人たちが笑みを交わす。
 王都ラミアスの中心――王宮舞踏会場は、まるで絵画のような華やかさに満ちていた。
 その中心に立つのは、王太子エドモンドとその婚約者である宰相令嬢――レティシア・ファルネリア。

 彼女は誰よりも背筋を伸ばし、完璧な礼儀を纏って微笑んでいた。
 彼女にとってこの場は、政治の表舞台。笑顔一つ、視線一つが駆け引きの道具だ。
 だが、その均衡は――一言で崩れる。

 「レティシア・ファルネリア。お前との婚約を、今この場で破棄する。」

 音楽が止んだ。
 弦の余韻だけが、空気を裂く。

 レティシアは、一瞬だけ瞬きをした。
 だがすぐに、完璧な微笑を取り戻す。

 「……ご冗談を、殿下。皆の前でそのような――」

 「冗談ではない!」
 エドモンドの声が響く。彼の隣には、白衣のような純白のドレスを纏う一人の少女。
 金の髪に聖光を宿したかのようなその姿に、会場の貴婦人たちは息を呑む。

 「この方こそ、真なる聖女ミレーナだ!」
 「彼女を陥れるために、そなたは王国財務を操作し、私を欺いていた!」

 どよめきが広がった。
 “聖女”という言葉が放つ甘い響きは、聴衆の理性を奪うには十分だ。

 レティシアは一歩進み出る。
 顔色ひとつ変えずに、静かに言葉を紡ぐ。

 「陛下の御前ではなく、この場で断罪を行うのですか?」
 「ならば、証拠をお見せくださいませ。」

 「証拠はある!」と、エドモンドは叫ぶ。
 侍従が持ってきた帳簿が高々と掲げられ、開かれる。
 「ここに記されている。王都財務から三万ルクが、宰相府を経由してファルネリア家に流れている!」

 レティシアは帳簿に目を落とした。
 ――この書類、私の筆跡ではない。
 けれど、巧妙に似せられている。文官の中に協力者がいるのだろう。

 彼女は冷静に、まるで講義でもするように声を上げた。
 「その帳簿は写本であり、原本ではありません。
  筆跡は似せてありますが、日付欄の暦記が誤っています。
  本年は“蒼月暦”ですが、この帳簿には“金環暦”と記載されております。三年前に廃止された旧暦です。」

 会場がざわめく。
 文官の一人が「たしかに……」と呟いた瞬間――王太子の顔が赤く染まる。

 「貴様っ! 陛下の制度を嘲るつもりか!」

 「いいえ、事実を述べただけです。
  ですが殿下……このような公の場で“断罪”を行うこと自体が、王国法第十七条に抵触いたしますわ。」

 「黙れ!」

 怒号が飛び、護衛が彼女を取り囲んだ。
 “真実よりも、見せかけの正義”――それが、この国の舞台。

 レティシアは内心で、ふっと微笑む。
 ――なるほど。これが仕組まれた筋書きなのですね。
 私が罪を被ることで、宰相派を完全に排除する。そのための“公開芝居”。

 「では、どうぞお好きになさいませ。」
 彼女は静かに裾を持ち上げ、一礼した。
 「殿下の“真実の愛”が、腐らぬことを祈っておりますわ。」

 その言葉に、会場が凍りつく。
 ミレーナが怯えたようにエドモンドの腕にしがみつき、
 彼は焦燥を隠せずに叫ぶ。

 「連れて行け! この女を王都から追放せよ!」

 護衛に腕を掴まれ、レティシアは引きずられる。
 背後で誰かが囁く。「氷の令嬢が砕けた」と。

 けれど彼女の表情は崩れない。
 ――私の心は、最初から氷ではなく、書類でできているのだから。


---

 王都の空は、夜明け前の薄紫。
 宰相府の屋敷には既に封鎖の命令が出され、使用人たちは散り散りに逃げていた。
 レティシアは書庫の奥で、最後の手紙を封じる。

 “父上へ。
  私が罪を被ることで、派閥の命脈を保てるならそれで構いません。
  どうか、この国が滅びぬように。”

 筆を置いた瞬間、門外から馬の蹄音。
 兵士たちが押し入り、彼女に退去を命じた。

 「……わかりました。すぐに参ります。」

 屋敷を出ると、春を迎えた街の空気が頬を撫でた。
 “追放”という言葉が、こんなにも軽やかに聞こえるとは。

 荷車一つ、使用人もなし。
 それでも彼女の背筋は、変わらず真っ直ぐだった。


---

 数日後。王都の西、トラヴィス山脈を越えた辺境。
 そこに小さな宿を取り、レティシアは古い帳簿を広げていた。
 「やはり……改ざんの痕跡が複数ありますね。殿下の側近たち、完全に油断していましたわ。」

 冷たい笑みを浮かべ、彼女は古紙を整える。
 ――このままでは済ませない。いつか必ず、数字で仕返しを。

 そのとき。宿の受付が、分厚い封筒を差し出した。
 「ファルネリア嬢、あなた宛に王国印付きの文書が届いております。」

 「……王国印?」

 封蝋には、見慣れぬ紋章――黒い双翼と白銀の剣。
 “辺境アルヴェン領”の印章だった。

 彼女は静かに封を切る。

 > 『求婚書類――辺境公爵グレイ・アルヴェン』
 > 『条件:同居別室。感情不干渉。互恵契約による婚姻』

 レティシアは思わず息を止めた。
 ――求婚? 私に?

 文面を読み進めるうちに、目が冴えていく。
 その文章は、まるで法律文書のように整然としており、
 “愛”という言葉は一度も使われていなかった。

 「感情不干渉、ね……。なんて誠実な表現でしょう。」

 皮肉な笑みが浮かぶ。
 愛を口にする男たちは皆、感情で動き、数字を見ない。
 けれどこの書類には、誤字も虚飾もなかった。

 ――契約で始まる婚姻。悪くない。
 ――感情のない生活。むしろ理想的。

 そして何よりも、末尾の署名に心を惹かれた。

 > 『グレイ・アルヴェン ――辺境公爵・王国再建監査官』

 王国再建監査官。
 彼が王政の“黒幕の整理人”であることは、政治を知る者なら誰でも知っている。
 冷徹、非情、情に流されぬ男。
 だが、彼の作る書類に嘘はない――そう噂されていた。

 レティシアは、震える指でペンを取り、署名欄に自らの名を記す。

 > 『レティシア・ファルネリア――受諾』

 インクが乾くまでの数秒が、なぜか永遠のように感じられた。

 封筒を閉じ、彼女は小さく呟く。
 「感情はもういらない。
  けれど、正義を記すペンだけは、まだ私の中に残っているわ。」

 こうして――
 断罪された宰相令嬢と、冷徹と呼ばれる辺境公爵の“白い結婚”が始まる。

 それが、王都全体を揺るがす“黒い逆転劇”の序章になることを、
 まだ誰も知らなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。

猫宮乾
恋愛
 再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。

婚約破棄されたので、自由に生きたら王太子が失脚しましたあ

鍛高譚
恋愛
名門アーデン公爵家の令嬢 ロザリー・フォン・アーデン は、王太子 エドワード・カミル・レグノード の婚約者として誰もが認める完璧な貴族令嬢だった。 しかしある日、王太子は突如 “聖女” を名乗る平民の少女 セシリア・ブランシュ に夢中になり、ロザリーに無情な婚約破棄を言い渡す。 「これは神の導きだ! 私の本当の運命の相手はセシリアなんだ!」 「ロザリー様、あなたは王太子妃にふさわしくありませんわ」 ──ふたりの言葉を前に、ロザリーは静かに微笑んだ。 「……そうですか。では、私も自由に生きさせていただきますわね?」 だが、これがロザリーの “ざまぁ” 逆転劇の幕開けだった! 神託と称して王太子を操る “聖女” の正体は、なんと偽者!? さらに王室財政を私物化する 汚職貴族との黒い繋がり も発覚!? 次々と暴かれる陰謀の数々に、王宮は大混乱。 そして、すべての証拠が王の手に渡ったとき──王太子 エドワードは王太子の地位を剥奪され、偽の聖女と共に国外追放 となる! 「ロザリー様を捨てた王太子は大馬鹿者だ!」 「やっぱり王妃にふさわしかったのはロザリー様だったのよ!」 社交界ではロザリーへの称賛が止まらない。 そしてそんな彼女のもとに、なんと隣国の 若き王クラウス・アレクサンドル から正式な求婚が──!? 「私はあなたの聡明さと誇り高き心に惹かれました。私の王妃になっていただけませんか?」 かつての婚約破棄が嘘のように、今度は 本物の愛と自由を手にするチャンス が巡ってくる。 しかし、ロザリーはすぐに頷かない。 「私はもう、誰かに振り回されるだけの人生は選びません」 王妃となる道を選ぶのか、それとも公爵家の令嬢として新たな未来を切り開くのか──?

異世界で守護竜になりました

みん
恋愛
【召喚先は、誰も居ない森でした】の続編になります。 守護竜となった茉白のその後のお話です。 竜王国民を護りたいと、守護竜として頑張る茉白。そんな茉白を甘やかしたい近衛のカイルス。茉白はカイルスのそんな気持ちには気付かない上、茉白には密やかな野望もある。 茉白の野望は叶うのか?カイルスの想いは茉白に届くのか? 聖女由茉も健在です。 ❋最初は恋愛要素薄目です ❋独自設定あり ❋他視点のお話もあります

【完結】寵姫と氷の陛下の秘め事。

秋月一花
恋愛
 旅芸人のひとりとして踊り子をしながら各地を巡っていたアナベルは、十五年前に一度だけ会ったことのあるレアルテキ王国の国王、エルヴィスに偶然出会う。 「君の力を借りたい」  あまりにも真剣なその表情に、アナベルは詳しい話を聞くことにした。  そして、その内容を聞いて彼女はエルヴィスに協力することを約束する。  こうして踊り子のアナベルは、エルヴィスの寵姫として王宮へ入ることになった。  目的はたったひとつ。  ――王妃イレインから、すべてを奪うこと。

婚約破棄されました(効率の悪い労働でした) ― 働いてない? 舞踏会は、充分重労働ですわ! ―

ふわふわ
恋愛
「働いていない?――いいえ、舞踏会も社交も重労働ですわ!」 前世で“働きすぎて壊れた”記憶を持ったまま、 異世界の公爵令嬢ルナ・ルクスとして転生したヒロイン。 生まれながらにして働く必要のない身分。 理想のスローライフが始まる――はずだった。 しかし現実は、 舞踏会、社交、芸術鑑賞、気配り、微笑み、評価、期待。 貴族社会は、想像以上の超・ブラック企業だった。 「ノブレス・オブリージュ?  それ、長時間無償労働の言い換えですわよね?」 働かないために、あえて“何もしない”を選ぶルナ。 倹約を拒み、金を回し、 孤児院さえも「未来への投資」と割り切って運営する。 やがて王都は混乱し、 なぜか彼女の領地だけが安定していく――。 称賛され、基準にされ、 善意を押し付けられ、 正義を振りかざされ、 人格まで語られる。 それでもルナは、動かない。 「期待されなくなった瞬間が、いちばん自由ですわ」 誰とも戦わず、誰も論破せず、 ただ“巻き込まれない”ことを貫いた先に待つのは、 何も起きない、静かで満たされた日常。 これは―― 世界を救わない。 誰かに尽くさない。 それでも確かに幸せな、 働かない公爵令嬢の勝利の物語。 「何も起きない毎日こそ、私が選び取った結末ですわ」

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

【完結】戸籍ごと売られた無能令嬢ですが、子供になった冷徹魔導師の契約妻になりました

水都 ミナト
恋愛
最高峰の魔法の研究施設である魔塔。 そこでは、生活に不可欠な魔導具の生産や開発を行われている。 最愛の父と母を失い、継母に生家を乗っ取られ居場所を失ったシルファは、ついには戸籍ごと魔塔に売り飛ばされてしまった。 そんなシルファが配属されたのは、魔導具の『メンテナンス部』であった。 上層階ほど尊ばれ、難解な技術を必要とする部署が配置される魔塔において、メンテナンス部は最底辺の地下に位置している。 貴族の生まれながらも、魔法を発動することができないシルファは、唯一の取り柄である周囲の魔力を吸収して体内で中和する力を活かし、日々魔導具のメンテナンスに従事していた。 実家の後ろ盾を無くし、一人で粛々と生きていくと誓っていたシルファであったが、 上司に愛人になれと言い寄られて困り果てていたところ、突然魔塔の最高責任者ルーカスに呼びつけられる。 そこで知ったルーカスの秘密。 彼はとある事件で自分自身を守るために退行魔法で少年の姿になっていたのだ。 元の姿に戻るためには、シルファの力が必要だという。 戸惑うシルファに提案されたのは、互いの利のために結ぶ契約結婚であった。 シルファはルーカスに協力するため、そして自らの利のためにその提案に頷いた。 所詮はお飾りの妻。役目を果たすまでの仮の妻。 そう覚悟を決めようとしていたシルファに、ルーカスは「俺は、この先誰でもない、君だけを大切にすると誓う」と言う。 心が追いつかないまま始まったルーカスとの生活は温かく幸せに満ちていて、シルファは少しずつ失ったものを取り戻していく。 けれど、継母や上司の男の手が忍び寄り、シルファがようやく見つけた居場所が脅かされることになる。 シルファは自分の居場所を守り抜き、ルーカスの退行魔法を解除することができるのか―― ※他サイトでも公開しています

家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました

日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。 だが彼に溺愛され家は再興。 見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。

処理中です...